800年前の幽霊社員
翌朝。
俺は管理室の机に座り、昨日見つけたメッセージを何度も読み返していた。
『記録上、退職扱いとなった管理者の中に、実際には退職していない者が含まれている可能性がある』
……嫌な予感しかしない。
異世界に来てまで、幽霊社員の問題を担当するとは思わなかった。
しかも、八百年前の話である。
普通の会社なら、書類の保存期間がどうこうという話になるだろう。
ここは違う。
書類が八百年間残っている。
そのうえ、本人がまだどこかで働いている可能性まである。
「ゴトーさん、朝食を持ってきました」
ミレイがパンとスープを置いた。
「ありがとう。ところでミレイ、八百年前に退職したはずの人が、実は退職していなかったとしたら、どう思う?」
「ええと……退職手続きに問題があったのでしょうか?」
「そう考えるのが普通だよな」
「その人が今も施設にいる可能性もあるんですか?」
「それは分からん。だが、昨日の記録には、退職扱いになった人が実際には退職していない可能性がある、と書かれていた」
俺はパンをかじった。
「つまり、まずは記録を確認する。本人がいると決めつけて探し回るのは、そのあとだ」
「分かりました。では、私は管理者補佐のエドガー・ヴァレンさんの記録を調べます」
「頼む。俺は給与台帳を確認する」
そう言って、俺は端末を操作した。
管理者権限レベル四。
昨日までなら開けなかった記録が、今は閲覧できる。
画面に表示されたのは、古びた一覧表だった。
歴代管理者の名前、勤務期間、退職日、支給済み報酬。
そして、その一番下に、見慣れない項目があった。
『未精算報酬・管理者補佐エドガー・ヴァレン』
支給額の欄には、数字ではなく、こう書かれていた。
『算定停止』
「算定停止?」
俺は眉をひそめた。
退職していない可能性がある。
報酬は算定停止。
引き継ぎは未完了。
どう考えても、何かが途中で止まっている。
だが、理由は書かれていなかった。
「おいおい。八百年前の経理担当は、どこまで仕事を残してくれたんだ」
俺は記録の詳細を開いた。
すると、画面に警告が表示された。
『当該記録には、管理者権限レベル五が必要な情報が含まれています』
俺はしばらく黙った。
「……レベル五?」
昨日、レベル四に合格したばかりだ。
この施設は、管理者をどこまで昇格させるつもりなのだろうか。
レベル五になれば、レベル六があるのか。
その先には、管理者マスターとか、施設長代理とか、最高責任者とか、そういう肩書きが待っているのか。
考えるだけで胃が痛い。
「ゴトーさん、こちらも妙です」
ミレイが画面を見せてきた。
「エドガーさんの退職記録ですが、退職理由が空欄になっています。ただし、退職処理を実行した担当者の欄には名前が残っています」
「誰だ?」
「第八代管理者です」
俺は椅子に座り直した。
第八代管理者。
黒い痕跡を記録し、封印監察局の来訪を記録し、未送信メッセージを残した人物。
その人が、エドガーの退職処理を行っていた。
「本人の意思で退職したのか、それとも別の理由があったのか……」
「まだ分かりませんね」
「ああ。だから、今は記録を集める」
俺は新しい調査項目を作成した。
『エドガー・ヴァレン退職処理に関する調査』
調査目的は、退職処理の経緯と、未精算報酬の理由を確認すること。
俺はそこまで入力し、保存した。
その直後だった。
管理室の照明が、一斉に消えた。
「えっ?」
ミレイが声を上げる。
次の瞬間、壁の黒い球体が青白く光り、室内に低い音が響いた。
『管理者ゴトー。施設内に未登録の管理者権限を検出しました』
俺は思わず立ち上がった。
「未登録の管理者権限?」
『検出位置、記録保管庫・地下第三区画』
地下第三区画。
昨日、黒い痕跡が見つかった補助冷却系統の、さらに奥にある場所だ。
「ミレイ、レオンとセシリアに連絡してくれ。俺たちは現場へ向かう。ただし、全員がそろうまで勝手に扉を開けない」
「はい!」
俺は装備を確認し、記録端末を持って管理室を出た。
まったく。
朝食を食べている間くらい、何事も起きないでほしいものだ。
一、地下第三区画
地下へ向かう通路では、レオンがすでに待っていた。
「ゴトー、状況は?」
「未登録の管理者権限が検出された。場所は地下第三区画。詳しいことは分からん」
「侵入者の可能性は?」
「否定できない。ただ、施設内部の権限が検出されたというだけで、侵入者だと断定はできない」
