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長男だからじゃない。産まれながらに道が決まっていたからじゃない。
おれが逃げたら、そう考えた時にお前はおれの道を行かねばならない。だからおれの道は決まっていた。逃げるのをやめた。
――それなのに。
約束したじゃないか。おれが継いだら彼女を解放すると。
どうして、
どうして
どうして
――――だから、おれには家族が居ればいいって。
おれの望みは、それだけなのに。
×××
第三章 二重人格
「行っちゃうの………?」
どこか泣きそうな少女の声に、彼は一度足を止めて振り返った。それから困り気に微笑を湛える。
「行かなくちゃいけないんだ」
優しく彼が囁くと、一層少女は表情を歪めた。あぁ、泣きそうだ。困ったな。彼女はまだ幼いけれど、芯が強くちょっとやそこらじゃ泣いたりしない子だ。兄の葬式の時だって彼女は皆の前では一度たりとも涙を流さなかった。その彼女が、泣きそうだ。自分達なんかのために、泣きそうになってくれている。
「兄さんも、皆、皆いなくなっちゃうの………?」
「大丈夫。ぼくらは、帰ってくるよ」
もう時間だ。行かなくては。
背中を向けた。その背に少女の声が響く。
「わかんないよ…!!!どうしてなの?!貴方達が行く必要なんてない…十分、傷ついたはずなのに、ねぇ、なんで?!!!」
「………」
彼は振り返らずに、けれど強く言い放った。
「いつか、君にもわかるときがくるよ。……何に変えても、選ばなければならないことも。何に変えても、守らなければならない使命も。」
彼の耳に残る、最後の里での記憶は少女のすすり泣く声だった。
―――彼は短く呻いて瞬きをした。一瞬だけ、いやどれほどの時間かわからないが意識を飛ばしてしまったらしい。それでも周囲の様子を見て、そう時間は経っていないように見える。しっかりしろ、と彼は自分を奮い立たせた。こんなところで、倒れているわけにはいかない。あともう少しなのだ。
会わなくてはならない。
―パシャン。
力が抜けた手から白と黒の混ざった傘が滑り落ちて血飛沫を上げた。それをやや呆然と見下ろしながら、左右色が違う瞳を瞬かせ、皮肉気に唇を歪ませる。どれだけ意思を持っていても、もう体は動きそうになかった。全身の痛みでバラバラになりそうだ。霞んだ視界と重い体を何とか動かして、桜の木の下にたどり着くとそこが限界だった。
「……ハッ、ざまぁねぇの………」
血だまりの中、少年はそっと目を瞑った。
×××
朝、8時10分。
「………!?」
何度見かして、それから次霜捻子は飛び起きた。アラームがうるさく鳴り響くのを彼にしては珍しく乱暴に止める。捻子はこの1年、かなり焦る状況に陥るような――つまり、大変なことをやらかしてしまったのである。
「な、なんで起こしてくれなかったんですか?!!!」
服装自由な高校であるが彼の律儀な性格故に制服を着こむ。
『いや、だってさ』
それに応える少年は、反対に気怠そうである。ふわふわと重力の影響を受けない彼は宙で腕組をして嘆息をした。
『そもそも、捻子が昨日勉強しながら寝てしまったというのが理由だと僕は思うわけで』
「―うるさいです!」
『え、理不尽』
来賀朝霧はやれやれと組んだ腕を解いて長い袖をプラプラと振った。
捻子は鍵をもたつきながら掛けると飛び出した。一人暮らし(朝霧は別として)の家にしては少々大きすぎる家。腕時計を見ながらなんとか間に合うだろうかと思案しつつ、今日の日程を考えた。
『そういえば今日って、ずっと不登校だったクラスメートが登校してくる日じゃなかった?』
焦り走る捻子とは打って変わってとても涼しい表情で朝霧は呟く。まあ彼は高校に行くと言っても授業を受けるためではないのだから当然といえば当然なのだが。その言葉に捻子は付け加えた。
「不登校、って…なんでも家庭の事情で始業式とか今日までに間に合わなかっただけでしょう」
『家庭の事情ねぇ…』
それっきり適当に出した話題は終了したらしい。朝霧はふっと姿を消した。捻子はそれに構うことなく――いつものことだ―――走る。門が見えてくると同時に時計があと3分を指していて本当にギリギリだと顔を顰めた。
――と。
『ん?』
「朝?」
視界の隅で朝霧が髪を揺らした。いつもと様子がおかしい、それに気づいて時間も危ないというのに捻子は足を止めた。朝霧は袖の下から細い指をのぞかせて――示す。
『血、の臭い』
「っ?!」
突然の言葉に絶句する。まさか、ありえない。確かにこの大学にも≪力≫を通して些細な争い事が起こることもある。けれどそれは稀なケースだ。それこそ、先週のあの自殺騒ぎ…のように。朝霧が感づく程の血の量となると、それは大したものだろう。迷わず捻子は方向転換をした。時間はないが、気付いてしまったことを見過ごせない。
『…でも、この匂い……血と……』
「こっち、ですか?!」
呟く朝霧を置いて捻子は駆け込んで、
―あ、と息を呑んだ。
―血。夥しい程の量の液体と、そしてその水溜りの中心には少年が居た。
酷く傷を負っている。少年の近くには彼の血のせいなのか、元は白や黒の色だっただろう傘が変色して落ちていた。
「だ……大丈夫、ですか!」
見るからに大丈夫ではなさそうだったが、たまらず言葉が発せられる。傍に近寄るとパシャッ、と血が跳ねた。朝霧は目を細める。
酷い怪我をしていて、見るからに助からないだろうその姿。それなのに。
「息は…」
「………ハッ」
息を、している。
かすかな声。生きている。
「………あぁ?」
低い声が鼓膜を叩いた。少年が血の気を失わせた顔を上げ、2つ色違いの瞳で捻子を見る。それから――
―――おや、と朝霧は含み笑みを浮かべた。
朝霧を、見た。
「いってぇ……」
言いながら、彼は桜の木にもたれ掛りながら立ち上がろうとした。が、すぐにバランスを崩しそうになってしまう。そこでせわしなく動いていた手が傘の柄を見つけると握りしめ、先を地面に刺して支えに変えた。
「大丈夫ですか…」
2度目の言葉は呆れだ。この状態で動こうとする、いや動けるとは、なんという生命力。
「血が足りねぇ……」
ぐちぐちと言いながら少年は頭に手を当てた。
「あの…君は」
「人を、探している。」
少年はふらつきながらも傘を肩に乗せた。それにしても今日は晴天だ。どうして傘を持っているのだろう。いや血だまりの中で倒れていたことから既にどうして、なのだが。
「人…?」
「『捻子』っていうやつなんだけど」
――キョトン。
言いにくそうに、捻子は口を開いた。
「……あの。俺、でしょうか」
「………は?」
2人の間を何とも言えない風が吹き込む。
その様子を見ながら、一人朝霧は首を傾げた。
この匂い。血と混じってもう一つ。
『…こいつ、違うねぇ……』
漂うのは、自分と同じような≪力≫の匂い。
そうして、にっこりと笑った。




