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おっさんの処世術は異世界でも有効だった。  作者: 畑酪 砂竹
おっさんの仕事術
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9/32

おっさんの給料問題

翌朝。


 俺は古代遺跡の管理室で、重大な問題に直面していた。


 封印維持率、六十一パーセント。


 施設の稼働率、九パーセント。


 管理者権限、レベル三。


 そして――。


「給与、ゼロか……」


『正確には、給与制度が未登録です』


「言い方を変えても、ゼロはゼロだろうが!」


 管理端末は、相変わらず淡々としていた。


 昨日、俺たちは魔王の心臓を狙っていた謎の人物を捕らえた。封印の異常も食い止めた。赤いドラゴンの拘束具についても、少しずつ調査が進んでいる。


 普通なら、ここで一段落だろう。


 しかし、現実は違った。


 問題を一つ解決すると、今まで見えていなかった問題が三つほど顔を出す。


 前の職場でもそうだった。


 機械を直せば、今度は部品が足りない。部品を注文すれば、予算がない。予算を申請すれば、書類に不備がある。


 そして、書類を直している間に別の機械が壊れる。


 どうやら夢の中でも例外ではないらしい。


「ゴトーさん、朝食を持ってきました」


 ミレイが皿を持って入ってきた。なんだかんだ慣れてきて名前で呼んでくれるようになった。


 パンとスープ、それに見慣れない果物が二つ。


「おお、ありがとう。助かるよ」


「でも、食料庫にあったものは、これでほとんど最後です」


「……何だって?」


 俺はパンを持ったまま固まった。


「施設の備蓄は三日分と聞いていましたが、実際に食べられるものは、今日の分でほぼ尽きます。保存食の多くは、魔力を通さないと調理できないみたいで」


「待て待て。設備の電力が足りないのに、食料の調理にも魔力が必要なのか?」


「はい」


「なるほど」


 俺はゆっくりとうなずいた。


 なるほど、ではない。


 完全に詰みかけている。


 封印を維持するには電力がいる。設備を動かすにも電力がいる。食料を調理するにも魔力がいる。


 このままでは、世界を救う前に腹が減って倒れる。


 俺はスープを一口飲んだ。


 温かい。


 ありがたい。


 だが、食料が尽きるという事実は変わらない。


「よし。今日の最優先事項を決めよう」


 俺は机に紙を広げた。


「一つ、食料の確保。二つ、施設の動力源の確保。三つ、封印の安定化。四つ、給与制度の復旧」


「給与制度は四番目なんですね」


「食べなきゃ働けないからな。だが、忘れたわけじゃない」


 ミレイは少し笑った。


 俺は紙に大きく書いた。


 『生活基盤の確保なくして、長期的な管理運営なし』


 立派な標語に見えるが、要するに飯が食いたいのである。


     ◇


 午前九時。


 俺たちは管理室に関係者を集めた。


 ミレイ、レオン、セシリア、ガルド。そして黒いドラゴン。


 黒いドラゴンは会議用の椅子に座れないので、部屋の隅に伏せてもらっている。


 椅子が壊れるからではない。


 そもそも、ドラゴンに合う椅子がないのだ。


「まず、昨日の事件について確認する」


 俺は記録を開いた。


「地下区画で封印の補助回路に過負荷が発生した。原因は外部からの魔力供給。俺たちが補助回路を遮断し、主動力系統を再配分したことで、封印維持率は六十一パーセントまで回復した」


