おっさんの試験官も古いおっさんでした。
ちょっとずつは慣れてきた、かな??
翌朝。
俺は管理室の机に向かい、昨日の予定表を見つめていた。
一番上には、太い字でこう書いてある。
本日の最優先事項:管理者権限レベル四への昇格試験。
その下には、細かい字で仕事が並んでいた。
・食料の在庫確認
・赤竜の首輪の調査状況確認
・北東の魔力反応について集落へ問い合わせ
・冒険者ギルドへの薬草納品確認
・王国管理局への報酬申請書類の準備
・地下設備の点検
・できれば朝食
最後の項目が、どう考えても一番重要だった。
「ゴトーさん、試験の準備はできましたか?」
ミレイが記録端末を抱えて入ってきた。
「ああ。準備は万端だ」
「どんな試験なんでしょう?」
「知らん」
「万端とは?」
「知らないことを、知らないと認識している。これは管理職に必要な能力だ」
「それは……準備というより、開き直りでは?」
「社会人になって長いと、開き直りにも技術が必要なんだよ」
ミレイは呆れた顔をした。
そのとき、管理室の壁に埋め込まれた黒い球体が光った。
『管理者ゴトー。レベル四昇格評価を開始します』
来たか。
俺は背筋を伸ばした。
『評価項目。第一問。施設の主電源が停止し、封印維持率が低下。食料備蓄は残り二日。外部救援の到着は未確定。あなたは何を優先しますか』
俺は即答した。
「状況確認だ」
『具体的に』
「封印維持率の低下速度、主電源停止の原因、予備電源の残量、食料の正確な在庫、救援の到着見込みを確認する。そのうえで、人命と封印に関わる危険を最優先に対処する」
『食料はどうしますか』
「配給計画を作る。ただし、食料を節約するために点検作業員の体力を削るような真似はしない。作業効率が落ちれば、設備の復旧も遅れる」
『封印維持と食料確保の優先順位が衝突した場合は』
「どちらかを感覚で選ぶんじゃなく、放置した場合の被害と猶予時間を比較する。判断できない専門領域は専門家に確認する。判断した内容と理由は記録する」
球体が、ぽうっと明るくなった。
『回答を記録しました』
「よし。思ったより普通の管理職研修だな」
ミレイが小声で言った。
「ゴトーさん、今の質問、施設が実際に危険な状態になる想定でしたよね?」
「そうだな」
「普通の研修なら、そんな状況にならないようにするのが先では?」
「ミレイ。世の中にはな、研修で想定したトラブルが、研修の翌日に本当に起こる職場があるんだ」
俺は遠い目をした。
「しかも、そういう職場に限ってマニュアルが古い」
『第二問。施設管理者が不在となった場合、後任者への引き継ぎはどのように行いますか』
「作業手順、設備の状態、危険箇所、未解決の問題、関係者の連絡先、備蓄の残量を記録する。口頭だけで済ませない。引き継ぎを受けた側が理解したか、確認もする」
『引き継ぎ相手が未熟な場合は』
「できる作業とできない作業を区別する。危険な作業を無理に任せない。必要な教育をして、判断できる範囲を少しずつ広げる」
『あなた自身が未熟な場合は』
「詳しい人に聞く」
『管理者としての威厳は』
「威厳で冷却水は流れない」
沈黙。
ミレイが口元を押さえた。
「今の、記録されてますよ」
「困ったな。八百年後の管理者が読んだら、俺の評価が下がる」
『回答を記録しました』
どうやら、威厳についての追加質問はなかった。
少し安心した。
ところが、次の瞬間。
施設全体が低く唸った。
壁の表示板に、赤い文字が浮かび上がる。
『補助冷却系統、流量低下』
『封印維持率、六十一パーセントから五十八パーセントへ低下』
『原因、不明』
「……おい」
俺は球体を見た。
「これ、試験の一環か?」
『第三問。予測不能な設備異常が発生しました。昇格評価を継続します』
「いやいやいや。現場で実際にトラブルが起きてるなら、試験より復旧が先だろうが!」
『その判断を含め、評価を継続します』
「試験官の性格が悪い!」
俺は椅子を蹴る勢いで立ち上がった。
「ミレイ、記録端末を持ってこい。セシリアとレオンにも連絡。補助冷却系統の流量低下、前回の点検記録と比較するぞ」
「はい!」
