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馬車の外では、いつの間にか景色が変わっていた。
開けた街道を抜け、道の両脇に木々がせり出してくる。葉の影が窓に落ち、陽の光がちらちらとまだらに差し込む。空気が変わった。湿った土と青い葉の匂い。森だ。
――が、そんな風情に浸っている余裕はない。
「ふ、不潔です!!!!」
ふ、不潔かぁ。
ティリスの大声で馬車の硝子窓がビリビリ揺れる。割れたりしないだろうか。
ボクはティリスの目をじっと見ていた。次に何を言うのか、一先ず様子を見る。
ティリスは向かいの席で肩を怒らせ、こちらを睨んでいた。真っ赤な顔で、鼻息も荒い。――が、しばらくすると、その勢いが急にしぼんでいった。
「…………」
はっとしたように目を伏せ、ゆるゆると頭を振り始めた。両手で頭を抱え、小さくうめいている。
「……う、ぅぅ……」
何か自分の中で葛藤しているらしい。さっきまでの激昂が嘘みたいに急に静かになった。ボクはティリスの反応をうかがいながら黙っている。正直、ちょっと面白い。めまぐるしく表情が変わるなぁ、この子。
やがてティリスは顔を上げた。さっきよりも幾分か落ち着いた目で、けれどまだ頬は赤いまま、おずおずと口を開いた。
「……いえ、す、すいません」
「……?」
「……人にも、いろいろ事情がありますよね……」
……おや。
「ご、ごめんなさい。わ、私、ひどいことを言いました。世の中には、お金が必要で、そ、そういう……お仕事をしなければならない方だっていますよね」
声はまだ震えているけど、さっきとは違う震え方だ。怒りじゃなくて、申し訳なさとか、自分を恥じるとか、そういう類の。
「き、きっと、事情があるんですよね……ユーニさんにも……」
ティリスは自分に言い聞かせるように頷いている。ボクの事情を勝手に補完して、勝手に納得しようとしているらしい。
「わ、私に何かできることはないでしょうか?」
「え?」意表を突かれて間抜けな声が出た。
「お金はないですけど……べ、別のお仕事を探すお手伝いとか……。剣術しか取り柄がないんですけど、力仕事とか紹介できるかもしれないですし……!」
ティリスは目を潤ませながら身を乗り出してきた。助け船を出そうとしてくれているのか。
彼女の中ではボクが「生活のためにやむを得ず体を売っている哀れな男性」ということになっているのだろうか。
なんだか申し訳なくなってきた。
「あー、ごめん。……大丈夫。別に、お金には困ってるわけじゃないから……」
「……え?」
乗り出していた身体がそのまま固まっている。
「お金には……困ってない……?」
「うん。困ってない」
「…………」
数秒の沈黙。ティリスの顔が、安堵から困惑へ、困惑から混乱へ、じわじわと移り変わっていく。
「じゃ、じゃあ……何故ですか? お金に困ってないのに、何故そんなお仕事を……?」
ティリスの声が裏返った。混乱しているらしい。もう一度乗り出して座席に手をついた。
「何故……?」
正直に答えるか、どうするか。目の前の彼女は、世間知らずで、おそらく処女で、男は貞淑であるべきだと心の底から信じている子だ。「肌を重ねるのが好きだから」なんて言ったら、どうなるだろう。
……まぁ、ぼかして伝えるか。
「んー……ちょっと言いにくいんだけど」
「は、はい」
「仕事は……ボクにとっては、けっこう、その……楽しいっていうか」
「た、楽しい……?」
「うん。好きなことを仕事にしてるっていうか……」
「す、好きなこと……」
ティリスが首をかしげる。まだ繋がっていないらしい。
「つまり、人と触れ合ったりするのが……その、得意だし、嫌いじゃないし……」
「人と触れ合う……ですか」
ティリスは真剣な顔で聞いている。人と触れ合う仕事。マッサージ師とかそういう方向で理解しようとしている雰囲気がある。
「もうちょっと踏み込んで言うと……肌を合わせる……的な」
「肌を……」
ティリスの顔がみるみる赤くなっていく。
「ま、まさか」
「うん。まぁ、そうだね。セックスが好きだからやってる」
言っちゃった。結局直球になった。遠まわしに伝えたかったのに。
ティリスの目が限界まで見開かれた。また口が金魚みたいにぱくぱく動いている。声が出ない。二回、三回、口を開閉してから、ようやく音になった。
「……は、は、破廉恥です……!! あなたは破廉恥漢です……!!」
ハレン・チカン?
「お、男の人なのに、そんな……は、恥ずかしくないんですか!? せ、性欲なんて、動物的な衝動です。己を律して、他のことに情熱を燃やすべきなんです……! 趣味とか、お仕事とか、勉学とか……!」
「あー、うん……」
保健体育の教科書かな……曖昧に頷くだけで流す。
「わ、笑い事じゃないですよ!?」
「笑ってないよ」
「お、男の人は、み、身持ちを正しくして、つ、将来を約束した人にだけ……その……」
そこまで言って、ティリスは自分の言葉に自分で赤面した。将来を約束した人にだけ、の先が言えないらしい。耳まで真っ赤になって感情が昂ったのか、目を潤ませていた。
「……ユーニさんは、ぜ、全然反省してないですよね」
「いや、反省っていうか……」
「や、やっぱり最低です。汚いです」
語気が強まる。ティリスの中では、もうボクは「不潔な人」として確定しているらしい。
「……がっかりした?」
ぽつりと聞いてみた。責めるでもなく、ただ確認するみたいに。
ティリスは一瞬、目を泳がせた。けれどすぐに唇を引き結んで、こくりと頷いた。
「み、見損ないました。当然です。……ふ、不潔です」
ボクは小さく息をついて、苦笑いを浮かべた。
「そっか」
仕方がない。自分で好きな生き方をしている以上、受け入れられないことがあるのはわかっている。元の世界だって同じだ。自分の選択に全員が賛成してくれるなんて、そんな都合のいい話はない。
ボクが言い返さないでいるうちに、ティリスは黙り込み、そのまま会話が途切れた。何か言いたいことがありそうだったが、こちらから話しかけようという気もおきなかった。
なんとなく、視線を窓の外へ流して、気まずい空気のまま時が過ぎるのを待った。馬車の車輪が石を弾く音。遠くで鳥が鳴いている。森の緑が深い。木漏れ日が道の上に模様を描いている。ぼんやりと眺めていると、少しだけ気持ちが落ち着いた。
――なんて、考えていたときだった。
ふと胸の奥に嫌な予感が走った。
鳥の声が消えている。
さっきまで聞こえていた囀りがない。代わりに、馬車の走行音に混じってかすかな――金属が擦れるような音。枝を踏む足音が複数。不規則に近づいてくる。
ボクは口を閉じたまま、窓の外に目を凝らした。
――木々の間に何かが動いた。
冗長なこんな文章を ここまで読んでくれてありがとうございます! <(_ _)>
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