30
―――影時光彩は今でも思い出すことができる。
あの、血なまぐさい記憶を。
影時家長男として生を受けた光彩は産まれながら領主になることは決まっていた。その運命を受け入れていたし、同時に自分が受け入れなければ弟が継がなければならなかった、その意味も理解していた。だからこそ弟には、妹には幸せになってほしいと祈っていた。領主になるということは汚れ仕事も引き受けるということ。逆に領主の立場になれば自分がその地位で弟と妹を汚れ仕事から遠ざけることができる。【裏】で産まれ育った自分達だ。今更【表】の世界に紛れ込めるものかと思ったがわからない。【表】は平和だという。少なくとも血を血で洗う必要はないと。影時の家は他の家より特殊な位置にある。本来人間が当たり前に持つ≪力≫。その≪力≫を封印する空間を所持しているのは影時だった。その空間に居る間は無防備となる。彼らは≪力≫よりも≪武≫を特化させていた。それゆえ彼ら双子が暗器を習得するのも時間の問題ではなかったし、何より当然のことであった。
光彩が領主の地に次ぐことが決まった少し前。それはまだ前領主…彼らの父が座に立っていた頃に与えられた命。
――志糸、忌み子を牢獄へ。
「――どういうことですか」
光彩は固い表情で父に尋ねた。彼は当然のように言い放つ。忌み子を野放しには出来ない、と。
「あんたの娘だろ…!」
怒りを抑えながら光彩が言うと、彼は言った。
「―――家族だろうが、関係がない。全てはこの地、この場のためだ」
だから光彩は、刃を抜いた。
結論を言おう。その刃が父に届くことはなかった。控えていた者、従者、そして父、全てに止められた刃は一瞬にして粉々に砕け散り、無情にも父は告げた。
「―――逆らうならば、お前も牢獄へ」
代わりなら、いると。
まるで光彩の意に任せるという言い方だったけれども―――彼らの刃は光彩を離してはくれなかった。
光がない、水もない、食べ物だってない。そういう空間に閉じ込められた光彩と志糸は決して弱音を吐くことはなかった。ましてや光彩は何時だって脱出方法を探した。
――何としてでも、志糸を逃がしたい。
これは領主としてなるべくだった自分の考えではない、決意ではない。
―ただ、兄として。たった一人の妹を殺させなどしない。
けれども何もできることもなく、1日、2日……限界の6日が過ぎた頃、志糸は動かなくなった。
そしてほぼ同時、光彩にも限界は訪れた。
「……ちがう」
まだ、何も。
何も、終わってない。
「にいろ、……しいと、………」
どうしてこんなにも弱い。
どうしてこんなにも足掻けない。
どうして足は動かない。手は、腕は、体は、頭は、意思がある、意思があるじゃないか。それなのに体は死に瀕している。
―――守る、と。
決めたのに。
「ちくしょう………!」
届かないのか。この想いも、誰にも、一人残した丹色にも、逝かせてしまった志糸にも。
≪嫌だ≫
「「死にたく、ない?」」
――幻聴だと、思った。
すぐ真横で囁かれた声。紛れもなくその声は、先程死した少女の声。自分に限界が来ているからかと光彩は納得する。嫌な音を立てる首を無理やり向けると赤い瞳と目が合った。
――赤い、瞳。
丹色の瞳はどちらかというと黄色で、少し鮮やかな赤も混ざっている。対して自分と彼女は真っ赤な瞳を持っていた。それがどうしてかまた彼女を陥れる原因だとわかっていたから、けれどもだからこそ彼にとってその瞳は自慢だった。お揃いだと、彼女に言ってやるのが彼の唯一縛られた彼女を救う一つの言葉だった。だけど誰に何と言われようと、彼女の瞳が光彩は好きだった。
「………あぁ、」
最早吐息同然の言葉と一緒に。
光彩は、ぼやく。
「死にたく、ねぇな………」
光彩が最後に見えたのは赤い瞳を悲しそうに伏せて、笑みを湛える少女の姿で。そして、
影時光彩は死んだ。
死んだ筈だったのだ。
