添付って厄介だよね
翌朝、俺は管理者室に入るなり、端末の前で足を止めた。
昨日の最後に表示された文字が、まだ残っていたからだ。
添付可能資料:一件
分類:管理者権限による保留処理
承認者:前任管理者
その下には、昨日までなかった項目が追加されていた。
資料の安全確認:未実施
閲覧条件:現管理者による確認
開封後の処理:不明
「……最後の一行、どうにかならなかったのか」
俺は端末に文句を言った。
もちろん、端末は返事をしない。
この施設の設備は高性能だ。だが、利用者の不安に配慮する機能は、八百年前から実装されていないらしい。
俺は資料を開かなかった。
まず画面を記録し、表示された項目を紙にも書き写した。次に、資料そのものの内容ではなく、外側の情報だけを確認する。
ファイルの容量。
作成者の識別情報。
登録日時。
保管場所。
そして、閲覧によって何らかの処理が実行される設定になっていないか。
最後の項目は、特に重要だ。
ファイルというものは、ただの文字や記録であるとは限らない。この施設では、管理者の操作が設備の動作に直結することがある。
中身を読むだけのつもりが、何かの承認になっていたら困る。
書類を読んだだけで責任者にされる。
世の中には、そういう仕組みが意外と多い。
*
「ミレイ、来てくれ」
数分後、ミレイが記録用の道具を持って入ってきた。
「資料は開きましたか?」
「まだだ。まず外側を確認している」
「それがよさそうですね。閲覧操作が、承認操作を兼ねている可能性もありますから」
「そうなんだよ。俺はまだ何も承認していない。読んだだけで八百年前の案件を引き受けたことにされたら、たまらない」
「もう管理者ではありますけど」
「管理者と、八百年前の未処理案件の責任者は別だ」
俺は画面を指した。
「そこは明確にしておきたい」
ミレイは端末の表示を読み、資料の属性情報を確認した。
やがて、眉をひそめる。
「作成日時がありません」
「エドガーの返信と同じか?」
「似ています。でも、こちらには登録日時があります。登録されたのは、今朝です」
「今朝?」
「はい。資料自体の作成日時は不明ですが、保管領域に追加されたのは、今朝の第一鐘の直後です」
第一鐘。
施設が朝の稼働開始を知らせる、あの音だ。
つまり、昨日までは存在しなかったのか。
いや、違う。
昨日までは、少なくとも俺たちに見えていなかった。
この二つは、似ているようで大きく違う。
「登録したのは誰だ?」
「記録上は、エドガー・ヴァレンの補佐権限です」
「本人確認は?」
「未完了です」
「だろうな」
俺は椅子を引いた。
ここまでの情報では、資料がエドガー本人によって用意されたのか、古い仕組みが自動的に登録したのか、第三者が補佐権限を使ったのか、判断できない。
ただ、一つだけ分かった。
資料は、俺が管理者権限で確認を始めたあとに、閲覧可能な状態になった。
それだけだ。
それ以上の物語を、勝手に作るのはやめておこう。
「レオンたちにも共有する。開封する前に、操作の影響を確認したい」
「封印監察局にも?」
「そうだ。今のところ、彼らは調査に協力している。危険があるかもしれない記録を、俺とミレイだけで扱う理由はない」
俺は連絡文を作成した。
資料の分類、登録日時、承認者の表示、本人確認が未完了であること。
それから、こちらがまだ開封していないこと。
最後に、確認したい事項を三つ添えた。
一、閲覧操作が何らかの設備動作を起こさないか。
二、資料の登録経路を調べられるか。
三、資料を開かずに、保管状態のまま検査できるか。
送信してから、俺は大きく息を吐いた。
「これで、少なくとも独断で開いたことにはならない」
「慎重ですね」
「慎重というより、失敗したときに『なぜ一人で開いたんですか』と聞かれるのが嫌なんだ」
「……それも大事な理由ですね」
「職場の安全管理は、格好いい理由だけでやるものじゃないからな」
*
返事が来たのは、しばらくしてからだった。
先に応答したのは、セシリアだった。
