決めるだけなのに・・・
なかなかまとまらず時間が掛かってしまいました。
翌朝、管理端末を起動すると、通知が三件届いていた。
一件目は王国管理局。
二件目も王国管理局。
三件目は王立封印監査局。
どれも昨日、俺が送った照会への返答だった。
仕事が早い。
ただし、仕事が早いことと、問題が早く片づくことは別である。
前の職場でも、問い合わせを送った翌朝に返事が来ることはあった。たいていの場合、返事の内容は「担当部署に確認します」だった。
今回はどうだろう。
俺は一件目を開いた。
マルタ・エインズ監査官に関する利益相反確認について。
文面は簡潔だった。
マルタ・エインズは、現在進行中の俺の報酬審査には直接関与していない。過去の承認記録にも、彼女の署名や承認権限の使用履歴は確認されていない。
ただし、彼女が所属する監査部門は、過去に管理者補佐の勤務状態および報酬保留に関する記録を扱ったことがある。
そのため、正式な担当指定に先立ち、過去の担当案件との重複を本人に申告させる必要がある。
最後に、こう書かれていた。
『本人は、独立確認者としての職務を引き受ける意思を示しています。ただし、正式な任命は利益相反確認の完了後となります』
「よし。少なくとも、仕事を引き受ける人はいる」
俺は小さくうなずいた。
独立確認者というのは、何も知らない人を連れてくればいいわけではない。知識がなければ確認できないし、事情を知りすぎていれば、過去の判断を守る立場になってしまう。
適度に詳しく、適度に無関係。
そんな都合のいい人間が簡単に見つかるなら、世の中の監査部門はもっと暇なはずだ。
俺は二件目を開いた。
こちらは、ローデリク・フェイン監査官についてだった。
彼は古い管理記録の復元を専門としている。今回の資料を読み解く能力は十分にあるらしい。
問題は、過去の案件だった。
ローデリクは、約八百年前の管理記録を対象とした別件の調査で、記録の欠落や権限変更の履歴を整理する作業に関わっていた。
その調査が、エドガーの件と直接つながっているかどうかは、まだわからない。
しかし、調査対象となった年代と施設の記録区分が重なっていた。
本人はその点を申告し、今回の独立確認者への任命については、関係性が明らかになるまで保留を希望しているという。
「自分から保留を申し出たのか」
俺は文面を読み直した。
これは悪くない。
疑いがあるから排除するのではなく、疑いを確認するために一歩引く。少なくとも、今の段階で彼を独立確認者に据える理由はなくなった。
ただし、古い記録を読む技術まで失われるわけではない。
利益相反の疑いがある人間に、独立した判断を任せることはできない。
だが、過去に何を見たのか、どの記録を扱ったのかを説明してもらうことはできる。
役割を分ければいい。
俺はその方針をメモに残した。
そして、三件目。
王立封印監査局からの返答だった。
イリス・ヴェルナー監査官について。
彼女は現在の施設調査班に所属しておらず、今回の例外処理の承認記録にも名前がない。
過去の勤務記録によれば、当時の担当施設は別の場所だった。
ここまでは問題ない。
ただし、八百年前の人員配置記録には欠落があり、一定期間の応援勤務や臨時の技術協力があったかどうかを完全には確認できない。
つまり、関与していないと断言するだけの資料がない。
そのうえで、イリス本人は、封印系統と補助冷却設備の技術的な確認を引き受ける意思を示していた。
ただし、彼女自身も、独立性が確認できない部分については判断を保留すると明記している。
「こちらも、仕事をする気はある、と」
俺は三通の返答を机に並べた。
マルタは勤務状態と報酬の監査に向いている。
イリスは魔力流と設備記録の確認に向いている。
ローデリクは古い記録を読み解くのに向いているが、過去の調査との関係を確認する必要がある。
ならば、マルタを手続き上の独立確認者候補、イリスを技術面の独立確認者候補とし、二人の利益相反確認を進める。
ローデリクには、独立判断を求めず、過去の担当範囲について説明を依頼する。
それが今のところ、最も筋が通っている。
俺は正式な任命申請の下書きを作った。
送信ボタンを押す前に、ミレイを呼ぶ。
「ちょっと、この文面を見てくれないか」
ミレイは記録端末を抱えてやってきた。
「独立確認者の任命申請ですね。マルタ監査官とイリス監査官を別々の領域で指定する、と」
「そうだ。二人とも、まだ利益相反の確認が終わっていないから、正式任命じゃなくて候補者としての照会だ」
「その点はいいと思います。ただ、一つ気になります」
「何だ?」
ミレイは、申請書の一文を指で示した。
「ここです。『両名は、それぞれの専門領域において独立した確認を行う』。これだと、二人が互いの確認内容を検証する義務があるのか、別々に確認するだけなのか、わかりません」
