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おっさんの処世術は異世界でも有効だった。  作者: 畑酪 砂竹
おっさんの仕事術
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17/32

勝手に増える管理責任

翌朝、俺は食堂でパンを三つ確保した。


 昨日の俺は、明日の朝はパンを多めに用意しようと言った。


 そして今朝、パンを三つ確保した。


 計画どおりである。


 問題は、パンを三つ食べる前に、管理者としての仕事が三つ増えたことだった。


「ゴトーさん、王立封印監察局から連絡が届いています」


 ミレイが記録板を持ってきた。


「内容は?」


「エドガー・ヴァレンの音声記録について、調査を開始するそうです。それと、過去の立ち入り制限に関する文書が一部見つかったとのことです」


「おお。仕事が進んでいるな」


「ただし、原本の照合には時間がかかるそうです」


「まあ、八百年前の書類だからな。すぐに出てくるほうがおかしい」


 俺はパンを一つ食べた。


「ほかには?」


「王国管理局から、追加資料の提出期限が再通知されています」


「……なぜ、いい知らせの直後に悪い知らせを置くんだ」


「同じ連絡便で届いたからでは?」


「配送担当者に罪はない。だが、気持ちの切り替えが難しい」


 俺は残りのパンを紙に包んだ。


 冷却系統の調査は午前中。


 給与申請の資料整理は午後。


 この順番で進める。


 予定表に書き込み、俺は管理者室を出た。


 すると、廊下の向こうから、黒竜のDR-001が歩いてきた。


『管理者ゴトー。冷却系統の調査に同行する』


「助かる。だが、通路が狭いから、設備を壊さないように頼む」


『我を何だと思っている』


「施設の守護者で、たまに廊下の幅を忘れる大きな同僚」


『記録しておこう』


「そこは記録しなくていい」


 異世界に来てから、俺は黒竜にまで評価される立場になってしまった。


 できれば、評価制度より先に給与制度を整えてほしい。


     *


 補助冷却系統の入口には、セシリアとガルドが待っていた。


 セシリアの手には、魔力反応を測定するための薄い板がある。ガルドは扉の周囲を調べ、安全確認を終えたところだった。


「現時点では、通路に目立った危険はありません。ただし、奥の配管区画には古い封鎖機構が残っています」


 ガルドが報告する。


「封鎖機構が作動した場合、戻れなくなる可能性は?」


「あります。そのため、退路を確保し、複数人で確認します」


「よし。危険が確認されたら引き返す。異常を見つけても、勝手に配管を外したり、魔力を流したりしない。いいな?」


「了解しました」


 俺たちは記録板に作業開始時刻を記録した。


 作業責任者は俺。


 魔力の測定はセシリア。


 安全確保はガルド。


 設備構造の確認はミレイ。


 黒竜は周囲の魔力の流れを感知する役割だ。


 そして俺は、全員の作業が重複していないかを確認する。


 これが現場管理というものだ。


 全員が同じ場所に集まって、全員が同じものを調べていたら、人数が多くても効率は上がらない。


「では、開始する」


 扉が開いた。


 内部は、冷たい空気に満ちていた。


 壁に沿って太い配管が走り、床には古い点検用の通路が伸びている。配管の継ぎ目には、かすかな青い光が浮かんでいた。


「冷却系統は、まだ稼働しています」


 セシリアが測定板を確認する。


「出力は低いですが、流れは維持されています」


「止めずに調査できそうか?」


「外部から測定する範囲なら可能です。ただし、奥の封鎖区画は別です」


「そこは後回しにしよう」


 俺たちは配管に沿って進んだ。


 最初の点検地点では、異常は見つからなかった。


