第41話 増えた影
朝の市場裏には、昨日までなかった足音があった。
まだ仕事の話が動き出すには早い時間だというのに、小屋の前には何人かの人間が立っている。壁際には、もう二人、こちらを窺うだけの影もあった。荷を持ったまま壁にもたれている男。座り込んで眠そうに目をこする女。半日だけでも使ってもらえないかと、声をかける隙をうかがっている若いのが二人。依頼人ではない。だが、用があって来た顔ではあった。
「……増えたな」
最初に言ったのはガルドだった。眉間にしわを寄せ、鬱陶しそうに小屋の前を見回している。
エルンはすでに帳面を開いていた。
「依頼は三件。人足希望が四人。様子見が二人。朝の時点で、です」
「様子見まで数えてんのかよ」
「数えない理由がありません。増えているなら、増えていると把握すべきです」
いつもの調子で返しながらも、エルンの筆は少し速い。落ち着いて見えて、追いついていない時ほどああなるのを、カイルは知っていた。
ミラは小屋の戸に肩を預け、面白がるように外を眺めていた。
「いいじゃない。名前が売れたってことだよ。あんたのところなら仕事が回るって、下まで広がってきたんだ」
「俺のところじゃねえ」
「でも、みんなそう思ってる」
それは否定しにくい事実だった。下層で通じ始めている呼び方は、もう“あの六人”ではない。“ガルドのところ”だ。前に立つ顔が一つある方が、人は覚えやすい。強く見えるものに集まりたがる。そういうものだと、カイルは思う。
小屋の脇では、ドグが無言で縄の束を持ち上げ、傷み具合を見ていた。人の増加より先に、物の足りなさを見るのがあの男らしい。板も、縄も、荷車も、少しずつ足りなくなる。集まってくるのは人間だけではない。人間が増えれば、それを置く場所も、動かすための物も必要になる。
「……見るだけで帰るなら、道を塞がないでほしいです」
エルンが外に聞こえるように言うと、壁際の男が肩をすくめた。
「帰ってもいいが、仕事があるなら聞きたい」
「半日でいい」
「運ぶだけならできる」
口々に飛ぶのは、似たような言葉ばかりだった。どこにも雇われない者の声は、だいたい似る。できることを大きく言えない。だが、何もできないとも言えない。切実さだけが残る。
リノがその少し後ろで、いつになく落ち着かない様子を見せていた。人が多い場所は苦手なのだろう。視線を泳がせ、入口から少し離れた壁際に寄っている。だが、逃げるほどでもないらしい。出ていく者より、入ってくる者を気にしていた。
「うるせぇな」
ガルドが一歩前に出ると、外の空気がすっと引いた。
それだけで何人かは黙る。誰が前に立つのか、こういう場ではそれだけで決まる。
「見に来るのは勝手だ。だが、邪魔するなら帰れ」
乱暴な物言いのはずなのに、あからさまに反発する者はいない。怒鳴りつけても、完全には追い払わない。その半端さが、かえって逆らいにくかった。以前のガルドなら、もっと早く拳が前に出ていた。今は違う。前に立つ者としての重さを、少しずつ覚え始めている。
ミラが小さく笑った。
「ほらね。顔役ってのは、こういう時に便利」
「勝手に決めんな」
吐き捨てるように言いながらも、ガルドはその場を離れなかった。残る。睨む。止める。そうやって場を持たせる役を、もう自然に引き受けている。
カイルはその背中を見ながら、小屋の前にできた薄い影の広がりを眺めていた。
昨日までは、六人がいれば回せた。
依頼を受け、振り、運び、直し、繋ぐ。それで足りていた。
けれど、今日は違う。
仕事が増えたのではない。人が集まり始めたのだ。
集まるということは、選ぶということになる。
選べば残る者と離れる者ができる。
その線引きが曖昧なままでは、いずれこの場所そのものが崩れる。
小屋の前に立つ人間たちは、まだ仲間ではない。
依頼人ですらない。
ただ、行き場のない影が、少しずつここへ流れてきているだけだ。
それでもカイルには分かった。
もう六人だけでは済まない。
この場所は、仕事を回すだけの場所ではなくなり始めている。誰かが来て、誰かが残り、誰かが弾かれる。そういう流れの入口に、もう立ってしまっていた。
「……面倒ですね」
誰にも聞かせるつもりのない声でそう言うと、隣にいたエルンが帳面から目を上げた。
「何か言いましたか」
「いえ。少し、人が増えたなと」
それだけを言って、カイルは視線を外した。
小屋の前には、まだ朝の光が薄く差している。
その中に立つ影は、昨日より確かに多かった。
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