『資料そのものに、通常の閲覧権限とは異なる保護構造が付いています。現時点では、危険な仕掛けがあるとは断定できません。ただし、開封と同時に管理者権限の照合が走る可能性があります』
続いて、レオンからも連絡が届いた。
『保管領域の登録履歴を確認する。閲覧は待ってほしい。登録者の表示だけでは、本人が操作した証拠にならない』
どちらも、俺が欲しかった答えだった。
開けるな、ではなく。
どう確認すべきか、という答えだ。
俺は二人に礼を送り、資料の外側の情報だけをさらに調べた。
すると、ファイル名が一つだけ見つかった。
「第七百九十九管理年度・補佐業務引き継ぎ記録」
俺はその文字を見つめた。
「引き継ぎ記録……」
ミレイが小さく読み上げる。
「エドガーさんが記録を残した時期と一致しますね」
「そうだな。だが、題名だけで中身を決めつけるのはやめよう」
俺はファイル名を記録した。
その下には、資料の概要らしき短い説明が表示されていた。
記録対象:補佐業務、勤務状態、報酬処理、管理権限の移行
記録範囲:一名
対象者:エドガー・ヴァレン
添付資料の作成者:未確認
承認状態:保留
「……これ、エドガーの勤務記録じゃないか?」
「その可能性は高いですね。でも、作成者が未確認です」
「そうだ。だから、今の時点では『エドガーの勤務記録とされる資料』だな」
俺はわざと、言葉を正確にした。
誰の記録なのか。
誰が作ったのか。
なぜ保留されたのか。
そして、なぜ今になって登録されたのか。
それらは、まだ別々の問題だ。
ただし、報酬処理という言葉が含まれている以上、俺自身の給与審査にも関係する可能性がある。
管理局からの返答は、まだ来ていない。
俺の給料は、八百年前の誰かの勤務記録に引っかかったままだ。
現代の会社なら、給与担当に問い合わせているところだ。
この施設では、給与担当の代わりに八百年分の魔法設備と格闘している。
転職先として、あまりおすすめできない。
*
昼前、レオンとセシリアが管理者室に到着した。
ガルドも同行している。
資料はまだ開かれていない。
セシリアが端末の周囲に検査用の魔法陣を展開し、資料の保管領域を調べ始めた。
「まず、資料の中身ではなく、資料を開いたときに何が起きるかを確認します」
「頼む。俺は八百年前の書類を読むために、八百年分の事故報告書を書く気はない」
レオンが端末の表示を見て、静かに言った。
「この資料は、通常の保管記録とは別の領域にあります。閲覧者の権限を確認するための仕組みが、外側に付いているようです」
「それは、開いた瞬間に俺の管理者権限を何かに使う可能性がある、ということか?」
「可能性はあります。ただ、まだ具体的な動作までは分かりません」
セシリアが続けた。
「ただし、検査できた範囲では、資料の外側から設備を停止させる命令や、封印系統へ直接命令を送る経路は確認できませんでした」
「確認できなかった、というのは?」
「すべての危険がないと証明できたわけではない、ということです。少なくとも、今見えている構造には、そのような命令はありません」
「分かった。では、次の段階に進む前に、開封操作が承認操作を兼ねていないか、もう少し確認しよう」
レオンがうなずいた。
「その判断でいい。記録の閲覧と、記録の承認は分けるべきだ」
俺は思わずレオンを見た。
「分かってくれるか」
「何をだ?」
「職場で『ちょっと確認しておいて』と言われた仕事が、いつの間にか正式な承認扱いになっている怖さだ」
レオンは一瞬だけ黙った。
「……王立封印監察局にも、似た問題はある」
「どこの世界も同じだな」
ガルドが腕を組んだまま言った。
「話がそれているぞ」
「すまん。現場の人間同士、つい共感してしまった」
*
検査を始めてから、さらに時間が経った。
セシリアは、資料の閲覧操作が二段階に分かれていることを確認した。
一段階目は、記録の内容を読み取る操作。
二段階目は、記録に付随する管理権限の処理を確認する操作。
通常なら、この二つは一連の動作として実行される。
