4-6-3
立ち合いは静かに始まった。
まだお互いの距離は遠いのに、ティリスの足が下がる。
エリハルの棒からティリスの胸まで、棒をもう二本置いても余る。
ティリスはエリハルの肩から目を離さず、じりっと後ろ足を引いた。
ボクらは二人の進路を外れ、脇の壁際へ下がった。
「自分、来ないんか?」
「……」
エリハルが進むとティリスが下がる。
一歩近づかれると、それより大きく離れる。棒はまだ振られていない。
「いや、遠くねえか? そこから何すんだよ」
「さっきは威勢よかったのに、ビビってるっすね」
ツグリが腕を組み、マリオスが小さく笑った。
エリハルの踵がわずかに浮くその瞬間、ティリスの膝が曲がり距離をさらに離す。
うーん。確かに気後れしているように見える。
「そんな離れんでもええやん」
ティリスが左へ回る。エリハルは斜めに一歩、棒をそちらへ向けた。
届かない距離なのにティリスの足が止まる。右へ戻ろうとすると、エリハルの爪先も向きを変えた。
打ち合いは一つも起きていないのに、ティリスはジリジリと追い詰められている。
ついに、ティリスの踵が壁際の砂を踏んだ。背後はもう壁だ。
ティリスが肩越しに壁をちらりと見た。
「そこまでやな」
エリハルの口元がゆるんだ。
木剣の先が下がる。
エリハルの歩幅が変わった。大きく一歩、踏み出そうと足を上げる。
その機先をティリスが捉えた。
木剣が砂を打ち、白い幕がエリハルの顔へ上がる。砂を利用した目つぶし。
視界を覆ったかと思うと、ティリスが壁を蹴り砂を突き破る。懐に入った。
「んなっ」
乾いた音。
胸の前で棒がたわむ。ティリスの一撃はかろうじて防がれていた。
ティリスは止まらない。そのまま力任せに捻じ込む。
「!? 重……!」
エリハルの踵が砂を削る。踏ん張った後ろ足が止まり、また半足ぶん押される。
「姉御が押されてるっすよ」
「み、見りゃ分かる! ……あの受け方、真剣だったらやられてたんじゃねぇか?」
「本当だ! 真剣だったら切られてたっす! 姉御! 真剣だったら終わってたっすよ!」
「やかましいわ!」
棒は横向きに押さえ込まれ、布の先はティリスの肩のずっと向こうだ。
「この距離ならティリスが強いね」
言い終わる前に、どんと地面が鳴った。
ティリスの切上げ――しかし、エリハルは巧みに受け流している。そこから先が見えなかった。
木が鳴る音が響く。続けて三つ、四つ。数えているうちに重なった。
ボクの目に映るのは木剣の残像と、エリハルの槍捌きだけだ。打ち合いの乾いた音だけが壁で跳ね返る。
エリハルが半歩ずつ退き、ティリスが離されまいと追いすがる。
しかし、ティリスの剣先が受け流され空を切る。その間にエリハルはもう二歩ぶん離れていた。
「自分やるやん、驚いたで」
笑いながら、棒を両手で握りなおす。
ティリスも向き直る。息を一つ吐き、木剣を引き上げた。
「あ、ありがとうございます」
「砂まで食わせてくれるとは思わんかったわ」
エリハルが口の端を親指で拭う。その指が棒へ戻った。
砂の薄い方へ足を運ぶ。ティリスも壁を背にしない位置へ出た。
棒先が下がる。また、ティリスが飛び込んだ。
棒の先を木剣で弾く。弾いた棒がしなるように戻り、腰へ叩きつけられる。
「っ!」
鈍い音。
ティリスの上体が曲がる。今のは棒部分だから、無効判定か。
立て直す間がない。
胸。肩。柄。
ティリスの木剣が受けに回る。布の先が来るたびかろうじて受け止めるが、エリハルの攻撃がやむことはない。
「もっと速くするで」
声のまま棒が速くなった。
ティリスが木剣を引くが、引いた先に棒が乗り、剣ごと押し下げられる。振り上げれば、上がる途中を横から叩かれた。
剣が伸びない。完全に先を埋められている。
木の音が途切れず重なる。ティリスの靴底が土を削り、一足ずつ後ろへ送られた。
「ひやひやするな――」
ツグリの声が止まった。
入れる先がなかった。踏み込んだ胸元に、もう布の先端が戻っている。ティリスが木剣を立てて受けた。構える間もなく、すぐ次が来る。次、また次次--。
ティリスは肩で息をしている。エリハルには、口へ入った砂を舐めて捨てる余裕まであった。
ボクがエリハルと正面からやったら十回やって十回死ぬな。
「あ”あ”あ”っ!」
ティリスが吼えた。
横から迫る棒を掻い潜り、低く低く潜る。足が土を深くえぐった。
エリハルが棒を短く持ち替え、余裕綽綽で受け流す。
バキン。という音が響く。
布を巻いた先が宙を舞う。
エリハルの手には半分の棒。その割れ口がティリスへ向く前に、彼女は腕を外へ引いた。
折れた先端が一度跳ね、ころっと転がり、布が砂まみれになって止まった。
「……あー」
エリハルが手の中を見た。
ティリスは木剣を下げ、肩で息をしていた。誰も次を打たない。
ボクもようやく息を吐いた。
「そこまで、だね」
「せやな。これはあかんわ」
エリハルは割れ口を自分の側へ向けて持ち直した。ティリスが落ちた方を拾う。
節を横切って長く裂けていた。あれだけしならせて、打てばただの棒きれには荷が重かったか。
槍ならこうはならなかったんだろう。木剣と布を用意したおかげで死人は出なかったが、これどっちの勝ちになるんだ?