 二つ目も、数値に多少の揺れがあるだけだった。


 そして、三つ目の点検地点。


 ミレイが足を止めた。


「ゴトーさん。ここを見てください」


 配管の継ぎ目に、細い黒い線が走っていた。


 それは、以前見つかった黒い筋に似ていた。


 ただし、同じものだと断定できるほど、はっきりした特徴はない。


「セシリア、測定を頼む」


「はい」


 セシリアは測定板を近づけた。


 光が揺れ、数値が浮かび上がる。


「この部分だけ、魔力の流れが周囲と異なっています。冷却系統の通常の流れとは別に、細い流れが存在しています」


「別の流れ?」


「はい。ですが、どこから来て、どこへ向かっているのかは、ここからでは判断できません」


 俺は黒い線を見つめた。


 八百年前の記録。


 エドガーの警告。


 今回の通信。


 そして、目の前の異常。


 すべてがつながっているようにも見える。


 だが、似た現象があるからといって、同じ原因とは限らない。


「写真……いや、この世界なら記録板か。ミレイ、位置と状態を記録してくれ。セシリア、測定値を保存。ガルド、周囲に危険がないか確認してほしい」


「了解です」


 そのとき、黒竜が低くうなった。


『この流れは、冷却系統だけを通っているわけではない』


 俺は振り向いた。


「どこにつながっている?」


『まだわからぬ。だが、壁の向こうへ伸びている』


「壁の向こうは?」


 ミレイが施設図を確認する。


「古い保守用の空間があります。現在の図面には、詳しい構造が載っていません」


「現在の図面にない空間、か」


 俺は額を押さえた。


「こういうものは、どうしていつも図面にないんだ」


 セシリアが苦笑する。


「古い施設では珍しくありません。増築や改修の際に、記録が更新されなかったのでしょう」


「それなら、更新されなかった理由も調べないとな」


 俺は記録板に新しい項目を追加した。


『補助冷却系統・第三点検地点』


『黒色の線状痕跡を確認』


『魔力の流れに通常と異なる部分あり』


『壁の向こうに未確認の保守空間が存在する可能性』


『原因および接続先は未確認』


 最後に、こう書き加えた。


『現時点では、設備の停止・分解を行わない』


 これでいい。


 異常を見つけたからといって、すぐに分解してしまえば、現状を壊すことになる。


 調査というのは、何かをすることだけではない。


 何をしないかを決めることも、重要な仕事なのだ。


     *


 調査を続けていると、壁の一部に古い点検口が見つかった。


 点検口には、ほとんど読めなくなった文字が刻まれている。


『保守空間B―七』


 ミレイが施設図と照合した。


「この番号は、現行の図面にはありません。でも、原本台帳の古い索引に、同じ番号が記録されています」


「何が書いてある?」


「『補助冷却系統・旧式接続区画』です」


「開けられるのか?」


「管理者権限の確認が必要です」


 俺は点検口の表示板に管理者証をかざした。


 反応はあった。


 しかし、表示されたのは開錠の案内ではなかった。


『保守空間B―七』


『管理権限:旧管理者に帰属』


『現在の管理者による開錠:制限中』


「旧管理者に帰属?」


 レオンがいれば、すぐに監察局へ連絡したところだろう。


 だが、いまここにいるのは現場の調査班だ。


 俺は表示を記録した。


「管理権限が旧管理者に残っているということか?」


「そのように読めます。ただし、旧管理者とは誰を指すのか、ここではわかりません」


 ミレイが答えた。


「八代目管理者か、エドガーか、それとも別の管理者か」


「そうだな。勝手に開けるのはやめよう」


 俺は管理者証を外した。


 その瞬間、点検口の表示板に文字が追加された。


『現在の管理者を確認』


『管理者レベル:五』