しかし、この資料では、別々に扱えるようになっていた。
「つまり、記録を読むだけなら、管理権限の処理を実行せずに済む可能性が高いということです」
「可能性が高い、か」
「はい。完全な保証ではありません。ただし、検査用の隔離環境を使い、読み取り専用の状態で開くことはできそうです」
俺はレオンを見た。
レオンは、資料の登録履歴を確認した結果を見せてくれた。
「登録処理は、今朝の第一鐘の直後に実行されている。ただし、誰が実行したかは分からない。補佐権限が自動で動いた可能性も、誰かがその権限を使った可能性も残っている」
「登録された時刻は分かる。でも、登録した人間は分からない。資料を開く準備はできた。でも、開いた後のすべてを保証できるわけではない」
「そういうことだ」
俺は、ここで初めて資料の開封を承認した。
ただし、承認したのは、隔離環境での読み取りに限る。
資料に付随する権限の処理は、実行しない。
その条件を記録に残し、レオンとセシリアにも確認してもらった。
「では、開きます」
セシリアが操作した。
画面が一度暗くなり、読み取り専用の表示に切り替わる。
それから、文書の最初のページが現れた。
古い紙を魔法で複写したような、かすれた文字だった。
最上部には、こう記されていた。
第七百九十九管理年度
管理者補佐勤務記録
記録者:エドガー・ヴァレン
その下に、勤務記録の一覧が続いていた。
通常勤務。
設備点検。
異常報告。
冷却系統の調査。
封印監察局への報告書作成。
どれも、過去に確認した記録と一致していた。
だが、ページの最後に、通常の勤務記録とは違う項目があった。
管理者指示による特別業務
実施状況:中断
中断理由:本人による停止申請
停止申請の処理:未完了
俺は、画面から目を離さなかった。
「本人による停止申請……」
ミレイが記録を拡大する。
その項目には、短い補足が付いていた。
申請理由:作業の継続により、封印系統への影響が発生するおそれがあるため
そして、その下に。
管理者判断:継続指示
部屋の空気が変わった。
誰も、すぐには口を開かなかった。
エドガーは、危険があると判断して作業の停止を申請した。
それに対して、当時の管理者は継続を指示した。
ただし、この記録だけでは、何を継続させようとしたのかまでは分からない。
特別業務の具体的な内容は、別の記録に移されていた。
その参照先には、例の区画名があった。
関連区画:保守空間B―七
「……なるほど」
俺は、ゆっくり息を吐いた。
添付資料の正体は、少なくともその一部については分かった。
これは、エドガーの勤務記録と、彼が停止を求めた特別業務に関する記録だった。
そして、その停止申請は未完了のまま残っている。
だからといって、当時の管理者が何を知っていたのか、エドガーが何を止めようとしたのか、今も同じ処理が続いているのかは、まだ分からない。
俺は、その三つを記録に書き分けた。
「ゴトーさん。次のページに、停止申請の原文があります」
ミレイが言った。
俺たちは、読み取り専用の状態を維持したまま、次のページへ進んだ。
そこには、エドガーの手書きらしい短い文章が残されていた。
――作業の目的と、封印系統への影響範囲が明確になっていない。
――補佐権限による監視記録と、現場で確認できる魔力の流れに不一致がある。
――現状のまま作業を継続すれば、設備の異常を検知できなくなるおそれがある。
――原因の確認が終わるまで、作業を停止するよう申請する。
文章はそこで終わっていた。
その下には、別の筆跡で一行だけ追記されている。
申請は受理した。ただし、作業は予定どおり継続する。
署名欄には、名前がなかった。
前任管理者の承認印だけが押されていた。
「この印が、前任管理者のものか確認できますか?」
俺が尋ねると、レオンは記録を保存した。
「照合できる。だが、印が一致したとしても、本人が内容を理解したうえで押したかどうかまでは分からない」
「そうだな」
印鑑があることと、責任の所在が明確であることは別だ。
