おっさんは予定が未定というわけにはいかない
翌朝。
俺は管理室の机に座り、昨日作成した予定表を眺めていた。
一、封印の定期点検。
二、動力設備の調査。
三、ギルド担当者との面談。
四、食料の調達計画。
五、管理者報酬の申請書類の作成。
六、赤いドラゴンの拘束具に関する調査。
七、管理者権限の再評価。
八、北東方向で確認された謎の魔力反応の調査。
「……誰だよ、こんな予定を立てたのは」
俺だった。
自分で作った予定表に文句を言っても仕方がない。
しかし、八件は多い。
会社員時代だって、朝の予定が八件もあれば、そのうち三件は翌日に回していた。全部を完璧にこなそうとすると、重要な仕事まで雑になるからだ。
俺は予定表の前に、紙を一枚置いた。
そして、三つの欄を作った。
今日中にやること。
今日できればやること。
今日やらなくてもいいこと。
こういう仕分けは大事だ。
仕事は、たくさん抱えている人間が偉いわけではない。必要な仕事を、必要な順番で片づける人間が頼りにされる。
……まあ、そういう人間が一番忙しくなることもあるのだが。
「ゴトーさん、朝食です」
ミレイがパンとスープを持ってきた。
「ありがとう。ところで、食料の残りは?」
「今日の夕方までは何とかなりそうです」
「よし。じゃあ、食料の確保を最優先にしよう」
「封印の点検は?」
「定期点検は予定どおり。ただし、異常が見つかったらそっちを優先する。緊急性のない調査は後回しだ」
ミレイは感心したようにうなずいた。
「ゴトーさんは、仕事の整理が上手ですね」
「いや。整理しないと、何から手をつけていいかわからなくなるだけだよ」
俺はスープを飲んだ。
温かい。
昨日より少しだけ安心できる朝だった。
だが、その安心は三分も続かなかった。
『警告。施設外部に大型魔力反応を検出』
「……はいはい。今度は何ですか」
『北門付近に、未登録の大型生物が接近しています』
ミレイが窓の外を見た。
「ゴトーさん。あれ……」
森の向こうから、赤い巨体が歩いてくる。
赤いドラゴンだ。
昨日まで首輪に拘束されていた、あのドラゴン。
ただし、今日は一人ではなかった。
ドラゴンの背中に、小さな荷車が載っている。
荷車には木箱が山積みになっていた。
「……あれは何だ?」
『荷物の内容は不明です』
「見ればわかるよ。知りたいのは中身だ」
俺は上着を羽織った。
「ミレイ、記録端末を持ってきてくれ。荷物の受け取り確認をする」
「受け取り確認?」
「そうだ。食料かもしれないし、危険物かもしれない。何も確認せずに受け取るわけにはいかないだろう」
俺は扉へ向かった。
異世界に来てから、ドラゴンを見ても驚かなくなりつつある。
それが良いことなのかどうかは、よくわからない。
◇
北門の前に着くと、赤いドラゴンは地面に伏せていた。
その首には、相変わらず黒い拘束具がついている。
しかし、昨日よりも魔力の光が弱い。
ドラゴンは俺を見ると、低く鳴いた。
『管理者。荷を持ってきた』
声が頭の中に響いた。
黒いドラゴンと同じく、直接話しかけてくるらしい。
「荷物を? 誰からだ?」
『森の集落からだ。お前たちが困っていると聞いた』
「森の集落?」
『薬草を採る者たちが暮らしている。お前が森で拾った薬草の匂いを覚えている者がいたらしい』
俺は、あのときのことを思い出した。
森で薬草を集め、怪我をしたミレイを助け、黒いドラゴンから逃げた。
いや、正確には、逃げる必要があったのかどうかも怪しいのだが。
「なるほど。わざわざ届けてくれたのか。ありがたいな」
『礼は集落の者たちに言え。私は運んできただけだ』
ずいぶんと律儀なドラゴンである。
俺は荷車を確認した。
木箱には、干し肉、乾燥した果物、穀物、それから薬草が入っていた。
別の箱には、金属部品や布、縄などもある。
「これは助かる。だが、代金はどうすればいい?」
『代金?』
「物をもらったら、対価を払うのが基本だろう。集落の人たちが善意で届けてくれたとしても、今後も支援を頼むなら、負担をかけっぱなしにはできない」
赤いドラゴンは、しばらく黙っていた。
『人間は、物を渡すときにも決まりがあるのか』
「ある場合もあるし、ない場合もある。贈り物なら礼をする。売買なら代金を払う。支援なら、相手が何を望んでいるのか聞く。大事なのは、相手の意思を確認することだ」
『……そうか』
俺は荷物を一つずつ確認し、内容を記録した。
数量、状態、受け取り時刻。
食品は傷んでいないか。部品は使えるものか。薬草は種類ごとに分けられているか。
赤いドラゴンは、その様子をじっと見ていた。
『お前は、戦いの準備をしているのではないのか』
