表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/67

第57話 見えない手入れ

 人が増えたからといって、整える手も増えるわけではなかった。


 むしろ逆だった。


 朝の市場裏に立つ顔は、昨日とも少し違う。残る者もいれば、消える者もいる。前借りに流れた者の代わりに、また別の半端者が様子を見に来る。ガルドが前に立ち、エルンが帳面を開き、ミラが依頼人と仕事を繋ぎ、ドグが物を見て、リノが戸口の脇から人を見ている。その形だけは、もう外から見ても分かるようになっていた。


 だが、分かるようになったからといって、それだけで回るわけではない。


 午前のうちに、細かいずれが三つ起きた。


 一つは、新しく来た若いの同士の睨み合いだった。重い荷を運ぶ順で肩がぶつかり、どちらが先だったかで声が荒くなる。もう一つは、昨日からいる中年が、支払いの順を早い遅いと言い出したこと。最後の一つは、痩せた女が、仕事の途中で急に裏手へ引っ込み、誰もどこへ行ったか分からなくなったことだった。


 どれも大きくはない。

 だが、ひとつひとつを放っておくと、流れの端に棘が残る。


「増えたな」

 ガルドが面倒そうに吐き捨てる。

「仕事じゃなくて、面倒が」


「人が増えればそうなります」

 エルンは帳面を見たまま答える。

「最初から分かっていたことです」


「分かってても腹立つんだよ」


 ミラは依頼人と笑って話していたが、その目だけは小屋の前を見ていた。誰と誰が口を利いていないか。どこで視線が止まるか。表向きは何もない顔をしていても、揉める前の気配は残る。


 カイルは荷車の脇に立ち、その気配の流れを見ていた。


 前みたいに、ひとつの声で全部を止められる段階ではない。ガルドが前に出れば、その場の乱れは止まる。けれど、止まったあとに残る小さな歪みまでは消えない。遅いと苛立った若いのは、次に同じ相手と組めばまた嫌な顔をする。支払いに文句を言った中年は、そのままにすれば後ろで妙なことを吹き込む。途中で消えた痩せた女も、放っておけば次は本当に戻らないかもしれない。


 小さすぎて、誰も本気で相手にしない。

 だが、そういうものほど、後で利く。


「……行ってきます」

 誰にともなく言って、カイルは荷車の陰を離れた。


 最初に向かったのは、揉めかけた若いの二人のところだった。今は別々の荷を持たせてある。片方へだけ、短く言う。


「次、乾物屋の荷は重いです。あれを持てる方に回ってもらえると助かります」


 言われた若いのは、一瞬だけ気を良くした顔をした。役を与えられたと思ったのだろう。もう片方には、少しあとで別の言い方をする。


「さっきの方、力は強いですけど雑なので。置き場を見てもらった方が助かります」


 どちらにも、相手を立てながら少しずつ離す。

 勝たせるのではない。正面からぶつからない置き方をするだけだ。


 次に、中年のところへ行く。

「支払い、順が遅かったですか」

 中年は面倒そうに鼻を鳴らした。

「見てりゃ分かるだろ」

「次から先に呼ぶようエルンに言っておきます。ただ、今日は袋の数がずれていたので」

 そこで一拍置いて、

「先に終わっていたように見えても、帳面上は後ろになることがあるそうです」


 中年は文句を言いたい顔をしたが、帳面と言われると少し勢いが鈍る。理屈に納得したのではない。文句の向け先が曖昧になっただけだ。


 最後に、痩せた女を探す。裏手の壁際、板の陰に座り込んでいた。逃げる気というより、人の多さに押し出された顔だった。


「戻れそうですか」

 声をかけると、女はびくりと肩を揺らした。

「……怒鳴られるかと思った」

「今は誰も怒鳴ってません」

「さっき、見られたから」

 それだけで止まるのか、と言いかけて、カイルはやめた。止まる理由は、その人間にしか分からない。


 代わりに縄の束を一本、手前へ置いた。

「これだけ裏へ」

 女は束を見て、少し迷い、それから頷いた。


 戻る頃には、小屋の前の流れは少しだけましになっていた。ガルドが前で止め、エルンが並べ、ミラが外の顔色を見ている。その隙間を埋めるように、カイルは立つ位置と声の向きだけを少しずつ変えていく。


 目立つことはない。

 指示しているようにも見えない。

 ただ、何となく次の組み合わせが変わり、妙にぶつかりやすい者同士が離れ、離れそうな者だけが手元に残る。


 昼過ぎ、ミラが小さく笑った。

「またやってるねえ」

「何をです」

「手入れ」

 カイルは答えず、荷の縄を見たふりをした。


 その横で、エルンが帳面を閉じる。

「午前より静かです」

「だろ」

 ガルドが言う。

「俺が止めたからだ」

「半分はそうです」

 エルンは嫌そうな顔で認めた。

「残り半分は、止めたあとが崩れていないからです」


 カイルは何も言わなかった。


 全部を支配するわけではない。

 そんなことをしなくても、回る形に近づける方がいい。

 噛み合わせの悪い歯車をひとつずつ削り、ぶつからない角度に置き直す。今やっているのは、その程度のことだ。


 けれど、その程度のことをやる人間がいなければ、人数だけ増えた仕事場はすぐに軋む。


 夕方、小屋の前には今日も人が残っていた。

 壁際で明日の口を待つ者。銀貨を握って黙って帰る者。まだ様子を見ているだけの者。


 ガルドが前に立つ顔なら、エルンは形を組む頭だった。

 ミラは外を繋ぎ、ドグは物を支え、リノは危うさを拾う。


 そしてカイルは、その全部の隙間を見ていた。


 誰にも気づかれないくらいの手入れを重ねながら、この場所が崩れない形を、少しずつ整えていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


続きが気になる方は

ブックマークしていただけると嬉しいです。


評価ポイントも励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