おっさんのお仕事
動力室へ向かう通路は、思ったよりも長かった。
壁には見慣れない文字が並び、ところどころに青白い光が浮かんでいる。
床は石造りだが、歩くたびに小さな振動が伝わってくる。
「……本当に大丈夫なんだろうな、ここ」
俺は独り言をこぼした。
隣を歩く少女は、まだ緊張した顔をしている。
その後ろには、黒い竜。
……うん。
何度見ても慣れない。
竜を連れて古代遺跡を歩く中年男性。
これだけ聞けば、どこかの吟遊詩人が歌にしそうな話だ。
ただし、歌詞はこうなるだろう。
『薬草を採りに出かけたおっさん、なぜか竜と遺跡に迷い込む』
……売れなさそうだな。
「ゴトーさん」
「ん?」
「本当に、あの竜を倒すつもりはないんですか?」
「ないよ」
即答した。
「でも、あれは災厄の竜ですよ?」
「うん。聞いた」
「街まで被害が及ぶかもしれないんですよ?」
「それも聞いた」
「それなのに?」
「だから、今こうして動力室に向かってるんだろ」
俺は足を止め、少女を振り返った。
「倒せる相手なら倒せばいい。でも、倒せるかどうかも分からない相手に正面から突っ込むのは、ただの無謀だ」
「……」
「それに、あの竜が何で攻撃してるのかも分からない。理由も分からないのに、いきなり敵だと決めつけるのは早いんじゃないか?」
少女は黙り込んだ。
おっさんの処世術、その五。
相手を敵と決めつける前に、まず相手の事情を確認する。
仕事でもそうだ。
怒鳴っている客が、必ずしも理不尽な客とは限らない。
説明不足で怒っているのかもしれない。
約束が守られなかったのかもしれない。
もちろん、どうしようもない相手もいる。
だが、話を聞くだけで解決する問題だって、世の中には案外多い。
竜だって、もしかしたら何か事情があるのかもしれない。
……まあ、話が通じるかどうかは知らんけど。
そんなことを考えているうちに、通路の先に大きな扉が見えてきた。
扉の上には、見慣れない文字。
その下に、頭の中へ直接声が響いた。
『動力室に到着しました』
扉が左右に開く。
その向こうには、巨大な円形の部屋が広がっていた。
中央には、何本もの柱に囲まれた黒い球体。
球体からは太い管のようなものが伸び、壁や床の奥へと続いている。
その表面には、無数の細い亀裂が走っていた。
「……これが動力源か?」
『肯定』
「状態は?」
『動力供給能力、正常時の三パーセント』
「……三パーセント?」
思わず聞き返した。
さっきの結界が三十一パーセントだったから、少しは期待していたのだが。
こっちはさらにひどい。
「これ、どうすれば直るんだ?」
『修復手順を検索します』
数秒後。
『修復手順を確認しました』
「お、よかった」
『第一段階。動力室の清掃』
「……」
俺は無言で天井を見上げた。
「また掃除かよ」
少女が、とうとう吹き出した。
「ふふっ……す、すみません」
「いや、笑っていいぞ。俺も笑いたい」
しかし、笑ってばかりもいられない。
床には黒い粉のようなものが積もり、球体の周囲には細い金属片が散らばっている。
壁の隅には、何かの液体が乾いた跡まである。
しかも、床の一部が妙に熱い。
「……これ、ただの埃じゃないな」
俺はしゃがみ込んだ。
黒い粉を指先で触る。
いや、直接触るのはやめておこう。
布で少しだけすくい、光にかざしてみる。
金属のような光沢がある。
「これ、どこから出てるんだ?」
『動力球体の表面から微細な結晶片が剥離しています』
「剥がれた破片か……」
俺は球体を見上げた。
表面の亀裂。
床に散らばった破片。
それから、部屋の奥にある小さな装置。
あれは何だ?
