4-8
4-10辺りで…ストックが…切れるっ
仕切りの向こうで何かが転がり、靴が床を蹴る。
棚の隙間から人影が飛び出してきた。小さい。こちらへまっすぐ走ってくる。ボクの脇を抜け、入口に立っていたエリハルの胸へぶつかった。
「おっと」
エリハルが受け止める。人影が顔を上げた。
日焼けした頬。息が上がって声が出ていない。
リコだった。
花籠は持っていない。
なんでここに――と思う前に、仕切りの奥で靴音が引いた。誰かが逃げていく。
「エリハル、その子お願い」
「ユーニちゃん、待ちぃ!」
「奥に誰かいる。すぐ戻る」
棚の隙間を抜ける。
突き当たりの鉄扉が半分開き、その隙間から灯が漏れている。靴音はその中へ消えた。
今なら追いつける。
追いかけて部屋の中に飛び込んだ。
「……へへ」
柄の悪い女が、逃げることなく。こちらを見て笑っている。
こちらも立ち止まった途端、部屋の死角にかくれていた女が飛びついてきた。すんでに、横へ抜ける。
背後で鉄扉が閉まった。太い閂が落ちる。
……なるほど。あの子を出して、ボクを入れたわけか。
短い棍棒を腿に当てて近づいてくる。扉を閉めた女も腰から木槌を抜いた。
三人。扉を閉める役と、飛び掛かってきたのと、囮役。随分、手がかかってるな。いきなり殴ってこないようなので、少し喋ってもらおう。
「何、キミたち……?」
「助けに来たのかい。優しいねえ」
「お金目的? あいにくだけど持ってないよ」
縄の女がボクの顔を覗き込んだ。視線が襟元へ落ちる。
「聞いた通りの上玉だ。金になる」
……ん?
少し顎を引き、震える声を作る。
「だ、誰かと間違えてない……?」
「いいから大人しくしな。仲間が来る前に運ぶぞ」
連れがいることまで知っている。
鉄扉が外から鳴った。
「ユーニちゃん! おい、開けんか!」
もう一度。低い金属音が部屋に響き、閂から赤錆が落ちた。
頼もしい。こちらも時間は稼げた。
「武器を外せ。隠してるもんも全部だ」
「ぬ、脱げばいい……?」
返事を待たず、コートを肩からずらした。右の袖だけ抜き、白いシャツの釦へ指を掛ける。
一つ。もう一つ。縄の女の目が指先についてきた。棍棒の女も足を止める。
「全部、取らないとだめ……?」
「あ、ああ。変なもん隠してたら困るからな」
襟を少し開く。三人とも、ボクの手元より首の下を見ていた。
武器を探していたんじゃなかったのか。助かるけど。
ボクは柱へ肩を寄せ、ポーチから小さな珠を出した。
「これも危ないものだから持ってて」
胸元を見ていた女が片手を空ける。その掌へそっと載せた。
「なんだこりゃ?」
「閃光弾」
顔を柱の陰へ入れ、目を閉じる。
瞼の裏が白く染まった。
「がっ、目っ!」
縄が柱を叩いた。
閃光は一瞬。目を開けたときには、壁の灯皿の火がまた見えていた。
左の袖を振る。前腕に沿わせていた短弓が機械音を鳴らしながら展開される。畳まれていた上下の腕が跳ね上がり、ミスリルの弦がぴんと鳴る。指で一度弾いた。いい音。
棍棒の女は目を抑えながら腕を振って柱をしこたま殴りつけていた。見えないなら止まればいいのに。
一先ず一射。手首を射抜くと棍棒が落ちた。
前へ出た脛へもう一射。
「ひぃ!」
女は膝から崩れ、空いた手を床についた。
右で縄が擦れる。
縄の女が片目を閉じたまま突っ込んできた。広げた両腕の下へ潜る。背中を掠めた手をやり過ごし、ブーツからナイフを抜くと、大事な血管を切らないように、腿へ入れてすぐ引いた。
女が桶にぶつかった。掴み損ねた縁が鳴り、片脚を折って座り込む。
「そこ退いとけ! 扉から離れや!」
「あー、そんな急がなくても、何とかなりそうだよ」
エリハルの声に続いて、鉄扉が大きくたわんだ。
最後の女がぎょっと振り向く。閂を見たあと、ボクを見た。木槌が手から落ちる。
降参するかと思ったら、奥の口へ走り出した。
ボクはナイフを持ったまま、矢を番えて弦を引いた。
すとん。
右脚へ一本。女が傾き、左脚で踏ん張ったので。そちらへ二本目を放った。
すとん。
中々小気味のいい音だ。
「ひぃん!」と声を上げながら女は床へ倒れた。敷居に指を掛けたけど、身体はついていかないようだ。
「大きい血管は傷つけてないけど、止血したほうがいいよ」
ナイフで倒した女に声をかけてから、両脚を射られた女の様子を見に行こうとしたが――。何か引っかかる。
手首を射た一人と、ナイフを刺した一人、それから逃げようとして倒れた一人。彼女たちの呻き声に混じって、別の吐息が聞こえた気がする。
この三人以外に誰かいる……?
