↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おっさんの処世術は異世界でも有効だった。  作者: 畑酪 砂竹
おっさんの仕事術
PR
6/32

おっさんのお仕事

動力室へ向かう通路は、思ったよりも長かった。


 壁には見慣れない文字が並び、ところどころに青白い光が浮かんでいる。


 床は石造りだが、歩くたびに小さな振動が伝わってくる。


「……本当に大丈夫なんだろうな、ここ」


 俺は独り言をこぼした。


 隣を歩く少女は、まだ緊張した顔をしている。


 その後ろには、黒い竜。


 ……うん。


 何度見ても慣れない。


 竜を連れて古代遺跡を歩く中年男性。


 これだけ聞けば、どこかの吟遊詩人が歌にしそうな話だ。


 ただし、歌詞はこうなるだろう。


『薬草を採りに出かけたおっさん、なぜか竜と遺跡に迷い込む』


 ……売れなさそうだな。


「ゴトーさん」


「ん?」


「本当に、あの竜を倒すつもりはないんですか?」


「ないよ」


 即答した。


「でも、あれは災厄の竜ですよ?」


「うん。聞いた」


「街まで被害が及ぶかもしれないんですよ?」


「それも聞いた」


「それなのに?」


「だから、今こうして動力室に向かってるんだろ」


 俺は足を止め、少女を振り返った。


「倒せる相手なら倒せばいい。でも、倒せるかどうかも分からない相手に正面から突っ込むのは、ただの無謀だ」


「……」


「それに、あの竜が何で攻撃してるのかも分からない。理由も分からないのに、いきなり敵だと決めつけるのは早いんじゃないか?」


 少女は黙り込んだ。


 おっさんの処世術、その五。


 相手を敵と決めつける前に、まず相手の事情を確認する。


 仕事でもそうだ。


 怒鳴っている客が、必ずしも理不尽な客とは限らない。


 説明不足で怒っているのかもしれない。


 約束が守られなかったのかもしれない。


 もちろん、どうしようもない相手もいる。


 だが、話を聞くだけで解決する問題だって、世の中には案外多い。


 竜だって、もしかしたら何か事情があるのかもしれない。


 ……まあ、話が通じるかどうかは知らんけど。


 そんなことを考えているうちに、通路の先に大きな扉が見えてきた。


 扉の上には、見慣れない文字。


 その下に、頭の中へ直接声が響いた。


『動力室に到着しました』


 扉が左右に開く。


 その向こうには、巨大な円形の部屋が広がっていた。


 中央には、何本もの柱に囲まれた黒い球体。


 球体からは太い管のようなものが伸び、壁や床の奥へと続いている。


 その表面には、無数の細い亀裂が走っていた。


「……これが動力源か?」


『肯定』


「状態は?」


『動力供給能力、正常時の三パーセント』


「……三パーセント?」


 思わず聞き返した。


 さっきの結界が三十一パーセントだったから、少しは期待していたのだが。


 こっちはさらにひどい。


「これ、どうすれば直るんだ?」


『修復手順を検索します』


 数秒後。


『修復手順を確認しました』


「お、よかった」


『第一段階。動力室の清掃』


「……」


 俺は無言で天井を見上げた。


「また掃除かよ」


 少女が、とうとう吹き出した。


「ふふっ……す、すみません」


「いや、笑っていいぞ。俺も笑いたい」


 しかし、笑ってばかりもいられない。


 床には黒い粉のようなものが積もり、球体の周囲には細い金属片が散らばっている。


 壁の隅には、何かの液体が乾いた跡まである。


 しかも、床の一部が妙に熱い。


「……これ、ただの埃じゃないな」


 俺はしゃがみ込んだ。


 黒い粉を指先で触る。


 いや、直接触るのはやめておこう。


 布で少しだけすくい、光にかざしてみる。


 金属のような光沢がある。


「これ、どこから出てるんだ?」


『動力球体の表面から微細な結晶片が剥離しています』


「剥がれた破片か……」


 俺は球体を見上げた。


 表面の亀裂。


 床に散らばった破片。


 それから、部屋の奥にある小さな装置。


 あれは何だ?


