27
奥につくと、そこは真っ新な場所だった。
やはり手入れもされていないが、どうしてかとても静かで心地がいい。……風の音しかしない、とても、静かな場所。
「………≪力≫が、ない………」
ポツリ、捻子が言う。
「ここには、必ず存在していた筈の……≪力≫が感じられない………何て、真っ新………」
「≪力≫がない空間は、こんなにも、解放されているんだな……」
感心したように今笛はため息を零す。誰もが二人の言葉に同意していた。捻子は崖の方に近づく。風の音は、そちらからしていた。
―――だからこそ、そこに生じたゆがみに気付いた。
「―――!」
トンッ、と捻子は背中を押されて――いや、そんな生易しいものではなかった。強い力だ。踏み留めれない、いざとなればと薙刀を取り出そうとし―――
落ちる寸前で、手首を掴まれる。
「っ………」
「―――邪魔しないでって、言ってるでしょ…?!」
捻子は自分の身を支える人物の後ろ、影が広がるのに唇を噛みしめる。このままでは、と思った途端、影が舞った。
「―――稟斗!」
「朝霧、早く捻子引っ張り上げなさい!!!!」
丹色の声と、絶叫のように迸る紀磨の言葉と同時に、朝霧が力を込める。捻子は崖に手を掴み、そこで状況を把握した。
棍を構えた稟斗、そして朝霧と捻子―――それ以外の面々は、誰もが膝をついていた。
そしてそこに広がる重力とも呼べる、≪力≫の圧力―――ひしひしと感じられるそれに、捻子は息を呑む。が、朝霧の舌打ちに我に返ると体を崖の上に走らせた。
――一人の少女が、居る。
「…っどうして、ここに………」
辛うじて―――苦しそうな表情を浮かべた風波が剣を片手に志糸を睨み付ける。ここは陣の中だ。だからこそ、安全であったはずなのに。
「…陣、のなかでもね。ここは、ワタシにも、所縁が、つよいとこだから、ね?」
「それでも影響は受けているようだね」
朝霧の言葉に、志糸はキッと彼を睨み付けた。
「…どうして、どうして邪魔するの、なんで、なんでなんでなんで?!」
「志糸……志糸、どうか、俺の話を聞いてください…!」
何故敵意を向けるのだ。話をしよう。そう促す捻子に、だが志糸はやはり睨み付けで応えた。
それから―――くしゃりと、悲しそうな表情を浮かべる。
「………え………」
「―――あなたを、傷つけたくないのに」
どうして。
稟斗が一歩足を下がらせた。
「ううう、ねぇねぇやばい感じがするんだよねぇ………」
「後ろは崖、前は拗らせちゃった系女子。困ったねぇ」
「何で朝はそんなに冷静なんですかっ!」
思わずツッコミを入れてしまった自分は悪くないと捻子は思う。丹色が唇を開いた。
「志糸、…志糸、やめて、志糸…!」
「………いや、いやだよぉ、いやだよぉ………そうだ、ねぇ、そうだ!あなたは、思い出していないだけ…きっと、思い出してくれる………ね、そうでしょう?」
丹色の声など、聞こえていないのか。歯ぎしりをした丹色は暗器で体を支え、眼を上げる。
「だから、思い出してくれるまで、あなたで遊んであげる」
今の捻子は≪力≫を使うことができない――対策が、できない。恐らくこの≪力≫の重圧から捻子と稟斗がのがれれているのは、朝霧のフィールド範囲内からだからだ。だが彼も万能ではない。範囲外には広げることができない上に、陣内故に制限を受けている。悪環境過ぎた。
志糸はそう頭を巡らせる紀磨を他所に、朝霧に告げた。
「逃げて。おにいちゃんが、思い出してくれるまで……それまでわたしから逃げて?ワタシを楽しませて…?」
――殺気が広がった。先程とは並にならない程の、重圧が降り注ぐ。
それに抗っているからか、朝霧のポニーテールがばさりと揺れた。
「…捻子。」
「何ですか、…朝」
朝霧は笑った。
「お前、俺より先に死なないでね」
―――パシン、と朝霧は稟斗の手を取る。呆気にとられる暇もなく、稟斗の手を掴んで朝霧は崖から―――身を投げた。稟斗が息を呑むのが耳に届く。
「―――ッ」
同時に、朝霧の加護が無くなった為に訪れた重みに捻子は両膝を付いた。そんな捻子の横をすり抜けて、志糸は微笑む。
「えへへ、遊んでくれるんだね…」
「―――それは、こっちの、台詞でしょう…!朝霧………!」
痛みを堪えて、考える。
考えろ。
――考えろ。
彼女の、志糸の望みを考えろ。
――思い出せ。
×××
「~~~~!!!」
「しっかり口、閉じてないと舌噛むよ」
稟斗は囁かれた言葉に口を閉じる。だが圧迫感に溜まらず吐き気に似たものがこみ上げた。
「――って、下、下ぁ!!!」
「――≪幻の揺らぎ≫」
ふ、と周囲の重圧が消え、つま先が地面を叩く。着地をしてもすぐに朝霧は稟斗の手を離すことなく、走り出した。
「彼女は言った、鬼ごっこだって―――なら、逃げないとね」
「い、いいの?!あそこに、捻子置いてちゃって……?!」
「問題ないよ。彼女は遊ぶといった――要するに僕たちが逃げていれば――遊びが終わらなければ、殺されることはないだろう」