掃除道具置き場……ではないよな。
「なあ、あそこにある箱は何だ?」
『補助冷却装置です』
「冷却?」
『肯定。動力球体の温度を調整します』
「……今、動いてるのか?」
『停止しています』
「原因は?」
『冷却経路の閉塞』
俺は少女を見た。
「つまり、詰まってる?」
「……そういうことみたいですね」
「なるほど」
俺は頷いた。
球体の表面が傷んでいる。
冷却装置は止まっている。
冷却経路は詰まっている。
原因がひとつとは限らないが、まず確認できるところから手をつけよう。
ただし、勝手に分解するのは危険だ。
俺は金属の板を持ち上げた。
「この冷却経路、外から安全に点検できるか?」
『点検モードを起動します』
床に光の線が走り、壁の一部が透けるように変化した。
その奥に、管のような通路が見えた。
何かが詰まっている。
黒い塊だ。
「……あれか」
『閉塞物を検知』
『推奨処置:異物の除去』
「よし。これは俺の仕事だな」
俺は籠から布と、小さな棒を取り出した。
もちろん、無理に押し込んだりはしない。
詰まりを奥へ押し込んでしまったら、余計に面倒なことになる。
入口から届く範囲を確認し、少しずつ異物を取り除く。
黒い塊は、枯れ葉と埃、それに細かな金属片が絡み合ったものだった。
「……これ、八百年分か?」
『推定堆積期間、六百三十年以上』
「全部じゃないのかよ」
俺は思わず笑った。
八百年のうち、六百年以上は詰まっていたらしい。
よく今まで動いていたものだ。
慎重に取り除き、最後に布で入口を拭く。
「よし。これでどうだ?」
『冷却経路の閉塞率が低下しました』
『補助冷却装置を起動しますか?』
「……その前に、安全確認は?」
『周辺設備の安全確認を実行します』
数秒後。
『起動可能』
「じゃあ、頼む」
――ウゥゥゥン。
部屋の奥で低い音が鳴った。
補助冷却装置の表面に光が灯る。
球体を囲む柱にも、順番に青い光が走っていった。
床に散らばっていた黒い粉が、微かに震える。
そして。
『冷却機能、復旧』
『動力供給能力、三パーセントから九パーセントへ上昇』
「おお!」
思わず声が出た。
六パーセントも上がった。
大成功じゃないか。
「やったな!」
少女も嬉しそうに笑った。
「すごいです、ゴトーさん!」
「いや、詰まりを取っただけだぞ」
「それができる人がいないんですよ!」
「……そうなの?」
「古代の設備なんて、普通は触ることすらできませんから!」
なるほど。
つまり、誰も直せなかったものを直したわけか。
……いや、ちょっと待て。
それはそれで、嫌な予感がする。
仕事ができると、仕事が増える。
これは世の常だ。
実際、頭の中の声が早速反応した。
『管理者の作業実績を記録しました』
『設備保全技能を更新します』
「待て待て待て!」
『設備保全技能:初級から中級へ』
「勝手に昇級させるな!」
『技能向上を確認しました』
「確認しなくていい!」
少女がまた笑い始めた。
黒い竜は、俺の様子を不思議そうに見ている。
……こいつら、絶対に面白がってるだろ。
俺は深いため息をついた。
だが、その直後だった。
――ドンッ!