レオンは頷いた。
「分かった。まずは周囲の安全を確認する」
セシリアとガルドも合流し、俺たちは地下第三区画へ進んだ。
通路の壁には、古い管理番号が刻まれていた。
第三区画の扉の前に立つと、端末が自動的に起動した。
『管理者権限を確認します』
俺は自分の管理者証をかざした。
『管理者ゴトー。権限レベル四を確認』
続いて、扉の奥から別の音声が流れた。
『管理者補佐エドガー・ヴァレン。権限を確認』
全員が動きを止めた。
「……今、何と言った?」
レオンが低い声で尋ねる。
俺は端末を見つめた。
「エドガー・ヴァレンの権限を確認した、と言った」
セシリアが扉の表示を調べた。
「記録上の権限ではなく、現在有効な権限として認識されているわ」
「つまり、エドガーさんは今も管理者補佐として登録されているということですか?」
ミレイの声が震えた。
「少なくとも、施設のシステムはそう認識しているらしい」
俺は扉の前に立ち、声をかけた。
「エドガーさん。こちらは現管理者のゴトーです。中にいるなら、応答してほしい」
返事はなかった。
しばらく待っても、何も起こらない。
俺はセシリアに目を向けた。
「扉の向こうに生命反応は?」
「今、調べているわ。少し待って」
セシリアは計測器を操作した。
数秒後、彼女は首を横に振った。
「生命反応は確認できない。ただし、魔力反応はある。古い記録装置が動いている可能性もあるから、これだけでは判断できない」
「よし。では、扉を開ける前に、周囲の魔力反応と設備の状態を記録しよう」
レオンが俺を見た。
「慎重だな」
「慎重にやって、問題がなければそれでいい。急いで開けて何か壊したら、修理するのは俺たちだ」
「……確かに」
ガルドが扉の横を調べていた。
「ここに、小さなレバーがあるぞ」
「触らずに待ってくれ」
俺は表示を確認した。
レバーの横には、古い文字で注意書きが刻まれている。
『緊急時以外、手動解放を禁止する』
そして、その下には、さらに小さな文字があった。
『管理者補佐の承認が必要』
俺は顔をしかめた。
「管理者補佐の承認って……その管理者補佐本人が中にいるかもしれないんだぞ」
「本人がいなければ、どうするのですか?」
ミレイが尋ねる。
「手続きが定められているはずだ。定められていなければ、緊急時の規則を確認する」
「すぐに開けないんですね」
「開ける理由と、開けない理由を比べるんだ。今は危険の有無が分からない。だから、安全確認を先にする」
俺は端末に記録を残した。
そのとき、扉の向こうから小さな音がした。
カチッ。
まるで、古い機械が動いたような音だった。
そして、扉の表示が変わった。
『管理者補佐エドガー・ヴァレンより、現管理者への伝言があります』
俺たちは顔を見合わせた。
『伝言を再生しますか?』
「……再生してくれ」
俺が答えると、扉の上部から、かすれた声が流れた。
『現管理者へ。もし、この伝言を聞いているなら、施設の管理権限が再び正常に動き始めたということだろう』
声は、若い男のものだった。
『私はエドガー・ヴァレン。第八代管理者の補佐を務めていた者だ』
ミレイが息を呑んだ。
『まず、伝えておきたい。私は退職していない。退職したことにされたのだ』
レオンが険しい顔をした。
『第八代管理者は、施設の異常を調べていた。補助冷却系統に現れた黒い痕跡。そして、封印の内側へ伸びる不自然な魔力の流れ。それらを調べていくうちに、私たちは気づいた』
声が途切れ、雑音が入る。
『施設の記録が、誰かによって少しずつ書き換えられていた』
俺は思わず端末を握りしめた。
記録の書き換え。
退職処理。
閲覧権限の制限。
ばらばらだった事実が、一本の線でつながり始めていた。
だが、まだ証拠は足りない。
『第八代管理者は、記録を守るため、私をこの区画に残した。外部への接続を遮断し、調査結果を保存するためだ』
声は、少しずつ弱くなっていった。
『しかし、封鎖が完了する直前、管理者の権限が停止された。私の退職記録も、そのときに書き換えられたのだ』
「誰がやったんだ……」
俺は思わずつぶやいた。
すると、伝言が答えるように続いた。
『犯人の名前は、ここには残せない。記録を直接書き換える権限を持つ者だったからだ』
レオンが俺を見る。
「王国管理局か、封印監察局か……」
「まだ分からん」
俺は首を振った。
