過去からの出勤
朝、俺は起きてすぐに原本台帳を確認した。
昨夜、寝る直前に見た表示が、どうしても気になっていたからだ。
『管理者補佐エドガー・ヴァレン』
『次回勤務予定:明日』
明日というのは、八百年前の明日なのか。
それとも、現在の明日なのか。
そもそも、勤務予定が残っているということは、エドガーは八百年前から出勤する予定だったのか。
そして、出勤予定を登録した人間は、八百年も予定を放置していたのか。
俺は台帳を開いた。
『管理者補佐エドガー・ヴァレン』
『勤務予定:本日』
『勤務状態:出勤待機中』
「……出勤待機中?」
嫌な予感がした。
俺は、管理者になってから覚えた操作を使い、詳細表示を開いた。
『出勤予定時刻:第三区画鐘楼の第一鐘』
『勤務場所:保守空間B―七』
『勤務内容:旧式接続経路の調査』
『管理者承認:保留中』
俺はゆっくりと椅子に座った。
「八百年前の人間が、今日、出勤する予定になっている」
誰もいない管理者室に向かって、俺はつぶやいた。
「そして勤務場所は、俺たちが昨日開けられなかった区画だ」
これは偶然かもしれない。
古い予定表が、何らかの理由で現在の日付に変換されているだけかもしれない。
だが、無視していい情報でもない。
俺は記録板を手に取った。
まずは、ミレイを呼ぶ。
次に、セシリアとレオンに連絡する。
ガルドには安全確保を頼み、黒竜DR-001にも同行してもらう。
それから、管理者室の壁に貼ってある予定表を見た。
今日の予定は、すでに埋まっていた。
補助冷却系統の追加調査。
保守空間B―七の権限設定記録の確認。
エドガーの勤務記録の照合。
王国管理局への追加資料提出。
そこへ、新しい予定が一つ加わった。
『八百年前の勤務予定に関する確認』
「……予定表が、俺の人生を侵食している」
俺は深いため息をついた。
異世界に来て、勇者になったわけでも、王様になったわけでもない。
なぜか八百年前の勤怠管理まで担当している。
転職サイトがあるなら、今すぐ登録したい。
*
朝食後、管理者室に全員が集まった。
「つまり、原本台帳にエドガーの出勤予定が表示されたんですね」
ミレイが確認する。
「そうだ。勤務場所は保守空間B―七。勤務内容は旧式接続経路の調査」
俺は表示を全員に見せた。
セシリアが記録を慎重に確認する。
「日付の変換規則に異常が起きている可能性があります。古い勤務予定が現在の日付に割り当てられたのかもしれません」
「つまり、本人が今日来るとは限らない?」
「はい。勤務予定の表示だけでは、本人の存在や現在の状態を確認できません」
レオンもうなずいた。
「王立封印監察局としても、本人確認が取れるまでは、これを現存する職員の出勤予定とは扱えません」
「よし。じゃあ、勝手に出勤してくる前提では動かない。ただし、何かが起きる可能性には備える」
俺は記録板に書き込んだ。
『エドガー・ヴァレンの勤務予定を確認』
『本人の所在および勤務状態は未確認』
『保守空間B―七への立ち入りは、権限確認と安全評価が完了するまで行わない』
ガルドが腕を組んだ。
「もし、予定時刻に区画が自動的に開いたら?」
「入らない」
「中から声が聞こえたら?」
「まず、外から呼びかけて応答を確認する。必要ならセシリアに魔力反応を調べてもらう」
「助けを求める声だったら?」
俺は少し考えた。
「緊急性を確認する。人命に関わる可能性があれば、可能な範囲で安全確保を進める。ただし、確認なしに全員で飛び込むのは避ける」
ガルドは満足したようにうなずいた。
「了解しました」
「あと、誰かが『俺だけ行く』と言い出したら止めてくれ」
俺は全員を見回した。
「特に、俺を」
「ゴトーさん、自分で言うんですね」
ミレイが笑った。
「管理者は、自分の欠点を把握しておく必要があるからな。俺の欠点は、問題が見つかると、とりあえず現場へ行きたくなることだ」
「それは欠点というより、現場責任者の性格では?」
「現場責任者の性格でも、危険なときは欠点になる」
俺たちは役割を決めた。
ミレイは勤務記録と日付の照合。
セシリアは魔力反応の監視。