「それから、誰も単独で地下へ行くな。原因が分からないうちは、勝手に弁を開けたり閉めたりするなよ」
ミレイは頷いて駆け出した。
俺は表示板を確認する。
冷却系統の異常。
嫌な記憶が蘇る。
以前、俺がこの施設に来たばかりの頃も、冷却経路に落ち葉や金属片が詰まっていた。あのときは掃除して流れを回復させたが、今回は流量が低下しているだけで、原因までは分からない。
同じ症状だからといって、同じ原因とは限らない。
現場仕事の基本だ。
「前に直したから今回も同じだろう」
そう考えて作業すると、だいたい余計な故障が増える。
地下設備区画へ向かうと、セシリアがすでに計測器を広げていた。レオンは通路の出入口を確認し、ガルドは大きな身体で機材を運んでいる。
「ゴトー、補助冷却系統の圧力が不安定だ。だが、配管の破損は今のところ確認できない」
セシリアが報告した。
「魔力の流れは?」
「通常より乱れている。封印側から逆流しているようにも見えるけれど、断定はできない」
「じゃあ、まず物理系統と魔力系統を分けて確認しよう。配管の圧力、流量、弁の位置。それから魔力の流れ。いっぺんにいじると、何が効いたのか分からなくなる」
「合理的ね」
「失敗したとき、原因を一つずつ潰せるからな」
俺たちは点検記録を並べた。
前回の異常では、冷却水の流量が落ちていた。今回は流量が落ちているだけでなく、配管の外側に薄い黒い筋が浮かんでいた。
「これ、前にもあったか?」
俺が尋ねると、セシリアは首を振った。
「私が確認した記録にはないわ」
「記録にないから、今まで一度もなかったとは限らない。古い記録も確認しよう」
「八百年分を?」
「全部とは言わん。まず同じ系統の点検記録からだ」
俺は配管に触れず、距離を取って黒い筋を観察した。
黒い筋は、配管の継ぎ目から伸びていた。
まるで、何かが内側から這い出そうとしているように見える。
「……これ、魔力の汚れじゃないな」
セシリアの表情が変わった。
「どうしてそう思うの?」
「配管の継ぎ目を境に広がっている。魔力の流れに沿っているというより、金属の表面を伝っているように見えるんだ」
「確かに……」
セシリアが計測器を近づける。
その瞬間、黒い筋がわずかに動いた。
「全員、下がれ!」
俺は叫んだ。
ガルドがセシリアの肩を引き、レオンが通路側へ誘導する。黒い筋は配管の継ぎ目に沿って伸び、弁の付け根でぴたりと止まった。
そして表示板に、新たな警告が浮かぶ。
『補助冷却系統、異常負荷を検知』
『外部からの接続反応あり』
外部からの接続。
俺は、拘束具をつけられた赤竜の姿を思い出した。
あの首輪と施設の封印には、何らかのつながりがある。だが、今の異常が首輪によるものだという証拠はない。
「セシリア。赤竜の首輪の調査記録と、この異常の波形を比較できるか?」
「できる。ただし、少し時間がかかるわ」
「頼む。レオン、赤竜の様子を確認してくれ。首輪に変化があっても、無理に外そうとするな。本人にも、今は何も触らないよう伝えてほしい」
「分かった」
俺は配管から距離を保ち、補助冷却系統の弁を確認した。
弁の位置は正常。
圧力計の数値も、極端な異常はない。
ならば、原因は配管の詰まりだけではなさそうだ。
「ゴトーさん、ここの記録に妙なものがあります」
ミレイが端末を差し出した。
「百二十七年前の点検記録です。この系統で、同じような黒い痕跡が見つかったと書かれています」
「原因は?」
「調査中、とだけ」
「その後は?」
「……次のページから、記録がありません」
「記録がない?」
「はい。設備番号も、担当者名も、報告書の続きもありません」
俺は端末を受け取った。
百二十七年前。
この施設が八百年も稼働しているなら、記録の欠落自体はあり得る。だが、異常の報告だけが残り、対応記録がまるごと消えているのは妙だった。
「これ、レベル四の記録保管庫に続きがあるかもしれないな」
「今は昇格試験中ですよね?」
「そうだな」
俺は黒い球体に向かって言った。
「試験官。異常の原因は未特定。安全を確保したうえで、専門家による調査を継続する。現時点では危険な操作を避け、設備の状態を記録する。昇格評価の回答としては、これでいいか?」
