第25話 5人目の歯車
ドグが顎で示した先に、もう一台の荷車があった。
小屋の奥、廃材の陰に半ば埋もれるように置かれている。車輪は片方が外れ、荷台の板は中央からひび割れ、取っ手の根元も緩んでいた。先ほど直したものより、さらにひどい。
「これを使うの?」
ミラが眉を上げる。
「使うなら直す」
ドグは短く答えた。
「使わないなら、ただの木と鉄だ」
ガルドが荷車の脇へ行き、持ち上げようとして、すぐに顔をしかめた。
「重ぇな」
「余計な部材がついたままだ」
ドグはそう言って、荷台の裏に回り込む。
「折れてるところを無理に繋いでる。だから重いし、余計に歪む」
言いながら、留め具を外し、腐った板を蹴り落とす。外された部材はあっけないほど脆く、地面に落ちた瞬間に端が崩れた。
「最初から捨てるべきものを残すから、全部が駄目になる」
ドグの声は平坦だった。
「直すってのは、元に戻すことじゃない。使える形にすることだ」
エルンがその言葉に、わずかに目を細めた。
「……合理的ですね」
「当たり前だ」
ドグはそれ以上続けない。
カイルは荷車を見ていた。
壊れたものを、元通りにするのではない。
必要な形に組み直す。
それはどこか、人の流れに似ていた。
ドグは周囲の廃材をいくつか拾い上げると、使えるものと使えないものを迷いなく分けた。曲がった鉄片、まだ乾いている板、擦り切れていない縄。どれも捨てられていた側のものなのに、ドグの手に移ると急に意味を持ち始める。
「そっち押さえろ」
言われたのはガルドだった。
ガルドが無言で荷台を支える。
ミラは指示される前に釘の山を探り、エルンは外された部材の長さを目で測っている。カイルは少し遅れて、必要になりそうな縄の束を拾い上げた。
誰が決めたわけでもないのに、役割が散っていく。
木が鳴り、鉄が噛み、縄が締まる。
ドグは相変わらず無駄を言わなかった。必要な時だけ指示を出し、それ以外は手を動かす。気を遣う必要はないが、気を抜くと置いていかれる。そんな速さだった。
半刻ほど経った頃には、さっきまで廃材の山に見えていたものが、荷車の形を取り戻していた。
ドグは立ち上がり、片輪を軽く蹴る。
車輪は軋みながらも、まっすぐ一回転した。
「載せるなら、軽い荷だ」
「どのくらいだ?」
ガルドが聞く。
「今日中に壊したくないなら、箱で六つまでだな」
「十分だ」
エルンが即座に言う。
「例の依頼なら回せます」
ミラがにやりと笑った。
「じゃあ決まりだね。一件限りの仕事、始めようか」
ドグは返事をしなかった。
だが止めもしない。
四人は荷車を押して、廃材置き場を出た。
石畳のある通りへ戻るまでの道は悪かったが、修理したばかりの荷車は、思ったより素直に動いた。揺れはある。だが、崩れそうな揺れではない。
市場裏へ着くと、南の倉へ荷を入れたいと言っていた小商人が、壁際で落ち着きなく待っていた。こちらを見るなり、小走りで近寄ってくる。
「どうだ、いけるのか?」
「荷を見せろ」
ガルドが言う。
商人はすぐに木箱を開けた。中は乾物と布だ。重すぎはしない。だが箱そのものが頼りない。角が欠け、底板も少し浮いている。
ドグは箱を一つ持ち上げ、裏返し、底を指で叩いた。
「このまま積むと、一つは割れる」
商人の顔色が変わる。
「そ、それは困る」
「困るなら先に言え」
ガルドが低く言う。
場が尖りかける前に、ミラが口を挟んだ。
「言ったところで、あんた直せた?」
「……いや」
「じゃあ今から直せばいいでしょ」
ドグはすでに箱の底へ細い板を当て、縄を通し始めていた。
手際は早い。補強された箱は見た目こそ悪いが、さっきまでよりよほど実用的だった。
エルンが小さく息を吐く。
「遅延要因が先に消えていく……」
「だから必要だって言ったじゃん」
ミラが笑う。
荷積みはすぐに終わった。
ガルドが前で押し、カイルとミラが横につき、エルンが数と順を確認する。ドグは最後尾から荷車の揺れを見ていた。誰よりも無言なのに、今どこを気にすべきかが、その視線で分かる。
南の倉までの道で、一度だけ大きな段差があった。
昨日までなら、そこで車輪が沈み、積み直しになっていたはずだ。
だが今日は違う。ドグが短く「右」と言い、ガルドが押す角度を変え、カイルが横から荷台を支える。荷車は少し揺れただけで、そのまま越えた。
早かった。
そして何より、止まらなかった。
倉へ着いて荷を下ろすと、商人は何度も荷車と箱を見比べた。
「……本当に通った」
「運ぶ前に崩れなきゃな」
ガルドが言う。
ドグは何も言わない。
ただ、補強した箱の縄が緩んでいないかだけを見ていた。
帰り道、市場裏に戻るころには、こちらを見る目が少し変わっていた。
「南の倉、もう終わったのか」
「さっきまで荷車が怪しいって話だったろ」
「また運が良かった、ってわけじゃなさそうだな」
まだ確信はない。
だが、軽くは見られていない。
ミラが肩越しに笑う。
「運だけで毎回回るなら、誰も苦労しないよ」
「再現できるなら偶然ではありません」
エルンが言い、すぐに言いすぎたと思ったのか口を閉じた。
ガルドは気にせず荷車の取っ手から手を離す。
「一件終わりだ」
ドグはその言葉にも頷かない。
ただ荷台の下を覗き込み、留め具を一つ締め直した。
一件限り。
その約束は、まだ生きている。
けれどカイルには分かった。
流れがもう違う。
昨日まで危うく回っていた仕事が、今日は止まる前に整えられている。壊れてから誤魔化すのではなく、壊れない形へ寄せられている。
ガルドが前に立ち、
エルンが段取りを組み、
ミラが仕事を拾い、
ドグが足りない形を埋める。
その全体が、少しだけ軽くなっていた。
「おい」
ガルドが振り返る。
「次が来る前に、もう一台見とけるか」
ドグは嫌そうに眉を動かした。
「一件だけのはずだ」
「今のは終わった」
「同じことだ」
「違うだろ」
ミラがすぐに口を挟む。
「今のは最初の一件。次は次の話」
ドグは面倒そうに息を吐いた。
だが、その場を離れようとはしなかった。
それだけで十分だった。
市場裏の空気の中に、四人ではない仕事の形が、もう半分ほどできていた。
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