「……確かに」
「それと、封印系統への影響についてイリス監査官が確認した場合、マルタ監査官はその技術的な結論を前提に、勤務状態や報酬の扱いを判断することになりますか?」
「いや。技術的な結論を、報酬の判断にそのまま持ち込むつもりはない。設備への影響と、エドガーの勤務状態は別の問題だ」
「なら、そのことも明記した方がいいです。設備の安全性が確認されても、エドガーの勤務状態が確定するとは限りませんから」
俺は申請書を修正した。
マルタには、勤務状態、停止申請の処理状況、報酬保留の根拠を確認してもらう。
イリスには、補助冷却設備の記録と封印系統への影響について、既存の観測記録を用いた技術的評価を依頼する。
両者は互いの専門判断を無条件に前提とせず、それぞれの確認範囲と限界を記録する。
設備の操作や停止は、今回の確認作業には含めない。
これなら、少なくとも責任の境目は見える。
「ありがとう。こういう書類は、一人で書いていると、書いた本人にしかわからない文章になるな」
「ゴトーさんは、書いた本人にもわからなくなることがあります」
「そこまでひどくはないだろう」
「昨日の安全確認手順書の第六項に、同じ内容が三回書いてありました」
「大事なことだからだ」
「二回で十分です」
ミレイは真顔だった。
俺は黙って申請書を送信した。
*
返答を待つ間に、俺たちはエドガーの記録へ戻った。
今度の目的は、独立確認者の候補を選ぶことではない。
八百年前の記録に残っていた、あの一行を確認することだった。
――独立確認担当者:指定予定。
――指定対象:管理者補佐。
――氏名:エドガー・ヴァレン。
――指定状態:未確定。
――最終処理:記録なし。
この記録が意味するものは、いくつか考えられる。
エドガーが、自分の停止申請について独立確認を受ける予定だった。
あるいは、管理者補佐として、別の誰かの処理を確認する役割を任される予定だった。
または、記録上の指定対象と実際の職務が食い違っている。
現状では、どれも仮説にすぎない。
そして、どれが正しいにしても、本人の名前が記録に残っている理由は確認しなければならない。
俺は、例外処理の本体を開かずに参照できる関連項目を探した。
閲覧可能な項目は、記録の作成元、登録時刻、参照元、処理状態。
実行条件や処理内容には、まだアクセスしない。
まず、指定予定の記録そのものが、どの操作によって作成されたのかを確認する。
画面に履歴が表示された。
記録種別:独立確認担当者指定予定。
作成権限:管理者権限。
作成者:記録なし。
承認者:前任管理者。
承認状態:承認済み。
担当者本人の受諾記録:なし。
指定確定処理:記録なし。
俺は画面を見つめた。
「承認はされている。でも、本人が引き受けた記録はない。指定確定の処理もない」
ミレイが隣で読み上げた。
「つまり、エドガーさんが独立確認者として正式に任命されていたとは言えませんね」
「そうだ。名前が載っていることと、正式に任命されたことは別だ」
「それに、本人が何を確認する予定だったのかも、まだわかりません」
「そういうことだ」
俺は履歴を保存した。
ここで一つ、気になる点があった。
エドガーの停止申請は、本人による停止申請として記録されている。
一方、独立確認者の指定予定では、本人の受諾記録がない。
もしエドガー自身の停止申請を、エドガー本人が独立して確認する予定だったのなら、手続きとして問題がある。
だが、彼が別の処理を確認する予定だったのなら、話は違う。
今の資料だけでは、そこを区別できない。
俺は仮説欄に、二つの可能性を書いた。
そして、その下に太字で追記した。
本人が自分の申請を確認する予定だったと断定しない。
疑わしい記録を見つけると、つい最も劇的な筋書きを考えたくなる。
しかし、仕事の現場で劇的な筋書きを採用すると、たいてい後で地味な事実に足をすくわれる。
俺は八百年前の管理者ではない。
八百年前の管理者が何を考えていたかを、今の俺が勝手に決める権利もない。
*
昼前、端末が短く鳴った。
新着通知だった。
送信元は、管理者補佐権限。
またエドガーの名前が表示されている。
俺はすぐには開かなかった。
先に通知のメタデータを確認する。
送信時刻は現在。
作成日時は記録なし。
生体情報による本人確認は未完了。
位置情報は、中央封印施設・管理者室。
参照元は、管理者補佐権限の記録。
前回と同じだった。
「本人からの返信とは、まだ言えないな」
ミレイがうなずいた。
「はい。権限に保存された応答なのか、現在のエドガーさんが送っているのか、区別できません」
「それでも、内容は確認する。記録として残す価値はある」
俺は閲覧を許可した。
表示された文章は、短かった。
『私の名前が、独立確認担当者の指定予定に残っていることを確認しました』
