おっさんの給料問題
翌朝。
俺は古代遺跡の管理室で、重大な問題に直面していた。
封印維持率、六十一パーセント。
施設の稼働率、九パーセント。
管理者権限、レベル三。
そして――。
「給与、ゼロか……」
『正確には、給与制度が未登録です』
「言い方を変えても、ゼロはゼロだろうが!」
管理端末は、相変わらず淡々としていた。
昨日、俺たちは魔王の心臓を狙っていた謎の人物を捕らえた。封印の異常も食い止めた。赤いドラゴンの拘束具についても、少しずつ調査が進んでいる。
普通なら、ここで一段落だろう。
しかし、現実は違った。
問題を一つ解決すると、今まで見えていなかった問題が三つほど顔を出す。
前の職場でもそうだった。
機械を直せば、今度は部品が足りない。部品を注文すれば、予算がない。予算を申請すれば、書類に不備がある。
そして、書類を直している間に別の機械が壊れる。
どうやら夢の中でも例外ではないらしい。
「ゴトーさん、朝食を持ってきました」
ミレイが皿を持って入ってきた。なんだかんだ慣れてきて名前で呼んでくれるようになった。
パンとスープ、それに見慣れない果物が二つ。
「おお、ありがとう。助かるよ」
「でも、食料庫にあったものは、これでほとんど最後です」
「……何だって?」
俺はパンを持ったまま固まった。
「施設の備蓄は三日分と聞いていましたが、実際に食べられるものは、今日の分でほぼ尽きます。保存食の多くは、魔力を通さないと調理できないみたいで」
「待て待て。設備の電力が足りないのに、食料の調理にも魔力が必要なのか?」
「はい」
「なるほど」
俺はゆっくりとうなずいた。
なるほど、ではない。
完全に詰みかけている。
封印を維持するには電力がいる。設備を動かすにも電力がいる。食料を調理するにも魔力がいる。
このままでは、世界を救う前に腹が減って倒れる。
俺はスープを一口飲んだ。
温かい。
ありがたい。
だが、食料が尽きるという事実は変わらない。
「よし。今日の最優先事項を決めよう」
俺は机に紙を広げた。
「一つ、食料の確保。二つ、施設の動力源の確保。三つ、封印の安定化。四つ、給与制度の復旧」
「給与制度は四番目なんですね」
「食べなきゃ働けないからな。だが、忘れたわけじゃない」
ミレイは少し笑った。
俺は紙に大きく書いた。
『生活基盤の確保なくして、長期的な管理運営なし』
立派な標語に見えるが、要するに飯が食いたいのである。
◇
午前九時。
俺たちは管理室に関係者を集めた。
ミレイ、レオン、セシリア、ガルド。そして黒いドラゴン。
黒いドラゴンは会議用の椅子に座れないので、部屋の隅に伏せてもらっている。
椅子が壊れるからではない。
そもそも、ドラゴンに合う椅子がないのだ。
「まず、昨日の事件について確認する」
俺は記録を開いた。
「地下区画で封印の補助回路に過負荷が発生した。原因は外部からの魔力供給。俺たちが補助回路を遮断し、主動力系統を再配分したことで、封印維持率は六十一パーセントまで回復した」
セシリアがうなずいた。
「その通りです。監察局でも、今回の異常を正式な調査案件として扱います」
「次に、赤いドラゴンの拘束具だ。解除方法の調査は?」
「まだ結論は出ていません。ただ、拘束具の魔力波形と、昨日の地下区画で使われていた魔力には共通点があります」
「つまり、同じ組織が関係している可能性がある?」
「可能性はあります。しかし、断定するには証拠が足りません」
「よし。記録には、可能性として残しておこう」
レオンが腕を組んだ。
「君は本当に、何でも記録するんだな」
「後で忘れるからな」
「それだけか?」
「それが一番大きい」
俺は真顔で答えた。
人間の記憶は、思っている以上にあてにならない。
昨日の夕飯すら思い出せないことがあるのに、命がけの事件の細かい経緯を全部覚えていられるわけがない。
記録は、未来の自分への引き継ぎ資料なのだ。
「さて、ここからが本題だ」
俺は食料庫の在庫一覧を表示した。
「食料が足りない」
会議室が静まり返った。
レオンが眉をひそめる。
「封印の危機より、食料の話を先にするのか?」
「食料がなければ、調査する人間が動けなくなる。動けなければ封印も守れない。だから、食料の確保は封印管理の一部だ」
セシリアが、感心したようにうなずいた。
「確かに、その通りです。監察局でも長期調査では補給計画を立てます」
「そういうことだ」
俺は胸を張った。
誰だって、腹が減れば集中力が落ちる。
これは英雄でも魔術師でも同じだろう。
「まず、外部との連絡手段を確保したい。ギルドに連絡して、食料と修理部品を調達する。報酬についても交渉する」
「ギルドですか?」
ミレイが首を傾げた。
「この遺跡は王国の管理対象になるはずです。ギルドがどこまで協力してくれるかは……」