「わ、私が折ってしまって……」
「ええよ。そこにあった棒やし」
エリハルは折れた二本を受け取って壁際へ置いた。新しいものには手を伸ばさない。
ティリスも木剣を戻した。腰へ手を当て、さっき打たれたところを一度さする。
「痛む?」
「だ、大丈夫です。少し響いただけで」
息は戻ってきているし、歩き方もおかしくない。ボクが頷くと、ティリスはほっとした顔になった。
エリハルが彼女の肩を軽く叩く。
「自分、ようやるわ。あんな押されたん久しぶりやわ」
「ま、まだ登録して日が浅いので」
「道理でな。最初のあれも、まんまと入られた」
エリハルが笑った。今度は顔だけじゃなく、肩の力も抜けていた。
ティリスもつられて笑う。
「……さすがです。まったく敵いませんでした。二度目は近づけなくて……あのまま続けてたら私が負けていました」
「一度で十分やで。次からは最初から警戒せなあかんな」
「あ、ありがとうございます」
二人が拳を合わせた。
いいね。そういうの。ボクはそれを確認してから、壁に預けていた背を起こした。
ちゃんと終わってよかった。殴り合わないと分からないこともあるんだろう。できればボクの予約以外で分かり合ってほしかった。
「……あのまま続けてたらうちの勝ちってことは……予約、譲ってくれるん? 一日だけでええよ」
「え? 譲りませんけど……」
「殺生な……」
ティリスが困った顔で首を傾げる。
エリハルが手を離し、長く息を吐いた。
「……まぁ、ええわ。ユーニちゃんにも会えないわけじゃないんや」
言いながら、ティリスの額を指で軽く小突く。
「せやけど自分、ちょっと通いすぎちゃうか。D級の稼ぎで、ようそんだけ払えるな。飯と宿代、ちゃんと残しとんのか?」
「は、はい。そちらは、なるべくかからないようにしてるので……」
「そっちを削るんかい。家の人に知られたら怒られるで、ほんま」
ティリスは小さく笑ったが、返事はしなかった。
確かに、それはボクもずっと気になっていた。よく金がもつな、と。
腕が立つから仕事はこなせるだろう。でもティリスはまだD級だ。それでこの回数、安くはない代金を毎回きちんと払ってくれる。
エリハルは袖で汗を拭い、壁際の木剣へ顎を向けた。
「せやけど、ええ太刀筋や。誰に習うた?」
「実家で。家が騎士なので、小さい頃から」
ティリスが家の名を告げた。
エリハルの手が額のところで止まる。
「……ああ。あそこの」
知っているらしい。ボクが二人を見比べている間に、エリハルは袖を下ろした。
「ほな、あの剣も家のやつか」
「はい。さっきの下から入る形も、家で教わったものなんです。ほ、本当はそこから腸落としに繋げるんですけど」
「何落とすって?」
思わず聞き返してしまった。
ティリスはこちらを向いた。説明できるのが嬉しいのか、さっきより声がよく出ている。
「腸落としです。骨盤と腹膜を破って、お腹に傷をつけないまま、臓物を――」
「分かった。もうええよ」
エリハルも無言で頷いていた。腹の前へ手が回っている。
ティリスだけが少し残念そうだった。
「あ、はい。見る方が分かりやすいと思うので、また機会があれば」
「ボクの前ではなくていいよ」
「うちもええわ」
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