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「君は!!どうして、わたしを助けたの?!」
≪力≫を譲渡する。それは決して簡単なことではない。代償が付きまとうことは、仕方ないことだ。その代償に己の感情を賭けた。だからこそ、分からなかった。来賀朝霧という男は、どうして、そうまでして自分に手を差し伸べたのか。
朝霧は、笑った。
いっそ清々しいとでも言うように、笑った。
「だって、退屈だったんだ」
真っ白い世界。そこに広がる研究者。それだけが、朝霧の世界だった。
それに不満を持ったことは、それは少しはあったけれど、受け入れていたし、特に反抗する気もなかった。
だけど、その世界の中に灯った一つの夢は朝霧に世界をみせた。朝霧が知らない、まるで鏡の奥にあるような世界。
守時稟斗は、来賀朝霧と同じように狭い世界の中に生きて、同じように心を与えられて、だが死という安念を与えられそうになった。
来賀朝霧に与えられなかった死の誘いは、しかし守時稟斗は否定した。嫌だ、嫌だと拒絶した。
――だから、来賀朝霧は生を与えた。
「君も、僕と一緒だ」
―――あ、と、稟斗は思う。
零れ落ちたその言葉は、きっと、偶発的に出たもので、純粋に落ちたもの。だって、わかってしまった。
誰にも理解されない、理解されようとも思わない、そんな少年のことを、守時稟斗は―――理解した。
「君はわたしに、居場所をくれたんだ」
拒絶したその先にあるのは、果てのない空白。その空白に果たして少女が居る場所はあるのか、死を否定した彼女を受け入れて貰えるだなんて誰にもわからない。それだったら、今ある場所で歩んだ方がずっといい。
だから、来賀朝霧は与えた。
生を与えた。
≪力≫を与えた。
源を与えた。
居場所を与えた。
それは確かに、来賀朝霧の気紛れで退屈を紛らわせるだけのものだったかもしれない。それでも、来賀朝霧は少女にお礼の一つでも与えてやってもいいと思ったのだ。
退屈だと思っていた世界が、広がったのは彼女のおかげだったから。
彼女が教えてくれたから、だから、来賀朝霧はこうして今、ここにいる。
来賀朝霧は確かに理解しがたい存在だ。稟斗は今も尚、そう思う。例え何十年傍にいたって、彼を理解などできそうにない。
それでも、稟斗は思う。
自惚れかもしれない、不可能かもしれない――しかし彼を理解できるのは、自分だと。
今はまだ、朝霧が炎に囚われ続けているのを見ているしかできないが。それでも、いつか確かに理解して、
――君に、居場所を、作れたら。
それは確かに、稟斗から与えられる唯一のものだ。
君も、僕と一緒だ。
私も、君と一緒だ。
わたしたちは、鏡だから。
「――少しだけ、昔話をしてあげようか」
ふわり、と甘い匂いが漂ったのはそのときだった。
カクン、と膝が砕けたかと思うと視界が煙ったようにかすみ始める。何が、と思う暇もなく息苦しささえ覚えだした。志糸が何かやったのか、と一瞬思いもしたが目の前で語る少年は焦りもみることなく、ただ優しさを抱くように囁いている。その姿に背筋が凍った。
語り終えた少年は、稟斗に言った。
「さて、僕の鏡。君のおかげで時間も稼げ、計画も順調に間に合った。」
「…っ、何、言って…」
「常々思っていたんだが、じれったくて仕方がなかったんだ。僕は忌々しい体の為に≪力≫の行使にも制限が掛かる。だけど、君の≪力≫が僕の元に戻れば、僕は確実にお人よしのあのバカを刺激できると思うんだよね。…そうすれば、きっとあの炎を見ることができる…」
紡がれる言葉に恍惚さが滲む。同時に、炎に囚われた朝霧が成そうと思っている正体に気付き、力を籠めようとしたが体が全く言うことを効かない。
「君から≪力≫を奪っても、すぐに死ぬわけじゃないんだ。精々長生きしなよ」
「っ………まって、よ…?!どうしてこんなこと、志糸を、どうするの?!」
志糸とのゲームは続行中だ。だが朝霧はどうでもいいと言わんばかりに告げた。
「あんなゲームに付き合うつもりは毛頭なかったよ。君から話を聞けたお陰で、君の中に残っていた≪力≫の正体も思い出すことができたし、これも全て君のおかげだね」
「朝霧…!」
