第16話 摩擦
摩擦は、仕事そのものより先に来た。
その日ミラが持ってきたのは、市場の裏に積まれた樽と木箱の移動だった。酒場へ運ぶだけの、ありふれた力仕事。報酬も並。危険の匂いも薄い。
「こういうのが一番いいんだよ」
ミラが言う。
「目立たないし、数も回せる。地味だけど、地味な方が残るからね」
エルンは荷札を見ながら頷いた。
「量も過剰ではありません。四人で動けば十分です」
ガルドは木箱を軽く持ち上げ、重さを確かめる。
「なら、さっさと終わらせる」
いつも通りだった。
前に立つガルド。
順を整えるエルン。
話を繋ぐミラ。
後ろで手を貸すカイル。
もう何も言わなくても、形はできている。
だからこそ、最初にその荷を見た三人組が近づいてきたときも、カイルはすぐには動かなかった。
同業者だ、と分かったからだ。
荷運び崩れの若い男が二人と、年かさの男が一人。服は汚れ、目つきは悪い。腕や肩の付き方を見れば、ただの酔っ払いではないと分かる。だが、もっと分かりやすいのは態度だった。
自分たちの縄張りに、知らない連中が入ってきた。
そういう顔だった。
「その荷、どこの回しだ」
年かさの男が言った。
ガルドが木箱を担いだまま振り向く。
「依頼主から直接だ」
「へえ」
男は笑わなかった。
「最近、見ねぇ顔が増えたと思ってたが……お前らか」
ミラが一歩だけ前へ出る。
「仕事の取り合いをする気はないよ。今日の分を運ぶだけ」
「そういう話じゃねぇんだよ」
若い男の一人が吐き捨てた。
「市場裏の小口は、順番がある」
エルンが眉をひそめる。
「順番? そんな規約は聞いていません」
「規約?」
もう一人が笑う。
「坊っちゃん、それが通る場所なら苦労しねぇよ」
空気が変わった。
理屈で済む相手じゃない。
だが、殴り合いで済ませていい相手でもない。
ガルドの肩がわずかに動く。
前へ出るつもりだ、とカイルには分かった。
まずい。
ここでぶつかれば、仕事は飛ぶ。
信用も消える。
しかも相手は三人。こちらは四人でも、まともに戦えるのは実質ガルド一人だ。弱者の寄せ集めでは、押し切れない。
「どけ」
ガルドが低く言った。
年かさの男が鼻で笑う。
「強ぇのは分かる。だがよ、強ぇだけで回るなら、もう俺らが全部持ってってる」
その言葉は正しかった。
力だけでは回らない。
だからこそ今、自分たちはここにいる。
だが同時に、力を持つ側に正面から逆らえるほど強くもない。
カイルは視線を落としたまま、呼吸を浅く整える。
相手の怒り。
ガルドの苛立ち。
エルンの警戒。
ミラの計算。
全部がぶつかる寸前で止まっていた。
「……今日は引こう」
ミラが言った。
ガルドが振り向く。
「は?」
「荷を遅らせるよりは、依頼主に一回話を通した方がまし」
ミラは軽い調子を崩さない。
「ここで揉めたら、次も面倒になる」
「逃げるのか」
若い男がせせら笑う。
その瞬間、ガルドの目が変わった。
踏み込む。
そう見えた。
カイルはごくわずかに位置を変え、ガルドの視界の端に入った。言葉は使わない。ただ、目の前の木箱が傾きかけていること、足場が悪いこと、今動けば荷が落ちること――そちらへ意識が滑るように。
ガルドの視線が一瞬だけ下へ落ちる。
それだけで十分だった。
「……ちっ」
ガルドは舌打ちし、木箱を担ぎ直した。
年かさの男は、その変化を見逃さなかった。
「そうだ。それでいい。今日は顔見せだ。次からは話を通せ」
勝ったつもりの声だった。
悔しさが、熱のように場に残る。
だが誰も動かなかった。
結局、その日の仕事は半分流れた。
依頼主にはミラが頭を下げ、別の時間に回してもらうことで話をつけた。報酬は減った。無駄足にもなった。
帰り道、ガルドが石壁を拳で殴った。
「気に入らねぇ」
鈍い音が響く。
「当然です」
エルンが言う。
「ですが、あの場でぶつかればもっと損でした」
「分かってる」
ガルドは吐き捨てる。
「分かってるが、それでもだ」
ミラは珍しく笑わなかった。
「市場には市場の力関係がある。こっちはまだ、割り込めるほど大きくないってこと」
その言葉に、誰も反論できなかった。
自分たちは形になり始めた。
だが、まだ小さい。
内側では噛み合う。
けれど外から押された瞬間、簡単に止まる。
弱者の集まりでは、対抗できない。
カイルは少し後ろでその言葉を反芻した。
前に立つ者がいる。
頭になる者がいる。
繋ぐ者がいる。
それでも足りない。
正面からは勝てない。
ぶつかれば負ける。
だから、別のやり方がいる。
「……そうですね」
誰に向けるでもなく呟くと、三人はそれぞれ別の怒りを抱えたまま歩き続けた。
その背中を見ながら、カイルだけが別のことを考えていた。
戦えないなら。
潰すべきは、人ではない。
流れの方だ。
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