第32話 危うい加入
翌朝、リノは来なかった。
来ない方が自然だと、カイルは思った。
昨夜のあれで、急にこちらへ寄ってくる方が不自然だ。行き場がないからといって、知らない人間の仕事場にそのまま居つくほど、簡単な話でもない。
「来ませんね」
エルンが帳面を見ながら言う。
「来たら来たで面倒、来なきゃ来ないで気になる」
ミラは肩をすくめた。
「損な役回りだねえ」
「来ねぇなら、それまでだ」
ガルドは短く言ったが、いつもより少しだけ市場裏の入口を気にしていた。
午前の仕事は、それなりに回った。
西通り裏の荷運びはまだ続いている。ドグが道具を補修し、エルンが段取りをし、ミラが空いた隙間の仕事を拾い、ガルドが先頭になって荷を運ぶ。大きく崩れはしない。五人になってから、流れは明らかに良くなっていた。
昼を少し過ぎた頃、ミラがふっと目を細めた。
「……来た」
市場裏の端、古い荷車の陰に、リノが立っていた。
昨日と同じ服のまま、少し俯いている。逃げる気配も、近づく気配もない。ただそこにいるだけだ。来たというより、行く先がなくて辿り着いたように見えた。
ガルドが眉を寄せる。
「何でそんな遠くに立ってんだ」
リノはすぐには答えなかった。
少し間を置いて、小さく言う。
「……邪魔に、なるかと思って」
「もうなってる」
エルンが即答する。
「気にかけさせる時点で、十分に邪魔です」
「お前はそういう言い方しかできねぇのか」
「事実です」
ミラが苦笑する。
「まあ、完全には間違ってないけどね。で、どうするの?」
問われたのは誰にでもなく、全員だった。
だが最初に口を開いたのはガルドだった。
「昨夜、来るかって言った」
「言ったね」
「だから来たんだろ」
「それだけで仲間にするの?」
ミラが聞く。
「放り出すのか?」
「そういう話でもないよ」
リノはそのやり取りの間、視線を上げなかった。
逃げるでもなく、入ってくるでもなく、ただ判断を待っている。自分で自分の居場所を決めるのに慣れていない人間の立ち方だった。
ドグが手を止めずに言う。
「置くなら置く。使わねぇなら帰す。半端が一番邪魔だ」
もっともだった。
曖昧なまま一緒にいれば、全員が気を遣う。置くなら置くで、その形を先に決める必要がある。
エルンが帳面を閉じる。
「正式に仲間にするのは反対です」
「まだ誰もそこまで言ってねぇだろ」
「先に言っておきます。行動原理が読めない。生活も安定していない。現状で組み込めば、段取りを乱す可能性の方が高い」
その言い方に、リノの肩がほんの少しだけ縮んだ。
責められていると分かる時だけ、反応は早い。
「でも追い返したら、昨夜の続きになるかもね」
ミラが言う。
「向こうは、もう目をつけてる感じだったし」
「だからって抱えるのか」
「抱えるってほどじゃないよ。少なくとも、今夜すぐ放り出すのは後味が悪い」
ガルドは腕を組んだまま、リノを見る。
「仕事はできるのか」
リノは少しだけ目を上げた。
「……言われたことなら」
「言われたこと以外は?」
「……わからない」
「正直でいいね」
ミラが小さく笑う。
カイルは黙っていた。
近くに置いた方が被害が少ない。その判断は昨夜の時点で、もうついている。だが、ここで自分がそれを強く押すのは違う気がした。
リノは、崩れかけたものには敏い。
人の怒気にも、体の動きにも、逃げる隙間にも。
そういう相手に不用意に誘導を重ねれば、たぶんすぐに歪む。
家の中で何度も選択をずらした時のことを、カイルは思い出した。
父の手が止まり、母の声色が変わり、兄の視線が逸れた。
助かったことは確かだった。だが、あの時の一瞬止まるような表情も、まだ覚えている。
あれを、またやるべきではない。
「……一時的に、でいいんじゃないでしょうか」
カイルが言うと、全員の視線が短く集まった。
リノまで少しだけ顔を上げる。
「仲間、というより……仕事場に出入りする形で」
カイルは視線を合わせないまま続けた。
「寝る場所と、簡単な食事だけ確保して。仕事は、できる範囲だけ。無理に組み込まない方が、たぶん……崩れにくいので」
エルンがすぐに反応した。
「暫定措置、ということですか」
「はい」
「期限は?」
「二、三日でも」
「短ぇな」
ガルドが言う。
「最初から長く決めない方がいい」
ミラが横から補う。
「向こうもこっちも、逃げ道はあった方が楽でしょ」
ドグがぼそりと落とす。
「寝るだけなら、壁と屋根で足りる」
「食事は?」
ガルドが聞く。
「余りを回せばいいだろ」
「雑だねえ」
「余って捨てるよりマシだ」
その雑さが、かえって救いになることもある。
大仰に助ける形ではない。ただ居場所を作るだけなら、リノの方もまだ構えずに済む。
「……嫌なら、今のうちに言え」
ガルドがリノへ向けて言った。
「無理に縛る気はねぇ」
リノは答えなかった。
少し迷うように唇が動いて、ようやく小さく言う。
「……いても、いいなら」
「いいって言ってんだろ」
ガルドはそれだけで終えた。
ミラが息を吐く。
「決まり、かな。正式加入じゃなく、一時保護。仕事場に出入りはするけど、まだ仲間とは言わない」
「その表現が妥当です」
エルンが頷く。
「線引きは必要だ」
線引き。
その言葉に、カイルは少しだけ目を伏せた。
必要なのは、リノとの距離だけではない。
自分自身の線引きでもある。
危うい相手ほど、少し整えたくなる。
怖がらせないように、疑わせないように、流れに馴染むように。
だが、それをやりすぎれば、また同じことになる。
だから今回は、できるだけ触れない。
触れるとしても、場を荒らさない程度に留める。
相手そのものを整えない。
カイルは、そう決めた。
リノはまだ荷車の陰から出きっていなかった。
それでもミラが余ったパンを半分押しつけ、ドグが小屋の隅の空きを顎で示し、ガルドが「そこ邪魔ならどける」とだけ言うと、少しだけ居場所の輪郭ができる。
正式な仲間ではない。
ただ、今日からここに出入りする女だ。
それで十分だと、カイルは思った。
人は急に変わらない。
置き場所だけ先に変えて、あとは流れを見るしかない。
市場裏の喧騒の中で、六人目の影はまだ薄かった。
けれど確かに、五人の仕事場の端に、新しい揺れが入り始めていた。
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