10.一緒にいたい、こっち来い
どのくらい、ベンチでぼーっとしていただろう。
言うほど酔ってないけど、酔い覚ましをして一人で考えを整理したかったのに。
ぐるぐる、もやもやしてるだけ。
突然、ポケットのスマホが震えた。
『おい、いつまでほっつき歩いてんだよ。早く帰ってこい』
清和くん。
刺々しい。
「ごめん、でもほんと、気にしないでいいから」
『気にするわ、気になって寝付けね―だろうがよ』
「え……なんで……?」
行方不明の子どもじゃあるまいし。
大の男が襲われなんかしねーっての。
『そっちまで行くから、そこ動くなよ』
電話が切れた。
えええ。
来るの。
意外だった。
清和くん、おれなんか関係なしに作業して寝てそうだったのに。
ていうか……
明日も仕事なのに、こんな夜中に来させてまじごめん……
余計なことしてしまった。
さらに落ち込んだ。
「ほれ」
首筋にひやっとしたものを当てられたと思ったら、清和くんが水のボトルをくっつけていた。
「飲め。酔っ払いかよ」
「酔ってない……」
清和くんがどかっとおれの横に腰を下ろす間、もらった水を口にする。
「……ごめん。おれめんどいよな」
「誰がそんな話してるよ」
おれの行動がいろいろめんどいと思うのに。
明日も仕事なのにとか、こんな夜中にとか、罪悪感しか来ない。
ていうか、おれがさっさと帰って清和くんに眠ってもらうほうがいいのに。
おれの足腰は、このベンチに固定されたみたいに動いてくれない。
「今日何かあったのか?」
「いや……そういうわけじゃ」
「ライブで気に障ったこととか」
「なんで。そんなわけない」
「なに?俺何かした?俺あんま気づかないタイプ」
「違うけど。気づかない自覚あるんだ?」
でも、おれの様子気にしてくれてるじゃん。
やっぱりやることがスマートなんだよ、根本的に。
「俺は、自分の居心地を一番に考えてるからさ。
おまえが合わせてくれてるんだって思ってるよ。居候だから気も遣ってるんだろうけど」
「……そうかな。
そりゃ気を遣ってないなんてことはないけど、でも……おれ割と自然体で生活してると思ってるんだけど……」
「へえ。じゃ、俺ら生活の相性いいのかもな」
「かも」
じわりと、嬉しさが胸の奥をあたたかくする。
清和くん、自分が一番とか言いながら、おれが気を遣ってるってことをちゃんと認識してくれてる、それがありがたいんだ。
「……あのさ」
おれに清和くんへの取次のDMが来たことを話して、謝った。
清和くんは一言、ふーんと言っただけ。
おれが何を思ってそんなことをやったのか、自分でもうまく整理がつかなくて。
どう思われただろう。おれのこと。
「……っ、ごめん、ほんと、清和くんみたいにうまく立ち回れないし、割り切りも下手だし、悩んじゃうし……ほんとおれ……」
「まあアレだ。
次からさ、ギャラ10万って返しといて」
「えっ」
「俺そんな安くねぇんだわ。
曲把握するだけで労力かかるっつぅの。当日の演奏だけがギャラじゃねぇ。
て、まあ、まずそんだけ出すやついねぇだろ。体のいい断り文句」
「それでも頼まれたら……?」
「事前リハ1回付きで、10万なら出てもいい。
だからそれなら学生セミプロとか頼んだ方がコスパいいって。
そもそもDM元がプレイヤーとも限らないし。音楽とかイベント関連の業者だったりさ。下手したら逆にマージン取ろうとする」
「一応数年インディーズ業界にはいるけどそうなんだ……まあおれスカウトみたいなDMもらったことなかったしな……」
「とにかくさ、まともに相手しなくていいってこと。
ガチでプロの仕事欲しいなら、今日みたいな、直の知り合いに根回しするから。スカウトとかいらないんだよ。
おまえも業者からDM来たりするようになるから、気をつけろよ」
「はい……」
そうなんだ。
あまりに相手にしてなくて、拍子抜けした。
悩んだ時間は何だったんだ。
さすが、プロの友達もいるし、業界のことはずっとよく知ってる。
「でもさ。
なんか……なんだろ」
「何」
「……ごめん、嫉妬、しちゃう。
いや、おれが嫉妬する資格なんてないけど!