施設全体が大きく揺れた。
壁に映像が浮かび上がる。
外の結界に、赤い竜が体当たりしていた。
結界の表面に、大きな亀裂が走る。
『警告』
『外周結界の耐久率、残り十八パーセント』
「……おいおい」
さっきまで三十一パーセントだったはずだ。
急激に減っている。
「冷却装置を直しただけじゃ、間に合わないのか?」
『肯定。動力供給能力が不足しています』
「……そうか」
俺は映像をじっと見た。
赤い竜は、何度も結界へ体当たりしている。
ただ、妙だった。
結界を壊そうとしているように見えるのに、攻撃のたびに少し距離を取っている。
まるで、何かを探しているような。
あるいは。
「……なあ」
俺は少女に尋ねた。
「あの赤い竜、ここに来る前から暴れてたのか?」
「いえ……目撃情報があったのは、つい最近です」
「それまでは?」
「分かりません。でも、伝承では長い間封印されていたと……」
「封印?」
俺はもう一度、映像を見た。
赤い竜の首元。
何か黒いものが巻きついている。
最初は鱗だと思った。
だが、違う。
細い鎖のようなものだ。
竜が動くたび、そこから赤い光が漏れている。
「……あれ、首輪か?」
少女が目を凝らした。
「そんな……」
「何か知ってるのか?」
「いえ、ただ……」
少女は不安そうに答えた。
「竜を拘束するための魔道具に、似ています」
「拘束するため?」
「はい。魔物を操ったり、動きを制限したりするものがあるんです」
俺は黙った。
もし、あの竜が何者かに操られているのだとしたら。
こちらが敵だと思っている相手も、実は被害者なのかもしれない。
もちろん、まだ断定はできない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
あの竜を倒せばすべて解決する。
そんな単純な話ではないかもしれない。
「……よし」
俺は金属の板を持ち直した。
「まず、あの首輪について調べよう」
「え? でも、結界が……」
「分かってる。だから急ぐ」
俺は管理者用の画面を操作する。
と言っても、操作方法なんて分からない。
表示された文字を読み、押せそうな場所を探す。
こういうとき、焦って適当なボタンを押すのは危険だ。
画面の端に、小さな項目があった。
『外部対象の観測』
「これか?」
押してみる。
『対象を選択してください』
赤い竜を選ぶ。
すると、映像が拡大した。
首元の鎖。
その中央に、黒い石のようなものが埋め込まれている。
そして、石には見覚えのある紋章が刻まれていた。
古代遺跡の扉にあったものと、よく似ている。
「……これ、ここの設備と関係があるのか?」
『対象の魔力反応を解析します』
しばらくして、文字が浮かんだ。
『拘束装置を検知』
『装置の起動元:不明』
『解除方法:管理者権限による停止、または装置本体の破壊』
「……なるほど」
俺は画面を見つめた。
管理者権限で停止できる。
つまり、ここを復旧させれば、竜を助けられる可能性がある。
ただし、問題がある。
俺は竜の首元まで近づけるのか?
……無理だろ。
普通に考えて。
「ゴトーさん、どうするんですか?」
少女が尋ねた。
「どうするも何も、まだ決めてない」
「でも……」
「焦って決めても仕方ないだろ」
俺は肩をすくめた。
「仕事でも、問題が起きたときに一番危ないのは、何が起きているのか分からないまま動くことなんだ」
おっさんの処世術、その六。
問題が起きたときほど、事実と推測を分けて考える。
分かっていること。
赤い竜が結界を攻撃している。
首元に拘束装置らしきものがある。
この施設には、その装置を停止できる機能がある。
分からないこと。
誰が装置を取り付けたのか。
なぜ竜がここへ来たのか。
装置を停止すれば、本当に攻撃が止まるのか。
この四つを混同してはいけない。
俺は金属の板を見つめた。
「まずは、できることからだな」
動力室の奥に、もうひとつ扉がある。
