第46話 置き場の価値
帳面が増えた次の日、ドグは朝から機嫌が悪かった。
いや、いつも通り無愛想なだけかもしれない。だが、壊れた木箱を直す手がいつもより荒い。釘を打つ音も、木を削る音も、妙に硬かった。
「何だよ、朝から」
荷車の車輪を持ち上げながら、ガルドが言う。
ドグは答えず、足元の縄を拾い上げた。擦り切れた部分を親指で押し、短く言う。
「足りねぇ」
「何が」
「全部だ」
それだけ言って、今度は壁際に立てかけてあった板を見る。端が割れた板、少し反った板、昨日まで荷台の底に使っていた板。目で数え、顔をしかめる。
市場裏の通りにある小屋の前には、今日も一日雇いたちが集まっていた。ガルドが声をかけ、エルンが帳面を持ち、ミラが依頼人と話す。その流れはもう前より少しだけ形になっている。だが、ドグが見ているのは人ではなかった。
「荷車、三台じゃ足りねぇ。縄も駄目だ。板も置き場も足りねぇ」
「置き場?」
エルンが顔を上げる。
「外に積みっぱなしだろ」
ドグは顎で小屋の裏を指した。
「板は湿る。縄は盗まれる。荷車は寄せ方が悪い。人が増えりゃ、物も増える」
その言葉に、カイルは裏手を見た。
確かに、板は壁際に寄せただけだ。縄は箱に突っ込み、荷車は道の端へ置いてある。六人だけで回していた頃は、それでもどうにかなった。使う者が決まっていたからだ。どこに何があるか、互いに分かっていたからだ。
だが今は違う。新人が触る。慣れていない者が勝手に持つ。戻す場所も曖昧なまま、使った物だけが増えていく。
「昨日、短い縄が一本なくなってます」
エルンが帳面を見ながら言った。
「記録上は使ったことになっていない」
「盗られたか、捨てたか、戻してねぇかだ」
ドグが言う。
「どれでも同じだ。置き場が死んでる」
ガルドが鼻を鳴らした。
「縄一本で大げさだな」
「一本じゃ済まねぇ」
珍しく、ドグの返しが早かった。
「縄がねぇと荷が縛れねぇ。板がねぇと積めねぇ。積めねぇと仕事が止まる。人がいても、物がなきゃ回らねぇ」
その言い方に、ミラが肩をすくめる。
「はいはい。職人様は物の方が大事ってわけだ」
「違う」
ドグは木槌を置いて、小屋の前を見た。
「物と置き場がなきゃ、人だけいても回らねぇ」
静かになった。
エルンは帳面を閉じ、裏手へ回った。カイルもついていく。小屋の裏は、思っていた以上にひどかった。割れた箱、直しかけの荷車、濡れた板、使える縄と駄目な縄が一緒くたに積まれている。人が増えたぶん、使った物だけがその場に残り、帰る時に整える手が足りていない。
「……回っていたんじゃなくて、回っているように見えていただけですね」
エルンが低く言う。
「昨日までは、どうにかなってました」
「どうにかなっていたのが、もう危ない」
表では、新人の一人が荷車を引き出そうとして、別の荷車の車輪に引っかけたらしい。鈍い音がして、ガルドの怒鳴り声が飛ぶ。
ドグはすぐにそちらへ行かず、裏手の地面を見渡した。
「囲う」
「何をです」
「置き場だ」
小屋の裏には、台車が二台はすれ違えるくらいの空き地があった。もともとは、行き場のない連中が勝手に溜まるだけの半端な場所だったが、今はガルドたちが荷車や廃材を寄せるのに使っている。
壁と古い柵に挟まれた一角には、板も縄も箱も、ただ押し込むように積まれていた。そこを分けるだけでも違う、とドグは言った。
「面倒が増えますね」
「増えてるから要る」
昼までかけて、六人と半端な一日雇いが何人かで裏手を片付けた。割れた板を選り、使える縄を束ね、荷車を寄せる。ドグはほとんど喋らない。ただ指で示し、置き方の違う物を無言で直していく。リノは言われる前に濡れた縄だけを避けていた。カイルはそれを横目に見ながら、板を運ぶ。
昼過ぎには、裏手の空き地の見え方が少しだけ変わっていた。
板は立てて寄せられ、縄は長さごとに分けられ、荷車の前には余計な箱が置かれていない。広くなったわけではない。だが、どこに何があるかは見えるようになった。
「……仕事場、ですね」
カイルが小さく言うと、エルンが頷いた。
「人を集めるだけの場所じゃない。人と物を繋ぐ場所でもあります」
「最初からそう言ってる」
ドグが後ろから言った。
ガルドは新しく寄せた荷車の並びを見て、腕を組む。
「広くなった気はしねぇな」
「でも、前より働きやすいよ」
ミラが笑う。
「ただ集まってるだけの場所じゃなくなってきた」
その通りだった。
人が増えた。仕事が増えた。だから必要なのは、人数そのものではない。荷を置く場所、縄を戻す場所、壊れた物を分ける場所。人が来て、働いて、また次へ繋がるための場所だった。
小屋の裏手を見ながら、カイルは思う。
ここはまだ店でも組合でもない。けれど、ただの集合場所でもなくなり始めていた。
仕事場は、ただ人が集まるだけでは足りない。
荷を置き、道具を戻し、また次の仕事に回せてはじめて、使える場所になる。
増えたのは人数だけではなかった。
ここは少しずつ、仕事を回せる場所になり始めていた。
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