「君と出会えたこと、正に運命と呼んでもいいだろうね。素晴らしいタイミングだったよ。恐らくこれから戻るだろう捻子の≪力≫は、捻子の心の成長と共により強いものとして表れるだろう――その炎が、果たしてどれだけ僕を焼けるのか。…鏡の君に見届けて貰えないのは残念だけれど」
いいきっかけになったことだろう。
これはただ、捻子を強くさせるためだけのイベントに過ぎない。
そう暗に告げる朝霧の言葉に、稟斗の頭の中で道中に語られた丹色の、風波の、今笛の、紀磨の、捻子の言葉が蘇る。
「実際、彼らのおかげで歩みを止めていた捻子が動き出したのは良好だった。あと一押しすれば、彼は完璧に覚醒をこなす。そうだね、…例えば、」
ぽつ、ぽつ、と朝霧の指先から光が漏れた。――光は花弁を創り出し、ひらひらと舞い始める。
「志糸を、捻子の前で殺してみようか」
もちろん、殺すというのは消滅という意味で、だ。少なくとも――来賀朝霧にはその実力がある。そこまで察して、稟斗は今までの彼の動向に違和感を膨らませ、感じ取ったその点を思い出し―――自分のふがいなさを呪った。確かに自分と彼は、正確に言えばつい数時間前に出会ったばかりだ。だが自分と彼は誰よりも近い存在である筈、それなのに、どうしてわからなかったのか。
途端、稟斗は強い力を込めて立ち上がろうとした。しかし、やはり自由が効かない体では棍を振ることは―――
―――ぱ、と棍の先端が朝霧の頬を軽く切り裂いた。
割かれた頬から流れた血が、パタリと草に吸い込まれ、――朝霧は稟斗の髪を軽く梳くと、囁いた。
「おやすみ、稟斗。」
―――どうして。
視界が滲んだ。朝霧の笑みさえ遠くなり、それでもこびりついた笑みに、稟斗は抱かずにはいられない。
寂しい人。
寂しさをわからない、寂しい人。
まるで鏡の奥に立つような自分自身は、揺らぎ、幻のようで、稟斗はたまらず手を伸ばして――――静かに、涙を流した。
炎に囚われているから、炎に包まれることでしか自分の空白を満たせない愚かな人。
志糸との一件を捻子の覚醒の一環とみて、そして強くなった捻子に身を焼かれることで―――自分の、≪居場所≫を得ようとしている、馬鹿な男。
――理解できるのは、稟斗だけなのに。
わたしは、まだ、これを炎の中心に立つであろう彼に、伝えてないのに。
それなのに、瞼が重くて体も重くて。訪れるかもしれない最悪な未来を、想像して仮定して。
溢れる涙を止めることを、稟斗にはできなかった。
×××
そこに、≪居場所≫なんてものは、存在していなかった。
×××
倒れ伏した少女の肢体を軽く支え、身に宿った≪力≫に神経を集中させる。戻ってきた感情にも、残念ながら何の感傷も持つことはできない。彼女に与えたのであれば、それは彼が要らないと思ったからだ。それならば、今も要らないものであることに変わりはないだろう。
さてどうしようかと少女の身を見詰めてから、指を鳴らす。
―――幻が少女を包み、それを見届けて朝霧は立ち上がった。
「…さぁ、始めようよ捻子」
朝霧は微笑む。
一度だけ、少女を見下ろした。可哀想な、哀れな憐れな幼い少女。
彼女と自分の一番の相違点は、相違点になったのは居場所の在処だけなのだろう。
自分が欲しかったものは、きっとそれだった。だが決して得ることができないものだった。得られる在処であれば、炎の中にしかないのだろう。
だから朝霧は炎を望む。炎を切望する。
全てを燃やす、純粋で、美しいかの人の炎を。
木々の奥から現れた少女はゆったりと微笑んだ。体に赤い痕を付けながら、明るく微笑む。
「そういえば、ねぇ君。こんな言葉を知っているかい?」
その少女に朝霧は囁いた。
彼を纏う花弁は自由に舞う。
「目には目を、歯には歯を。…≪力≫には、≪力≫を、だよ」
爆発的に広がった≪力≫は、空間一つをいともたやすく、揺らがした。
×××
誰にも、理解されない。
理解しようともされない。
だけど、来賀朝霧はそれでいいのだと思う。
理解されようがされまいが、自分が居るここには、≪居場所≫なんてものは存在しないのだから。
――初めまして、君が、来賀朝霧…くん、ですよね。
泡沫の夢を、思い出す。
………、次霜捻子は、淡い、あの幸せだったあの日々を、幸せが続くと、何の疑いもなく…思ってしまったあの日々を。
少し幼い顔をした、しかし口が達者で毒舌な少年と過ごした平凡な日常を。
………次霜捻子は、今も忘れずにできないまま、覚えていた。