その扉の上には、こう書かれていた。
『管理者応接室』
「……応接室?」
俺は思わず足を止めた。
古代の遺跡にも、応接室があるのか。
いや、あるか。
人が働く場所なら、客だって来るだろう。
俺は少しだけ安心した。
応接室があるなら、少なくとも話し合う文化はあったらしい。
そして、話し合う場所があるということは。
もしかしたら、あの竜とも話し合えるのかもしれない。
……いや、竜が応接室に入ってくる光景は想像できないけどな。
扉を開ける。
中には長い机と椅子が並んでいた。
壁には古い地図。
棚には、何冊もの記録帳が収められている。
そして机の中央には、ひとつの箱。
蓋には、こう書かれていた。
『緊急時対応記録』
「……おお」
俺は箱を開けた。
中には、薄い冊子が入っている。
最初のページをめくる。
そこには、古代文字ではなく、なぜか今の俺にも読める言葉が記されていた。
『緊急時対応の基本』
『一、現場の安全を確保すること』
『二、状況を正確に把握すること』
『三、関係者への報告を怠らないこと』
『四、単独で判断せず、必要に応じて協力を求めること』
「……」
俺はしばらく、その文章を見つめていた。
そして、思わず笑ってしまった。
「何だよ。古代の人も、同じこと考えてたんじゃないか」
少女が不思議そうに首を傾げる。
「何か書いてあるんですか?」
「ああ。仕事の基本だよ」
俺は冊子を閉じた。
世界が変わっても。
時代が変わっても。
仕事で大切なことは、案外変わらないらしい。
まず安全。
次に確認。
それから報告と相談。
何でも一人で抱え込まない。
俺は管理者用の板を持ち上げた。
「よし。ここにある記録を調べよう。竜の拘束装置について、何か分かるかもしれない」
少女が頷く。
「私も手伝います」
「頼むよ。俺一人じゃ、この文字を読むだけでも時間がかかりそうだ」
黒い竜も、机の横に座り込んだ。
「……君は何を手伝うつもりなんだ?」
竜は、当然のように首を傾けた。
まあいい。
何かあったら頼むとしよう。
そのとき。
机の上の金属板が、突然光った。
『管理者への緊急通信』
『外部対象より通信要求を受信しました』
「……通信?」
俺は画面を見た。
表示された文字を読む。
『対象:災厄の竜』
『通信内容:解放を要求する』
俺はゆっくりと息を吐いた。
「……本人から話が聞けるのか」
少女が目を見開く。
「竜と、話せるんですか?」
「どうやら、そうらしい」
俺は画面の下にある選択肢を見た。
『通信を開始しますか?』
選択肢は二つ。
『はい』
『いいえ』
俺は迷わず『はい』を押した。
画面が明るくなる。
次の瞬間。
低く、重い声が部屋に響いた。
『……誰だ』
少女が息を呑む。
俺は少しだけ背筋を伸ばした。
「ええと……こちら、古代遺跡の臨時管理担当、ゴトーです」
言ってから気づいた。
臨時管理担当って何だ。
そんな役職、今つくったばかりじゃないか。
だが、名乗ってしまったものは仕方ない。
俺は咳払いをした。
「そちらのお名前を伺っても?」
沈黙。
長い沈黙。
そして、竜の声が響いた。
『……名など、とうに捨てた』
「……そうですか」
これは困った。
名前が分からないと、呼びにくい。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
俺は気を取り直した。
「それで、解放してほしいということですが」
『そうだ』
「まず、確認させてください。あなたは、この施設を破壊するつもりですか?」
『……』
沈黙。
やがて、竜は答えた。
『我は、奪われたものを取り戻しに来た』
「奪われたもの?」
『我が守っていたものだ』
俺は少女を見た。
少女も、困惑した表情で首を横に振る。
何のことか、二人とも分からない。
俺は画面に向き直った。
「具体的には、何を奪われたんですか?」
『……この施設の奥に眠るものだ』
俺は思わず背筋を伸ばした。
施設の奥。
守護者。