耳を澄ませようとすると、ガン、ガンと鉄扉が鳴った。
「ユーニちゃん! ユーニちゃーん! いまいくからなー!? 心配すなよー!」
「ちょっと、エリハル! 静かにして!」
あたりを見回す。床の三人を越えて、奥の上。吹き抜けを囲む壁に横長の窓があった。中は真っ暗だ。
あそこか。
弓を上げ、暗がりへ一矢放つ。
木に刺さる音が響いた。
「ひっ!」
重いものが床に落ちる音が続いた。
当たりだ。外したっぽいけど。刺さった音が硬かった。けど、誰か居たな。
最初の悲鳴よりよほど切実だった。
背後で扉の閂がへしおれた。まぁ……なんてパワフルな。
鉄扉が枠ごと内側へ倒れ、床を叩く。その向こうから槍を手にしたエリハルが入ってきた。
「ユーニちゃん!」
「いるよ。こっち」
エリハルの目がボクに止まった。すぐに床の三人を巡り、もう一度戻ってくる。
「……全部やったん?」
「うん。殺してないよ」
「おぉ……そか。怪我は」
「どこも。それより、奥の上にもう一人。矢を射たけど外した。逃げ口を見てもらえる?」
「分かった。そいつらは動けへんな?」
「武器を取って縛るよ」
エリハルは奥の口を覗き、壁沿いの階段へ向かった。
倒れた扉の向こうに、もう一つ影があった。
リコだ。通路の口に立って、床の三人とボクを見ている。逃げてなかったのか。
ボクは自分の胸元を見下ろした。釦が三つ開いている。
子供には悪影響だな。背を向けて留める。
落ちた棍棒と木槌を足で遠ざけた。腰と懐も確かめたけど、出てきたのは予備のロープだけだった。
「はい。両手を後ろ。ゆっくりね」
「イてぇよ! あたしは何も悪くない!」
「てめぇ……ただじゃ置かねぇからな……」
なんかまだ連中が反抗的だったのできつく縛っておいた。
「あ”、痛い痛い!!」
腿の傷は女の上着を裂いて押さえた。矢は抜かず、周りに布を当てる。
「た、助けてくれ……」
「助けに入るのはさっきので懲りたよ。治療する人は呼ぶから、そのまま押さえててね」
これだけ口が軽いなら、聞きたいこともありそうだ。誰からボクの話を聞いたのか。運んだ先で誰に渡すのか。
少なくとも、通りがかりの男なら誰でもよかったわけじゃない。コートの袖へ腕を通し、シャツの釦を留め直す。
「上、裏の屋根へ抜けとる。もう姿はないわ」
階段の途中からエリハルの声がした。
「外で足音がしたら分かる。ボクも聞いておく」
「うちは表へ声かける。運ぶ手が要るやろ」
「お願い。治療できる人も」
エリハルは三人を見下ろした。
「男一人やと思ったんやろなあ」
「そこは合ってるよ」
ボクは弓を畳み、通路の口へ歩いた。
リコはまだそこにいた。籠のない両手が落ち着かない様子で服の裾を握っている。
「大丈夫だった?」
「……うん」
「どこで捕まったの」
「表の路地。後ろから急に」
「中では?」
「放り込まれて、人が来たら叫べって」
「それだけ?」
「それだけ」
「怪我は」
「ない」
ボクは頷いた。
二度も絡まれるなんて、この子も苦労するな。
「帰れる?」
「うん」
「表を歩きなよ。裏は暗いから」
リコは一度ボクの顔を見て、それから床の三人を見た。何も言わずに背を向け、荷受け場の光の方へ歩いていった。
エリハルがその背中を目で追い、通りへ出ていく。
