おっさんの生きる道~処世術~
とりあえず少しずつ更新できてるのが嬉すぃー
『清掃状況:著しく不良』
目の前に浮かんだ文字を、俺はしばらく眺めていた。
八百年。
八百年間、誰も掃除していない。
いや、そりゃ汚いだろう。
そもそも、ここは何の施設なんだ。
壁は石造り。天井には光る結晶。床には見たこともない模様が刻まれている。
どう見ても、普通の建物ではない。
それなのに、俺の頭の中に浮かんだ最初の感想は、ひとつだった。
「……掃除、大変そうだな」
「そこですか!?」
少女のツッコミが遺跡に響く。
いや、だって仕方ないだろう。
設備が十二パーセントしか動いていないとか、損傷率が七十八パーセントとか言われても、俺には何がどう悪いのか分からない。
しかし、汚れていることだけは分かる。
床の隅には埃が積もり、壁には蜘蛛の巣が張っている。
台座の周りには、何かの破片まで散らばっていた。
そして、天井の隅。
……あれ、雨漏りしてないか?
「なあ、君」
「はい?」
「ここって、誰か管理してるの?」
「……いえ。伝承では、古代の人々が使っていた施設だと」
「じゃあ、管理者は?」
「分かりません」
「責任者は?」
「……分かりません」
「緊急連絡先は?」
「そんなもの、あるわけないでしょう!」
なるほど。
責任者不在。
管理者不在。
連絡先不明。
八百年放置。
「……典型的な引き継ぎ失敗だな」
「何の話ですか!?」
俺は小さくため息をついた。
会社でも、こういう現場はある。
誰が担当なのか分からない。
前任者はもういない。
資料は古い。
設備は壊れている。
なのに、なぜか目の前の人間が何とかすることになっている。
そういう時に必要なのは、根性でも気合いでもない。
まず、状況の整理だ。
そして、責任範囲の確認。
これを怠ると、後でとんでもないことになる。
「よし」
俺は手を叩いた。
「まずは確認からだ」
「確認?」
「そう。仕事を引き受ける前に、何をするのか、どこまでやるのか、報酬はいくらなのか。そこをはっきりさせる」
少女は目をぱちくりさせた。
「……ここ、遺跡ですよ?」
「だから何だ?」
「竜に案内されて、遺跡にきて、古代の管理者に選ばれて……」
「うん」
「世界の危機かもしれないんですよ!?」
「それはそれ。これはこれ」
俺は頷いた。
おっさんの処世術、その一。
仕事の範囲が曖昧な依頼は、その場で引き受けない。
世の中には、最初は簡単な仕事に見えて、いつの間にか責任が膨れ上がっている案件がある。
最初は掃除だけだったはずなのに、気づけば修理も管理も苦情対応も全部任されている。
しかも報酬は据え置き。
あれだけは避けたい。
「ええと……」
俺は金属の板を持ち上げた。
「管理者ってことは、ここを管理しろってことだよな?」
『肯定』
頭の中に機械的な声が響く。
「具体的には?」
『施設の維持、設備の復旧、守護者の管理、外部侵入者への対応、緊急事態の処理、施設に関する一切の業務を担当します』
「……一切?」
『肯定』
「……」
俺は少女を見た。
少女も俺を見た。
「帰ろう」
「えっ!?」
即決だった。
だってそうだろう。
一切の業務。
この言葉ほど信用できないものはない。
何でもやらされるということは、何でも責任を負わされるということだ。
しかも八百年放置された施設である。
不具合が起きたら俺のせい。
設備が壊れたら俺のせい。
守護者が暴れたら俺のせい。
最悪じゃないか。
すると、頭の中に再び声が響いた。
『管理者の辞任を希望しますか?』
「希望します」
『確認します。辞任した場合、施設の維持機能が停止します』
「……」
『現在、施設外周の結界は崩壊寸前です』
「……」
『管理者が不在の場合、周辺地域への影響が発生する可能性があります』
「……具体的には?」
『不明』
「おい」
思わず声が出た。
不明って何だ。
そこは調べておけよ。
八百年間、何をしていたんだ。
「……つまり、辞めると何が起きるか分からない?」
『肯定』
「……」
俺は額を押さえた。
これは困った。
辞められない仕事。
責任者は自分。
引き継ぎ相手はいない。
しかも、何かあったら周辺住民に迷惑がかかる可能性がある。
こういう状況で、おっさんが取るべき行動はひとつだ。
「とりあえず、応急処置だけやろう」
「……引き受けるんですか?」
「いや、正式に引き受けるとは言ってない」
「でも、さっき……」
「応急処置と正式な管理契約は別だろ?」
俺は少女に向かって、人差し指を立てた。
おっさんの処世術、その二。
困っている人を助けることと、全部の責任を背負うことは違う。
手を貸すのはいい。
だが、相手の問題をすべて自分の問題にしてしまうと、最後には自分まで動けなくなる。
できることをする。
できないことは、できないと言う。
その線引きは必要だ。
俺は金属の板に向き直った。
「応急処置をする。まず、結界の状態を確認してくれ」
『承認。施設外周の結界を確認します』