 セシリアがうなずいた。


「その通りです。監察局でも、今回の異常を正式な調査案件として扱います」


「次に、赤いドラゴンの拘束具だ。解除方法の調査は?」


「まだ結論は出ていません。ただ、拘束具の魔力波形と、昨日の地下区画で使われていた魔力には共通点があります」


「つまり、同じ組織が関係している可能性がある?」


「可能性はあります。しかし、断定するには証拠が足りません」


「よし。記録には、可能性として残しておこう」


 レオンが腕を組んだ。


「君は本当に、何でも記録するんだな」


「後で忘れるからな」


「それだけか?」


「それが一番大きい」


 俺は真顔で答えた。


 人間の記憶は、思っている以上にあてにならない。


 昨日の夕飯すら思い出せないことがあるのに、命がけの事件の細かい経緯を全部覚えていられるわけがない。


 記録は、未来の自分への引き継ぎ資料なのだ。


「さて、ここからが本題だ」


 俺は食料庫の在庫一覧を表示した。


「食料が足りない」


 会議室が静まり返った。


 レオンが眉をひそめる。


「封印の危機より、食料の話を先にするのか?」


「食料がなければ、調査する人間が動けなくなる。動けなければ封印も守れない。だから、食料の確保は封印管理の一部だ」


 セシリアが、感心したようにうなずいた。


「確かに、その通りです。監察局でも長期調査では補給計画を立てます」


「そういうことだ」


 俺は胸を張った。


 誰だって、腹が減れば集中力が落ちる。


 これは英雄でも魔術師でも同じだろう。


「まず、外部との連絡手段を確保したい。ギルドに連絡して、食料と修理部品を調達する。報酬についても交渉する」


「ギルドですか?」


 ミレイが首を傾げた。


「この遺跡は王国の管理対象になるはずです。ギルドがどこまで協力してくれるかは……」


「だから、相談するんだ。できるかどうかは、聞いてみなきゃわからない」


 俺は管理端末に向き直った。


「施設さん。外部通信の機能は使えるか?」


『外部通信機能を確認。現在、通信出力は制限されています』


「原因は?」


『動力不足です』


「また動力か……」


『短文通信であれば、一回につき出力の一部を使用することで送信可能です』


「よし。ギルドに救援要請を送ろう」


 俺はミレイに文面の作成を頼んだ。


 送る内容は簡潔にする。


 古代遺跡を発見したこと。


 施設の封印に異常が発生していること。


 現地で調査と応急措置を行っていること。


 食料、設備修理用の資材、専門家の派遣を求めること。


 そして、協力者に対する報酬の取り決めが必要であること。


 最後の一文は、俺が追加した。


 ミレイは苦笑したが、削除はしなかった。


『通信文を送信します。送信完了』


「よし。これで返事を待とう」


 俺は椅子に座った。


 ところが、管理端末がすぐに音を鳴らした。


『受信通信あり』


「早いな!」


『送信元、冒険者ギルド。本文を表示します』


 空中に文字が浮かんだ。


『救援要請を確認しました。現地の責任者を確認したいので、登録者名と受注番号を提示してください』


 俺は目を閉じた。


「……受注番号?」


 ミレイが気まずそうに言った。


「ゴトーさん。薬草採取の依頼を受けたときの番号なら、記録にあると思います」


「そうか。じゃあ、それを送ろう」


 俺は端末に入力した。


 数秒後、返事が来た。


『登録情報を確認しました。依頼者は薬草採取の完了報告を提出していません。まずは受注済みの依頼を完了させてください』


「そこかよ!」


 俺は思わず立ち上がった。


 そうだった。


 俺は森で薬草を集めている途中に、ミレイと出会い、黒いドラゴンに遭遇し、古代遺跡へ来たのだった。


 薬草の納品をしていない。


 当然、報酬も受け取っていない。


 ギルドの記録では、俺はただの依頼放置者である。


 世界の封印を守っているのに、冒険者ギルドでは未完了の薬草採取依頼を抱えたままなのだ。