俺は、その事実も記録に残した。
セシリアが、最後のページを指した。
「もう一つ、気になる記述があります」
そこには、停止申請の処理状況が記されていた。
停止申請:未完了
勤務状態:出勤待機中
報酬処理:保留
保留理由:特別業務の処理結果が未確定のため
俺は、椅子の背にもたれた。
エドガーの報酬が止まった理由は、退職したからではないのかもしれない。
彼の勤務状態が未確定なのも、単に記録が失われたからではないのかもしれない。
彼が停止を求めた特別業務が、正式に完了していない。
そのために、勤務記録も報酬も、保留されたままになっている。
そう考えれば、いくつかの点はつながる。
だが、まだ仮説だ。
この資料は、勤務と報酬の保留が、特別業務の未完了と関連していたことを示している。
しかし、その業務が今も続いているのか。
誰が継続を命じたのか。
エドガーが今どこにいるのか。
それは、別に確認しなければならない。
「……よし。今日は、ここまでにしよう」
ミレイが少し驚いた顔をした。
「まだ、次のページがありますよ?」
「だからこそだ。ここまでの記録を保存して、内容を照合する。今すぐ全部を読み進めるより、まず分かったことを整理したい」
俺は資料を閉じた。
もちろん、読み取り専用の状態を解除せず、管理権限の処理も実行していない。
最後に、記録へ一文を追加した。
「本資料により、エドガー・ヴァレンの停止申請と特別業務の未完了が確認された。B―七の開放および特別業務の再開は、引き続き保留とする」
それから、関係者全員に共有した。
誰かを責めるためではない。
次に同じ判断をするとき、同じ情報を全員が見られるようにするためだ。
管理者室を出る直前、端末が一度だけ鳴った。
画面には、新しい通知が表示されていた。
エドガー・ヴァレン:応答待機中
その下に、小さな文字が追加されている。
停止申請の記録を確認しました。
俺は立ち止まった。
ミレイも、レオンも、同じ表示を見ていた。
続いて、もう一行が現れた。
ただし、停止申請は、まだ完了していません。
俺は画面を見つめた。
誰がこの文章を送ったのか。
エドガー本人なのか。
それとも、彼の補佐権限に残された仕組みなのか。
まだ分からない。
だが、今の一文は、俺たちが読んだ記録の内容と一致していた。
そして、八百年前に中断されたはずの仕事は、今も「未完了」として扱われている。
「……明日は、管理局への照会と、第三点検箇所の確認だな」
俺は予定表を開いた。
B―七の開放は、まだしない。
エドガーの所在も、まだ確定しない。
それでも、調査は一歩進んだ。
少なくとも、彼がただ記録から消えたのではなく、何かを止めようとしていたことは分かった。
八百年前の職場で、誰かが危険を訴えた。
その申請は受理された。
だが、作業は続けられた。
そして、停止申請は未完了のまま、今の俺に引き継がれている。
俺は端末の電源表示を確認した。
施設の稼働率は、相変わらず九パーセント台。
俺の給与審査も、相変わらず保留。
エドガーの勤務状態も、相変わらず出勤待機中。
八百年という時間が経過しても、未処理の案件は未処理のままだった。
時間が経てば自然に解決する問題もある。
しかし、誰も完了処理をしなかった仕事は、八百年経っても終わらない。
……これだけは、夢の世界でも現実と変わらないらしい。
おっさんの処世術
資料の正体が分かっても、内容のすべてが真実だとは限らない。 記録が示す事実と、そこから考えられる仮説は分けておく。
承認印があることと、正当な判断だったことは別。 誰が何を理解して承認したのか、記録を確認する。
停止申請が未完了なら、勝手に再開しない。 中断した理由が解決した証拠を先に探す。
勤務記録と報酬記録は、別々に見えてつながっていることがある。 原因を確認せず、片方だけを処理しない。
分かったことが増えた日は、作業を増やすより記録を整える。 次の担当者が同じ場所から安全に調査を再開できるようにする。




