旅の始まりにて
朝の街はまだ薄く靄がかかっていた。
通りの石畳には夜露が光り、パン屋の前からは焼きたての香りが漂っている。
その街外れ、シズクの酒場の前には――大きめの荷車と、リュックを背負ったリリィの姿があった。
「おっそーいっす!」
両手を腰に当て、むくれるように言うリリィ。
「……まだ朝日が出たばかりだぞ。早すぎるくらいだ」
「遠足の日は早く起きちゃうタイプなんすよ!」
「……なるほど」
シズクは呆れたように笑い、扉に鍵をかけた。
リリィは胸を張り、明るい声を上げる。
「準備万端っす! 水袋、保存食、着替え、あと魔道具もばっちりっす!」
「……お、やるな。昨日は夜更かししてたくせに」
「ち、ちゃんと寝たっすよ! 三時間!」
「それを寝たとは言わない」
そんなやり取りに笑いがこぼれる。
荷車を押しながら、二人は街門へと向かう。
門の前では見回りの衛兵が顔見知りのように声をかけてきた。
「おや、シズクさんじゃないか。今日は珍しいな、外出か?」
「ええ、仕入れを兼ねてちょっと旅に。……この子の研修もかねて」
「リリィっす! よろしくっす!」
元気よく挨拶する彼女に、衛兵は苦笑を返す。
「……明るい子だな。気をつけて行けよ」
「はいっす!」
見送られながら、二人はゆっくりと街を後にした。
街道に出ると、朝の風が肌を撫でた。
木々の間を抜ける風は少し冷たく、けれど清々しい。
「うわぁ……空気がうまいっすね!」
「まぁ、酒場の中とは違うからな」
「師匠はこういうの慣れてるっすよね?」
「前まではよく依頼で外に出てたからな。けど、こうしてのんびり旅するのは久しぶりかも」
リリィが嬉しそうに笑う。
「じゃあ、今日はのんびり行くっす!」
「それが目的だよ」
昼になる頃には小さな川沿いに出た。
シズクは休憩を提案し、荷車を止める。
「ここで少し休もう」
「やったっす! お腹すいたと思ってたんすよ!」
リリィは布包みからパンを取り出し、勢いよくかじった。
「うまっ……でもちょっと固いっすね」
「日持ちするように焼いてあるからな」
「師匠の酒場のパンが恋しいっす」
「旅が終わったらいくらでも食べられる」
そう言ってシズクが水を一口飲むと、リリィがふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、今回の目的って“果実探し”なんすよね?」
「そう。山沿いの村で見つかったらしい。“風果”って名前で、果皮が風に反応して揺れるとか」
「……なんすかそれ、風に揺れる果物って」
「俺も半信半疑だ。けど、もし酒の素材に使えるなら面白いと思ってな」
「なるほどっす……。でも、それ見つけるまで帰らないとか言わないでくださいよ?」
「そんな無茶はしないよ」
「よかったっす」
ほっとしたように笑うリリィに、シズクは苦笑した。
午後になると、道は徐々に山の麓へと向かっていく。
木々の緑が濃くなり、鳥のさえずりが近くに聞こえた。
リリィは嬉しそうに周りを見回しながら歩いている。
「ねぇ師匠! あの木、なんか形変っす!」
「……あれは雷が落ちて枝が焦げたんだろう」
「へぇ~、雷って怖いっすねぇ」
「お前、雷魔法の練習したがってなかったか?」
「……あれはその、将来的な目標っす!」
「ははっ、そうか」
道中、そんな他愛もない会話が絶えなかった。
夕方、太陽が山影に沈みかけた頃、ふたりは小さな村に辿り着いた。
木造の家が並ぶ静かな村で、煙突からは薄い煙が立ちのぼっている。
「今夜はここで一泊だな」
「はーいっす!」
宿を探しながら歩くリリィの背中を見て、シズクは心の中で小さく笑った。
――あれだけ明るいと、旅も退屈しないな。
旅はまだ始まったばかり。
この先どんな素材に出会えるか、どんな出来事が待っているのか。
そんな期待を胸に、シズクは夜風を受けながら歩き出した。