「……ミレイ」


「はい」


「薬草のかごは、どこにある?」


「入口の保管室です。採取した薬草は、まだほとんど傷んでいないと思います」


 俺は深く息を吐いた。


「よし。まず薬草を納品する」


 レオンが、信じられないものを見るような顔をした。


「君は、今からギルドへ行くつもりか?」


「いや、通信で納品報告をする方法がないか確認する。実物が必要なら、運搬方法を考える」


「封印の管理は?」


「同時進行だ。誰かが管理室に残る必要がある」


 俺は紙に新しい予定を書き加えた。


 緊急対応。


 ギルドへの報告。


 食料の調達。


 設備の修理。


 給与規定の確認。


 予定が増える一方だ。


 だが、仕事を一つずつ整理すれば、何をすべきかは見えてくる。


 少なくとも、頭の中で全部を抱えて混乱するよりはましだ。


     ◇


 昼過ぎ。


 薬草の納品方法について、ギルドから返事が来た。


『採取品の確認が必要なため、現物の提出を推奨します。特例として、現地確認担当者の派遣を申請できます』


「最初からそう言ってくれればいいのに」


 俺は文句を言いながら、派遣を申請した。


 すると、今度は別の通知が届いた。


『緊急調査への協力に関する報酬申請を受け付けます。業務内容、危険度、必要経費、作業時間を提出してください』


「おっ!」


 俺は身を乗り出した。


 ようやく、話が通じる相手が出てきた。


「ミレイ、作業記録をまとめてくれ。俺たちが何をしたか、どのくらい時間を使ったか、必要な物資は何か。全部だ」


「はい!」


「セシリアさん、監察局としても、今回の調査に必要な費用を算定してくれませんか?」


「わかりました。正式な報告書にまとめます」


「レオンさんは、監察局からの支援が可能か確認を。食料と修理部品が必要だ」


「了解した」


 それぞれが動き始めた。


 俺は少しだけ安心した。


 仕事というのは、目の前の作業だけを見ていても進まない。


 何に時間がかかっているのか。


 何が足りないのか。


 誰の判断が必要なのか。


 そこを整理して初めて、協力を求めることができる。


 そして、協力を求めるなら、相手が判断できる材料を用意しなければならない。


 ただ「困っています。助けてください」だけでは、相手も動きにくいのだ。


 俺が書類をまとめていると、管理端末がまた鳴った。


『新規通知。管理者報酬制度に関する旧記録を発見しました』


「何だって?」


 俺は椅子から身を乗り出した。


「報酬制度が残っていたのか?」


『はい。旧管理規程の一部が復元可能です』


「すぐに表示してくれ!」


『復元しました。旧管理規程、第十二条』


 画面に古代文字と、その翻訳が表示された。


『管理者は、施設の保全、封印の維持、資源の管理、および外部協力者との調整を行う。その対価として、施設運営に必要な資源と管理者報酬を受け取る権利を有する』


 俺は拳を握った。


「あるじゃないか!」


 さらに続きを読む。


『管理者報酬は、施設の稼働状況および管理実績に応じて算定する』


「よし。これなら交渉できる」


『ただし、管理者報酬の支給には、王国管理局による承認が必要です』


 俺の拳が、ゆっくりと下がった。


「……王国管理局?」


『はい。旧管理規程に基づき、所定の申請書を提出してください』


「その申請書は、どこにある?」


『現在、所在不明です』


「だろうと思ったよ!」


 ミレイが、とうとう声を上げて笑った。


 俺は苦笑した。


 まあ、いい。


 少なくとも、報酬を受け取る権利があることはわかった。


 あとは、制度を復旧させればいい。


 ……簡単に言ってくれる。


     ◇


 夕方。


 外部からの通信が入った。


 ギルドからだった。


『薬草採取依頼について、現地確認担当者の派遣が決定しました。また、緊急調査への協力報酬については、王国管理局との協議を開始します』


「よし!」


 俺は思わず声を上げた。