「だから、相談するんだ。できるかどうかは、聞いてみなきゃわからない」
俺は管理端末に向き直った。
「施設さん。外部通信の機能は使えるか?」
『外部通信機能を確認。現在、通信出力は制限されています』
「原因は?」
『動力不足です』
「また動力か……」
『短文通信であれば、一回につき出力の一部を使用することで送信可能です』
「よし。ギルドに救援要請を送ろう」
俺はミレイに文面の作成を頼んだ。
送る内容は簡潔にする。
古代遺跡を発見したこと。
施設の封印に異常が発生していること。
現地で調査と応急措置を行っていること。
食料、設備修理用の資材、専門家の派遣を求めること。
そして、協力者に対する報酬の取り決めが必要であること。
最後の一文は、俺が追加した。
ミレイは苦笑したが、削除はしなかった。
『通信文を送信します。送信完了』
「よし。これで返事を待とう」
俺は椅子に座った。
ところが、管理端末がすぐに音を鳴らした。
『受信通信あり』
「早いな!」
『送信元、冒険者ギルド。本文を表示します』
空中に文字が浮かんだ。
『救援要請を確認しました。現地の責任者を確認したいので、登録者名と受注番号を提示してください』
俺は目を閉じた。
「……受注番号?」
ミレイが気まずそうに言った。
「ゴトーさん。薬草採取の依頼を受けたときの番号なら、記録にあると思います」
「そうか。じゃあ、それを送ろう」
俺は端末に入力した。
数秒後、返事が来た。
『登録情報を確認しました。依頼者は薬草採取の完了報告を提出していません。まずは受注済みの依頼を完了させてください』
「そこかよ!」
俺は思わず立ち上がった。
そうだった。
俺は森で薬草を集めている途中に、ミレイと出会い、黒いドラゴンに遭遇し、古代遺跡へ来たのだった。
薬草の納品をしていない。
当然、報酬も受け取っていない。
ギルドの記録では、俺はただの依頼放置者である。
世界の封印を守っているのに、冒険者ギルドでは未完了の薬草採取依頼を抱えたままなのだ。
「……ミレイ」
「はい」
「薬草のかごは、どこにある?」
「入口の保管室です。採取した薬草は、まだほとんど傷んでいないと思います」
俺は深く息を吐いた。
「よし。まず薬草を納品する」
レオンが、信じられないものを見るような顔をした。
「君は、今からギルドへ行くつもりか?」
「いや、通信で納品報告をする方法がないか確認する。実物が必要なら、運搬方法を考える」
「封印の管理は?」
「同時進行だ。誰かが管理室に残る必要がある」
俺は紙に新しい予定を書き加えた。
緊急対応。
ギルドへの報告。
食料の調達。
設備の修理。
給与規定の確認。
予定が増える一方だ。
だが、仕事を一つずつ整理すれば、何をすべきかは見えてくる。
少なくとも、頭の中で全部を抱えて混乱するよりはましだ。
◇
昼過ぎ。
薬草の納品方法について、ギルドから返事が来た。
『採取品の確認が必要なため、現物の提出を推奨します。特例として、現地確認担当者の派遣を申請できます』
「最初からそう言ってくれればいいのに」
俺は文句を言いながら、派遣を申請した。
すると、今度は別の通知が届いた。
『緊急調査への協力に関する報酬申請を受け付けます。業務内容、危険度、必要経費、作業時間を提出してください』
「おっ!」
俺は身を乗り出した。
ようやく、話が通じる相手が出てきた。
「ミレイ、作業記録をまとめてくれ。俺たちが何をしたか、どのくらい時間を使ったか、必要な物資は何か。全部だ」
「はい!」
「セシリアさん、監察局としても、今回の調査に必要な費用を算定してくれませんか?」
「わかりました。正式な報告書にまとめます」
「レオンさんは、監察局からの支援が可能か確認を。食料と修理部品が必要だ」
「了解した」
それぞれが動き始めた。
俺は少しだけ安心した。
仕事というのは、目の前の作業だけを見ていても進まない。
何に時間がかかっているのか。
何が足りないのか。
誰の判断が必要なのか。
そこを整理して初めて、協力を求めることができる。
そして、協力を求めるなら、相手が判断できる材料を用意しなければならない。
ただ「困っています。助けてください」だけでは、相手も動きにくいのだ。
俺が書類をまとめていると、管理端末がまた鳴った。
『新規通知。管理者報酬制度に関する旧記録を発見しました』
「何だって?」
俺は椅子から身を乗り出した。
「報酬制度が残っていたのか?」
『はい。旧管理規程の一部が復元可能です』
「すぐに表示してくれ!」
『復元しました。旧管理規程、第十二条』
画面に古代文字と、その翻訳が表示された。
『管理者は、施設の保全、封印の維持、資源の管理、および外部協力者との調整を行う。その対価として、施設運営に必要な資源と管理者報酬を受け取る権利を有する』
