4-6-2
ティリスがようやくパンを飲み込んだ。
エリハルはそれを待っていたらしい。鼻から大きく息を吸い込んだ。
「お前ら盛った兎か!? ぱこぱこぱこぱこ毎日毎日……、むっさい女どもに集られるユーニちゃんの気持ち考えたり!? 特にそこの……ティリスやったっけ!? 六日の内、四日も予約取るなんて独占しすぎやろ! 大人しそうな顔してなんちゅう破廉恥漢や! 性欲モンスターか! 自分、一日譲れや!?」
「え……? え、嫌です」
ティリスは次のパンに手を伸ばしながら、迷いなく断っていた。
「一日だけやで? 全部くれ言うとるんちゃうねん!」
「は、はい。でも、楽しみにしてるので……」
「うちの方が楽しみにしとった……!」
ティリスはエリハルの顔を窺っていた。怒らせたくはないらしい。でも譲る気もないらしい。
ツグリとマリオスは果実水を飲んでいた。揃って杯の底を高く上げている。自分の方へ話が来ないよう、顔を隠しているようにも見えた。
「……いや、興奮してすまんかった。……ティリス。自分、冒険者なったばっか言うとったな。うち、一応S級冒険者っちゅうのやらしてもらってんねん。……いや別に、笠に着ようってわけやないねんけど、普段は大型討伐やら何やらで、なかなか暇も取れへんのよ。せやから、こういうときくらいは、ちょっと優先してくれてもええんちゃうかなって。な?」
ティリスはきょとんとした顔で瞬きをした。
「……? ユーニさんの予約と、冒険者ランクって何か関係があるんですか?」
今度はボクを見た。
ないよ。上位ランク優先にしたら、ボクがわざわざ相手の冒険者章を確認することになる。こっちの商売にまでギルドの仕事を増やしたくない。
「えっと……約束した順だよ」
「で、ですよね」
「ちゃうねん。そういう決まりの話をしとるんやないねん」
エリハルが身を乗り出した。ティリスも聞く姿勢を取り、背筋を伸ばす。
「自分、こっち来たばっかりやろ。冒険者やってくんやったら、先におるもんをちょっと立てるいうのも大事やで。何でも決まり通りに、先に取ったからうちのもんですって、それだけでやっとったら窮屈やん。困っとる先輩がおったら、ここはどうぞって言う。それで次、自分が困ったときには助けてもらえる。そうやってうまいこと回してくもんやねん」
「は、はい」
「分かるやろ? うちかて長いこと冒険者やっとるし、年も上や。自分らが困るような魔物も、ようさん片付けてきた。街道を通ってここまで来られたんも、誰かがそういう仕事をしとるからやで」
「はい。そ、それは、ありがとうございます」
「せやろ。いや、別に恩着せたいわけちゃうねん。ただ、そこをちょっと考えてほしいいう話や。自分が安全に仕事受けられて、お金稼いで、ユーニちゃんに会える。そこにはうちの働きも入っとるわけやんか。全部自分一人で用意した時間やとは言い切れへんやろ?」
ティリスはまだ律儀に頷いていた。エリハルの声も滑らかになってきた。さっきまで一日だけと言っていた指が二本に増える。
「……そう考えたら、半分くらいはうちに回してくれてもええと思わへん? いやいや。もちろん、半分まるまる寄越せとは言わんよ。自分も楽しみにしとったんやしな。そこはうちも分かっとる。……せやから、まず二日。……あと一日は、先輩への気持ちいうことでつけとこ。合わせて三日。これやったら自分の分もちゃんと残るし、うちも助かる。誰も損せえへん。……どや!?」
指が三本になった。
「半分どころか、増えてるじゃないか」
エリハルがぱっとボクを見た。待ってましたとばかりに顔がほころぶ。
ボケだったのか。
ティリスの相槌が止まる。立てられた指を見て、何か考えている。
「で、でも、それだと私は三日、会えなくなるんですけど……」
「そら、譲ってもらうんやから」
「す、すみません。誰も損しないっておっしゃったので。私の分は減ってしまいますよね……?」
「そこだけ見たらそうやけどな。代わりに、うちへ貸しを作れるやろ。S級に貸し持っといて損はないで。困ったときは助けたるし、長い目で見たら、自分かて三日分より得するかもしれへん。せやから、誰も損せえへんいう話や。な? ティリス。自分もそう思うやろ?」
ティリスは立てられた三本の指を見たまま、少し首を傾げた。
「で、でもそれって……」
「なんや?」
「エリハルさんの感想ですよね?」
煽ってるのか……?