目の前に新しい文字が浮かんだ。
『結界維持装置:停止』
『原因:動力不足』
『必要な処置:動力供給の再開』
「動力ねぇ……」
俺は部屋を見回した。
「どこにあるんだ?」
『管理者用通路を案内します』
壁の一部が光り、奥へ続く通路が現れた。
「……便利だな」
少しだけ感心した。
これなら、迷子にならずに済みそうだ。
少女が不安そうに尋ねる。
「本当に行くんですか?」
「行くよ。応急処置だからな」
「でも、危険かもしれません」
「そうだな」
「それでも?」
「だから、危険がありそうなら戻る」
少女は何か言いたそうに口を開き、結局閉じた。
俺は通路に足を踏み入れた。
竜が当然のようについてくる。
「……君も来るの?」
竜は頷いた。
「そうか。まあ、よろしく」
竜に挨拶をする中年男性。
我ながら、妙な人生を送っている。
通路を進むと、やがて小さな部屋にたどり着いた。
中央には大きな装置があり、その周りには配管のようなものが伸びている。
装置の表面には埃が積もり、隙間には枯れ葉まで入り込んでいた。
「……うわぁ」
俺は思わず声を漏らした。
「これ、掃除したら動くんじゃないか?」
『動作不良の原因を確認します』
文字が浮かぶ。
『原因の六十二パーセントは異物の堆積です』
「ほらな」
思わず得意げになる。
少女が呆れた顔をした。
「おじさん、何で分かるんですか?」
「いや、何となく」
掃除の現場では、見た目で分かる不具合もある。
空気の通り道が塞がっている。
可動部分にゴミが詰まっている。
排水口が汚れている。
そういうのは、案外多い。
もちろん、魔法の装置なんて初めて見る。
だから、無理はしない。
俺は装置の周囲を確認し、外せそうなカバーだけを慎重に開いた。
「……よし。まずは周りを綺麗にするか」
籠から布を取り出す。
薬草を入れるための布袋だったが、今は仕方ない。
装置の表面を拭く。
隅の埃を取り除く。
枯れ葉を拾う。
配管の周りに詰まった汚れを、手の届く範囲で取り除く。
すると。
――カチッ。
小さな音がした。
「ん?」
装置の一部が淡く光る。
『異物除去を確認』
『動力伝達経路、一部復旧』
続いて、別の場所から音がした。
――カチッ。
――カチッ。
装置の表面に、次々と光が走る。
「……おお」
俺は少し感動した。
掃除をしたら、ちゃんと動いた。
当たり前のことなのに、こういう瞬間は嬉しい。
そして。
『施設設備の稼働率が上昇しました』
『十二パーセントから二十六パーセントへ』
「……倍以上じゃん」
思わず笑った。
少女は目を丸くしている。
「たったそれだけで……?」
「いや、詰まってたものを取っただけだぞ?」
「でも、古代の装置ですよ?」
「古代だろうが何だろうが、詰まっていたら動かないだろ」
俺は肩をすくめた。
おっさんの処世術、その三。
分からないことでも、分かる部分から手をつける。
全部を理解してから動こうとすると、いつまでも何も進まない。
ただし、危険なものは触らない。
分からない配線を勝手につないだり、見慣れないボタンを押したりするのは別の話だ。
掃除できるところを掃除する。
目で見て分かる問題を直す。
それだけでも、状況は少し変わる。
俺が満足していると、頭の中に再び声が響いた。
『管理者の適性を確認しました』
「……は?」
『施設管理技能:認定』
『清掃技能:認定』
『設備保全技能:認定』
『管理者権限を更新します』
「ちょっと待て!」
俺は慌てて装置から離れた。
「今、何を認定した?」
『管理者としての適性を確認しました』
「いやいやいや。俺は掃除しただけだぞ?」
『清掃は施設管理の基本です』
「それはそうかもしれんが!」
『管理者権限を拡張します』
「いや、拡張しなくていい!」
しかし、声は聞いてくれなかった。
目の前に文字が浮かび上がる。
『新機能:施設状態の可視化』
『新機能:簡易設備診断』
『新機能:清掃対象の検出』
「……」
俺は黙って文字を眺めた。
便利そうではある。
便利そうではあるが。
「……これ、断れないの?」
『現在の権限では変更できません』
「そうですか」
俺はため息をついた。
仕事というのは、こういうところがある。
ちょっと頑張る。
褒められる。
仕事が増える。
さらに頑張る。
また仕事が増える。
気づけば、最初の仕事とは別物になっている。
おっさんの処世術、その四。
仕事ができることと、仕事を全部引き受けることは別。
これだけは、忘れないようにしよう。
そんな決意をしていたときだった。
――ゴゴゴゴゴゴ。
施設全体が揺れた。
少女が俺の服を掴む。
「な、何ですか!?」
『警告』
『施設外周の結界が不安定です』
『外部からの攻撃を検知』
「……攻撃?」
俺は顔を上げた。
その瞬間、壁に光の映像が浮かび上がった。
森の外。
そこには、巨大な赤い竜がいた。
黒い竜よりも一回り大きく、全身から炎のような光を放っている。
赤い竜は翼を広げ、結界に向かって咆哮していた。
――グオオオオオッ!