『回答を記録しました』
「それで、試験はどうなった?」
『管理者ゴトー。実地評価を継続します』
「まだ続くのかよ!」
ミレイが小さく笑った。
しかし、球体の光はすぐに落ち着き、次の表示が浮かび上がった。
『評価項目、最終問』
『管理者は、施設の安全を守るために、すべての記録を閲覧する必要がありますか』
俺は少し考えた。
「いや。必要な記録に、必要な権限でアクセスすればいい。権限がないからといって、勝手に突破するのは駄目だ。閲覧できない記録が業務上必要なら、正式な手続きを取る。緊急時なら、緊急権限の範囲と理由を記録して、あとから監査できるようにする」
『記録の中に、施設の管理者に不都合な事実が含まれていた場合は』
「隠さない」
俺は即答した。
「不都合な事実ほど、後で大きな問題になる。原因が誰にあるかを決める前に、何が起きたのかを確かめる。必要なら関係者に報告する。記録を改ざんしても、故障は直らんからな」
球体の光が、これまでより強くなった。
『回答を記録しました』
『管理者ゴトー。レベル四昇格評価を終了します』
一瞬、施設内が静まり返った。
そして――
『評価結果。合格』
「……よし!」
俺は思わず拳を握った。
「これで記録保管庫が開くんだな?」
『管理者権限レベル四を付与します。記録保管庫へのアクセス権を解放します』
壁の一部が低い音を立てて動いた。
その奥に現れたのは、古びた金属扉だった。
扉には、細かな文字でこう刻まれていた。
中央封印施設・歴代管理者記録保管庫。
ミレイが息を呑んだ。
「ついに、八百年分の記録が読めるんですね」
「そうだな。これで報酬申請に必要な書類も見つかるかもしれない」
俺は扉に手をかけた。
「できれば、給与規定と振込先だけで済ませたいところだが……」
扉が開く。
中には、壁一面の記録棚と、古い端末が並んでいた。
そして正面の端末には、管理者権限を認識した瞬間、ひとつの文書が表示された。
『歴代管理者引き継ぎ記録』
『最終更新:七百九十九年前』
『記録者:第八代管理者』
俺は画面を読み進めた。
最初は、設備の点検方法や、食料の備蓄量、魔力炉の整備履歴といった、ごく普通の管理記録だった。
ところが、最後の数行で指が止まった。
『補助冷却系統に、黒色の異常痕跡を確認』
『王国管理局へ報告済み』
『原因調査のため、封印監察局の担当者が来訪』
『以後、本件に関する記録の閲覧権限を制限するよう命令あり』
俺は画面から目を離した。
百二十七年前にも、同じような異常が起きていた。
そして、その記録は途中で途切れていた。
「ゴトーさん……」
ミレイが不安そうに言った。
「これ、どういうことなんでしょう?」
「まだ分からん」
俺は記録の複製を作り、閲覧日時と取得者を記録した。
「ただ、ひとつだけ分かった」
「何ですか?」
「この施設の問題は、俺たちが来る前から起きていたらしい」
そのとき、保管庫の奥で、小さな電子音が鳴った。
別の端末が自動的に起動する。
画面に表示されたのは、たった一行だった。
『第八代管理者から、現管理者への未送信メッセージがあります』
俺は眉をひそめた。
「未送信?」
画面の下に、選択肢が現れた。
『再生しますか?』
俺はミレイと顔を見合わせた。
それから、慎重に再生ボタンを押した。
雑音のあと、年老いた男の声が流れた。
『これを聞いている者がいるなら、私はもう、この施設にはいないだろう』
声は疲れていた。
だが、妙に落ち着いていた。
『管理者よ。もし補助冷却系統に黒い痕跡を見つけたなら、ひとつだけ覚えておいてほしい』
短い沈黙。
『それは、故障ではない。誰かが、この施設の内側に道を作ろうとしている』
俺は息を止めた。
『そして、その道は――』
音声が途切れた。
画面には、赤い文字が表示されていた。
『記録破損。続きは復元できません』
「……肝心なところで切れるなよ」
俺は思わずつぶやいた。
八百年前の管理者も、報告書の締め切りに追われていたのだろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
