2-1
もうこんな時間だ。昨日ギリギリだったからな。今日は余裕持っていかないと。
薄青いトワイライトが窓辺から部屋に差し込んで来る。夜の終わりはすぐそこだ。
寝ているエリハルを起こさないように、昨日脱ぎ散らかした服を集め始める。
「……んっ、もう起きたん?」
「うん、起こしてごめんね、馬車の時間だからさ」
エリハルはまどろみの中から半ば意識を引き上げるようにして、軽く身体を起こした。
起こさないようにしたんだけどな。気付かれたか。
「…行先カタクラやったっけ?」
「そうだよ」
「そっかぁ、カタクラ戻ったら、ユーニちゃんのお店行かしてもらうわ」
「?うん」
お店ってなんのことだろう?冒険者ギルドのことかな?『ユーニちゃんのお店』という表現も、なんだか妙だ。まぁいいか。
床に放り出された下着を拾い上げる。手にしたのは、細かい刺繍が施された紐のついたレースの布切れ。⋯まあいわゆるパンティである。昨日エリハルに脱がされたボクの下着だ。
「……男なのに、こういうの履いてるのがウケるんだよなぁ」
ボクは小さくぼやきながらも、パンティの両紐を腰の横で結んだ。初めてこのセクシーパンツを履いた時は、男として何か大切なものを失った気がしていたが、これが流行らしいし、気にしないことにしている。
着替えを続けていると、エリハルの下心丸出しの視線に気づいた。男の着替えなんか見て何が楽しいんだか、という気がしなくもないが、昨日はボクも楽しかったからまあ存分に見るといい。
パンツ一枚のまま、靴下を手に取り、椅子の上に足を乗せ、片足ずつ通していく。引き上げると、ぴっちりとフィットし、足のラインが強調される。次にホットパンツを履き、ベルトを締め、シルクのシャツのボタンを留める。部屋の壁際に掛かっている外套を取り、袖を通す。
「男の娘が服着るとこって、ええよなぁ…」
エロオヤジか。逆なら分からんでもないけど。
一度宿に戻って、荷物を取ってこないとな。やはり、あまりゆっくりとはしていられない。
外にちらりと視線を移すと、ほのかに夜明けの気配が近づいてきているようだった。窓の外では、小鳥が薄明かりの世界を楽しむように控えめにさえずり始めている。
「馬車何時出発なん?」
「夜明けとともに出るらしいから、たぶんあと1時間くらいかな」
「そっか…ゆっくりしてられへんな」
そう言いつつ、エリハルは大きく伸びをする。ボクは手早くゴミをまとめ、忘れ物が無いか確認すると、出口のドアに近づいた。
「困ったことあったら言ってや。カタクラのギルドで受付にユーニちゃんの名前で伝言すればうちに届くようにしとくから、何でも解決したるわ」
「本当?ありがとう」
気持ちは嬉しいが、ボクも冒険者だから自前で解決するかも。あー、でも手に負えない仕事とかあったら確かに助かるな。
出口のドアに手をかけて振り返ると、「またなぁ」と、眠いだろうにベッドに腰かけて手を振るエリハルが映り、少しだけ後ろ髪を引かれる。
ボクはベッドに座る彼女の方に歩み寄ると、彼女に顔を近づけながら、シャツの裾をそっと持ち上げ、さっきまでまどろんでいたその肌に優しく触れた。
「…うわぁ!びっくりした!」
驚いた顔の彼女の顎を上げ、唇を奪う。昨日したような情熱的な口づけだ。
「ちょ、いきなりどうしたん……」
彼女の唇を口で啄ばみながら、昨晩反応がよかった首筋の方へと唇を動かしていく。エリハルは思わずくすぐったそうに笑い、微弱な抵抗を示すものの、どこか楽しんでいるようにも見える。
「ちょはは、くすぐったいて、あははは!」
彼女の指がボクの腕を軽く抓んで止めようとする。でも、完全にやめさせるつもりはなさそうだ。むしろ、首筋に唇を這わせていくと、その抵抗はだんだんと弱まり、肩先から背中へかけて小さな震えが伝わってくる。
そのままシャツの上から胸のふくらみに手のひらを重ね、布越しにゆっくりと輪郭をなぞっていく。最初は驚いたような声が出たけれど、すぐに甘い吐息が混じり始める。薄い布一枚を隔てて、彼女の鼓動がどんどん速く、熱くなっていくのが伝わってくる。
