第47話 流れてくる噂
小屋裏が少し整うと、最初に変わったのは見た目ではなかった。
噂の流れだった。
朝の市場裏に来る人間は、相変わらず半端な一日雇いばかりだ。だが、持ち込まれる話の中身が少しずつ変わり始めていた。前までは、荷運びが一件、片付けが一件、せいぜいその程度だったのに、この頃は仕事そのものより先に、妙な話が混じるようになった。
「西通りの人足頭、二日寝込んでるって」
ミラが小屋の戸口で言った。
「そのせいで、布問屋の荷が朝から詰まってる。あと、南の路地で若いのが四、五人、仕事なくて余ってる」
エルンが帳面から顔を上げる。
「……仕事の話ですか、それは」
「半分はね」
「半分は何です」
「噂」
ミラは悪びれずに笑った。
ガルドが縄を担いだまま眉をひそめる。
「寝込んでる奴の話なんざ、聞いてどうすんだ」
「そいつが握ってた仕事が浮く」
ミラは指を一本立てた。
「若いのが余ってるって話は、人が流れてくる」
もう一本立てる。
「荷が詰まってるって話は、困ってる店があるってこと」
そこでようやく、ガルドは黙った。
カイルはミラの横顔を見た。前からそうだったが、あの女は仕事そのものより、その周りを流れる話を先に拾う。誰が困っているか。誰が弱っているか。どこに余りが出ているか。人も荷も金も、止まる場所があれば、その周りには必ず噂が生まれる。
そして今、その噂のいくつかが、ここへ流れてきていた。
「昨日も、似たようなのがありました」
エルンが帳面をめくる。
「北側の乾物屋で荷車が足りないという話のあと、実際に依頼が来た」
「でしょ?」
ミラが得意げに言う。
「だから言ったじゃん。仕事だけ見てても遅いんだって」
ドグは木箱の留め具を直しながら、ぼそりと呟く。
「流れてきてるだけだ」
「何がです」
「話だ。人が溜まれば、仕事も噂も流れてくる」
それは妙に腑に落ちた。
市場裏の小屋は、まだ大した場所ではない。店でもないし、組合でもない。だが、困った時に顔を出す場所、仕事が欲しい時に覗く場所として、少しずつ下層に覚えられ始めている。そうなると、仕事そのものだけではなく、その手前の話も集まってくる。
「じゃあ、今日は南の路地を見てきます」
カイルが言うと、ミラが笑った。
「もう行く気だ」
「四、五人いるなら、誰かはこっちへ流れるかもしれません」
「そういうとこ、ほんと早いよねえ」
南の路地は、昼前でも湿った空気が残っていた。壁際に座り込み、仕事の口を待ちながら、諦めたように石を蹴っている若いのが三人。少し離れたところに二人。顔つきは似ている。腹が減り、苛立ち、だが暴れるほどの元気もない顔だ。
カイルは声をかけなかった。ただ、少し離れた場所で荷車の縄を直し、聞こえるようにミラと話す。
「小屋の裏、今なら荷車二台ぶんは空いてます」
「じゃあ、人が増えても一件くらいは回せるね」
「半日だけでも使えます」
「聞いてる奴がいれば、だけど」
わざとらしいくらいでちょうどよかった。直接呼べば警戒する。だが、行き場のない人間は、自分に都合のいい話だけはよく拾う。
案の定、一人が顔を上げた。二人目が立つ。だが、すぐには来ない。ああいう時、人は最後の一歩を誰かに押してほしがる。
「……ガルドのとこ、まだ人いるらしいぞ」
誰かが小さく言った。
「殴られにくいって」
「仕事は切られるけどな」
「でも、何もねぇよりましだろ」
カイルは振り返らなかった。ただ縄を巻き直しながら、その声だけを聞いていた。
戻る途中、ミラが吹き出した。
「殴られにくい、だってさ」
「間違ってはいません」
「ずいぶん低い評判だねえ」
「下では十分です」
実際、その通りだった。温かい場所だとは思われていない。優しいとも、居心地がいいとも。だが、理不尽が少なく、働けばすぐには捨てられない。下層では、それだけで十分に話が広がる。
昼過ぎ、小屋の前には見覚えのない若いのが二人立っていた。南の路地にいた顔だった。声をかけたのはガルドではない。ミラでもない。自分たちで流れてきたのだ。
「……半日でもいい。働かせてもらえるか」
背の低い方の若いのが言った。
ガルドはそちらを一瞥し、顎をしゃくった。
「勝手に立ってるだけなら邪魔だ。働くなら名前を言え」
その言い方で、一人は少し怯んだ。もう一人が前へ出る。
「働く」
エルンが帳面を開き、名前を書く。ミラが依頼人に笑いかける。ドグは何も言わず、足りない縄の束だけを指した。リノは戸口の脇で、新しく来た二人の足元をじっと見ている。
小屋の前には、今日も仕事がある。
けれど、ここへ流れてくるのは仕事だけではない。
弱った人足頭の話。
荷が詰まった店の話。
余っている若い連中の話。
そこからこぼれた人と仕事が、少しずつこの場所へ流れ込んでくる。
ガルドのところは、もうただ依頼を待つだけの場所ではなくなり始めていた。
下層を流れる噂が、行き先の一つとしてここを選び始めていた。
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