 掃除道具置き場……ではないよな。


「なあ、あそこにある箱は何だ?」


『補助冷却装置です』


「冷却?」


『肯定。動力球体の温度を調整します』


「……今、動いてるのか?」


『停止しています』


「原因は?」


『冷却経路の閉塞』


 俺は少女を見た。


「つまり、詰まってる?」


「……そういうことみたいですね」


「なるほど」


 俺は頷いた。


 球体の表面が傷んでいる。


 冷却装置は止まっている。


 冷却経路は詰まっている。


 原因がひとつとは限らないが、まず確認できるところから手をつけよう。


 ただし、勝手に分解するのは危険だ。


 俺は金属の板を持ち上げた。


「この冷却経路、外から安全に点検できるか?」


『点検モードを起動します』


 床に光の線が走り、壁の一部が透けるように変化した。


 その奥に、管のような通路が見えた。


 何かが詰まっている。


 黒い塊だ。


「……あれか」


『閉塞物を検知』


『推奨処置:異物の除去』


「よし。これは俺の仕事だな」


 俺は籠から布と、小さな棒を取り出した。


 もちろん、無理に押し込んだりはしない。


 詰まりを奥へ押し込んでしまったら、余計に面倒なことになる。


 入口から届く範囲を確認し、少しずつ異物を取り除く。


 黒い塊は、枯れ葉と埃、それに細かな金属片が絡み合ったものだった。


「……これ、八百年分か?」


『推定堆積期間、六百三十年以上』


「全部じゃないのかよ」


 俺は思わず笑った。


 八百年のうち、六百年以上は詰まっていたらしい。


 よく今まで動いていたものだ。


 慎重に取り除き、最後に布で入口を拭く。


「よし。これでどうだ?」


『冷却経路の閉塞率が低下しました』


『補助冷却装置を起動しますか?』


「……その前に、安全確認は?」


『周辺設備の安全確認を実行します』


 数秒後。


『起動可能』


「じゃあ、頼む」


 ――ウゥゥゥン。


 部屋の奥で低い音が鳴った。


 補助冷却装置の表面に光が灯る。


 球体を囲む柱にも、順番に青い光が走っていった。


 床に散らばっていた黒い粉が、微かに震える。


 そして。


『冷却機能、復旧』


『動力供給能力、三パーセントから九パーセントへ上昇』


「おお!」


 思わず声が出た。


 六パーセントも上がった。


 大成功じゃないか。


「やったな!」


 少女も嬉しそうに笑った。


「すごいです、ゴトーさん!」


「いや、詰まりを取っただけだぞ」


「それができる人がいないんですよ!」


「……そうなの?」


「古代の設備なんて、普通は触ることすらできませんから!」


 なるほど。


 つまり、誰も直せなかったものを直したわけか。


 ……いや、ちょっと待て。


 それはそれで、嫌な予感がする。


 仕事ができると、仕事が増える。


 これは世の常だ。


 実際、頭の中の声が早速反応した。


『管理者の作業実績を記録しました』


『設備保全技能を更新します』


「待て待て待て!」


『設備保全技能:初級から中級へ』


「勝手に昇級させるな!」


『技能向上を確認しました』


「確認しなくていい!」


 少女がまた笑い始めた。


 黒い竜は、俺の様子を不思議そうに見ている。


 ……こいつら、絶対に面白がってるだろ。


 俺は深いため息をついた。


 だが、その直後だった。


 ――ドンッ!


