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「……ねぇ、捻子」
ぽつり、ぽつり。街灯に光が点いていく。暗くなりつつある空の下で、紀磨は尋ねた。
「最近、どうしたの」
「……?」
「あんたの性格だったら、ぼうっとするとか、そうでなくてもいつも以上に動く筈じゃない。それなのに、何だかこの調査に乗り気じゃないようだし」
捻子は生粋のお人よしだ。困っている人は見過ごせない。だからこそ、今回、丹色の為に動いていることは捻子もほおっておけない筈。それなのに、まさか意識を漂わせるだなんて珍しいにもほどがある。そもそも捻子という男は自分の弱いところを人前で見せないことが多いから、今日のことは紀磨にも引っかかっていた事だった。
だが、捻子はそんな自分に気付いていないようで訝しげに小首を傾げていて。
…それが、どうしてだか、紀磨には別人のように思えてしまって。
紀磨がよく知る捻子、は。
こんな、雰囲気を纏っていただろうか。
「…捻子、」
ねぇ。
「あんたらしく、ないよ」
えっと、
捻子は――困ったように眉を寄せて、それから、一歩紀磨の方に足を踏み入れた。
次の瞬間、誰かに後ろから片腕を引かれ、バランスを崩した。ギリギリで受け身を取れ、痛みはほとんどなかったが誰が引いたのか、小言の一つでも言わねば文句が尽きないと座り込んだ体制のまま―――上を、見上げて。
「……え」
「退きなよ。死ぬよ」
淡々とした底冷えする声が紀磨の鼓膜に突き刺さる。なんで、と唇が震えた。そこで自分自身が一部動かない――左腕がマヒしているかのように微動だにしないことに気が付いた。この感覚を、知っている。
――コツン、と捻子が一歩前に進んだ。
「…捻子?」
捻子の周り、揺らめく焔と有り余り過ぎるほどの≪力≫が空気に滲んで目に留まる。動かない腕を庇いながらも立ち上がり、様子がおかしい捻子に近づこうと前に進みかけると、目の前に立つ背中の主に指で制された。
「僕の前に行かない方がいいよ?呑み込まれたいなら、別だけど」
「呑み込まれたい、…って」
少年の足元。朝霧の前にはわずかに紫の光が灯っていて、まるでそこが壁になっているかのように捻子の焔は寄り付かない。
捻子が、≪力≫の暴走…?
恐らく自分の腕の麻痺、そして朝霧の具現は彼が持つ≪繰る印≫の影響だ。それはほぼ間違いない。だが不完全だからか、朝霧は具現していても半分透いているように視えた。朝霧は動かない。それは恐らく、彼の炎を止めるのに≪力≫を使っていて、まだ動けないからだ。
「あ、朝霧、どういうことこれ。何よこれ…」
「―――紀磨、構えて」
「へ」
――とんっと軽い音が、紀磨の眼前に着地した。
音と、そしてまだ未発達な可憐な少女。長い髪が揺れていて、赤い瞳をちらつかせて―――幼い表情で、紀磨を見上げた。
ドクリ、嫌な鼓動の音が脈打つ。少女が口を開いた。
「――――こん、にちは」
紀磨の≪力≫が機能し、一瞬先の未来で少女の指が自分の喉に突き刺さる――そこまで視えた時には、紀磨の体は再度突き飛ばされていた。
「――ッ」
少女の背後、そこから片手を伸ばした朝霧が僅かに眉を寄せ―――少女が朝霧を見上げ、顔を顰める。瞬間的に、紀磨が先ほど視た未来は回避させられた。
「……じゃま、しないで」
「初めまして?」
少女の不満げな声に、うっそりと微笑を湛えて朝霧は踵を鳴らす。
――足元から湧き出た≪力≫が少女を捉えるより早く、少女は軽い動きで朝霧から距離を取った。紀磨は突き飛ばされた体を保ちつつ、捻子をチラリと窺い――息を呑んでナイフを取り出す。
―振るわれた薙刀が朝霧の頭を通過する前に、飛ばしたナイフが薙刀を振り払った。
「っ、誰、あんた!」
紀磨は捻子からも、更に少女からも目を離さぬよう気を張り詰め、少女に問う。少女はキョトンとすると、小首を傾げ――呟いた。
「貴方、も。そこの、紫のひとも。傷、つけるから。」
会話になっていない。その間にも、捻子の刃が朝霧を狙うように向けられていた。それを見やって、朝霧はめんどくさそうに息を吐く。
「むらさきの、人。私、紫の人、嫌い……いや、嫌い、嫌いなの」
「紫、じゃない。朝霧だ。…こんな低能幼女が居たなんてさすがに思いも寄らなかったし、それよりさっさとこのバカをなんとかしてくれないかな?」
「うっわ何て酷い言い草なのあんた、でも後半は同意」
年端もいかない外見の少女にそんなことを言いきる朝霧に少し引きつつ、紀磨は捻子の分だけ同意しておく。完全に目が据わっている捻子をどうにかしてもらいたい。