誰かが、この施設の内側に道を作ろうとしている。
それが何を意味するのか。
赤竜の首輪と関係があるのか。
仮面の侵入者とつながっているのか。
北東の森で確認された魔力反応も、同じ原因なのか。
今のところ、何ひとつ断定できない。
だからこそ、記録が必要だった。
俺は端末に新しい調査記録を作成した。
『補助冷却系統・黒色痕跡に関する調査』
『過去の類似事例あり』
『原因未確定』
『外部接続反応を検知』
『関連記録を保全し、専門家による調査を継続する』
入力を終えたところで、管理室から通信が入った。
『ゴトー、こちらレオンだ。赤竜の首輪に変化があった』
俺は通信機を取った。
「変化って、どういうことだ?」
『首輪の表面に、黒い筋が浮かび上がっている。セシリアが確認したところ、地下設備で見つかった痕跡と波形が似ているらしい』
俺は目を閉じた。
ようやく、別々だった問題がつながり始めたのかもしれない。
ただし、つながっていることと、原因が同じであることは別だ。
「分かった。首輪には触らず、変化を記録してくれ。セシリアには、地下の痕跡と比較した結果をまとめてもらおう」
『了解した』
通信を切る。
俺は記録保管庫の扉を振り返った。
八百年分の記録。
管理者の報酬規定。
過去の異常。
そして、誰かが残した警告。
本当なら、今日は報酬申請の書類を探すだけの予定だった。
それが、いつの間にか施設の歴史に埋もれた問題まで掘り起こしている。
「ゴトーさん、これからどうしますか?」
ミレイが尋ねた。
俺は手帳を開き、予定を書き直した。
一、冷却系統の安全確認。
二、赤竜の首輪の調査。
三、過去の異常記録の復元。
四、王国管理局への報告。
五、報酬申請。
「まずは一番と二番だ。危険があるなら、今の状態を安定させる。それから記録を調べる。王国管理局には、確認できた事実だけを報告する」
「報酬申請は?」
「忘れてないぞ」
俺は真剣な顔で言った。
「働いた分の報酬を請求するのは、施設の安全を守ることと矛盾しない。むしろ、管理者が食えなくなったら管理そのものが止まる」
ミレイは、今度は呆れずに頷いた。
「それも、大事な管理ですね」
「そういうことだ」
俺は端末を閉じた。
今日も仕事は山積みだ。
しかも、八百年前から持ち越された問題まで追加された。
異世界に来たら伝説の勇者になると思っていたわけではないが、まさか八百年分の未処理案件を引き継ぐとは思わなかった。
前任者よ。
引き継ぎ書は、もっと丁寧に書いてくれ。
せめて、未解決案件の一覧くらい残しておいてくれ。
俺は深くため息をつき、管理室へ戻った。
その日の昼食は、乾燥肉と豆のスープだった。
昇格試験に合格したのに、食事はいつも通り。
「……管理職って、割に合わないな」
そうつぶやいた直後、壁の端末が光った。
『管理者報酬申請に必要な書類を検出しました』
俺は椅子から跳ね起きた。
「よし! 仕事が報われる瞬間が来た!」
『ただし、支給額の確定には王国管理局による審査が必要です』
「そこは自動で計算してくれないのかよ!」
八百年前の管理者も、きっと同じことを言ったに違いない。
おっさんの処世術
一、前例があっても、今回の原因が同じとは限らない。
似た症状でも、決めつけずに現状を確認する。
二、分からないときは、分からないと記録する。
無理に結論を出すより、未確定の事実を整理するほうが役に立つ。
三、記録は未来の自分を助ける。
口頭の説明は忘れられるが、記録があれば経緯をたどれる。
四、権限は、勝手に突破するためではなく、責任を持って使うためにある。
必要な手続きを踏み、判断の理由を残す。
五、仕事を引き受けることと、無報酬で働くことは別問題。
責任感は大切だが、継続できる仕組みを作ることも大切だ。
そして最後に。
六、前任者の未処理案件は、見つけた瞬間に全部片づけようとしない。
まず危険度を確認する。優先順位をつける。期限を決める。
そうしないと、八百年分の仕事を抱えたまま、昼飯を食い損ねることになる。