 施設全体が大きく揺れた。


 壁に映像が浮かび上がる。


 外の結界に、赤い竜が体当たりしていた。


 結界の表面に、大きな亀裂が走る。


『警告』


『外周結界の耐久率、残り十八パーセント』


「……おいおい」


 さっきまで三十一パーセントだったはずだ。


 急激に減っている。


「冷却装置を直しただけじゃ、間に合わないのか?」


『肯定。動力供給能力が不足しています』


「……そうか」


 俺は映像をじっと見た。


 赤い竜は、何度も結界へ体当たりしている。


 ただ、妙だった。


 結界を壊そうとしているように見えるのに、攻撃のたびに少し距離を取っている。


 まるで、何かを探しているような。


 あるいは。


「……なあ」


 俺は少女に尋ねた。


「あの赤い竜、ここに来る前から暴れてたのか?」


「いえ……目撃情報があったのは、つい最近です」


「それまでは?」


「分かりません。でも、伝承では長い間封印されていたと……」


「封印?」


 俺はもう一度、映像を見た。


 赤い竜の首元。


 何か黒いものが巻きついている。


 最初は鱗だと思った。


 だが、違う。


 細い鎖のようなものだ。


 竜が動くたび、そこから赤い光が漏れている。


「……あれ、首輪か?」


 少女が目を凝らした。


「そんな……」


「何か知ってるのか?」


「いえ、ただ……」


 少女は不安そうに答えた。


「竜を拘束するための魔道具に、似ています」


「拘束するため?」


「はい。魔物を操ったり、動きを制限したりするものがあるんです」


 俺は黙った。


 もし、あの竜が何者かに操られているのだとしたら。


 こちらが敵だと思っている相手も、実は被害者なのかもしれない。


 もちろん、まだ断定はできない。


 だが、ひとつだけ確かなことがある。


 あの竜を倒せばすべて解決する。


 そんな単純な話ではないかもしれない。


「……よし」


 俺は金属の板を持ち直した。


「まず、あの首輪について調べよう」


「え? でも、結界が……」


「分かってる。だから急ぐ」


 俺は管理者用の画面を操作する。


 と言っても、操作方法なんて分からない。


 表示された文字を読み、押せそうな場所を探す。


 こういうとき、焦って適当なボタンを押すのは危険だ。


 画面の端に、小さな項目があった。


『外部対象の観測』


「これか?」


 押してみる。


『対象を選択してください』


 赤い竜を選ぶ。


 すると、映像が拡大した。


 首元の鎖。


 その中央に、黒い石のようなものが埋め込まれている。


 そして、石には見覚えのある紋章が刻まれていた。


 古代遺跡の扉にあったものと、よく似ている。


「……これ、ここの設備と関係があるのか?」


『対象の魔力反応を解析します』


 しばらくして、文字が浮かんだ。


『拘束装置を検知』


『装置の起動元:不明』


『解除方法:管理者権限による停止、または装置本体の破壊』


「……なるほど」


 俺は画面を見つめた。


 管理者権限で停止できる。


 つまり、ここを復旧させれば、竜を助けられる可能性がある。


 ただし、問題がある。


 俺は竜の首元まで近づけるのか?


