帰郷・3
砂浜に寝転がると、空の暗い部分のほうが目立った。まだ中天は暗い。やや緑みを帯びた藍色だった。時代が時代ならちゃんと名前の付いた色だったのだろう。潮風のにおいを感じながら目を閉じる。時間が飽和した教室の中で、退屈に負けてそんな資料を眺めていた覚えがある。古典の時間だ。文法書の付録に色の名前の一覧がついていた。鈍色とか、海老茶とか、はっきりしない色が多かったように思った。大げさな名前がついているのが不思議な気がした。今見たら、あの資料は面白いだろうか。ふと興味をひかれたが、あの小さな冊子をどこへやったのかも覚えていなかった。心当たりがない。おそらくもうとっくに捨ててしまったような気がした。
高校生のころのものはみんな処分してしまった。高校のころに限らない。中学のものも、最近のものも、生活に困るもの以外は手元に残してこなかった。よく母親に、ものを大事にしないと怒られたが、小さなころからその小言の意味が分からなかった。それは今でも同じことだ。写真や、手紙や、思い出にまつわるものを大事にする人がいるのは分かっていた。そういう人たちに軽蔑されるような習性であることも自覚している。たぶん、思い出を大事にする気がないのだと思う。そういう自分を味気なく思うことはなかった。今を楽しむなんて前向きな話ではない。これまで生きてきた人生に、振り返って浸っていたいだけのものがないだけだ。それをいまさら、悲しいと思うにはいろいろなことが遅すぎた。
部屋に遊びに来た親友が口癖のように、身軽に生きられるのは美点だと言って笑っていた。おそらく、身の回りに物が少ないことを指していたのだと思う。でも、そのどこか核心を突いた言葉に少し慰められることがあった。親友の部屋はいつでもものに溢れていた。捨てるのが苦手だというわりに、ごみ箱が溜まるのも早かった。売るか捨てるかばかりを繰り返す自分とは対照的に、買ったり集めたりするのが好きだった。人付き合いでも同じだ。人に囲まれ、お節介ばかりかけて、疎まれつつもその周りに人が絶えることはなかった。その手を振り払えたのは唯一自分だけだ。だからこそ、今でも自分の中では親友で、そして今でも連絡を取ることができない。
地元に帰ってきてから、よくあの頃のことを思い出すようになった。連絡を絶ったころのことよりも、思い出すのは高校のころのことのほうが多かった。文法書の付録の色について話した時は、はっきりしない色に名前がついていることを喜んだ。いい名前がついているとその色がかっこいい色に思えてくるはずだと説いた。今なら親友の説法も、少しは分かるような気がする。
そんなに人生を大事に生きてはこなかった。ただ、漠然とした後悔のようなものがいつもあった。だからすべて捨ててしまうのに、今では捨てたことにすら後悔に似た感覚が湧くことがあった。目を開けると中天にも淡い色が染み始めていた。もうすぐ朝日が昇るだろう。この色に名前はついているのだろうか。
じっと待っているうちにずいぶんと明るくなっていた。身を起こすと、水平線に眩むほど激しい火が灯っていた。夜が明ける。やっと帰ってきたのだなと思った。どこかから、赤ん坊が泣く声が遠く響いてきた。
やはり曲のイメージを借りて書いた時のほうが良いものができる気がする……。
※2月1日、改稿しました。