伝説の剣。
そして、災厄の竜。
どうやら、この遺跡には俺が知らない事情が山ほどあるらしい。
竜は続けた。
『それを返せ。さすれば、我は去る』
「……分かりました」
俺は頷いた。
「まず、記録を確認します。何があったのか、こちらでも調べます」
『……人間よ。時間はない』
「ええ。結界が壊れかけているのは、こちらでも確認しています」
俺は画面を見つめた。
「ですが、ひとつだけ約束してください」
『何だ』
「調査している間、こちらへの攻撃を止めていただきたい。結界が壊れれば、あなたが取り戻したいものまで失われるかもしれません」
沈黙。
竜が何かを考えているようだった。
やがて。
『……よかろう。しばし待つ』
通信が切れた。
俺は椅子に座り込んだ。
「……ふぅ」
緊張した。
ものすごく緊張した。
今の俺、ちゃんと交渉できていただろうか。
少女が目を輝かせている。
「ゴトーさん、すごいです!」
「いや、何もすごくないよ」
「竜と交渉して、攻撃を止めさせたんですよ!?」
「一時的に、だろ」
「それでもです!」
俺は苦笑した。
おっさんの処世術、その七。
相手に要求を突きつけるだけでなく、相手が譲れる条件も提示する。
竜だって、ただ暴れたいわけじゃないのかもしれない。
取り戻したいものがある。
ならば、それを確認する。
こちらの安全も守る。
お互いに損をしない落としどころを探す。
それができれば、戦わずに済む可能性だってある。
もちろん、うまくいく保証はない。
だが、最初から無理だと決めつける必要もない。
俺は机の上の冊子を開いた。
「さて……奪われたもの、ね」
記録帳を一冊ずつ調べていく。
古い報告書。
施設の見取り図。
設備点検の記録。
そして、奥の棚にあった一冊。
表紙には、こう記されていた。
『守護者管理記録』
俺はページをめくった。
最初の数ページは、竜の生態や施設の警備について書かれている。
さらに読み進める。
そして、最後のページ。
そこに記されていた名前を見て、俺は固まった。
「……おいおい」
少女が覗き込む。
「どうしたんですか?」
俺は記録帳を指差した。
そこには、こう書かれていた。
『守護者の正式名称:黒竜』
『管理番号:DR―001』
『管理責任者:古代管理局』
『管理対象:施設中枢に封印された魔王の心臓』
「……魔王の心臓?」
少女の声が震えた。
俺はゆっくりと顔を上げた。
魔王。
竜。
古代遺跡。
伝説の剣。
どうやら、この世界には本当に魔王がいるらしい。
そして、俺は今。
魔王に関係する施設の管理者になっている。
「……」
俺は深く息を吐いた。
「……帰りたい」
心の底から、そう思った。
だが、そのとき。
記録帳の最後に、小さな追記があることに気づいた。
『追記。
魔王の心臓を封印した者は、封印の維持に必要な管理権限を、次代の管理者へ引き継ぐこと。
なお、管理者が不在の場合、封印は徐々に弱まる』
俺は目を閉じた。
そして、静かに呟いた。
「……これ、完全に引き継ぎ案件じゃないか」
少女は何も言えなかった。
俺はもう一度、記録帳を見た。
八百年前に引き継ぎが途絶えた。
その結果、施設が壊れ、結界が弱まり、竜が解放を求めている。
そして、今の管理者は俺。
……なるほど。
これはもう、掃除だけして帰るわけにはいかないらしい。
俺は立ち上がった。
「よし」
「ゴトーさん……?」
「まず、何が起きているのか全部調べよう。次に、できることとできないことを整理する。最後に、ギルドへ報告だ」
「ギルドに?」
「当然だろ。俺一人で抱え込める話じゃない」
俺は金属の板を持ち上げた。
「それに、仕事をしたなら報告と精算が必要だ」
「……精算?」
「ああ。薬草採取の報酬もまだだからな」
少女が呆れた顔をした。
「こんな状況なのに……」
「こんな状況だからこそだよ」
俺は笑った。
「仕事は仕事。命に関わることは命に関わること。どっちも大事だけど、混ぜると話がややこしくなる」