 ……無理だろ。


 普通に考えて。


「ゴトーさん、どうするんですか?」


 少女が尋ねた。


「どうするも何も、まだ決めてない」


「でも……」


「焦って決めても仕方ないだろ」


 俺は肩をすくめた。


「仕事でも、問題が起きたときに一番危ないのは、何が起きているのか分からないまま動くことなんだ」


 おっさんの処世術、その六。


 問題が起きたときほど、事実と推測を分けて考える。


 分かっていること。


 赤い竜が結界を攻撃している。


 首元に拘束装置らしきものがある。


 この施設には、その装置を停止できる機能がある。


 分からないこと。


 誰が装置を取り付けたのか。


 なぜ竜がここへ来たのか。


 装置を停止すれば、本当に攻撃が止まるのか。


 この四つを混同してはいけない。


 俺は金属の板を見つめた。


「まずは、できることからだな」


 動力室の奥に、もうひとつ扉がある。


 その扉の上には、こう書かれていた。


『管理者応接室』


「……応接室?」


 俺は思わず足を止めた。


 古代の遺跡にも、応接室があるのか。


 いや、あるか。


 人が働く場所なら、客だって来るだろう。


 俺は少しだけ安心した。


 応接室があるなら、少なくとも話し合う文化はあったらしい。


 そして、話し合う場所があるということは。


 もしかしたら、あの竜とも話し合えるのかもしれない。


 ……いや、竜が応接室に入ってくる光景は想像できないけどな。


 扉を開ける。


 中には長い机と椅子が並んでいた。


 壁には古い地図。


 棚には、何冊もの記録帳が収められている。


 そして机の中央には、ひとつの箱。


 蓋には、こう書かれていた。


『緊急時対応記録』


「……おお」


 俺は箱を開けた。


 中には、薄い冊子が入っている。


 最初のページをめくる。


 そこには、古代文字ではなく、なぜか今の俺にも読める言葉が記されていた。


『緊急時対応の基本』


『一、現場の安全を確保すること』


『二、状況を正確に把握すること』


『三、関係者への報告を怠らないこと』


『四、単独で判断せず、必要に応じて協力を求めること』


「……」


 俺はしばらく、その文章を見つめていた。


 そして、思わず笑ってしまった。


「何だよ。古代の人も、同じこと考えてたんじゃないか」


 少女が不思議そうに首を傾げる。


「何か書いてあるんですか?」


「ああ。仕事の基本だよ」


 俺は冊子を閉じた。


 世界が変わっても。


 時代が変わっても。


 仕事で大切なことは、案外変わらないらしい。


 まず安全。


 次に確認。


 それから報告と相談。


 何でも一人で抱え込まない。


 俺は管理者用の板を持ち上げた。


「よし。ここにある記録を調べよう。竜の拘束装置について、何か分かるかもしれない」


 少女が頷く。


「私も手伝います」


「頼むよ。俺一人じゃ、この文字を読むだけでも時間がかかりそうだ」


 黒い竜も、机の横に座り込んだ。


「……君は何を手伝うつもりなんだ?」


 竜は、当然のように首を傾けた。


 まあいい。


 何かあったら頼むとしよう。


 そのとき。


 机の上の金属板が、突然光った。


『管理者への緊急通信』


『外部対象より通信要求を受信しました』


「……通信?」


 俺は画面を見た。


 表示された文字を読む。


『対象:災厄の竜』


『通信内容:解放を要求する』


 俺はゆっくりと息を吐いた。


「……本人から話が聞けるのか」


 少女が目を見開く。


「竜と、話せるんですか?」


「どうやら、そうらしい」


 俺は画面の下にある選択肢を見た。


『通信を開始しますか?』


 選択肢は二つ。


『はい』


『いいえ』


 俺は迷わず『はい』を押した。


 画面が明るくなる。


 次の瞬間。


 低く、重い声が部屋に響いた。


『……誰だ』


 少女が息を呑む。


 俺は少しだけ背筋を伸ばした。


「ええと……こちら、古代遺跡の臨時管理担当、ゴトーです」


 言ってから気づいた。


 臨時管理担当って何だ。


 そんな役職、今つくったばかりじゃないか。


 だが、名乗ってしまったものは仕方ない。


 俺は咳払いをした。


「そちらのお名前を伺っても?」


 沈黙。


 長い沈黙。


 そして、竜の声が響いた。


『……名など、とうに捨てた』


「……そうですか」


 これは困った。


 名前が分からないと、呼びにくい。


 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。


 俺は気を取り直した。