「これも準備の一つだよ」
『荷物を数えることが?』
「必要なものが何個あるかわからなければ、何日持つかもわからない。使った量を記録しなければ、次に何を補充すべきかもわからない」
俺は最後の箱を開けた。
中には、紙の束と、小さな革袋が入っていた。
革袋には銀貨が入っている。
そして紙には、こう書かれていた。
『薬草採取の依頼を受けた旅人へ。森で採れた薬草の一部を、集落で買い取ります。もし古代遺跡に滞在しているなら、必要な物資について相談してください』
「……薬草の買い取り?」
俺はミレイを見た。
「これ、ギルドの依頼と関係があるのか?」
「集落の薬師が、ギルドに薬草を卸しているのかもしれません。ゴトーさんが採取した薬草も、品質がよければ買い取ってくれると思います」
俺は思わず笑った。
まさか、こんな形で話がつながるとは。
世界を救うために古代遺跡を管理していたはずなのに、気がつけば薬草の販売先まで見つかっている。
人生、どこで何が役に立つかわからないものだ。
◇
荷物を管理室へ運び終えると、俺たちはさっそく在庫を確認した。
食料は、これで数日分の余裕ができた。
設備の修理に使えそうな部品もある。
薬草はギルドへ納品できる可能性が高い。
そして、集落との連絡経路もできた。
「これで、ひとまず食料問題は解決ですね」
ミレイがほっとしたように言った。
「いや、解決というより、時間を稼げたというところだな」
「そうなんですか?」
「今回の荷物はありがたい。でも、これが毎回届く保証はない。集落の人たちにも生活がある。今後も必要な物資を確保する方法を考えないといけない」
俺は在庫表を作った。
現在の食料。
一日に消費する量。
設備の修理に必要な部品。
薬草を売った場合に得られる見込みの収入。
数字を並べていくと、少しずつ状況が見えてくる。
食料は節約すれば一週間ほど持つ。
動力設備の修理には、まだ部品が足りない。
薬草を売れば、当面の消耗品を買うくらいの金は確保できそうだ。
つまり、今すぐ破綻するわけではない。
ただし、余裕もない。
この状態を、俺は前の世界で何度も見てきた。
仕事は回っているように見えるが、どこか一つに問題が起きると、全体が止まる。
だからこそ、余裕を作っておく必要がある。
「ミレイ。今日から、食料と資材の在庫を毎日記録しよう」
「毎日ですか?」
「そう。使った分を記録して、残りを確認する。少なくなったら、なくなる前に補充を考える」
「わかりました」
「それから、森の集落には、荷物のお礼と、今後の取引について相談したいと伝えてくれ」
「取引、ですか?」
「薬草を買い取ってもらう代わりに、遺跡で余っている資材を提供できるかもしれない。もちろん、何が余っているのか確認してからだけどな」
ミレイは目を輝かせた。
「それなら、お互いに助かりますね!」
「そういうことだ。相手が困っていることと、こっちが提供できるものが一致すれば、長く続く関係を作れる」
俺は在庫表の最後に書き加えた。
『支援を受けるだけでなく、互いに利益のある関係を作る』
これも大事なことだ。
助けてもらうのは悪いことではない。
だが、助けてもらうことが当たり前になると、いつか関係が崩れる。
感謝を伝えること。
相手の負担を知ること。
できる範囲で返すこと。
それだけでも、ずいぶん違う。
◇
午後。
赤いドラゴンの拘束具を調査するため、セシリアが管理室にやってきた。
彼女は端末に表示された魔力波形を見て、険しい表情になった。
「やはり、昨日よりも拘束具の出力が下がっています」
「原因はわかったのか?」
「完全には。ただ、施設の封印補助回路が安定したことで、拘束具へ供給されていた魔力にも影響が出たようです」
「つまり、この遺跡と拘束具は、どこかでつながっている?」
「その可能性が高いです」
俺は腕を組んだ。
「なら、拘束具を外す前に、つながりを調べたほうがいいな」
「はい。無理に解除すれば、魔力が逆流する危険があります」
赤いドラゴンが低くうなった。
『いつまで待てばいい』
その声には、焦りがにじんでいた。
俺はドラゴンを見上げた。
「気持ちはわかる。だが、急いで外して、お前が傷ついたら意味がない。まずは安全に解除できる方法を見つける」
『お前は、いつも安全の話ばかりだな』
「仕事で失敗したとき、一番困るのは現場で動く人間だからな」
俺は首輪を見つめた。
「それに、危険を避けることと、何もしないことは違う。今は、解除に向けて調査を進めている。何もしていないわけじゃない」
ドラゴンはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりとうなずいた。