レオンは監察局との連絡と証拠保全。
ガルドは安全確保。
俺は管理者権限の確認と、現場全体の判断。
黒竜は周囲の異常な魔力の流れを監視する。
準備が整ったところで、原本台帳に表示されていた時刻まで待つことにした。
*
第一鐘が鳴る少し前。
俺たちは、保守空間B―七の手前にある安全区画に集まっていた。
点検口には触れていない。
その前に簡易の魔力測定器を設置し、周囲の変化を記録している。
セシリアが測定板を見つめた。
「現時点では、通常の冷却系統以外に大きな変化はありません」
「黒竜は?」
『壁の向こうに、弱い魔力の流れがある。昨日と大きくは変わらぬ』
「よし。引き続き観察だ」
鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
最後の鐘が響いた瞬間、点検口の表示板が光った。
『勤務予定時刻に到達しました』
俺は息を止めた。
続いて、別の文字が浮かび上がる。
『出勤確認を開始します』
『対象:エドガー・ヴァレン』
『本人確認:未完了』
『勤務場所:保守空間B―七』
その直後、点検口の向こうから、かすかな音が聞こえた。
カチリ。
何かが動いたような音だった。
ガルドが前に出る。
「全員、距離を取ってください」
俺たちは一歩下がった。
点検口の表示が変わる。
『管理者補佐権限を確認中』
『管理者権限との照合を開始』
セシリアの測定板が、かすかに震えた。
「魔力の流れが変化しています。ただし、急激な増加ではありません」
「冷却系統への影響は?」
「現時点では、確認できません」
数秒後。
表示板に、赤い文字が浮かび上がった。
『出勤確認:失敗』
『理由:本人の実体情報を確認できません』
俺は思わず眉をひそめた。
「やっぱり、記録上の予定だけなのか?」
だが、表示はそこで終わらなかった。
『代替確認を開始します』
『管理者補佐権限の所在を確認してください』
「……権限の所在?」
ミレイが記録板を確認する。
「エドガーの管理者補佐権限は、まだ有効と表示されています。でも、権限がどこに存在しているかは、記録にありません」
「つまり、権限は有効なのに、誰が持っているのかわからない?」
「はい」
俺は点検口を見た。
八百年前の出勤予定。
本人の実体情報は確認できない。
しかし、管理者補佐権限は有効。
そして今、その権限の所在を確認しようとしている。
何かがおかしい。
だが、まだ何がおかしいのかはわからない。
俺は表示板に向かって告げた。
「こちらは現管理者ゴトーだ。本人の所在が確認できていないため、出勤処理を確定しない。権限の所在を確認できる記録を提示してほしい」
表示板は、しばらく沈黙した。
やがて、文字が浮かび上がる。
『記録の提示には、管理者補佐権限の承認が必要です』
俺は天井を見上げた。
「権限の所在を調べるために、その権限が必要なのか」
「また循環していますね」
ミレイが小さく言った。
「八百年間、誰もこの仕組みを直さなかったのか……」
そのとき、黒竜が低い声を発した。
『待て』
全員が黒竜を振り返った。
『壁の向こうの流れが、こちらへ向きを変えた』
セシリアが測定板を確認する。
「本当です。魔力の流れが、点検口に向かっています」
「冷却系統から来ているのか?」
「まだ断定できません。ですが、通常の流れとは異なる動きです」
俺はすぐに判断した。
「調査を一時停止。測定を継続。点検口には触れない。冷却系統の数値に変化があれば、すぐに報告してくれ」
ガルドが全員を安全区画の奥へ誘導する。
点検口の表示板には、新しい文章が浮かび上がった。
『管理者補佐権限の所在を検出』
『所在:中央封印施設・管理者室』
俺は動きを止めた。
「……管理者室?」
ミレイが、ゆっくりとこちらを見た。
「エドガーの権限が、管理者室にあるということでしょうか」
「表示どおりなら、そういうことになる」
「でも、管理者室にはゴトーさんしか……」
「いや。管理者室には、俺の管理者証も、原本台帳も、記録板もある。権限の所在が、物理的な場所を指しているとは限らない」
レオンが口を開いた。