「権限を持つ者が複数いる可能性もある。今の段階で誰かを疑うのは早い」
伝言は続いた。
『もし現管理者がこの区画を開くことができたなら、記録保管庫の奥にある「原本台帳」を探してほしい。そこには、書き換えられる前の管理記録が保存されている』
そして、最後に。
『ただし、原本台帳を開くには、管理者権限レベル五が必要だ』
俺は天井を見上げた。
「……またレベル五か!」
ミレイが困ったように笑った。
「でも、今度は何を調べればいいか分かりましたね」
「そうだな」
俺は深呼吸した。
「まずは、この区画を安全に開ける方法を調べる。エドガーさんの記録が残っているなら、可能な限り保全する。それから、レベル五の権限について確認する」
セシリアが頷いた。
「私も協力するわ。魔力の痕跡を調べれば、封鎖がどのように行われたのか分かるかもしれない」
レオンも言った。
「封印監察局にも正式に照会する。ただし、今回の件は記録の改ざんが疑われている。証拠がそろうまでは、情報の扱いに注意しよう」
「賛成だ。調査記録は複製を作って、複数の場所に保管する。誰か一人の端末だけに置いておくのは危険だからな」
俺は新しい調査計画を作成した。
今度の仕事は、ただ設備を直すことではない。
八百年前の記録を守り、何が起きたのかを確かめることだ。
そして、もし本当に誰かが記録を書き換えていたのなら、その事実を明らかにする必要がある。
もちろん、無理はしない。
記録の改ざんを調べる前に、俺たちの仕事の記録まで改ざんされてはたまらない。
二、管理者の仕事は、謎解きだけではない
管理室へ戻ると、俺はまず今日の作業予定を組み直した。
一、地下第三区画の安全確認。
二、エドガーの伝言データの保全。
三、過去の退職記録と報酬台帳の照合。
四、黒い痕跡の調査。
五、王国管理局への緊急支援申請。
六、食料在庫の確認。
ミレイが一覧を見て言った。
「六番だけ、ずいぶん現実的ですね」
「食料がなければ、謎を解く前に全員が困るからな」
「確かに」
「それに、こういう大きな問題が出てきたときほど、普段の仕事を止めちゃいけない」
俺は食料の在庫表を開いた。
乾燥肉、豆、穀物、乾燥果物。
森の集落が送ってくれた物資のおかげで、当面の食料は確保できている。
ただし、調査に人手を取られれば、補修や点検が遅れる。
それに、外部からの支援はいつまでも続くわけではない。
「ミレイ、集落へのお礼と、今後の物資交換についても話を進めておこう。こちらから提供できる修理や設備の知識があるか、確認する」
「分かりました」
「それから、赤竜の首輪の調査状況も忘れずに。本人には、昨日の結果を説明しておきたい」
俺は予定表を見つめた。
謎が深まるほど、やることも増えていく。
しかし、問題を整理して一つずつ片づけていけば、少なくとも混乱は減らせる。
そう信じるしかない。
その日の午後、俺は赤竜のもとへ向かった。
赤竜は、施設の外で静かに待っていた。
俺の姿を見ると、金色の目をこちらへ向ける。
「首輪の調査はどうなった」
「施設の冷却系統に現れた黒い痕跡と、首輪の魔力波形には共通点が見つかった。ただし、どちらが原因なのかは分かっていない。今は安全のため、首輪を外す作業は保留している」
赤竜はしばらく黙っていた。
「つまり、まだ外せないのだな」
「そうだ。期待させるようなことは言いたくない。だが、調査は進んでいる。分かったことは、きちんと説明する」
赤竜は首輪を少しだけ動かした。
「……分かった。待とう」
「ありがとう。こちらも、できるだけ早く安全な方法を見つける」
俺が戻ろうとすると、赤竜が声をかけてきた。
「人間よ」
「何だ?」
「お前は、なぜそこまで記録にこだわる」
俺は少し考えた。
「記録がなければ、同じ失敗を繰り返すからだ。それに、何が起きたか分からなければ、誰を助けるべきかも分からない」
赤竜は金色の目を細めた。
「……なるほど」
「あと、報酬を請求するのにも必要だ」
赤竜は沈黙した。
それから、低い声で言った。
「人間というものは、複雑だな」
「いや、報酬の話はどこの世界でも大事だと思うぞ」
赤竜が小さく鼻を鳴らした。
笑ったのかもしれない。
少なくとも、怒ってはいなかった。
俺はその様子を記録しようとして、やめた。
さすがに、赤竜が笑ったかどうかまで業務記録に残す必要はない。
……いや、首輪の反応に変化があったなら、記録するべきか?
