III 挑発と嘲笑
「いい加減に茶番はやめませんか? 国王陛下」
リコリスは泰然と微笑んだ。先ほどの言葉といい、あんまりな物言いにクロードとエレアノールは背筋が凍り、晩餐室に配備された衛兵たちが怒りの声を漏らす。
「小娘、我らの前で陛下を愚弄するか!」
特に国王の傍らで控えていた兵―――おそらくは近衛隊長だろうか、体格のいい将校が腰の剣に手をかける。―――より早く、クロードが立ち上がり、剣を抜きかける。
「控えなさい。ストラトス大尉」
「控えよ。彼女は私の客だ」
制したのは同時だった。何を、とクロードは反論しかけてリコリスの視線の先を見て押し黙る。
―――笑っている。
明らかな侮辱を受けたはずのカルロス王は、まるで孫を慈しむような、あるいは謎かけの答えを待つようなそんな笑顔を浮かべていた。
リコリスも笑みこそ浮かべているが、これは全く違うもの。彼女の笑みは当然ながら作り物で、おそらく全身に冷や汗をかいていることだろう。
近衛は剣を抜きこそはしなかったが剣に手をかけたままだ。クロードは目線でリコリスに問いかける。リコリスが横目でクロードを見て、小さく頷いたのを確認すると、クロードは一度抜きかけた剣を収める。そして近衛と同じように、剣の柄に手をかけたままリコリスの横に陣取る。
近衛とクロードが睨み合う。どちらかが動けば、すぐにもう一方は応戦し、この部屋で戦いが起きる。そしてそのまま、両国の戦争に発展するのだろう。
今回口火を切ったのはリコリスの方だ。あれほどの思いをしてここまで―――セドナを破って交渉の機会を得たのに、リコリス自らがその場をぶち壊す。クロードは自身の相棒の真意を測りかねた。
そんなクロードの恐れも知らぬまま、カルロス王は表面上だけは穏やかに、しかし言葉そのものに不快感を混ぜる。
「ほう。我が後継者は神子に殺されかけた。以前から民たちの鬱憤は溜まっている。開戦まで僅か、と言うこの緊迫した状況を貴殿は茶番だというのか?」
「ええ、その通りです陛下。緊迫した状況、ですって?
―――笑わせる。これはすべてあなたと我が主が仕組んだこと。だから茶番だと言ったのです。
全く、私と国民はまんまと踊らされたというわけですね」
まずい。いくら寛容な国王でも、ここまであからさまな侮辱は看過できないだろう。現に横に控える近衛の顔の色は赤を通り越して紫色になり始めている。
リコリスは席を立ち、一歩、国王の方に歩み寄る。近衛の剣先がそれにつられて動くが、誰も彼女に襲いかかろうとはしなかった。
それもそのはずだ、とクロードは思った。
だって彼女はあまりにも鮮烈すぎた。鮮やかな青いドレスに美しい装飾品の数々。青いドレスに映える白い肌と黒い髪。
長い睫毛を伏せる。そのたったひとつの動作さえ、この上なく美しいもののように感じられる。桜色の唇から発せられる声はどこまでも澄んだ少女のもの。だがその口調から幼さは感じられなかった。
その凜とした彼女の姿に、声に、きっとこの場にいる誰もが見惚れた。彼女の答えの行く末を、誰もが見たかったのだ。
きっと、カルロス王でさえも。
そんな周囲の空気を気付くこともなく、リコリスは重い息を吐き出しながら、その答えを口にする。
―――そもそも。
この戦争をけしかけた犯人は誰なのか。何故ティターニアを敵に回し、サマランカに付いたのか。この事件で明確に立ち位置を変えたのは、ただひとつの組織のみ。
「カルロス王、ティターニアとサマランカの目的は最初から同じだったのです。
神と聖女の下僕を名乗っておきながら、人の権利を踏みにじる者たち。神の名の下に政治にまで巣食い始めている者たちを、我々は排除する必要がある。あなたは彼らを邪魔に思っていたはず。
―――であれば、わざわざ彼らが自滅してくれそうなチャンスを逃すわけが無い」
神と聖女の下僕。神の名の下に。
それらの言葉が指し示すのはたった一つしかあり得ない。誰かの息を飲む音がする。それが自分のものであったか分からない。自分のものかもしれないし、隣のエレアノールかもしれない。あるいはその場にいる全ての人間のものかもしれない。
「そう。あなたはこの事件が私という教会にとって邪魔な神子を消すために、教会が仕組んだ茶番であることにも気付いていた」
こつ、こつ、とヒールの音を立てて、リコリスはカルロス王に―――そして側で抜刀している近衛の間合いに入る。
「気付いていながら茶番に付き合った。そして賭けたのです。―――私がその真意に気付き、共に教会を排除するための大義名分を得ることが出来るのか」
リコリスは微笑んだ。
その微笑みはこの場にある意味最も相応しくなかった。震える剣先を喉元に突きつけられ、彼女の言葉が見当違いであれば間違いなく彼女は無事では済まない。
なのに、彼女は微笑んだ。
見知った顔を見つけたから、というにはあまりにも獰猛な、不敵な笑みを浮かべた。
「あなたの顔は忘れるはずもない。あの騒動の後、解体された騎士団の者はどこに消えたのかしらと思っていたわ。
―――元ティターニア教会、騎士団長殿?」
微笑んだ彼女に正体を明かされ、近衛の剣先が震え始める。リコリスは微笑んだままだったが―――その笑みがどこか嘲るような表情になったことに、クロードは気付いた。
「人を斬る覚悟もなく、剣を抜かないことね騎士団長。
まあ教会騎士団は永らく戦に参加しない、いわばお飾り組織だったものだから仕方がないのだけれど。ご実家の鎧はさぞかし美しいことでしょうね」
騎士の家では魔術的、信仰的な加護を受けた宝石や意匠を取り入れた鎧が受け継がれる。戦に出る勇猛な騎士の家系はそれだけ傷つき、改良に改良を重ねる。積み重ねた時代、その神秘によって魔術的は上がっていくが―――それすらないのだろう、とリコリスは辛辣に言い放った。
「………貴様……!」
いよいよ彼は我慢が限界に達したようだった。あるいは、彼女の敵意を受けて正気に戻ったか。
そんな彼の様子を見てもリコリスは慌てるどころか口の端を吊り上げて嘲笑しただけだった。リコリスは目線を未だに座ったままの国王に移す。
「斬りたいならば斬ればいいわ、臆病者。ただし、あなたとあなたを送り込んだ者を捕らえてからです。
陛下、答え合わせとしましょう。
あなたはすべてを知っていながら敢えて教会の策略に乗った。
無実の罪を着せられた神子、宣戦布告されたティターニア、教会に利用されたと気付いたサマランカとして、共に教会を排除する。その大義名分を得るために。
……違いますか? カルロス王」