「戻って確認しましょう。こちらの区画をこれ以上操作する必要はありません」
「同意する。記録を保存して、いったん管理者室へ戻ろう」
俺たちは点検口をそのままにして、施設の中央へ戻った。
誰も走らなかった。
誰も勝手に扉を開けなかった。
誰も、エドガーがいると断定しなかった。
全員が、決めた手順に従った。
こういうとき、現場の人間が冷静でいてくれるのは、本当にありがたい。
俺一人だったら、気になって点検口を叩いていたかもしれない。
もちろん、そんなことをしたらガルドに止められただろう。
*
管理者室に戻ると、原本台帳は通常の表示に戻っていた。
俺は記録板を机に置き、管理者権限の一覧を開いた。
管理者レベル五。
施設の運用権限。
原本台帳の閲覧権限。
そして、未処理案件の管理責任。
その下に、見慣れない項目があった。
『管理者補佐権限』
『権限保持者:エドガー・ヴァレン』
『権限状態:有効』
『権限接続先:現管理者端末』
俺は、しばらく画面を見つめた。
「俺の端末につながっている?」
ミレイが横から確認した。
「はい。表示はそうなっています」
「いつからだ?」
俺は、権限の履歴を開いた。
『接続開始:記録なし』
『接続理由:引き継ぎ処理』
『承認者:前任管理者』
『承認日時:欠損』
『現在の管理者による再確認:未実施』
またしても、記録の欠損だ。
だが、今回は一つだけ違う点があった。
権限の接続先が、現在の俺の端末になっている。
これは、エドガーが俺に権限を引き継ごうとしているということなのか。
それとも、引き継ぎ処理が何らかの理由で未完了のまま残っているだけなのか。
俺は画面を閉じずに、全員へ説明した。
「この権限は、エドガーの名前で有効になっている。ただし、本人が現在どこにいるかは確認できていない。接続開始日時も欠損している。だから、これを正式な引き継ぎとして扱うことはできない」
レオンがうなずく。
「権限の接続先がゴトー殿の端末になっている点は、監察局でも確認する必要があります」
「そうだな。原本の複製を渡す。ただし、こちらで権限を解除したり、変更したりはしない。まずは、何の権限なのかを確認する」
セシリアが慎重に言った。
「この接続が、補助冷却系統の異常と関係している可能性もあります」
「あるかもしれない。だが、今は可能性だ。確認するまでは、権限を使って設備を動かすことは避けよう」
俺は権限の詳細を開いた。
すると、最後の項目が目に入った。
『管理者補佐権限の主な機能』
『施設運用の補助』
『旧式保守区画の閲覧』
『管理者への異常報告』
『報酬申請および勤務記録の照合』
「……待て」
俺は画面を指さした。
「報酬申請および勤務記録の照合?」
ミレイが首をかしげる。
「管理者補佐の仕事としては、不自然ではないと思いますが」
「いや、そうじゃない」
俺は、昨日届いた管理局の通知を開いた。
そこには、俺の報酬申請の支給額確定に、エドガーの処理状況の確認が必要だと書かれていた。
そして、今の表示では、エドガーの権限が俺の管理者端末につながっている。
この二つが関係している可能性はある。
つまり、エドガーの権限が未処理のまま残っているために、俺の報酬申請も保留されているのかもしれない。
だが、まだ確定ではない。
俺は、管理局へ送る問い合わせ文を作成した。
『現管理者報酬の支給額確定にあたり、前任管理者補佐エドガー・ヴァレンの未処理案件が参照されている理由をご説明ください。また、管理者補佐権限が現管理者端末に接続されている状態について、制度上の扱いと安全上の留意事項をご教示ください』
書き終えて、俺は送信した。
「これで、制度の面からも確認できる」
ミレイが笑った。
「ゴトーさん、こういう問い合わせ文を書くのは慣れていますね」
「異世界に来る前から、説明を求める書類には何度もお世話になっているからな」
「説明を求める側ですか?」
「説明を求める側も、説明する側も経験した。どちらも大変だ」
俺は椅子に背を預けた。
今日わかったことは、少なくない。
エドガーの出勤予定は、現在の施設で処理されている。
