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君がいた奇跡  作者: あると


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17/22

第十七話


試合が終わり、歓声の余韻がまだ耳の奥に残っていた。

ロッカールームで、キャプテンが軽く肩を叩く。

「比呂、神崎さんにお礼言っといてくれ。少し遅れたけど……勝利の女神のご利益で勝てたってさ」

冗談めかしたその言葉に、比呂は小さくうなずいた。

勝利の報告を真っ先に伝えたい相手は、ただ一人だった。

足早に病院へ向かい、迷いなく病室の前に立つ。

そして、扉を開けた瞬間——

胸の奥が、ざわりと揺れた。

そこにいるはずの姿が、ない。

壁際には車椅子が置かれ、スリッパもきちんと揃えられている。

いつものままの光景なのに、肝心の彼女だけがいなかった。

空気が急に冷えたように感じられ、比呂はその場に立ち尽くす。

時間が止まったかのように、指一本動かせなかった。

「……比呂くんじゃないか」

背後からの声に、ゆっくり振り返る。

そこには愛の父が立っていた。

疲れを隠しきれない表情で、それでも穏やかな笑みを浮かべている。

「お見舞いに来てくれたんだね。ありがとう」

比呂は言葉を返そうとしたが、喉が張りついたように声が出ない。

ようやく絞り出した。

「愛は……愛さんは、どうしたんですか」

父は一瞬だけ視線を落とし、静かに息をつく。

「愛は今、治療中なんだ。……少し、状態が悪くてね」

少しの間を置いて、続けた。

「いつ終わるかわからない。今日は……帰りなさい」

その穏やかな声が、かえって重く胸に沈んだ。

呆然と立ち尽くす比呂に、父がもう一度声をかける。

「比呂くん」

その一言で、張り詰めていた何かが切れた。

気づけば、比呂はふらつく足で病院を出ていた。

どうやって帰ったのか覚えていない。

我に返ったときには、自分のベッドに倒れ込んでいた。

視界が滲む。

遅れて、涙が次から次へと溢れてくる。

拳を握っても、叫んでも、何一つ変わらない。

愛を救う力が、自分にはない。

その事実だけが、残酷なほど鮮明に胸を締めつけていた。


愛が目を覚ましたとき、視界に広がっていたのは、見慣れすぎた白い天井だった。

ぼんやりと焦点を結ぶ。

鼻には呼吸器がつけられ、胸の奥では機械の規則的な音が淡々と響いている。

視線を横に向けると、母がいた。

肩を震わせ、声を殺して泣いている。

「……また、倒れたんだ」

かすれた声で呟いた瞬間、記憶が蘇る。

昨日の試合——そして、比呂の姿。

「お母さん……試合は? 比呂の試合、どうなったの?」

母は涙を拭いながら答えた。

「今日は……準決勝の日みたいよ」

愛の表情が強張る。

「テレビ……つけて」

リモコンが押され、画面に試合が映る。

すでに二回まで進んでいた。

だが——比呂の姿が、どこにもない。

マウンドにも、ベンチにも。

代わりに、海南の選手たちが必死に守っていた。

限界まで削られた体で、それでもゼロに抑えている。

「……なんでよ……」

震える手で携帯を掴み、比呂に電話をかける。

呼び出し音——

だが次の瞬間、それは病室の外から聞こえてきた。

近づいてくる足音。

「……なんで……?」

ドアが開く。

そこに立っていたのは、比呂だった。

母は静かに二人を見て、「……席を外すわね」と部屋を出ていく。

扉が閉まる。

愛は一瞬だけ驚きを見せたが、すぐにいつもの表情に戻った。

「……やあ」

比呂は何も答えず、下を向いたままベッドの横に座る。

沈黙。

やがて愛が口を開いた。

「……投げないんだね?」

答えはない。

「一緒に……甲子園に行こうって、約束したよね?」

比呂の肩がわずかに揺れる。

「……君が……いないんじゃ……意味がない」

絞り出された声だった。

愛の表情が崩れる。

「……君は自己中だ」

震える声。

「私に……生きる未練をくれたのに……

 君は足掻かないの?」

呼吸が乱れる。

「私は足掻くよ……」

涙を堪えながら、続けた。

「手術するの……

 君の決勝の、次の日に……」

比呂が顔を上げる。

その瞬間、テレビから歓声が上がった。

愛は画面を見る。

——失点。

必死に守っていた均衡が、崩れた。

「……投げてよ……」

声がかすれる。

「わたしを……甲子園に連れてってよ……!」

叫んだ瞬間、激しい咳が愛を襲った。

体が大きく揺れ、呼吸が乱れる。

それでも、愛は比呂の目を力強く見つめていた。

その姿を、比呂は見てゆっくりと拳を握った。

奥歯を噛みしめる。

そして、立ち上がった。

ドアに手を掛け一瞬止まる。

だが、何も言わず

振り返ることなく、球場に向かい病室を出た。

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