すると少女は泣きそうに顔を歪めた。
「あっ、あー!!!あ、朝霧泣かせた…?!」
「…いや、泣いてないしそもそも何なの。え、僕変なこと言ってる?」
「おっと?!一応言っておくけどね、低能幼女は完全にアウトだからね。」
可哀想に…と少し少女に同情したところで、すぐに同情は警戒に変わった。≪力≫が少女から発せられ、体がこわばる。これはまずい奴だと、本能が察する。
「―――酷い、酷い酷い酷い酷い酷い!!!!!紫、紫の人、そんな、貴方なんてッ死んじゃえ…!!!!!」
「…だから、朝霧と言っているだろう。それと、もう少し周りを見たほうがいいよ」
朝霧は地を蹴った少女を前に、長い衣を揺らし、ポケットに両手を突っ込んでカクン、と首を傾げた。
「上、避けないの?」
「―――≪信じる絆≫、断ち切って!!!!!」
朝霧の声と重なるように、鋭い声が刃と共に降ってきた。
≪力≫と≪力≫がぶつかる爆音が轟き、紀磨は衝撃と爆風を抑えるために両腕で身を庇う。すると、背後で大きな花が開くと支えのように紀磨を包んだ。
やがて煙が消えていく中で紀磨は目を見開く。
「―――捻子!!!」
捻子の刃が再度、朝霧の背中を狙っている。もちろんそれに気づかない朝霧ではないだろう、だが朝霧が何かを施すよりも早く人影が捻子を後ろから殴打した。
「……よっ、紀磨チャン、無事?」
「…光彩」
にへらと笑って、抵抗もなく意識を落としたらしい捻子の体を支えた光彩に、紀磨は安堵よりも脱力してしまった。なるほど容赦ない。煙が完全に消えると、爆発の中心地に居た風波が首を傾げている様子が見えた。
「…手ごたえ、確かにあった気がするんだけど」
いや、と紀磨は目を凝らしてみる。しゅるん、と後ろの花が地に戻り、今笛もまた紀磨の傍らに立つと眉を寄せていた。
――風波の剣は、少女の心臓を貫いている。
しかし、少女は涙をこぼしながら、如何せん死の兆候が見当たらなかった。
「酷い……酷いよ……なんで、なんでぇ?なんで皆じゃまするのぉ…」
泣きじゃくる少女の赤い瞳からはボロボロと涙が零れていく。
光彩が、目を見開いた。
「………、志、糸?」
呆然と。
きっとそれは、彼らが待ち望んでいた少女であったはずなのに。
彼は強張った表情で、ポツリと零す。
少女は――そう呟いた声の主に目を向け、呟いた。
「………、だれ」
「風波、離れろ!!」
今笛の怒号が一瞬だけ、遅い。
そのときには少女の体は光を放ち、爆音が轟く。本日二度目の爆音は今笛が放った簡易結界で周囲への被害が免れた。
覆った煙を払って、今笛は風波に近づきながら悲鳴じみた声を上げた。
「風波ッ!」
「……、……えへへ、だいじょーぶ。でもごめん、逃がしちゃった…」
見るも痛々しい火傷を受け、服もボロボロのまま、肩を竦める風波。もちろん痛みを感じてはいるだろう、しかし彼女は死なないから。それでも、今笛はそれが痛々しいと思う。だから、
「…大丈夫、だ」
ただそう告げて、彼女の頭を撫で自分の上着を掛けてやる。
その一方で、光彩は固まったまま、中途半端に構えていた刀をそっと下ろした。紀磨は彼が呼んだ名前と、少女の反応を思い出す。あれだけ妹を、家族を想っていた光彩が妹を見間違える筈がない。
――朝霧が一つ息を吐いて、光彩に抱えられたままの捻子に近づく。
「…捻子」
「あ、…捻子大丈夫よね?!」
紀磨も捻子の傍に駆け寄ると、光彩がはっとしたような表情で微笑んだ。……微笑みきれてない、そういえない。
「あぁ…そんな強い力で殴ってないし、すぐ目ぇ覚める。」
「…あの子、逃げたのね」
紀磨は周囲を見渡す。…彼女は、逃走を余儀なくされたのだろう。どんな存在なのかは知らないが、心臓という急所を貫かれれば例え人外であったとしても逃げるしかない。幸いか、と紀磨は思う。
…あのままで、彼女に勝てるとは思わなかったのだ。
それほど、今でも圧倒的な恐怖が体を占めている。
「…光彩、大丈夫?」
紀磨は同じように、光彩にも声を掛けた。光彩は今もまだぎこちない作れていない笑みを浮かべていた。
「大丈夫、だよ」
……そんな、弱弱しい声で大丈夫なんて。
横に捻子を抱えた光彩がこれからを話すために捻子クン家に行こう、と言う。今笛が光彩の背中を叩いて、風波と共に歩きはじめる。その後ろ、朝霧がゆったりとした歩きで進み始め、やがて透けていく――使用者が意識をなくしたことにより、能力が薄れたのだ――次第に視えなくなった。
「……ごめ、ん」
紀磨は。
紀磨は、拳を握りしめて呟いた。
―……あんたらしく、ないよ。
そうだ。
私が、否定した。