×××
どうしても足掻きたかった。その想いが、忌み子に伝わったのだと知ったのは自分が≪力≫として形を表した頃だった。最初は訳も分からず、記憶も混乱していたが落ち着くにつれて自分の立ち位置を理解した。
光彩は、それから丹色と共に居た。
丹色を見守っていた。
もう彼には自分の声は届かないけれど、見守ることだけは。
そう思っていた。
丹色が自分と同じことを、繰り返すまでは。
実際には彼がしたことは光彩と大きく異なることだった。自分は領主になる――しかし、自分は領主にふさわしくない、そう頑として丹色は傘を取らなかった。それが父の命に反したことだった。丹色は十分理解していたのだろう。それでも――
傘を、取ることはできなかった。
剣を突きつけられ、丹色はその場にゆっくりと立ち上がる。その背中は随分と痩せてしまったように見えた。
丹色の心はヒビ割れているかのように壊れていて、脆くなっていて、その原因が自分達、いや自分であることを理解すると――光彩の胸の内に沸き上がった想いは、たった一つだった。
それは昔も今も変わらない。
――自分が、
×××
紀磨はぐっと眉を寄せた。目の前に立っているのは、丹色だ。
――だが、丹色ではない。
捻子が小さく名を呼ぶと、彼は体を抑えながら一歩足を踏み出した。それに紀磨は咄嗟に捻子を庇う。しかし、光彩が見ているものは捻子ではないとわかるとナイフを持つ指が自然と緩んだ。
「…光彩、あんた」
「丹色じゃ、ダメだ。丹色じゃ――おれが、やらなきゃ」
いけない、捻子は鋭く警告を叫ぶ。
「ここは≪力≫を封じる陣の中です。朝霧程の対≪力≫を持たない君には、この空間は…」
言葉を紡いでいる間にも、光彩の膝は今にでも砕けそうだった。
――無理矢理、丹色から主導権を奪ったのか。
「あんた、馬鹿じゃないの…!そんなことして、あんたの魂がちぎれたらどうするわけ?!」
≪力≫としてここに居るとしても、光彩の魂であるのはついでのようなものだ。光彩の意識が保たれるのは丹色と共感しているからこそ。だが、どちらかが拒絶してしまえばその魂も砕け散る。その考えは以前から丹色や光彩から聞いており、紀磨はしかしそれが訪れることはないだろうと思っていた。
思っていたのに。
「忌み子、を―――ころさねぇと」
淡々と紡がれた一言に。
捻子が、瞳を細めた。
「…なんて、言いました」
「忌み子は、おれが決着をつけねぇといけない相手だ。…丹色じゃない」
拒絶からか、≪陣≫からの抗いを受けてか。パチリと彼から火花が散った。捻子は冷静に、問い尋ねる。
「…君は、志糸と対話するためにここまで来たのではないんですか」
「そうだ、志糸を救わねぇと」
―――光彩は、気付いているのか。
紀磨もまた、違和感に気が付いた。彼は、救うために来たのだ。間違っても、――殺すために来たわけでは、ない。
それを言おうとした紀磨より早く、捻子が口を開いた。
「それなら、一層行かせれません」
「捻子?!」
捻子が腕を払うと、その中で薙刀が刃を見せた。一回、ゆったりと彼の手の内で回り二回三回と回転を増していく。風圧を受け、紀磨は否応なしに下がらずには居られなかった。
「俺最初、光彩のこと尊敬していました。」
ずっと前を向き、自分に信念を持ち、朝のことを知っても揺るがない自分の誓い。それが、捻子には眩しかった。
「だけど」
薙刀が動きを止める。それを見た光彩が、ゆらりとした仕草で取り出した刃。パチリ、と一際強い音が立ち、身に着けていた眼帯が外れて宙を舞った。
下から現れた赤い瞳が、捻子を映し――しかし、捻子ではない少女を映す。
「今の君は、正直叩きのめしてあげたいぐらい、体が疼いて仕方ありません」
「…どけよ、捻子クン」
「退きません、君を志糸のところには!」
二つの斬撃が混じりあう。
今、優先すべきこと。
