こんなとこでも給与で悩むとは…どの世界も同じなのね。
翌朝、俺は管理室の机で、ひとつの重大な問題と向き合っていた。
昨日、俺は管理者権限レベル四に昇格した。
八百年前の記録も見つけた。
施設の異常について、新たな手がかりも得た。
そして何より、管理者報酬の申請に必要な書類を発見した。
普通に考えれば、今日は記念すべき日である。
だが、俺の目の前にあるのは、王国管理局から届いた追加書類の一覧だった。
「……十二種類?」
俺は書類を数え直した。
「本人確認書類、管理者資格証明、業務実績一覧、設備保全記録、緊急対応報告書、協力者登録簿、物資受払記録、危険事象報告書、施設稼働率証明、報酬算定申告書、推薦状、そして――」
最後の一枚を持ち上げる。
「管理者としての適格性に関する所見?」
何だそれは。
俺は紙を裏返した。
何も書いていない。
表に戻す。
やっぱり何も書いていない。
「つまり、自分で自分を評価しろと?」
朝から胃が重い。
ミレイが隣から書類を覗き込んだ。
「管理者の仕事って、大変なんですね」
「いや、仕事そのものはいいんだ。設備を直す、記録をつける、人の安全を守る。それは分かる」
俺は十二枚の書類を机に並べた。
「だがな、同じ内容を別の書式に何度も書かされると、人間は自分が何のために働いているのか分からなくなる」
「では、まとめて書けばいいのでは?」
「ミレイ。君はまだ若いから知らないだろうが、役所というものは、同じ事実でも提出先によって別の名前を与えられることがある」
「それは必要なんですか?」
「俺にも分からん。ただ、提出期限はある」
俺は一枚目の書類に手を伸ばした。
そのとき、管理室の壁が光った。
『管理者報酬申請補助システムを起動します』
「おっ。そんな便利なものがあるのか」
『申請者の業務記録を参照し、必要書類を自動生成します』
「最初からそれを使わせてくれ!」
『ただし、過去八百年間の記録との照合が必要です』
俺の手が止まった。
「……何年分だって?」
『八百年間です』
「自動生成するのに、八百年分の記録を読ませるのか」
『はい』
「それ、今日中に終わるのか?」
『推定処理時間、三日と六時間』
俺は椅子の背にもたれた。
「よし。手書きにしよう」
「早くありませんか?」
「三日も待っていたら、報酬をもらう前に食料が尽きるかもしれん」
ミレイは真面目な顔で頷いた。
「では、記録を分担して確認しましょう。私は設備保全記録を調べます」
「助かる。俺は業務実績と物資の記録を整理する。セシリアには魔力関連の報告を頼もう」
「レオンさんとガルドさんは?」
「レオンには王国管理局との調整。ガルドには――」
俺は少し考えた。
「重いものを運ぶ仕事と、食料の在庫確認を頼もう」
「ガルドさん、見た目で仕事を決められていませんか?」
「違う。本人の得意分野を活かしているんだ」
「本人に聞きました?」
「……今から聞く」
管理者の仕事とは、こういう小さな反省の積み重ねである。
一、報酬算定の謎
昼前、レオンが管理室へ戻ってきた。
「王国管理局から回答があった。管理者報酬の算定には、通常の基本給に加えて、危険区域勤務手当、緊急対応手当、特殊設備管理手当が適用される可能性があるそうだ」
俺は顔を上げた。
「可能性?」
「正式な認定が必要らしい」
「その認定は誰がするんだ?」
「王国管理局だ」
「その王国管理局が、俺に八百年分の記録を出せと言っているんだよな?」
「そうだ」
「記録を調べるために、俺は設備を管理しなきゃいけない。設備を管理するには食料が必要で、食料を買うには報酬が必要だ。だが報酬をもらうには記録が必要で、その記録を調べるには時間が必要……」
俺は机に額をつけた。
「これが伝説の無限ループか」
レオンは腕を組んだ。
「だから、緊急支援金の申請も並行して進めている。報酬とは別枠で、施設の維持に必要な費用を請求できるはずだ」