映像が激しく揺れる。
『守護者への敵対行動を確認』
『施設の防衛機能が停止しています』
「……おいおい」
俺は思わず額を押さえた。
やっぱり面倒なことになった。
黒い竜が俺の隣で低く唸る。
少女は震えていた。
「ま、まさか……あれは、災厄の竜です」
「災厄?」
「昔、いくつもの街を滅ぼしたと言われる竜です……」
「……」
俺は映像を見つめた。
確かに、危険そうだ。
とても危険そうだ。
だが、俺には剣術も魔法もない。
あるのは、さっき認定された清掃技能と設備保全技能。
そして、長年の社会人生活で身につけた処世術くらいだ。
「……なあ」
俺は少女に尋ねた。
「この施設って、外から攻撃されたらどうなるんだ?」
「結界が壊れれば、中にいるものは危険です」
「修理は?」
「古代の施設ですから……普通は無理です」
「普通は、ね」
俺は金属の板を見た。
目の前には、施設の状態を示す文字が浮かんでいる。
『防衛装置:停止』
『結界維持装置:稼働率三十一パーセント』
『施設損傷率:七十八パーセント』
そして、その下に。
『推奨対応:動力供給の再開』
「……結局、動力か」
俺は装置を見た。
さっき掃除したことで、少しだけ動き始めたらしい。
ならば、まだできることはある。
ただし。
無茶はしない。
分からないものは触らない。
責任範囲を確認する。
そして、最も大事なこと。
「……よし。まずは避難経路を確保しよう」
「え?」
「ここが危ないなら、逃げ道が必要だろ。動力を直すのはそのあとだ」
少女が驚いた顔をした。
「でも、竜を倒さないと……!」
「倒す?」
俺は思わず聞き返した。
「俺が?」
「……」
「無理だろ」
即答だった。
黒い竜が、なぜか不満そうに鼻を鳴らした。
「いや、君は強いのかもしれないけど、俺は違うからな」
竜は首を傾けた。
どうやら納得していないらしい。
俺は苦笑した。
「俺は俺にできることをする。それで駄目なら、そのとき考える」
そう。
若者には若者の戦い方がある。
剣を振るい、魔法を放ち、強敵に立ち向かう。
それはそれで立派だ。
だが、おっさんにはおっさんの戦い方がある。
相手をよく見る。
状況を整理する。
無理なことは無理と言う。
使えるものは使う。
そして、何より。
生きて帰ることを最優先にする。
「さて……」
俺は金属の板を持ち直した。
「管理者さんよ。避難経路を表示してくれ」
『承認』
目の前に光の道筋が現れる。
続いて、施設の見取り図が浮かび上がった。
その中に、ひとつだけ気になる場所があった。
『動力室』
その隣に、赤い文字。
『清掃未完了』
「……」
俺は思わず笑った。
「こんなときまで掃除かよ」
だが、笑っている場合ではない。
外では災厄の竜が暴れている。
結界は弱っている。
動力室は使えない。
そして、俺の目の前には、まだ手つかずの仕事が残っている。
俺は籠を背負い直した。
「……分かったよ。やってやる」
少女が不安そうに俺を見る。
「おじさん……」
「ただし、ひとつ約束してくれ」
「何ですか?」
「俺が無理だと言ったら、ちゃんと逃げること」
少女は少し驚いたあと、真剣な顔で頷いた。
「……分かりました」
「よし」
俺は通路の奥へ歩き出した。
剣を腰に差し、金属の板を手に持つ。
黒い竜が、その後ろについてくる。
さて。
薬草採取の報酬は、どうなることやら。
俺はそんなことを考えながら、動力室へと向かった。