『わかった。待とう』
セシリアが感心したように言った。
「あなたは、ドラゴンとの交渉にも慣れているのですね」
「いや、全然。相手の言葉を聞いて、できることとできないことを説明しているだけだよ」
「それが難しいのです」
そう言われると、少し照れくさい。
だが、仕事でも同じだ。
相手が何を望んでいるのかを聞く。
こちらができることを伝える。
できないことは、できないと説明する。
曖昧な約束をして、あとで裏切るよりはずっといい。
◇
夕方、管理端末が新しい通知を表示した。
『北東方向の魔力反応について、追加情報を取得しました』
「おっ。昨日のやつか。今度は何がわかった?」
『反応は、森の集落に近い地点から発生していました』
ミレイが顔を上げた。
「森の集落?」
「まさか、集落に何かあったのか?」
『現在の情報では、危険の有無は判定できません』
俺はすぐに、赤いドラゴンを見た。
「お前は、集落からここまで来たんだよな。途中で何か変わったことはなかったか?」
『森の北東に、見慣れぬ光があった。だが、集落の者たちは気づいていないようだった』
「それは、いつのことだ?」
『今朝だ』
俺は記録を開いた。
北東方向の魔力反応。
赤いドラゴンが見た光。
そして、地下区画で封印に干渉していた仮面の人物。
今のところ、これらが直接つながっている証拠はない。
だが、無関係だと断定することもできない。
「よし。明日の朝、集落に確認しよう」
レオンが眉をひそめた。
「危険があるかもしれない場所へ行くのか?」
「だからこそ、いきなり乗り込むんじゃなくて、まず情報を集める。集落の人たちに話を聞いて、必要なら監察局にも協力を頼む」
「また調査か」
「そう。わからないことは、調べるしかない」
俺は予定表を更新した。
明日の予定。
一、封印の定期点検。
二、森の集落への連絡。
三、薬草の納品手続き。
四、拘束具の安全な解除方法の調査。
五、管理者報酬の申請書類。
六、北東方向の魔力反応について情報収集。
「……六件か。昨日より二件減ったな」
俺は満足しかけた。
その瞬間、管理端末が鳴った。
『新規通知。王国管理局より、管理者報酬に関する問い合わせが届いています』
「おっ、ようやく報酬の話か!」
画面を開く。
そこには、こう書かれていた。
『管理者報酬の申請にあたり、過去八百年間の施設管理記録を提出してください』
俺は画面を見つめた。
八百年。
俺がこの遺跡に来てから、まだ数日も経っていない。
過去八百年間の記録など、どうやって集めればいいのだろう。
「……ミレイ」
「はい?」
「この遺跡、八百年前の書類は残っていると思うか?」
ミレイは少し考えてから答えた。
「管理室の奥に、記録保管庫があったはずです。まだ中を確認していませんが……」
「よし。明日は記録保管庫も調べよう」
「報酬のために、ですか?」
「もちろんだ」
俺は真顔で答えた。
「世界を守る仕事も大切だが、働いた分の報酬を受け取るのも大切だからな」
窓の外では、赤いドラゴンが森の方を見つめていた。
その首輪は、夕日を受けてかすかに光っている。
まだ問題は山積みだ。
だが、食料は確保できた。
仲間との連携も進んでいる。
ギルドとの交渉も始まった。
少しずつではあるが、前に進んでいる。
俺は机の上の予定表をたたんだ。
「さて、今日はここまで。明日に備えて休もう」
ミレイがうなずく。
「はい。お疲れさまでした、ゴトーさん」
俺は立ち上がり、管理室の明かりを落とした。
異世界の夜は静かだった。
……と思ったら、廊下の奥から管理端末の声が響いた。
『補足。記録保管庫の入口は、管理者権限レベル四以上で開放されます』
俺は、その場で立ち止まった。
「……明日の予定、七件に戻ったな」
どうやら、昇格試験はまだ終わらないらしい。
おっさんの処世術
予定は重要度と緊急度で整理する。 全部を同じ優先順位にすると、本当に必要な仕事が後回しになる。
支援を受けたら、感謝と返礼を忘れない。 長く続く協力関係は、片方だけが負担する形では成り立たない。
危険な作業は、焦って進めない。 急ぐことと、無理をすることは違う。
できることと、できないことを明確に伝える。 曖昧な約束は、あとで大きなトラブルになりやすい。
報酬を求めることに遠慮はいらない。 仕事の価値を説明し、正当な対価を交渉するのも大切な仕事だ。
明日は記録保管庫の調査。
その前に、管理者権限レベル四への昇格試験が待っている。
俺は心の中でつぶやいた。
――せめて、試験に合格したら昼飯くらい豪華にしてくれ。