「そういうことは早く言ってくれ」
「今、言っただろう」
「もっと早くだ」
「昨日の時点では制度の確認が取れていなかった」
「……それなら仕方ない」
俺は顔を上げた。
現場では、正確な情報が何より大切だ。
相手が正しいことを言っているなら、悔しくても認めるしかない。
「分かった。緊急支援金と管理者報酬は、別々に申請しよう。費用の二重請求にならないよう、物資と作業の記録も分けておく」
「助かる。こちらも王国管理局にその方針を伝える」
レオンは出ていこうとして、ふと足を止めた。
「そういえば、封印監察局からも連絡が来ている」
「今度は何だ?」
「地下の黒い痕跡について、過去の記録を確認したいそうだ」
「閲覧許可は?」
「申請中だ」
俺はゆっくり椅子に座り直した。
「……仕事が増えたな」
二、八百年前の管理者は、休暇を取っていたのか
午後、ミレイが記録端末を持って戻ってきた。
「ゴトーさん。少し気になることがありました」
「給与の計算方法が分かったのか?」
「それも分かりました。でも、もっと変なものを見つけたんです」
ミレイが画面を見せる。
そこには、八百年前の管理者の勤務記録が表示されていた。
『第一管理者、勤務終了』
『第二管理者、引き継ぎ完了』
『第三管理者、長期休暇申請』
『第四管理者、休暇中のため代理者が対応』
「……長期休暇?」
「はい。記録によると、歴代管理者は交代で休暇を取っていたようです」
俺は画面を凝視した。
この施設は八百年ものあいだ、封印を維持してきた。
その間、管理者は交代し、休みを取り、後任へ引き継いでいた。
つまり、管理者が一人で全てを背負い続ける仕組みではなかったのだ。
「ミレイ、代理管理者の記録は残っているか?」
「一部だけですが、あります。ただ……」
「ただ?」
「七百九十九年前を最後に、代理管理者の登録がなくなっています」
俺は黙った。
八百年前の記録にあった、第八代管理者の警告。
補助冷却系統の黒い痕跡。
王国管理局からの報告記録の閲覧制限。
そして、代理管理者の登録が途絶えた時期。
偶然の可能性はある。
だが、調べる価値は十分にあった。
「代理管理者制度がなくなった理由を探そう。まず、制度変更の記録と、最後に登録された代理管理者の名前を確認する」
ミレイは端末を操作した。
数秒後、画面に名前が表示された。
『第八代管理者補佐――エドガー・ヴァレン』
その下には、短い記録があった。
『最終出勤日:七百九十九年前、冬季第十二日』
『退職理由:記載なし』
『引き継ぎ:未完了』
「引き継ぎ未完了……」
俺は思わず繰り返した。
「普通、退職するなら引き継ぎをするだろう」
「何か事情があったのでしょうか」
「そうだな。事故か、病気か、別の部署への異動か……。今の段階では何も分からん」
俺は記録を保存した。
「でも、引き継ぎが未完了なら、何が残っているか調べる必要がある」
そのとき、管理室の通信機が鳴った。
『こちらセシリア。地下設備の調査結果が出たわ』
「どうだった?」
『黒い痕跡と、赤竜の首輪の魔力波形には共通点がある。ただし、完全に同じではない。首輪から出ている波形の一部が、施設の補助冷却系統に似た反応を示しているの』
「つまり、首輪が冷却系統を動かしている可能性がある?」
『可能性はある。でも、逆に施設側の魔力が首輪へ流れている可能性も否定できない』
俺は眉を寄せた。
「どちらが先なのか、分からないわけか」
『そう。今はどちらも切り離さないほうがいい』
「了解。調査を続けてくれ。危険な操作は避けて、変化があればすぐ記録を頼む」
通信を切ると、ミレイが心配そうに尋ねた。
「赤竜さんは大丈夫でしょうか」
「今のところはな。ただ、首輪と施設の間に何らかの関係があるなら、勝手に外すのは危険だ」