「それで、解放してほしいということですが」


『そうだ』


「まず、確認させてください。あなたは、この施設を破壊するつもりですか?」


『……』


 沈黙。


 やがて、竜は答えた。


『我は、奪われたものを取り戻しに来た』


「奪われたもの?」


『我が守っていたものだ』


 俺は少女を見た。


 少女も、困惑した表情で首を横に振る。


 何のことか、二人とも分からない。


 俺は画面に向き直った。


「具体的には、何を奪われたんですか?」


『……この施設の奥に眠るものだ』


 俺は思わず背筋を伸ばした。


 施設の奥。


 守護者。


 伝説の剣。


 そして、災厄の竜。


 どうやら、この遺跡には俺が知らない事情が山ほどあるらしい。


 竜は続けた。


『それを返せ。さすれば、我は去る』


「……分かりました」


 俺は頷いた。


「まず、記録を確認します。何があったのか、こちらでも調べます」


『……人間よ。時間はない』


「ええ。結界が壊れかけているのは、こちらでも確認しています」


 俺は画面を見つめた。


「ですが、ひとつだけ約束してください」


『何だ』


「調査している間、こちらへの攻撃を止めていただきたい。結界が壊れれば、あなたが取り戻したいものまで失われるかもしれません」


 沈黙。


 竜が何かを考えているようだった。


 やがて。


『……よかろう。しばし待つ』


 通信が切れた。


 俺は椅子に座り込んだ。


「……ふぅ」


 緊張した。


 ものすごく緊張した。


 今の俺、ちゃんと交渉できていただろうか。


 少女が目を輝かせている。


「ゴトーさん、すごいです!」


「いや、何もすごくないよ」


「竜と交渉して、攻撃を止めさせたんですよ!?」


「一時的に、だろ」


「それでもです!」


 俺は苦笑した。


 おっさんの処世術、その七。


 相手に要求を突きつけるだけでなく、相手が譲れる条件も提示する。


 竜だって、ただ暴れたいわけじゃないのかもしれない。


 取り戻したいものがある。


 ならば、それを確認する。


 こちらの安全も守る。


 お互いに損をしない落としどころを探す。


 それができれば、戦わずに済む可能性だってある。


 もちろん、うまくいく保証はない。


 だが、最初から無理だと決めつける必要もない。


 俺は机の上の冊子を開いた。


「さて……奪われたもの、ね」


 記録帳を一冊ずつ調べていく。


 古い報告書。


 施設の見取り図。


 設備点検の記録。


 そして、奥の棚にあった一冊。


 表紙には、こう記されていた。


『守護者管理記録』


 俺はページをめくった。


 最初の数ページは、竜の生態や施設の警備について書かれている。


 さらに読み進める。


 そして、最後のページ。


 そこに記されていた名前を見て、俺は固まった。


「……おいおい」


 少女が覗き込む。


「どうしたんですか?」


 俺は記録帳を指差した。


 そこには、こう書かれていた。


『守護者の正式名称:黒竜』


『管理番号:DR―001』


『管理責任者:古代管理局』


『管理対象:施設中枢に封印された魔王の心臓』


「……魔王の心臓?」


 少女の声が震えた。


 俺はゆっくりと顔を上げた。


 魔王。


 竜。


 古代遺跡。


 伝説の剣。


 どうやら、この世界には本当に魔王がいるらしい。


 そして、俺は今。


 魔王に関係する施設の管理者になっている。


「……」


 俺は深く息を吐いた。


「……帰りたい」


 心の底から、そう思った。


 だが、そのとき。


 記録帳の最後に、小さな追記があることに気づいた。


『追記。


 魔王の心臓を封印した者は、封印の維持に必要な管理権限を、次代の管理者へ引き継ぐこと。


 なお、管理者が不在の場合、封印は徐々に弱まる』


 俺は目を閉じた。


 そして、静かに呟いた。


「……これ、完全に引き継ぎ案件じゃないか」


 少女は何も言えなかった。


 俺はもう一度、記録帳を見た。


 八百年前に引き継ぎが途絶えた。


 その結果、施設が壊れ、結界が弱まり、竜が解放を求めている。


 そして、今の管理者は俺。


 ……なるほど。


 これはもう、掃除だけして帰るわけにはいかないらしい。


 俺は立ち上がった。


「よし」


「ゴトーさん……?」


「まず、何が起きているのか全部調べよう。次に、できることとできないことを整理する。最後に、ギルドへ報告だ」


「ギルドに?」


「当然だろ。俺一人で抱え込める話じゃない」


 俺は金属の板を持ち上げた。


「それに、仕事をしたなら報告と精算が必要だ」