本人の実体情報は確認できていない。
管理者補佐権限は有効で、現在の管理者端末に接続されている。
そして、その権限は、旧式保守区画や報酬申請の照合にも関係している。
ただし、権限が接続されている理由も、エドガーの所在も、冷却系統との関係も、まだわからない。
俺は予定表を開き、明日の作業を書き込んだ。
第一に、監察局からの回答を確認する。
第二に、管理者補佐権限の機能を調べる。
第三に、補助冷却系統の測定を継続する。
第四に、管理局からの報酬申請の回答を確認する。
「……よし」
俺は記録板を閉じた。
すると、原本台帳が静かに光った。
『管理者補佐権限から、メッセージを受信しました』
俺は、すぐに全員を呼び戻した。
メッセージの送信元は、エドガー・ヴァレン。
表示された文章は、短かった。
『管理者ゴトーへ』
『権限の接続を確認しました』
『ただし、これは引き継ぎ完了を意味しません』
俺は画面を見つめた。
次の行が現れる。
『私の所在を確認する前に、保守空間B―七を開けないでください』
さらに、もう一行。
『あの区画には、私の記録だけでなく、私が止められなかった処理が残っています』
室内の空気が静まり返った。
俺はすぐに返信欄を開いた。
「エドガー・ヴァレン。メッセージを受信した。本人確認は未完了だが、警告内容は記録した。保守空間B―七の開錠は行わない。あなたの所在と、残された処理の内容を確認したい」
送信。
しばらく待った。
返事は来なかった。
俺は椅子に座り直した。
「……さて」
ミレイが不安そうに尋ねる。
「どうしますか?」
「まずは、警告を記録する。保守空間B―七には立ち入らない。権限の機能と接続経路を調べる。それから、エドガーの所在を確認する」
「はい」
「それと、明日の予定に一つ追加だ」
俺は予定表を開いた。
『管理者補佐権限からのメッセージについて、本人確認および記録の真正性を調査』
入力してから、俺は深くため息をついた。
「八百年前の同僚が、ようやく連絡してきたと思ったら、引き継ぎは未完了。しかも、残した仕事には手をつけるなと言う」
ミレイが苦笑した。
「慎重な方なのかもしれませんね」
「そうだな。俺も、よく知らない相手には慎重でありたい」
俺は机の上の書類を見た。
給与申請は未確定。
冷却系統の異常は調査中。
エドガーの所在は不明。
そして、保守空間B―七には、彼が止められなかった処理が残っている。
問題は、まだ山積みだ。
だが、少なくとも、やってはいけないことが一つわかった。
正体のわからない権限を、よく調べもせずに使わないこと。
そして、警告を受けた区画を、好奇心だけで開けないこと。
俺は最後に、原本台帳へ記録を残した。
『管理者補佐権限から警告を受信』
『保守空間B―七への立ち入りを保留』
『本人確認および権限の安全性を調査中』
保存を確認し、俺は立ち上がった。
「よし。今日はここまでだ」
「もう終わりですか?」
「終わりだ。明日の仕事は明日やる。今夜まで働いても、八百年前の記録が勝手に整理されるわけじゃない」
俺は扉へ向かった。
異世界の管理者になって、ようやく覚えたことがある。
仕事を進めるのは大切だ。
だが、仕事を止めるべきときに止めるのも、同じくらい大切だ。
そして、どれだけ謎が深くても、睡眠時間まで差し出す必要はない。
……できれば、給料も早く出してほしい。
そうすれば、もう少し前向きに八百年前の同僚と付き合える気がする。
おっさんの処世術
予定が表示されたからといって、本人がそこにいるとは限らない。 記録と現実は、別々に確認する。
権限が有効でも、使って安全とは限らない。 機能、接続先、履歴を確認してから操作する。
警告を受けたら、まず記録し、作業を止める。 好奇心よりも、現場の安全を優先する。
わからない相手との引き継ぎは、責任範囲を確認してから。 「引き継ぎ完了」と「連絡がついた」は別の話だ。
複数の問題が絡んでいるときは、関係性を決めつけない。 それぞれの事実を調べ、証拠を照合する。
仕事を止める判断も、立派な仕事である。 無理に進めるより、安全に次へつなぐほうがいい。