「早く自由にしてあげたいですね」
「そうだな」
俺は窓の外を見た。
赤竜は、もともと自分が守っていたものを取り戻すために、この施設へ来た。
首輪をつけられ、自由を奪われている。
それなのに、俺たちの調査が終わるまで待つと約束してくれた。
ならば、こちらも責任を果たす必要がある。
安全に外す方法を探す。
そのための記録を集める。
そして、赤竜をただの調査対象として扱わない。
本人の意思を聞きながら進める。
「ゴトーさん、何か決めましたか?」
「決めた」
俺は手帳を開いた。
「赤竜の首輪の調査について、本人にも分かる言葉で説明する。今分かっていること、分かっていないこと、危険なこと。全部だ」
ミレイが頷いた。
「そのほうが、赤竜さんも安心できますね」
「そうであってほしいな」
三、森の集落からの報告
夕方、森の集落から伝令がやってきた。
伝令は息を切らしながら、俺に一通の手紙を渡した。
『北東の森で確認された光について、集落の見張りも目撃しました。光は朝方に現れ、しばらくして消えました。光の周辺では、地面に黒い筋のような跡が残っています』
俺は手紙を読み直した。
黒い筋。
地下設備の配管に現れたものと同じとは限らない。
だが、確認する必要はある。
手紙には、さらにこう書かれていた。
『見張りが近づこうとしたところ、遠くから低い音が聞こえたため、危険を避けて戻りました。現場へはまだ誰も入っていません』
「……集落の人たちは、無理に調べなかったんだな」
ミレイが頷く。
「危険を感じて、引き返したんですね」
「それでいい。分からないものに不用意に近づかないのは正しい判断だ」
俺はすぐに返事を書いた。
現場へ入る前に、位置と周辺の状況を詳しく確認すること。
黒い筋には触れないこと。
調査に協力してもらう場合は、事前に危険性と役割を説明すること。
そして、集落の生活に影響が出るなら、物資の補充や見回りの支援をこちらも検討すること。
手紙を書き終えたとき、俺はふと気づいた。
これまでの俺は、施設を守ることばかり考えていた。
だが、施設の問題が周囲に影響するなら、森の集落も無関係ではない。
逆に、集落の人々が異変を教えてくれなければ、俺たちは問題を見逃していたかもしれない。
施設の安全は、壁の内側だけで完結するものではないのだ。
「ミレイ、明日は集落との情報交換を予定に入れてくれ」
「分かりました」
「ただし、地下設備の調査と記録保管庫の整理が優先だ。無理に全部を一日で片づけようとしない」
「ゴトーさん、少し管理者らしくなってきましたね」
「少し、か」
「少しです」
厳しい評価だった。
四、そして、給与明細が届いた
夜。
俺はようやく、管理者報酬申請に必要な書類をひととおり整理した。
業務記録はミレイが確認済み。
設備保全記録はセシリアが確認済み。
物資の受払記録は俺が作成し、レオンが王国管理局への提出方法を確認している。
あとは、管理者としての適格性に関する所見だけだ。
俺はしばらく考え、こう書いた。
『現管理者は、専門知識の不足を認識し、必要に応じて専門家の助言を求める。また、設備の安全性、関係者の協力、記録の保全を重視している。今後も継続的な学習と、適切な業務分担が必要である』
「……自分で自分を褒めるのは、なかなか難しいな」
ミレイが横から覗き込んだ。
「でも、正直な評価だと思います」
「そうか?」
「はい。ゴトーさん、分からないことを分からないと言いますし、危ないときは無理をしませんし、私たちの意見も聞いてくれます」
俺は少し照れくさくなった。
「まあ、年を取ると分かるんだ。何でも一人でできるふりをすると、あとで困るのは自分だからな」
そのとき、端末が短く鳴った。
『管理者報酬申請書類、一次審査を開始します』
俺は息を止めた。
数秒後。
『申請書類を受理しました』
『暫定支給額を算定します』