「あぁん、ちょ、そこはあかんて……馬車に乗るんちゃうんか…んっ…どしたん、もう…」
再び唇を奪う。寝起きの独特の不潔さが粘膜の中に潜んでいるが、構うものか。
角度を変えながら、何度も深く唇を重ねる。合わさるたびにエリハルの鼻から甘い声が抜けて、ボクの口の中に溶けて消えていく。静まり返った部屋に、かすかな水音と乱れた吐息だけが響いた。
エリハルの身体は呼吸が早まり、頬が赤らみ、意識しなくても足が開き始めた。今は完全に頭の中を快感が支配してるみたいだった。
優しく彼女を寝台に押し倒すと潤んだ瞳をこちらに向けて見上げてくる。これは完全にスイッチがはいったな。よし。
満足したので、身体を起こして彼女から離れ、またドアの方に向かう。
「じゃ、本当に行くね」
振り返ってそう告げると、エリハルは驚いたように「あ”ッ?」と声を上げる。期待を裏切られたとでもいうような、さっきまで発情していた瞳が丸くなる。
「……な、何がしたかったんや?」
エロスイッチを入れるだけ入れて、放置する遊びだ。欲望を膨らませたまま、時間切れを理由に立ち去るのは、ちょっとした悪戯心である。
エリハルは動揺とも苛立ちともつかない表情でこちらを睨んでいた。
「また遊ぼうね」
扉越しに軽く手を振って部屋の外へ向かう。ドアがゆっくりと閉まるとき、彼女はまだ呆然としていて、ほんのり上気した顔のまま言葉を探しているみたいだった。
「マジかこの子…」
最後にちらりと見えた彼女の口元は、どこか可愛い不満げなラインを描いていた。ドア越しに溜め息まじりに言葉が漏れてくる。
「いやほんっと、………………すけべな子やな」
◆
エリハルは呆然としたままベッドに転がり込み、そのままうつらうつらと二度寝に入っていた。上気した体が冷め、シーツの温かみに意識が遠のいていく。そのとき、ふと気づいた。
「……しもた」
「店の名前聞くの忘れた……」
カタクラで働く、とは言っていた。でも、どの店か。町のどこにあるのか。名前すら聞いていない。
名刺は渡した。向こうから用事があれば、ギルドに伝言を残せば届くようにしてある。が、何もなければ彼女からは連絡のしようがない。彼の方だって、彼女の居場所を聞いていない。
連絡手段の乏しいこの世界では、一度縁を結んだ相手と、二度と会えなくなることなど珍しくない。それだけの話だ。彼は馬車でカタクラへ向かうと言っていた。夜明けとともに出る。今から追いかければ、常人離れしたエリハルの脚なら馬車にだって追いつける。町を駆け抜け、土埃を立てて、「ぜぇぜぇ」と息を吐きながら——
「いや、あかんあかん」
息を切らせて馬車の横に並ぶ自分を想像した。『ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……いや、聞くの忘れてたわ、ユーニちゃんカタクラのなんて店で働くん?』
そんな顔をして聞くなんて、恥ずかしすぎる。だっさい。絶対やらん。
「そんな娑婆い真似できんわ……」
彼女はそのままベッドに倒れ込み、腕で頭を抱えた。うーん、と唸りが漏れる。天井を見つめたまま、数分ほど同じ格好で唸り続けた。昨晩は近年まれにないほど刺激的な夜だった。初めて異性を抱いたあの頃を思い出すような、手に汗握るような興奮。あの子と二度と会えなくなると思うと、胸の奥がぎゅっと締まる。
……待て冷静になれエリハル。あせって情けない姿を彼の目に晒して、ユーニの紫の瞳が憐憫とも呆れともつかない色に染まる。……想像しただけで死ねる。
「いや……まあ。大丈夫や」
彼女は自分に言い聞かせるように呟いた。
「あれだけの器量良しやから、すぐ評判になるやろ。あんな美人でエロエロな子、滅多におらんしな。カタクラの娼館なんて限られとる。ちょっと聞き回れば見つかるわ」
うん。大丈夫大丈夫。
エリハルは小さく頷いて、自分を納得させた。まだ残る彼の匂いがしみついたシーツに、少しばかり顔を押し当ててから、ようやく身体を起こした。
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