おっさんの処世術、その八。
大きな問題に直面しても、目の前の小さな問題を忘れない。
世界の危機を解決することになったとしても、腹は減る。
疲れたら休まなければならない。
仕事をしたなら報酬も必要だ。
無理をして倒れてしまえば、結局、誰の役にも立てなくなる。
俺は籠を背負い直した。
薬草はまだ残っている。
少女もいる。
竜もいる。
そして、魔王の心臓を封印した古代遺跡。
……本当に、何なんだ今日は。
「とりあえず、動力室の復旧を続けよう」
俺は歩き出した。
「ゴトーさん、次は何をするんですか?」
「まずは施設の安全確保。次に記録の整理。それから、ギルドに説明できる資料をまとめる」
「……まるで仕事みたいですね」
「仕事だからな」
俺は肩をすくめた。
「勇者じゃないんだ。俺には俺のやり方がある」
そのとき、頭の中に機械的な声が響いた。
『管理者業務の進捗を記録しました』
『新たな管理者権限を解放します』
「……またかよ」
目の前に、ひとつの項目が浮かんだ。
『緊急時対応:協力者登録』
その下には、こう書かれていた。
『協力者を登録すると、施設の一部機能を共同利用できます』
俺は足を止めた。
「……これだ」
一人で全部やる必要はない。
手伝ってくれる人がいれば、仕事を分担できる。
専門家がいれば、分からないことを教えてもらえる。
そして、責任の所在も明確にできる。
俺は少女を見た。
「なあ、君」
「はい?」
「名前、まだ聞いてなかったな」
少女は少し驚いたあと、笑顔で答えた。
「ミレイです。ミレイ・アシュフォード」
「そうか。俺はゴトー。まあ、知ってると思うけど」
「はい。よろしくお願いします、ゴトーさん」
「ああ。よろしく」
俺は金属の板を操作した。
『協力者登録』
『対象:ミレイ・アシュフォード』
『登録しますか?』
「……本人の同意は必要だよな」
「え?」
「いや、何でもない。ミレイ、ここの調査を手伝ってもらえるか?」
ミレイは真剣な顔で頷いた。
「もちろんです」
「危険なことは無理にやらなくていい。分からないことは分からないと言ってくれ。俺もそうする」
「……はい!」
俺は登録ボタンを押した。
『協力者登録、完了』
その瞬間、施設の地図に新しい光が灯った。
ミレイの名前が表示される。
そして、その下に。
『協力者の適性を確認しました』
『記録解析技能:認定』
『魔法史識別技能:認定』
ミレイが目を見開いた。
「えっ……? これ、何ですか?」
「さあ?」
俺は正直に答えた。
「でも、役に立ちそうだな」
ミレイは自分の手を見つめた。
どうやら、俺だけではなく、協力者にも何かしらの権限が与えられるらしい。
これは大きい。
一人で無双する必要なんてない。
それぞれ得意なことを持ち寄ればいい。
掃除は俺。
記録の解読はミレイ。
竜との交渉は……できれば俺が担当したい。
いや、できれば誰か代わってほしいけど。
そんなことを考えていたときだった。
施設の地図に、新しい警告が表示された。
『施設中枢への侵入反応』
『侵入者数:三』
『識別:不明』
俺は画面を見つめた。
「……おいおい」
今度は何だ。
ミレイの顔が青ざめる。
「誰かが、この遺跡に入ってきた……?」
『侵入者は管理区域へ接近中』
『警告。侵入者の魔力反応を検知』
『反応の特徴:拘束装置と一致』
俺はゆっくりと顔を上げた。
拘束装置。
赤い竜の首に巻きついていた、あの鎖。
つまり。
「……あの竜を操っている連中か?」
答えはない。
ただ、地図上の光が、少しずつこちらへ近づいてくる。
俺は金属の板を握り直した。
さて。
ここからが本当の仕事らしい。
だが、俺はまだ戦わない。
まずは状況確認。
次に安全確保。
そして、相手の目的を聞く。
それでも話が通じなければ、そのとき考える。
おっさんには、おっさんの処世術がある。
……ただし。
相手が話の通じる人間であることを、心から願っていた。




