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第33話 崩れる段取り

 リノが仕事場に出入りするようになって、三日目だった。


 朝のうちに入った依頼は二つ。どちらも西通りの裏倉から流れてきた小口で、量は多くない。だが受け渡しの時間だけが妙に近く、順を間違えると片方が遅れる。


「先に染料、次に乾物です」

 エルンが荷台の横で帳面を押さえながら言う。

「染料は時刻厳守、乾物は多少遅れても問題ない。順番を崩さないでください」


「分かった」

 ガルドが短く答える。


「分かってませんね」

「何でだよ」

「返事が早すぎる」


 いつものやり取りだった。

 ミラが荷札を確かめ、ドグが荷車の輪留めを蹴って具合を見る。リノは少し離れたところで、積まれる箱を見ていた。手伝えとはまだ言っていない。ただ、そこにいる。


「おい、そっちは触るなよ」

 ガルドが一応だけ声を飛ばす。


 リノは小さく頷いた。

「……見てるだけ」


 染料の箱は細長く、揺れに弱い。乾物は重いが崩れにくい。

 エルンはその性質を計算して、積む位置まで決めていた。上に軽い染料、下に乾物。先に染料を下ろし、そのあと乾物へ回る。無駄のない順だった。


 出る直前、リノが荷台へ近づいた。


「待って」

 小さい声だったが、ガルドの手が止まるには十分だった。


「何だ」

「……それ、揺れる」


 リノは荷台の右後ろを見ていた。

 上に積んだ染料箱の端。縄の掛かり方は悪くない。少なくともカイルにはそう見えた。


「揺れるのは当たり前です」

 エルンがすぐに言う。

「その程度は織り込み済みです」


「でも」

 リノはそこで言葉を切った。

 説明が出てこない。代わりに、荷台へ手を伸ばす。


「触るな」

 エルンの声が一段鋭くなる。


 それでもリノは、染料箱を一つ持ち上げた。

 軽い箱だったが、荷の順が崩れるには十分だった。


「おい!」

 ガルドが声を荒げる。

 ミラも目を細めた。ドグだけが何も言わず、荷台の角度を見ている。


「何してるんですか」

 エルンが詰め寄る。

「順番が変われば全部ずれます。受け渡し時刻も、積み下ろし時間も――」


「このままだと、落ちる」

 リノが小さく言う。

「右だけ、嫌な鳴り方してる」


 根拠になっていない。

 少なくともエルンにはそう見えただろう。顔にそれが出ていた。


「感覚で段取りを壊されては困ります」

「……ごめん」

 謝りながら、リノは箱を抱えたまま動かない。


 空気が止まった。

 このままリノが動かなければ、出発が遅れる。エルンの組んだ流れは崩れかけていた。


「……よく見ろ」

 ぼそりと言ったのはドグだった。

「右後ろ、板が少し浮いてる」


 全員の目が荷台の右後ろへ向く。

 ドグが指で押すと、目立たなかった板のたわみが、はっきり分かった。。


「昨日の継ぎ目だな」

 ドグが言う。

「荷は載る。だが、細い箱が続けて揺れりゃ端から跳ねる」


 エルンが息を止めた。

 計算から漏れていたのは、荷の重さではなく、継いだ板の癖だった。


「直す。半刻はいらん」

 ドグは即座に道具を出した。


「半刻いらなくても遅れます」

 エルンの声は硬い。

「最初の受け渡しは――」


「その順番も変えた方がいいかも」

 ミラが荷札を見ながら言う。

「乾物の方の受け取り、さっきから妙に急かしてた。多少遅れてもいいという話が怪しい」


「怪しい、で順序を変えるんですか」

「そっちだって板の癖を読み切れてなかったでしょ」


 刺すような一言だった。

 エルンは反論しかけて、止まった。


 結局、順番は逆になった。

 先に乾物、次に染料。荷台も組み直し、出発は少し遅れた。


 最初の受け渡し先へ着くと、待っていたのは依頼主ではなく、見慣れない二人組だった。荷札を見せろ、帳面を出せと妙に細かく言う。西通り側の連中が寄越した、揚げ足取りだった。


「染料はどうした」

 一人が言う。

「先のはずだろ」


 エルンの目が細くなる。

「誰から聞いたんです」


「いや、普通そう組むだろ」

「普通を知っている時点で十分です」


 乾物を先に回したせいで、相手の嫌がらせは空振った。

 ミラが言う通り、乾物の受け渡しの方が実際には急ぎだった。


 最初に伝えられていた条件そのものが、こちらを誤らせるために少しずらされていたのだ。もし最初の予定通りだったら、細い箱を揺らして、時間をロスした上に、あの二人に足止めされて、こうも上手くはいかなかったはずだ。


 仕事を終えて戻る道で、誰もすぐには口を開かなかった。


 最初に沈黙を破ったのはガルドだった。

「……助かった、のか?」


「結果だけ見れば」

 エルンの声は苦い。

「そうです。ですが最悪です」


「助かったのに?」

「助かったから最悪なんです」


 その言い方に、ミラが少しだけ笑う。

「理屈屋にはつらい展開だね」


「つらいのは再現性がないことです」

 エルンはリノを見た。

「あなたは、どうしてあれを動かしたんです」


 リノは少し黙った。

「……落ちる気がした」

「気がした、では困るんです」

「でも、落ちなかった」

 ガルドが言う。


「落ちなかったのはドグが見たからです。順番を変えたのは結果として正解だっただけで、根拠は薄い。こんなものを判断基準にされたら、段取りは毎回崩れます」


 それは正しかった。

 そして正しいからこそ、余計に険しかった。


 ドグが短く言う。

「板は実際に浮いてた」

「そこは認めます」

「じゃあ半分は当たりだ」

「半分外れたら十分危険です」


 リノは黙っていた。

 責められると、言葉がさらに遅くなる。


 カイルはその横顔を見た。

 崩れかけたものに、リノは先に反応する。

 だが、それを言葉に変えられない。だから独断に見える。独断に見えるから、段取りを壊す。


 それでも今日、壊れたのは相手の計画の方で、こちらの仕事の流れではなかった。


 市場裏へ戻ると、エルンは帳面を閉じる前に、小さく息を吐いた。

「……次からは、勝手に動く前に言ってください」

 それは許可ではない。譲歩でもない。

 だが完全な拒絶でもなかった。


 リノはほんの少しだけ頷く。

「……言えたら」


 その頼りない答えに、エルンの眉がまた寄る。

 ミラは笑いを堪え、ガルドは面倒そうに頭を掻いた。


 六人目は、やはりまだ危うい。

 だが危ういまま、敵の想定だけは壊していく。


 そのことを、カイルだけは少し怖いと思った。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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