「……精算?」


「ああ。薬草採取の報酬もまだだからな」


 少女が呆れた顔をした。


「こんな状況なのに……」


「こんな状況だからこそだよ」


 俺は笑った。


「仕事は仕事。命に関わることは命に関わること。どっちも大事だけど、混ぜると話がややこしくなる」


 おっさんの処世術、その八。


 大きな問題に直面しても、目の前の小さな問題を忘れない。


 世界の危機を解決することになったとしても、腹は減る。


 疲れたら休まなければならない。


 仕事をしたなら報酬も必要だ。


 無理をして倒れてしまえば、結局、誰の役にも立てなくなる。


 俺は籠を背負い直した。


 薬草はまだ残っている。


 少女もいる。


 竜もいる。


 そして、魔王の心臓を封印した古代遺跡。


 ……本当に、何なんだ今日は。


「とりあえず、動力室の復旧を続けよう」


 俺は歩き出した。


「ゴトーさん、次は何をするんですか?」


「まずは施設の安全確保。次に記録の整理。それから、ギルドに説明できる資料をまとめる」


「……まるで仕事みたいですね」


「仕事だからな」


 俺は肩をすくめた。


「勇者じゃないんだ。俺には俺のやり方がある」


 そのとき、頭の中に機械的な声が響いた。


『管理者業務の進捗を記録しました』


『新たな管理者権限を解放します』


「……またかよ」


 目の前に、ひとつの項目が浮かんだ。


『緊急時対応:協力者登録』


 その下には、こう書かれていた。


『協力者を登録すると、施設の一部機能を共同利用できます』


 俺は足を止めた。


「……これだ」


 一人で全部やる必要はない。


 手伝ってくれる人がいれば、仕事を分担できる。


 専門家がいれば、分からないことを教えてもらえる。


 そして、責任の所在も明確にできる。


 俺は少女を見た。


「なあ、君」


「はい?」


「名前、まだ聞いてなかったな」


 少女は少し驚いたあと、笑顔で答えた。


「ミレイです。ミレイ・アシュフォード」


「そうか。俺はゴトー。まあ、知ってると思うけど」


「はい。よろしくお願いします、ゴトーさん」


「ああ。よろしく」


 俺は金属の板を操作した。


『協力者登録』


『対象:ミレイ・アシュフォード』


『登録しますか?』


「……本人の同意は必要だよな」


「え?」


「いや、何でもない。ミレイ、ここの調査を手伝ってもらえるか?」


 ミレイは真剣な顔で頷いた。


「もちろんです」


「危険なことは無理にやらなくていい。分からないことは分からないと言ってくれ。俺もそうする」


「……はい!」


 俺は登録ボタンを押した。


『協力者登録、完了』


 その瞬間、施設の地図に新しい光が灯った。


 ミレイの名前が表示される。


 そして、その下に。


『協力者の適性を確認しました』


『記録解析技能:認定』


『魔法史識別技能:認定』


 ミレイが目を見開いた。


「えっ……? これ、何ですか?」


「さあ?」


 俺は正直に答えた。


「でも、役に立ちそうだな」


 ミレイは自分の手を見つめた。


 どうやら、俺だけではなく、協力者にも何かしらの権限が与えられるらしい。


 これは大きい。


 一人で無双する必要なんてない。


 それぞれ得意なことを持ち寄ればいい。


 掃除は俺。


 記録の解読はミレイ。


 竜との交渉は……できれば俺が担当したい。


 いや、できれば誰か代わってほしいけど。


 そんなことを考えていたときだった。


 施設の地図に、新しい警告が表示された。


『施設中枢への侵入反応』


『侵入者数:三』


『識別:不明』


 俺は画面を見つめた。


「……おいおい」


 今度は何だ。


 ミレイの顔が青ざめる。


「誰かが、この遺跡に入ってきた……?」


『侵入者は管理区域へ接近中』


『警告。侵入者の魔力反応を検知』


『反応の特徴:拘束装置と一致』


 俺はゆっくりと顔を上げた。


 拘束装置。


 赤い竜の首に巻きついていた、あの鎖。


 つまり。


「……あの竜を操っている連中か?」


 答えはない。


 ただ、地図上の光が、少しずつこちらへ近づいてくる。


 俺は金属の板を握り直した。


 さて。


 ここからが本当の仕事らしい。


 だが、俺はまだ戦わない。


 まずは状況確認。


 次に安全確保。


 そして、相手の目的を聞く。


 それでも話が通じなければ、そのとき考える。


 おっさんには、おっさんの処世術がある。


 ……ただし。


 相手が話の通じる人間であることを、心から願っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。