俺は拳を握った。
「あるじゃないか!」
さらに続きを読む。
『管理者報酬は、施設の稼働状況および管理実績に応じて算定する』
「よし。これなら交渉できる」
『ただし、管理者報酬の支給には、王国管理局による承認が必要です』
俺の拳が、ゆっくりと下がった。
「……王国管理局?」
『はい。旧管理規程に基づき、所定の申請書を提出してください』
「その申請書は、どこにある?」
『現在、所在不明です』
「だろうと思ったよ!」
ミレイが、とうとう声を上げて笑った。
俺は苦笑した。
まあ、いい。
少なくとも、報酬を受け取る権利があることはわかった。
あとは、制度を復旧させればいい。
……簡単に言ってくれる。
◇
夕方。
外部からの通信が入った。
ギルドからだった。
『薬草採取依頼について、現地確認担当者の派遣が決定しました。また、緊急調査への協力報酬については、王国管理局との協議を開始します』
「よし!」
俺は思わず声を上げた。
すぐに大金が手に入るわけではない。
食料も、修理部品も、まだ届いていない。
だが、少なくとも話は前へ進んだ。
レオンが腕を組み、感心したように言った。
「君は、戦闘より交渉のほうが得意なのではないか?」
「戦闘が得意な人間は、そもそもこんなことを考えなくていいんだよ」
俺は肩をすくめた。
「戦って勝てるなら、それも一つの方法だ。でも、戦ったあとに設備が壊れたり、仲間が傷ついたり、必要な資源がなくなったりしたら、別の問題が発生する」
「だから、戦わずに済む方法を探すのか」
「できるならな。もちろん、誰かの命が危ないときは別だ。逃げることも、助けを呼ぶことも、必要なら戦うこともある。ただ、最初から戦うしかないと思い込む必要はない」
黒いドラゴンが、俺の言葉に同意するように喉を鳴らした。
窓の外では、森の向こうに夕日が沈みかけていた。
この世界に来てから、まだ大して時間は経っていない。
それなのに、俺の仕事は増え続けている。
古代遺跡の管理。
魔王の心臓の封印。
ドラゴンの拘束具の調査。
冒険者ギルドとの交渉。
そして、給与制度の復旧。
どう考えても、一人で抱える仕事量ではない。
だからこそ、少しずつ仲間を増やし、仕組みを整えていく必要があるのだろう。
俺は管理端末に向かって言った。
「施設さん。今日の作業記録を保存しておいてくれ」
『了解しました』
「それから、明日の予定を表示してくれ」
『明日の予定を表示します』
画面に、予定がずらりと並んだ。
一、封印の定期点検。
二、動力設備の調査。
三、ギルド担当者との面談。
四、食料の調達計画。
五、管理者報酬の申請書類の作成。
六、赤いドラゴンの拘束具に関する調査。
七、古代遺跡の管理者権限の再評価。
「……七件か」
俺は額に手を当てた。
「明日の俺、頑張れよ」
ミレイが笑いながら、温かいお茶を置いてくれた。
「ゴトーさん。明日も一緒に頑張りましょう」
「ああ。よろしく頼む」
俺はお茶を飲んだ。
温かい。
こういう時間があるだけでも、少し救われる。
世界を救うために必要なのは、必ずしも勇者の剣や伝説の魔法だけではない。
食料、設備、記録、相談できる仲間。
そして、働いた分の報酬。
地味だが、どれも欠かせないものだ。
俺は窓の外を見た。
森の奥で、赤い光が一瞬だけ輝いた。
赤いドラゴンの首輪と、同じ色だった。
管理端末が、静かに告げる。
『新規魔力反応を検出。施設外部、北東方向。反応は一秒で消失しました』
「……今のは何だ?」
『現在、特定できません』
俺はお茶を置いた。
どうやら、明日の予定には八番目が追加されそうだ。
だが、今日はもう遅い。
原因不明の現象を夜中まで追いかけて、疲れた頭で判断を誤るのは避けたい。
「記録だけ残しておいてくれ。明日の朝、改めて調べる」
『了解しました』
俺は立ち上がった。
寝る前に、食料庫の残りを確認しておこう。
管理者の仕事は、まだまだ終わりそうにない。
おっさんの処世術
生活基盤を軽視しない。 食料や休息が不足すれば、どんな優秀な人間でも判断力が落ちる。
助けを求めるときは、必要なものを具体的に伝える。 人数、物資、費用、期限がわかれば、相手も動きやすい。
仕事の実績は記録しておく。 やったことを説明できなければ、報酬や評価につながりにくい。
制度がないなら、制度を整える。 ただし、自分だけで勝手に決めず、関係者と合意を取る。
夜中に重大な判断をしない。 緊急性がなければ、記録を残して休み、頭が働く時間に考える。
明日も仕事だ。
魔王の心臓を守りながら、食料を確保し、報酬を交渉する。
勇者の冒険とは、ずいぶん違う。
だが、俺にはこのやり方が合っている気がした。