その下に、続きが現れる。
『その指定について、私は受諾していません』
俺は姿勢を正した。
ミレイも画面を見つめている。
さらに一行。
『私が確認する予定だったのは、私自身の停止申請ではありません』
喉の奥が、少しだけ冷たくなった。
俺たちが考えていた可能性の一つが、否定された。
ただし、この文章が本当にエドガー本人の言葉なら、という条件付きだ。
俺は先を読んだ。
『確認対象は、管理者権限による特別業務の継続指示です』
その次の行で、文章は途切れていた。
いや、正確には、途切れたように見えた。
画面の下部に、未取得の項目が表示されていた。
関連記録:継続指示の根拠。
参照状態:保留中。
閲覧条件:独立確認者の確定。
俺は椅子の背にもたれた。
「なるほど。先に独立確認者を決めろ、ということか」
「その関連記録を読むために、ですね」
「そうだ。ただし、今のメッセージが本物だと確認できたわけじゃない」
俺は通知と関連記録の表示を保存した。
そして、マルタとイリスへの候補者照会に、もう一つの確認事項を追加した。
エドガーの停止申請だけではなく、特別業務の継続指示についても、独立して調査できるか。
過去の記録に関わっていないか。
関係者から情報提供を受けた場合、その内容をどこまで検証できるか。
そして、独立確認者として指定された後に、自分の権限で調査対象の記録を変更せずに済むか。
最後の項目は、ミレイの提案だった。
「読む権限と、変更する権限は分けた方がいいです。今回の記録は、閲覧するだけでも何かの条件を満たす可能性がありますから」
「そうだな。見るだけのつもりが、手続き上は実行扱いになる。そういう仕組みがないとは言い切れない」
「ただし、あるとも断定できません」
「……その通りだ」
俺たちは、まだ何も実行していない。
保守空間B―七は開けていない。
例外処理の本体も開けていない。
エドガーの勤務状態も、報酬の保留も、そのままだ。
それでも、少しずつ輪郭は見えてきた。
八百年前、エドガーは何らかの特別業務を止めようとした。
管理者は継続を指示した。
停止申請は未完了のまま残った。
そして、エドガーとは別の誰かが、継続指示の根拠を確認するはずだった。
その確認者として、エドガーの名前が指定予定に登録された。
だが、本人の受諾はなく、指定は確定しなかった。
この一連の記録が、同じ処理の中でつながっているのか。それとも、別々の手続きが後から結びついて見えているだけなのか。
まだわからない。
ただ一つ確かなのは、俺の給料の審査が遅れている理由を調べていたら、八百年前の特別業務の継続指示に行き着いた、ということだ。
できれば、もっと平和な理由で報酬審査が遅れていてほしかった。
例えば、担当者が休暇中だったとか。
申請書の様式が古かったとか。
王国管理局の会計端末が故障していたとか。
そういう、よくある理由であってほしかった。
だが、現実はそうなっていない。
俺は新しい調査メモを作成した。
件名は、こうした。
『第七百九十九管理年度・特別業務継続指示に関する確認事項』
その下に、最初の一文を記した。
現時点では、継続指示の妥当性および停止申請が未完了となった原因について、結論を出さない。
書き終えたところで、施設の奥から低い振動音が響いた。
補助冷却設備の運転音だ。
いつもと同じように聞こえる。
だが、いつもと同じ音がすることは、設備が正常である証明にはならない。
八百年前のエドガーが残した言葉を、俺は思い出した。
俺たちは、既存の観測値を確認した。
大きな変化はない。
セシリアにも、設備を操作せずに魔力流を確認してもらう予定だ。
それ以上のことはしない。
黒い線が壁の中へ伸びているとしても。
その先に、八百年前の処理が残っているとしても。
まだ、壁を開ける理由にはならない。
独立確認者の正式任命は、返答待ち。
エドガーの所在は、未確認。
報酬は、保留。
B―七は、閉鎖中。
仕事というものは、片づけた数よりも、片づける順番の方が重要なことがある。
そして、俺の目の前には、まだ手をつけてはいけない仕事が山ほど積まれていた。
おっさんの処世術
専門家を一人にまとめない。 記録、会計、設備では必要な知識が違う。役割を分ければ、誰か一人の判断に全てを預けずに済む。
候補者と正式任命は別物。 名前が挙がっただけで、仕事を任せたことにはならない。
本人の記録らしいものも、本人の発言とは限らない。 便利な仕組みほど、誰が操作したのかを確かめる。
疑わしい記録は、疑わしいまま保存する。 早く結論を出すより、後から検証できる形で残す方が大切だ。
扉を開けない判断も、立派な仕事である。 先に進まないことと、何もしていないことは違う。
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