『未処理の引き継ぎ案件:一件』


『引き継ぎ対象:エドガー・ヴァレン』


 全員が黙った。


「エドガーの案件を処理しないと、開かないということか?」


 ガルドが尋ねた。


「そうかもしれない。だが、逆に考えると、エドガーの案件がここに関係している可能性もある」


 俺は表示板を見つめた。


 エドガーの職務状態は、まだ確認できていない。


 退職処理は無効。


 補佐権限は有効。


 報酬は停止。


 そして、旧式接続区画の管理権限は、旧管理者に帰属している。


 ここで必要なのは、エドガーの案件を無理に終わらせることではない。


 まずは、なぜ案件が未処理のままなのかを確認することだ。


「この区画の開錠制限について、記録を探す。誰が制限を設定したのか、いつ設定されたのか。それがわかるまでは開けない」


 セシリアがうなずいた。


「賢明な判断です。内部の状況が不明なまま開けるのは危険です」


 俺たちは点検口を閉じたまま、調査地点を離れた。


 そのとき、俺の記録板が小さく震えた。


 新しい通知が届いている。


 送り主は、外周管理塔だった。


『勤務記録保管室』


『新規記録を受信しました』


『記録者:エドガー・ヴァレン』


『記録内容:保守空間B―七への立ち入り申請』


『申請結果:却下』


『却下理由:管理者権限による保留』


 俺はその場で立ち止まった。


「また、管理者権限か……」


 管理者権限。


 便利な言葉だ。


 設備を動かすこともできる。


 記録を閲覧することもできる。


 そして、誰かの申請を止めることもできる。


 問題は、その権限を誰が、何のために使ったのかということだ。


 俺は通知を保存した。


 これで、エドガーが保守空間B―七に入ろうとしたことは確認できた。


 しかし、なぜ却下されたのかはわからない。


 却下が妥当だった可能性もある。


 危険な区画だったのかもしれない。


 必要な手続きが不足していたのかもしれない。


 あるいは、別の理由があったのかもしれない。


 今は、何も決めつけない。


 ただし、調査項目は増えた。


     *


 昼過ぎ、俺たちは管理者室へ戻った。


 セシリアは測定値を整理し、ミレイは現場記録と原本台帳の情報を照合している。


 ガルドは調査区画の安全確認を報告書にまとめていた。


 黒竜は入口の横で、今度こそ本格的に眠っていた。


 俺は机に座り、給与申請の資料を開いた。


「さて……」


 追加資料要求書には、八百年分の記録を提出しろと書かれている。


 しかし、八百年前の記録そのものが未処理案件の調査対象になっている。


 さらに、過去の記録には欠損や閲覧制限がある。


 つまり、今すぐ全部を提出することはできない。


 だが、できない理由を整理して提出することはできる。


 俺は資料を三つに分けた。


 一つ目は、確認済みの記録。


 二つ目は、所在が判明しているが、閲覧制限がかかっている記録。


 三つ目は、現時点で所在や内容を確認できない記録。


 それぞれに、確認日と担当者、次の対応を記載する。


「よし。これなら説明できる」


 ミレイが横からのぞき込んだ。


「八百年分を全部そろえるのではなく、現在の状況を説明するんですね」


「そうだ。そろっていないものを、そろったように見せても仕方がない。欠けているなら、何が欠けていて、なぜ欠けているのかを報告する」


「管理局が受け付けてくれるでしょうか」


「受け付けるかどうかは、向こうの判断だ。こちらは、確認できた事実を正確に提出する」


 俺は申請書の末尾に、補足文を加えた。


『過去の管理記録については、現在、原本台帳と関連施設の記録を照合中です。一部記録には閲覧制限および未処理案件が存在するため、確認できた範囲を先行して提出し、調査結果に応じて追加提出します』