ボクは三人の縛りをもう一度確かめた。
◇
矢が窓を抜けたとき、上階の検分室では絹の外套の女が床に尻をついていた。
両脚は大きく開いている。扇は遠くへ転がり、片方の靴が脱げかけていた。
顔の横を矢が通ったのである。
外套は南方の上質な絹で、裏には白貂の毛皮が張ってある。転んだ拍子に前がはだけ、埃の床に裾が広がっていた。結い上げた金の髪が一房ほどけ、白い頬に垂れている。脱げた靴は片方だけでも、この街の職人がひと月働いて届く品ではない。
背後の柱にはまだ矢羽が震えていた。女はそれを見て肩を竦め、窓の下へ這い寄った。立ち上がろうとした膝が絹の裾で滑る。もう一度尻が落ちた。
「はわわ……こ、こちらは見ていただけですわよ……!」
声を潜めた抗議に、階下から返事はなかった。
捕まえる役には金を払ってある。自分は品物を確かめに来た。滅多に見れぬ逸品だというからわざわざ足を運んだのだ。この部屋は窓は高く、中は暗い。下で何が起ころうと、ここまで矢が飛んでくるとは考えていなかった。
灯りは持ち込んでいない。階下の灯皿の火はここまで届かず、窓の内は真の闇である。下からは壁に開いた黒い穴にしか見えぬはずだった。
一体なぜ場所がばれたのか理解できない。
三人を倒したあと、動きを止め、まっすぐこの窓を見た。見たと思った次の刹那には矢が来ていた。狙って射たのではない。当てて射たのである。
得体のしれぬ第六感でも働いたというのか。神通力じみたそれに、背筋が寒くなる。
ただ者ではない。
女は手袋の甲を口に当てた。震えは止まらなかったが、その手袋の下で口の端が持ち上がっている。本人は気づいていなかった。
階下で鉄の扉が床を打った。
女は両手で口を塞いだ。膝を揃えることだけは思い出したが、腰は上がらなかった。
「イシュタル様、こちらへ」
背後の小扉が開いた。案内役の女が柱の矢を見て立ち止まる。
イシュタルと呼ばれた女は片手を差し出した。
「手を貸してちょうだい」
案内役は腕を取った。引き起こされると、外套を払って顎を上げた。
「お怪我は」
「ありませんわ。座っておりましたので」
案内役は開いたままの窓を見た。次に床の靴を拾い、足元へ揃えた。
「顔を出すと射られますわよ」
「……まさか」
イシュタルは靴を履き、扇を指した。案内役がそれも拾う。
小扉の向こうは隣棟の低い屋根へ続いていた。イシュタルは戸口を越える前に一度だけ振り返った。
「あの方、弓は取り上げてくださいまし」
「……まだお求めに?」
「当然ですわ」
差し出された扇を胸へ抱いた。
闇の中から見下ろした姿は、まだ瞼の裏にある。
灯皿の火に照らされて、黒い髪が天鵞絨のごとく短く巻いていた。柱の陰から半歩出たとき、顔が上を向いた。あの紫の瞳。紫水晶を思わせる、艶美、蠱惑的、そして魔性の瞳。なんと、均衡のとれた肉体だったろうか。
巨匠の作った彫像は言わずもがな優美であるが、石で作った美しさは、動くと崩れる。あれは動いても崩れぬ。生きた芸術である。
「次は、こちらを射らない状態で拝見したいですわね」
階下で靴音がした。イシュタルは案内役を押し退けて屋根へ出た。
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