画面に数字が浮かび上がった。
俺は身を乗り出した。
「おお……!」
ミレイも画面を覗き込む。
『基本管理報酬:算定中』
『危険区域勤務手当:審査中』
『緊急対応手当:審査中』
『特殊設備管理手当:審査中』
『過去期間の遡及支給:記録不足により保留』
「最後の項目、なんだ?」
『過去期間の遡及支給:記録不足により保留』
「いや、そこを何とかしろよ!」
『正式な支給額は王国管理局の審査後に確定します』
俺は天井を仰いだ。
「結局、まだ金額は分からんのか……」
「でも、書類は受理されたんですよね?」
「そうだ。これは大きな前進だ」
俺は自分に言い聞かせた。
書類が受理された。
必要な記録が整理できた。
支給額の算定に進んだ。
少なくとも、何も進んでいないわけではない。
そのとき、端末にもう一つ通知が表示された。
『追加情報』
『過去期間の遡及支給に関する記録は、管理者権限レベル四の記録保管庫に存在する可能性があります』
俺はゆっくり画面を見た。
「……まだあるのかよ」
ミレイが苦笑した。
「八百年分ですからね」
「分かってる。分かってるんだが……」
俺は手帳を閉じた。
今日はもう、十分働いた。
明日は、黒い痕跡の調査、森の集落との情報交換、過去の管理者記録の整理。
それから、給与の遡及支給に関する資料探し。
やることは山積みだ。
しかし、以前と違って、今は一緒に動いてくれる仲間がいる。
専門家もいる。
物資を送ってくれる集落もある。
冒険者ギルドも、少しずつ協力してくれている。
一人で全部を抱える必要はない。
「ミレイ、今日はここまでにしよう」
「はい。お疲れさまでした」
俺は机の上を片づけ、最後に今日の記録を保存した。
そして、管理室を出る直前。
背後の端末が、また一度だけ光った。
『第八代管理者の未送信メッセージ、追加データを検出』
俺は足を止めた。
画面に表示されたのは、短い一文だった。
『もし、報酬の遡及支給に関する記録を見つけたなら、必ず支給対象者の一覧を確認せよ』
その下には、さらに小さな文字が続いていた。
『記録上、退職扱いとなった管理者の中に、実際には退職していない者が含まれている可能性がある』
俺は画面を見つめた。
退職していないのに、退職扱い。
七百九十九年前に引き継ぎを残さず姿を消した、管理者補佐エドガー・ヴァレン。
黒い痕跡。
封印監察局による記録の閲覧制限。
そして、支給対象者の一覧。
まだ何も断定できない。
だが、八百年前の記録には、単なる設備故障では片づけられない何かが残されている。
「……明日の仕事が、また増えたな」
俺は手帳を開き、予定の最後に書き足した。
『退職記録と報酬台帳の照合』
その横に、小さく付け加える。
『できれば昼食後』
おっさんの仕事は、明日も続く。
おっさんの処世術
一、仕事は一人で抱えず、得意分野に応じて分担する。
任せるときは、役割と責任の範囲をはっきりさせる。
二、分からないことは、確認できるまで断定しない。
似た症状や不自然な記録があっても、証拠がそろうまでは可能性として扱う。
三、協力してくれる相手には、情報と感謝を返す。
助けてもらうだけでなく、相手の安全や負担にも目を向ける。
四、報酬の話は、記録をそろえて冷静に進める。
働いた内容、かかった費用、必要な支援を整理すれば、交渉もしやすくなる。
五、昔から続いている制度でも、理由を確認する。
「ずっとこうだった」は、必ずしも「これからも正しい」という意味ではない。
六、未解決の問題は、見つけた順ではなく重要度で片づける。
目の前の謎が気になっても、安全に関わる仕事と期限のある仕事を忘れない。
そして、もう一つ。
七、仕事が終わっていなくても、休む時間は確保する。
疲れた頭で判断を続けるより、休んでから取り組んだほうが、結果的に早く終わることもある。