でも、おれとかチャンスを狙いたい層にとっては、スカウトとかやっぱ憧れるんよ。
それをあっさり蹴っちゃうとか。
チャンスを逃す余裕があるところが、なんかめっちゃ悔しいっていうか……」
「だから、そもそもチャンスとは限らねぇから、用心するって話だよ。
チャンスの顔してな。憧れはまあ、分かるけど。
伊達に音楽業界の端っこに引っかかってんじゃねぇんだよ。しかもおまえより商業色強いところにいるだろうしな」
ああ、もう。
立ち位置が違うや。
おれがどんだけ小さいとこで悩んでるのか、よく分かった。
業界の端っこなんていうけれど、
清和くんの積み上げてきた経験値は、ずっと大きかった。
この人は、かっこいい。
でも、知れば知るほど、この人はおれから遠いところにいるのを思い知らされる――どれだけ走っても追いつけない虹みたいに。
(おれは、元のところで大人しくしといたほうがいいのかも)
既にできることが増えたというボーナスをもらっている。
本当はこれから恩返しができていったらいいのに。
でもそんな域に到達できるのは、きっと果てしなく先で。
それまでこんな感情たちを抱えているのは――つらい。
(音楽だけじゃない……
清和くんのさっぱりした考え方も、そこから来る要領のいい生き方も、全部)
おれには何一つできなくて。
羨ましい。こんな風に上手に生きたい。
そしたら、誰かから必要とされて――
(は?)
今、誰のことを思い浮かべたんだろう。
必要とされて?
なんで、そんなことをおれは欲してるんだ。
そんなに酔ってなかったはずなのに、自分の思考が分からなくなってくる。
憧れと、尊敬と、好きな気持ちと。
嫉妬と、卑屈な気持ちと、羨望と。
相反する感情が次々湧き出てきて、ごちゃまぜになって、絡み合ってほどけなくて、苦しい。
「源吾」
清和くんの声が、脳内に甘く響くのは、おれが勝手に色つけてるだけ。
「帰るぞ」
清和くんが立ち上がるが、おれはまだ顔を上げられない。
「そんなに飲んだっけ?
肩貸してやるから」
清和くんが、腕を持ち上げる。
初めて触れたその肩は、思っていたより厚みがあって、力強くて。
「おまえ、体温たけーな」
火照っているのが伝わってしまった。
鼓動が早くなったのも気づかれそう。
回らない頭で、定まらない焦点で、清和くんの支えを頼りに歩きながら。
すぐ近くにある清和くんの顔に、
(キスしたい)
ああ、やばい。
感情が入り乱れて。
体の中で蠢いて。
(セックスしたい)
一時の感情に身を任せて、何もかも分からなくなりたい――
「おい、着いたぞ。大丈夫か」
部屋に入って、そのまま風呂場に誘導されていく。
「シャワー浴びてこい。そんで寝ろ」
清和くんの腕が離れるのが、急に心細くなって。
「一緒に入ろ……」
「はあ?何言ってんだ酔っ払い。自分で洗え」
「やだ、一緒にいたい」
「甘えんぼかよ。だったら先に風呂入れ」
あれ?
おれ、今何言った?
そしてなぜか清和くんにシャツを脱がされ、裸にされて風呂に放り込まれてる。
惰性でシャワーをしながら、何かが変だと思うんだけど。
(おれそんなに酔ってる?)
頭が全く働かない。
体と思考が切り離されたみたいな感覚で、体は勝手にシャンプーして体を洗って、風呂を終えてドライヤーをかけてる。
とにかく、寝よう。
朝になれば、きっと普通通りに……
いつもの癖で、リビングを通るときに要塞にいる清和くんの背中に目を向ける。
(あれ。いない)
さすがに遅いから、もう寝てるのか。
そう思って清和くんが寝てるはずのソファーは見なかった。
寝室に入って、ベッドのランプが点いてるなと思ったら。
(なんで!?)