それは恐らく、志糸に違いない。朝霧と対峙しているであろう志糸。その彼女の答えを導き出すことが、最優先だと。だがと紀磨はその場に座り込む。
(――こいつに、できるわけがない)
目の前で道を違えようとしている友達を、放っておくことなんてできない。それが、捻子だ。
そのことを紀磨はよく知っている。
――だからこそ、今紀磨がしなければならないことの意味も、分かっている。
「いくら…いくら光彩が≪力≫である故に陣の影響を受けているとしても、元々の戦闘能力は捻子より格段に上。…光彩、あんた、分かんないの…」
勝つ見込みがない戦いだなんて、誰が挑むものか。ましてや、捻子は以前光彩と刃を合わせ、その際も一人で戦ったわけではない。
振り払う薙刀と、小刀が火花を強く散らす。
影時光彩は、次霜捻子を利用しようとしていた。志糸と対話するために必要としていた――≪運命≫と≪忌み子≫は惹かれる、という特性を生かすために。
捻子はそのことを悟っていたし、そのうえで光彩を受け入れた。
「俺は手が届く範囲の人を守りたいんです!」
「それは―――なぁ、それはさぁ!捻子クン、偽善じゃねぇのか!?」
光彩が叫んだ。
「丹色と志糸と、家族と仲間と!!!守りたいもんはたくさんあるよ、おれだって…!!!そのためには、選ばないといけなかった!!大切なモン守るためには、選択しねぇといけなかった!!!そうしないと、そいつらを守れなかった!!!おれはお前みたいに平和に溺れたことなんてなかった!口では何とでも言える!!!」
「当たり前でしょう君バカですか?!!俺と光彩は違う、知ってますよそんなの!!!君のことなんて知りません、以前の君を俺が知るわけがない!!俺が知っているのは出会ってからの君だ、強くて、ツッコミ気質で、意思が固く、誰よりも大切なもののことを理解し、そのために戦う、気高い君です!!!」
鈍い音を立てて、光彩の刃が砕け散る。だが、恐らくそこまで鋭さは高くないのだろう。すぐに使い捨て、代わりに取り出された銃――火を噴くより早く、捻子は薙刀を一閃させた。
「もしかして、わかって欲しいとかアホなこと言い出すつもりじゃありませんよね!影時光彩、君が一番大切にしていたのものは――何ですか!」
くるりと捻子の背中で回った薙刀が木を伐採―――したその裏から飛び出した幾数の刀が切り落とされる。だが同時に目の前が無防備になり、その瞬間迫ってきた刃を捻子はギリギリ身を捻って避けた。
「る、せ…!」
「君が大切にしていたのは――丹色を、志糸を、家族を守ることだったはずでしょう!」
「うるせぇ………!」
バチッ、とまた、一際大きい音が光彩から漏れた。体が悲鳴を上げる音だ。
紀磨は、見守ることに徹する。
自分が言いたいことは、全て捻子が紡いでくれる。
「丹色を傷つけているのは、君ですよ…!!!」
「―――ッ!!!」
どうして、あのとき気付くことができなかったんだろう。
呆然と後悔し、ぼんやりとそう思った。それでも、その瞬間はもう戻ってこない。
責任という二文字は重すぎて、体は鉛のようだ。
だからこそ、2人でなら。
2人で産まれてきた理由は。
「…だって、光彩は、ずっと、守ってくれていたじゃないか」
丹色は――目元を両手で覆った。この両手はまるで赤子のものだ。守られてきたから、まだ血に濡れていないんだ。
きっと光彩の手はボロボロなのだろう。
「光彩」
す、と丹色は息を吸った。
「…もう、いいよ」
背負うことの辛さを、丹色は知った。その為に切り捨てることも、痛みも丹色は知った。刀一つ一つを持つ重みも、光彩のようにはなれないと。
それでも、自分は領主だ。
自分が乗り越えていく。守られていた温かみは心地よくて、迷うこともあるだろうけれど、傘の重みが勇気をくれる。
「……丹色にはもう、背負わせたくない」
「光彩みたいに強くなりたいんだ」
「丹色が苦しむ必要なんてねぇだろ、おれが背負える」