俺は少し悩んだ。
管理者の仕事は、思った以上に難しい。
三、夜の管理室
その夜。
俺は一日の記録をまとめ、保存を確認した。
地下第三区画で検出された管理者補佐の権限。
エドガーの未送信メッセージ。
過去の退職処理。
黒い痕跡との関連。
まだ何も解決していない。
だが、少なくとも調査すべき方向は見えてきた。
俺は端末を閉じ、椅子から立ち上がろうとした。
その瞬間、画面が再び光った。
『管理者権限レベル五への昇格条件を表示できます』
俺は動きを止めた。
「……条件を表示してくれ」
画面に、三つの項目が浮かび上がった。
『第一条件:施設管理記録の保全』
『第二条件:複数部門の協力体制の確立』
『第三条件:未解決の管理上の問題について、適切な調査計画を提出』
俺はゆっくりと読み返した。
一つ目は、今まさに進めている。
二つ目も、ミレイやセシリア、レオンたちと協力している。
三つ目は、エドガーの記録と黒い痕跡の調査計画を提出すればよさそうだ。
「……なるほど」
俺は手帳を開いた。
レベル五は、単に設備を動かすための権限ではない。
施設全体の管理体制を整えるための権限なのかもしれない。
一人で問題を解決するのではなく、記録を保全し、関係者と協力し、未解決の問題を計画的に調べる。
それが、この施設の求めている管理者なのだろう。
「ミレイ、明日の予定に追加だ」
「まだあるんですか?」
「レベル五の昇格条件を確認して、正式な調査計画を提出する」
「分かりました」
ミレイは少し笑ってから、こう言った。
「でも、ゴトーさん。今日はもう休んだほうがいいと思います」
俺は反論しようとした。
しかし、時計を見ると、もう夜遅かった。
「……そうだな。続きは明日だ」
俺は端末を閉じた。
仕事を明日に回す。
それは、怠けることではない。
疲れた頭で無理に進めるより、休んでから取り組んだほうがいい。
俺は管理室の明かりを落とし、廊下へ出た。
その背後で、誰も触れていない端末が静かに起動した。
画面には、エドガー・ヴァレンの記録が表示されている。
そして、記録の最下部に、新しい一文が追加された。
『現管理者ゴトーを確認』
数秒後。
『原本台帳へのアクセス準備を開始』
さらに、その下に小さな文字が浮かび上がった。
『ただし、現管理者には未開示の記録が存在する』
画面は、音もなく暗くなった。
俺はもちろん、そのことを知らない。
明日の仕事がまた増えたことも、まだ知らない。
ただ一つ確かなのは――
俺の給与明細は、まだ届いていないということだった。
おっさんの処世術
一、記録に矛盾があったら、まず事実を照合する。
一つの書類だけで判断せず、関連する記録を並べて確認する。
二、疑いと証拠を混同しない。
不自然な点があっても、調査が終わるまでは誰かを犯人と決めつけない。
三、重要な記録は、複数の場所に保管する。
一か所だけに保存していると、紛失や改ざんの影響を受けやすい。
四、相手には、分かっていることと分からないことを両方伝える。
曖昧な希望を持たせるより、現状を正直に説明したほうが信頼につながる。
五、大きな問題が起きても、日常の仕事を止めない。
食料、点検、報告、休息。基本を維持することが、長期戦では大切になる。
六、昇進とは、偉くなることより責任の範囲が広がること。
権限が増えたら、記録・協力体制・判断の手順も整える。
そして最後に。
七、仕事を明日に回す判断も、立派な仕事の一部である。
ただし、期限と引き継ぎを記録してから休むこと。
これを忘れると、八百年後の誰かにまで迷惑をかけることになる。




