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卯月 ―高二 遥―

 四月の終わり、体育館の床がまだ冷たかったころのことを、遥はよく覚えている。


 その日、男子の練習は早めに終わっていた。女子のコートで居残りのスパイク練習をしていると、ネットの向こう、体育館の隅に、男子の部員が集まっているのが見えた。最初は、笑い声が聞こえていた。それが、ふいに途切れた。


 何を話しているのかは分からなかった。しばらくして、三年の男子たちが、笑いながら部室のほうへ歩いていった。


 あとに、ひとりだけ立っていた。


 拓人だった。


 練習着のまま、しばらくその場から動かなかった。それから、ボールにも、残っている部員にも目を向けずに、ひとりで出口に向かって歩いていった。残った部員は、誰もそちらを見ていなかった。見ないようにしているようにも見えた。


 翌日の帰りのHRのあと、担任が「拓人、体育準備室まで来い」と言った。担任は男子バレー部の顧問だった。


 拓人は、短く「はい」とだけ返して、教室を出ていった。いつもと変わらない顔に見えた。だから余計に、前の日に見た背中が、頭から離れなかった。


 それから、拓人はバレー部に来なくなった。


 一年生のころから知っていた。


 同じ体育館の、ネットを一枚隔てた向こう側。休憩のたびに、なんとなく目がいく男子がいた。誰よりも早く来てネットを張り、誰よりも遅くまでボール拾いをしていた。レシーブがやたらうまくて、先輩のスパイクを、先輩が打つよりきれいな軌道で上げてみせた。それでも試合では、いつもベンチにいた。ベンチから出す声は、コートの誰よりも大きかった。


 一年の秋の新人戦で、一年生の分だけ弁当が届かなかったことがある。男女の一年みんなで、コンビニに走った。会計のあと、男子はみんな、両手にひとつずつ袋を提げていた。ひとりだけ三つ持っていたのが、あの男子だった。おかげで、女子は誰も持たずに済んだ。そのことに気づいたのは、たぶん、遥だけだった。会場の床に輪になって食べたときも、あの男子はあぐらをかいて、誰よりもおいしそうにおにぎりをほおばっていた。


 楽しそうにバレーをして、おいしそうにごはんを食べる人だな、と思っていた。それ以上のことは、考えないようにしていた。


 二年で同じクラスになって、初めて名前と顔がつながった。どうしたんだろう、もうやらないのかな、と思っていたら、友達から「先輩とケンカして、辞めさせられたらしいよ」と聞いた。ケンカの理由は、誰に聞いてもはっきりしなかった。部費のことで先輩に口答えしたとか、生意気だったとか、その程度のことらしかった。


 それは、おかしい、と思った。


 あんなに練習していた人が、そんなことで辞めさせられるのはおかしい。うまい人が試合に出られないのも、本当はずっとおかしいと思っていた。誰もかばわなかったのも、おかしい。顧問が、それを止めなかったのも。


 思っただけだった。誰にも言わなかったし、本人に声をかけることもしなかった。男子の部のことに口を出す立場でもない。それでも、その「おかしい」は、胸の奥に小さく刺さったまま、抜けなかった。

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