「ぼくだって背負えるよ」
「これはおれの罪滅ぼしだ。あのとき、志糸を守れなかったおれの。おれが決着をつけることだ」
「おれの、じゃないよね。おれたちの、だよ。だって、志糸は光彩だけの妹じゃないんだから」
「………、………お前、頑固だなぁ」
丹色は微笑んだ。
「そりゃ、もう。こんな兄弟が傍に居ちゃ、そうなるよ」
だから、
ぱんっ、と音が鳴った。
捻子の薙刀が振るわれて、その刃先に絡みついた赤い紐。幾重にも絡みついたそれに鎖が乗り、捻子の体が引っ張られる。お互いを繋いだ鎖で、両社足が止まった。
赤とオレンジの瞳を柔らかく湛えて、少年は言う。
「きっと、勇気が足りなかったんだ」
言葉にする勇気。それを伝えて、何が変わってしまうのか。その変化に怯えていた。だが、同時に伝わらなくて、すれ違って。
「お願いが、あります」
捻子は、静かに囁く。先程の怒鳴りが嘘のように、静けさを強く含んで切願する。
「……朝霧を、お願いします」
――爆発が遠く、また強く放たれたようだった。
その音を聞いて、少年は目を伏せる。
「あいつは、俺の―――友達なんです」
「うん。……わかってる。」
そして、丹色は救いにいく。たった一人の妹を。
丹色達は、殺しにいきたいのではない。領主として忌み子を殺さねばならない、しかし妹である志糸を救いたい。その両者の感情に板挟みにされていた光彩の代わりに、勇気を携えて丹色が行く。
自分がしなければならないことを、丹色は確かに見つけたのだ。
×××
――一瞬でございました。
影時に古くから仕え続けている従者、私は、その瞬間もその場に坐しておりました。同時に、抗えぬ行動を行う丹色様の姿に、かつての光彩様を思い出しました。しかし、たかが一介の従者には、どうすることもできなかったのです。何ができたというのでしょう、私は無力でございました。
刃の一閃。
丹色様、光彩様のお得意な暗器―――それだとわかった時には、後ろに控えていた者たちの首がカパリ――無残にも、しかしながらとても美しく切りつけられ、崩れ落ちておりました。それもつかの間、すぐに他の者が強制連行をせよと命令を切り替え、襲い掛かります。しかし、やはり影時の血を引くもの。全く相手にもせず、鮮やかに切り倒しました。私は、何とも情けないことに動くこともできず、すぐに部屋は赤で染まり、気が付けば数人とお父上様――領主様しか残ってはおりませんでした。領主様は激怒し、叫んでおられました。
「――丹色!!!!」
次の瞬間、丹色様は踏み込んだかと思うとお父様の首を刎ねられました。何とも酷く、何とも美しく。全く抵抗もなく。お父上は恨み言一つも上げることなく、体を崩し。そして――私は、みたのでございます。
唇に湛えられた微笑みを、伏せた瞳の鋭さを。柔らかく、けれども厳しく。それはかつての御方そのもの。
「―――おい、」
口を開いた少し乱暴な言葉づかいも、あぁ、あぁなんてお懐かしい。
「父は死んだ。今日これより、おれが領主だ」
傘を拾って、パチリと開いたその姿はとてもとても艶やかでございました。
私はそれを、眩しく、眩しく思いながらひれ伏しました。
貴方様は、貴方様方は一人ではございませぬ。
貴方様方は、二人で一人。
我ら影時の主様は、影時光彩様と、影時丹色様。
貴方様方が戻られる場所を、私達はいつでもお待ちしております。
貴方様方の幸せは、我々の幸せでございますゆえ。
そう、飛は、いつもいつまでも思っておるのです。
言葉に表せるのは難しくても、あの日から、私の領主様は貴方様方、ただお二人でございます。
―――守りたいと、願った。
丹色を、今度はこの弟を、今度こそは傷つけたくなかった。
だけど、お前は強くなっていた。おれが気が付かないうちに、お前は酷く大人になった。
………一緒に行こう。
もう、1人で背負わなくていいんだなぁ。