 すぐに大金が手に入るわけではない。


 食料も、修理部品も、まだ届いていない。


 だが、少なくとも話は前へ進んだ。


 レオンが腕を組み、感心したように言った。


「君は、戦闘より交渉のほうが得意なのではないか?」


「戦闘が得意な人間は、そもそもこんなことを考えなくていいんだよ」


 俺は肩をすくめた。


「戦って勝てるなら、それも一つの方法だ。でも、戦ったあとに設備が壊れたり、仲間が傷ついたり、必要な資源がなくなったりしたら、別の問題が発生する」


「だから、戦わずに済む方法を探すのか」


「できるならな。もちろん、誰かの命が危ないときは別だ。逃げることも、助けを呼ぶことも、必要なら戦うこともある。ただ、最初から戦うしかないと思い込む必要はない」


 黒いドラゴンが、俺の言葉に同意するように喉を鳴らした。


 窓の外では、森の向こうに夕日が沈みかけていた。


 この世界に来てから、まだ大して時間は経っていない。


 それなのに、俺の仕事は増え続けている。


 古代遺跡の管理。


 魔王の心臓の封印。


 ドラゴンの拘束具の調査。


 冒険者ギルドとの交渉。


 そして、給与制度の復旧。


 どう考えても、一人で抱える仕事量ではない。


 だからこそ、少しずつ仲間を増やし、仕組みを整えていく必要があるのだろう。


 俺は管理端末に向かって言った。


「施設さん。今日の作業記録を保存しておいてくれ」


『了解しました』


「それから、明日の予定を表示してくれ」


『明日の予定を表示します』


 画面に、予定がずらりと並んだ。


 一、封印の定期点検。


 二、動力設備の調査。


 三、ギルド担当者との面談。


 四、食料の調達計画。


 五、管理者報酬の申請書類の作成。


 六、赤いドラゴンの拘束具に関する調査。


 七、古代遺跡の管理者権限の再評価。


「……七件か」


 俺は額に手を当てた。


「明日の俺、頑張れよ」


 ミレイが笑いながら、温かいお茶を置いてくれた。


「ゴトーさん。明日も一緒に頑張りましょう」


「ああ。よろしく頼む」


 俺はお茶を飲んだ。


 温かい。


 こういう時間があるだけでも、少し救われる。


 世界を救うために必要なのは、必ずしも勇者の剣や伝説の魔法だけではない。


 食料、設備、記録、相談できる仲間。


 そして、働いた分の報酬。


 地味だが、どれも欠かせないものだ。


 俺は窓の外を見た。


 森の奥で、赤い光が一瞬だけ輝いた。


 赤いドラゴンの首輪と、同じ色だった。


 管理端末が、静かに告げる。


『新規魔力反応を検出。施設外部、北東方向。反応は一秒で消失しました』


「……今のは何だ?」


『現在、特定できません』


 俺はお茶を置いた。


 どうやら、明日の予定には八番目が追加されそうだ。


 だが、今日はもう遅い。


 原因不明の現象を夜中まで追いかけて、疲れた頭で判断を誤るのは避けたい。


「記録だけ残しておいてくれ。明日の朝、改めて調べる」


『了解しました』


 俺は立ち上がった。


 寝る前に、食料庫の残りを確認しておこう。


 管理者の仕事は、まだまだ終わりそうにない。


おっさんの処世術

生活基盤を軽視しない。 食料や休息が不足すれば、どんな優秀な人間でも判断力が落ちる。

助けを求めるときは、必要なものを具体的に伝える。 人数、物資、費用、期限がわかれば、相手も動きやすい。

仕事の実績は記録しておく。 やったことを説明できなければ、報酬や評価につながりにくい。

制度がないなら、制度を整える。 ただし、自分だけで勝手に決めず、関係者と合意を取る。

夜中に重大な判断をしない。 緊急性がなければ、記録を残して休み、頭が働く時間に考える。


 明日も仕事だ。


 魔王の心臓を守りながら、食料を確保し、報酬を交渉する。


 勇者の冒険とは、ずいぶん違う。


 だが、俺にはこのやり方が合っている気がした。

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