……そこで、稟斗は思う。
「凄い、巻き込まれた感…」
「あはは、…今更?」
おっと。
朝霧が稟斗の手首を強く引いた。稟斗もそれに気づき、棍を薙ぐ。
パシン、という乾いた音と共に後方から迫ってきた何かが弾かれた。残念ながら、稟斗にその正体が視えなかったが恐らく「痛い」ものだ。
「な、何か反撃とか…!」
「……あの手のものは、ちょっと苦手なんだよねぇ」
珍しく弱音のようなものを吐いた朝霧の顔を稟斗は見る。なるほど、確かに来賀朝霧という男は天才かもしれないが、その≪力≫の元々は幻術の類だ。相手が恐怖、戸惑いを持つ物でなければ効果が薄いものもある。特に、ああいう得体のしれないには逆効果になることもあるわけだから、迂闊に手を出せないのだ。稟斗は油断なく視線を滑らせながら尋ねた。
「それで、どこまで走るつもり?」
「もう少しで陣の外に出られる。そこまで」
涼しげな面持ちの朝霧―――稟斗は瞬きをする。
ぱちり、
ぱちり。
既視感を抱いたその姿。陣を抜けた。しかし速度を落とすことなく二人は走る。
妙に胸騒ぎがする鼓動に、稟斗は混乱する。
(わたしは、……この人を、知っている、気がする……)
「ねぇ、君はどうしたい?」
あ、
その、言葉に。
間違いなく、稟斗の【ナニカ】が形を帯びた。不安定で姿を宿していなかった、その言葉の意味に。
――わたしと、君は、鏡だ。
「……なんだ」
じわじわと、思い出したことで体の中から何かが吹き荒れる。それは――少し、ちょっとした、嬉しさだったのかもしれない。
「君、もう自由なんだ」
今度は朝霧がぱちりと瞬きをした。そして、顔を顰める。明らかに嫌悪感を滲ませた嫌な表情を浮かべた。その表情を見れただけで、ふふっと稟斗は笑む。
「………あー、鏡、鏡。…確かに初めまして、じゃなさそうだ」
――体が弱かった自分が、ずっと見続けていた夢の中の少年。
幼くそれでいて常に鋭利な瞳を宿し続けていた、あの子供。
今ここでこうして出会っている、それは――偶然か。
「あのときの、か」
朝霧もまた、思い出す。
気紛れで助けた、一つの命。
だからこそ。
朝霧は指を伸ばし、心臓部位を指さした。
「その、心臓。……まだ動いているようだね」
「お陰様で、ねぇ。」
皮肉じみた笑みを浮かべてみると、朝霧は軽く笑った。
――守時稟斗は、かつて死にかけた。それは幼い自分を蝕んだ病のせいだ。本来であったら、衰弱死しても可笑しくない状況だった。だが、あのとき。
あの、夢の奥で来賀朝霧の≪力≫の干渉を受け、今稟斗は生きている。彼の≪力≫がないと生きれない、というわけではない。ただ、彼女の一族は元来短命だ。その影響もあり、そう長く生きることはできないが。
「ねぇ、来賀朝霧。」
稟斗は尋ねる。
「わたしは君を思い出したけれど、不思議だね。…君への印象は何一つ、変わらないんだ」
ふいのことで立ち止まってしまった足を動き出して、朝霧の背中に向けて、稟斗は囁く。
「……君は、どうしてそんなに寂しそうなの?」
「…………、………?」
朝霧は。
続いた稟斗の言葉に、ぎこちない動作で小首を傾げて。
本当に分からない、理解ができない、そんな動作で、口を噤んでいる。その様子に、稟斗は血の気が引く思いがした。
―――これって。
「朝霧、君………」
胸をかき乱すような感情がいつでも稟斗の中にはあった。だが、その感情を手放せないといつしか感じ取っていた。
―――これ、は。
「――――見つけたぁ!」
頭上から、声。
志糸、と叫ぶ間もなく小柄な体が2人に落ちてくる。避けられない、すぐにカンが察して稟斗は棍を握りしめた。逃げれないなら、迎え撃つだけ――稟斗は鬼ごっこのターゲットにはされていない、それならば、自らが彼女と一秒でも長く対峙できれば彼を逃がすことは可能に。
そこまで考えて、その小柄な体が横向きに吹っ飛んだ。
「わ…」
「≪大樹の実り≫!」
ぱき、と割れる音がしたかと思うと無数の蔓や茨が少女に向けて絡みついた。咄嗟の事に体制を戻せず、彼女の四肢に絡みつくと覆っていく。少女の表情が視えなくなる、それと同時に風波が刃を払った。
「はぁ!」
風波の刃は少女の四肢を簡単に打ち払い、風波は地面を滑る。纏わりついた植物が斬撃にパラパラと落ちていくのと共に、志糸を形成する小さな四肢が地面に広がる――が、すぐに断面から再生が始まった。それを見て今笛は舌打ちをする。
「朝霧、稟斗!てめェら逃げろ!」
「ここはあたしたちに任せて、ね!」
あの重圧も、どうやら少女の周囲のフィールドと再生を行っている間は復活がしないようだ。彼女の肉体バランスに関係している類なのだろう。重圧がなければ、不老不死の2人は十分に戦える。風波は剣を構えた。
それを見て、朝霧は踵を返す。
チラリとこちらを一瞥した、その瞳には鋭利な光が宿っていて、覆す気はないことがすぐに分かった。稟斗もまた、もう一度2人を見てから駆け出す。走りながら、叫ぶ。