清和くんがベッドで眠ってる。
なんでと思ったけど元々清和くんのベッドだった。
ということは、おれがソファーで寝ればいいのか。
おれが来てからベッドで寝てないし、ずっと独占しちゃって悪かったな。
そう思ってリビングに戻ろうとした。
「おい、どこいくんだよ」
背中に声がかかって、驚いて振り向く。
「……今日は、おれがソファーで……」
「なんだよ。一緒にいてーっていうから待っててやったのに。こっち来い」
え?
ん?
「いや、清和くん、もう早く寝たほうが」
「寝るよ。だからここ」
清和くんが、ベッドの半分を叩いて促す。
どうしよう。ちゃんとおれゲイだって言うべきかな。
「清和くん、おれさ――」
「体で払うっつったくらいなんだから、隣で寝るのくらいは別に無理じゃねんだろ。
なんだ、一緒にいたいんじゃないの」
「……いいの」
「何度も言わせんなよ」
あ、ちょっとデレたこの感じ。
おそるおそるベッドの端に座って、気持ち間を空けて横になる。
狭くて落ちそう。
てか、清和くんも、酔ってる?
「なんか、すっかりおまえの匂いになってるな、ベッド」
「えっ……ごめん、ちゃんとシーツ替えてるんだけど……」
「ちげーよ。俺がいいって言ったんだから。
別に違和感じゃなくてさ。
結構落ち着くんだわ。やっぱ相性いいのかも」
うわ、そんな言い方されたら。
嬉しいし、期待しちゃうじゃん。
今の弱ってるおれには、きっと効きすぎる。
「おれも、清和くんの匂い、すき」
頭がふわふわして、何か口走ってしまった。
「それ、デオドラントの匂いじゃね」
「ソファーでうたた寝してるときに、清和くんの匂いがする」
「昼寝してんの。いいけど」
「兼業主夫は大変なんですー」
「そうか。そうだよな」
居心地が、いい。
渦巻いてた感情たちが、ゆっくりほどけて、溶けていくよう。
今は清和くんがすごく近くにいて、つらさが緩んで。
(この人といたい)
清和くんの方に寝返りをうって、ちょうど目の前の肩に顔を寄せる。
清和くんの手が、おれの肩に触れて。
抱き寄せられてる。
おれも、自然と腕を彼の背に回していて。
(落ち着く)
エアコンの涼しい風が当たるのに、清和くんの体温を感じるのがちょうどいい。
「おまえ、かわいいな」
清和くんの声が、耳をくすぐってきて。
一度落ち着いた感情が、今度は別の熱を孕んで、体の奥に生まれてくる。
「源吾」
甘い声に目を開けると。
清和くんの顔が、間近にあって。
(このまま――)
重ねるだけの、静かなキス。
顔を離しておれを見つめる目は、ベッドの柔い光を吸い込んで、美しい。
(もっと、してほしい)
清和くんの頬に、そっと指を持っていくと。
清和くんが体を起こして、おれは仰向けになる。
おれが引き寄せたのか、清和くんが近づいてくれたのか。
再び唇が重なって、少しずつ、深くなっていく。
「……ふ……」
「……んっ……」
(やばい、こんな気持ちいいキス)
初めてで。
夢中になって、もっと、と求めに行ってしまう。
清和くんの首に、腕を巻き付けて。
清和くんも、おれの顔をがっちりホールドしていて。
彼もゲイなのか考える間もなく、思考は溶けて、本能に頭が侵されていく。
とろけきった顔を清和くんの前に晒してしまっているけど、もう恥ずかしく思う理性も残ってない。
「源吾……わりぃ。
うち道具何もないんだわ。
さすがに今から買いに行けねぇし、抜いてやるから、埋め合わせは後日な」
上に跨った清和くんに、翻弄されるがまま。
彼が満足そうにおれを見下ろすのを、ただうっとりと見つめていた。