 これで、提出できる準備は整った。


 少なくとも、何もしていないわけではない。


 俺は書類を提出用の封筒に入れた。


 その直後、別の通知が届いた。


『管理者報酬申請』


『一次審査結果:受理』


 俺は思わず立ち上がった。


「受理されたぞ!」


 ミレイが顔を輝かせた。


「では、報酬が支給されるんですか?」


 俺は続きを読んだ。


『ただし、支給額の確定には、現管理者の職務範囲および前任管理者補佐の処理状況の確認が必要です』


 俺は静かに椅子へ座り直した。


「……受理されたのは、書類だけだった」


「でも、一歩前進です」


「そうだな。ゼロから一になった。これは大きい」


 俺は自分に言い聞かせるようにうなずいた。


 給与の支給はまだ決まっていない。


 だが、申請が門前払いになったわけでもない。


 少しずつ、進んでいる。


 そのとき、通知の末尾に、小さな追記があることに気づいた。


『前任管理者補佐の処理状況について、原本台帳の記録を参照しました』


『未処理案件の管理責任者:現管理者』


 俺は画面を見つめた。


「……ミレイ」


「はい?」


「俺の給与申請と、エドガーの未処理案件が、同じ審査に入っている」


「つまり、エドガーの案件が解決しないと、ゴトーさんの報酬も確定しない可能性があるということですか?」


「その可能性がある」


 俺はゆっくりと息を吐いた。


 これは、偶然なのだろうか。


 管理局が単に規則どおり処理しているだけなのか。


 それとも、エドガーの報酬停止と、現在の管理者報酬に、何か共通する仕組みがあるのか。


 まだわからない。


 ただ、俺の仕事は、また一つ増えた。


 エドガーの職務状態を確認しなければならない。


 補助冷却系統の異常も調べなければならない。


 保守空間B―七の開錠制限についても、記録を探さなければならない。


 そして、給与申請の審査を進めるためにも、これらの調査が必要になるかもしれない。


「……よし」


 俺は予定表を開いた。


「明日は、保守空間B―七の権限設定記録を調べる。並行して、監察局からの回答を待つ。冷却系統の測定も継続。給与申請の進捗は、必要な範囲で確認する」


 ミレイが笑った。


「ゴトーさん、すっかり管理者ですね」


「そうか?」


「はい。仕事を整理して、担当者を決めて、記録を残して、次の予定を立てています」


「……そう言われると、少しは立派に聞こえるな」


「実際、立派だと思います」


 俺は照れ隠しに、残っていたパンを食べた。


「まあ、管理者というのは、問題を全部解決する人間じゃない。問題を放置せず、解決できる形にしていく人間なんだろうな」


 言ってから、俺は少し考えた。


「ただし、できれば報酬もつけてほしい」


「そこは譲らないんですね」


「当然だ。責任だけで生活できるなら、世界中の役所は給料を払わなくてよくなってしまう」


     *


 その日の夜。


 管理者室の照明を落とす前に、俺は原本台帳を確認した。


 今日の調査記録はすべて保存されている。


 冷却系統の異常。


 保守空間B―七。


 エドガーの立ち入り申請。


 申請の却下。


 管理者権限による保留。


 そして、俺の給与申請に関する審査状況。


 それぞれの記録を確認し、明日の予定を登録した。


 これで、今日の仕事は終わりだ。


 そう思った瞬間、原本台帳が淡く光った。


『管理者ゴトー』


『未処理案件に関する確認事項があります』


「……今度は何だ」


 表示されたのは、見慣れない項目だった。


『保守空間B―七』


『旧管理者権限の設定者:確認不能』


『権限設定の更新履歴:一部欠損』


『最終更新者:エドガー・ヴァレン』


 俺は目を細めた。


 エドガーが、立ち入りを却下された区画。


 その区画の管理権限は、旧管理者に帰属している。


 そして、権限設定の最終更新者として、エドガー自身の名前が記録されている。


「……どういうことだ?」


 ミレイは、もう部屋を出たあとだった。


 誰に確認することもできない。


 俺は記録を保存し、すぐに結論を出すのをやめた。


 エドガーが権限を設定したのか。


 設定を変更しようとしただけなのか。


 あるいは、彼の名義で別の処理が実行されたのか。


 記録が欠けている以上、判断できない。


 だが、明日の調査で確認すべきことは、はっきりした。


 俺は予定表に、最後の一行を書き加えた。


『保守空間B―七の権限設定者と更新履歴を調査』


 そして、記録板を閉じた。


 八百年前の謎は、まだ解けない。


 封印の異常も、まだ原因がわからない。


 エドガーの所在も、確認できていない。


 俺の給与も、まだ確定していない。


 しかし、今日も一日、仕事は前に進んだ。


 そう考えて、俺は寝室へ向かった。


 そのとき、背後の原本台帳が、もう一度だけ光った。


 表示された文字は、短かった。


『管理者補佐エドガー・ヴァレン』


『次回勤務予定:明日』


 俺は振り返った。


 誰もいない管理者室で、表示だけが静かに光っている。


 八百年前の勤務予定が、なぜ今日の俺に向けて表示されたのか。


 それは、まだわからない。


 ただ一つ、確かなことがある。


 明日の予定表には、もう十分な仕事が詰まっていた。


 そこに八百年前の同僚の出勤予定まで加わるのは、さすがに聞いていない。


おっさんの処世術

異常を見つけたら、現状を記録してから動く。 慌てて設備を開けると、原因を追えなくなることがある。

記録の矛盾は、すぐに誰かの悪意と結びつけない。 操作ミス、古い仕様、欠損データなど、可能性を整理して調べる。

できない仕事は、できない理由と次の対応を示す。 不足を隠すより、現状を正確に説明したほうが前に進みやすい。

仕事は抱え込まず、役割を分ける。 専門家に任せる部分と、管理者が判断する部分を区別する。

責任を引き受けることと、無条件に何でも引き受けることは違う。 範囲を確認し、必要な記録を残してから進める。

予定表は、明日の自分を助ける道具。 今日わかったことを、明日やることに変えておく。

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