ティリスは訊いたあとで、伝わったかどうか確かめるようにエリハルの顔を見ていた。いや、これは天然の顔だ。
……ティリス……。
ツグリとマリオスにいたっては卓に伏せていた。
エリハルの三本の指が一本ずつ畳まれていく。最後の一本まで畳まれて、握りこぶしになった。
「……自分、ほんまに譲る気ないんやな」
「あ、あれ……? 最初に言いませんでしたっけ……? い、嫌です」
「上等やないかぁ……! 表出ろや……!」
◇
「……なんでこうなったの?」
冒険者ギルドの訓練場の土は乾いていた。エリハルが壁際から長い棒きれを一本持ち出し、片手で重さを確かめている。
訓練用の武器ですらなかった。握るところも作られていない、節の残ったただの棒きれだ。
ティリスは剣帯を締め直していた。留め具を引き、鞘の位置を少しずらす。
どちらもボクの問いには答えてくれない。
「じゃ、姉御。アタシらはそろそろ――」
「行けるわけないやろ」
エリハルは棒から目を離さず言った。
出口へ向いていたツグリが止まる。すでに半歩先にいたマリオスも、そっと踵を戻した。
「……ですよね」
「っす……」
「女と女の勝負や。立会人が必要やろ」
二人がボクの隣へ戻ってきた。
ツグリは小さくため息をついたが、予約を譲るとは言いださない。マリオスも盾を壁へ預けて、見届ける支度だけは済ませた。
「うちが勝ったら、自分の予約、全部な」
「は、はい。私が勝ったら、私の四日の予約、エリハルさんの奢りということで」
「ええよ」
よくないと思う。
日付だけならともかく、そこにボクがついていることを忘れていないだろうか。予約を一つ動かすにしても、まずは相談してほしい。
「あのさ、二人とも」
「心配せんでええよ。ちょっと立ち合うだけや」
エリハルは選んだ棒を肩へ乗せる。
「うちはこれ使うから、好きな得物選んでええで」
「ぼ、棒ですか?」
「D級相手に真剣持ち出したら、大人げないやろ」
「じゃ、じゃあ、私も訓練用の剣を――」
「かまわんかまわん。どっちでも同じや」
エリハルは棒を持ったまま、空いた手をひらひら振った。
訓練用の武器へ向きかけたティリスの足が止まる。担いだ本身の剣の柄に手を戻し、握り直した。
「……そうですか」
ツグリがボクへ顔を寄せた。
「まあ、姉御が軽く稽古つけて終わりだろ」
「そ、そうっすね。さすがにS級とじゃ」
「大丈夫……? ティリス真剣使うみたいだけど……」
「何言ってんだよ、S級だぜ。あいつがどんだけ力自慢でも格が違うっての」
ティリスが剣を抜いた。日に当たった刃が光る。
ボクはその刃と棒を見比べた。エリハルなら棒でも余裕なんだろうか、ティリスの方は十分すぎる得物を持っている。
「それ、いつもの剣だよね」
「はい。あの……エリハルさん」
ティリスは柄を握ったまま眉を下げた。
「う、うっかり殺してしまったら、ギルドに怒られませんかね?」
ツグリが鼻で笑いかけた。けれどティリスの顔を見て口を閉じた。
ティリスは冗談を言った顔ではなかった。エリハルの返事を待ちながら、足元の小石を靴で脇へ寄せている。
「……誰が誰を?」
「わ、私が、エリハルさんを。その棒だと、受けたときに……」
「……んなっはっはっは……、面白いなぁお嬢ちゃん。気にせんでええ。そこまで届かへんから」
「で、でも、その棒、折れてしまいませんか……?」
ティリスは棒の細いところを見ていた。
エリハルは肩から棒を下ろした。両手の間隔を変え、握り直す。
「……棒でもな、目ぇ突いたら潰れるし、指かて折れるんやで。膝も、一遍おかしな方へ曲がったら元には戻らへん。そこはよう気ぃつけや」
棒の先が低く土を払った。
ティリスは剣を抜ききった。切っ先を下げ、靴底で土を踏み直す。
「は、はい。気をつけます。……エリハルさんの目と、指と、膝ですよね?」
ティリスはエリハルの顔と手と足を順に見た。狙ってはいけない場所を覚えているらしい。
エリハルの手の中で棒がきしんだ。
「……うちの体の話やないねんけどな」
「……これ、訓練っすよね?」
マリオスの小声に、ツグリは答えなかった。
ボクは二人の間を見た。剣が届く距離へ一歩入ったら、もう笑って割り込めない。ティリスは強い。エリハルはたぶんもっと強い。その二人が相手を壊す話をしながら、足場まで確かめている。
「――ちょっと、待ってよ二人とも、……っっ」
ぅっ。
思わず喉から嗚咽がもれた。
目の奥が熱くなって、慌てて押さえる。押さえた指が濡れた。
怖いとか、心配とかじゃなくて。たかが男娼の予約を取り合って、殺すとか、膝を壊すとか。そんなことを真面目に言っている二人が、
情けなすぎて涙が出てきた……。
「ユ、ユーニさん?」
ティリスの剣先が揺れた。
エリハルも棒を引き、こちらへ体を向ける。
「……じょ、冗談やん……! そんなに心配せんでもええよ。うち、加減くらいできるから」
「す、すみません。不安にさせてしまって……」
心配も不安もしている。この二人の判断力、頭の方が。
二人とも馬鹿なんだろうか……。
目を拭って息を整えた。
この町は気に入っているし、商売も順調だ。できればしばらく暮らしたい。でも客同士で取り返しのつかない怪我をさせて、次の揉め事を待ちながら暮らすつもりはない。
「この立ち合いで、どちらかがどうしようもない怪我を負ったら、ボクはもうこの町から出ていくからね」
エリハルの口が開いたまま止まった。ティリスも剣を下げかけた姿勢で固まる。
先に我に返ったのはエリハルだった。棒を脇へ挟み、荷物から布を引っ張り出す。
「せ、せや。これ巻いといたらええねん」
先端へぐるぐる巻きつけ、紐を歯で引く。掌へ押しつけて確かめると、もう一枚足した。
「ほら。これなら当たっても安心やろ。な、ユーニちゃん」
ティリスも慌てて剣を鞘へ戻した。
「や、やっぱり、武器に差があるのはよくないですよね。私も訓練用のにします」
壁際へ小走りで向かい、木剣を取って戻ってくる。
さっきは同じことを言って止められていたけど、今度はエリハルも大きく頷いた。
「せやな。ちゃんと揃えな」
「た、大事な仕事の前ですし」
「怪我なんかしたらあかんわ。手と顔と膝はなしやで」
「はい。よろしくお願いします」
ツグリが口を開きかけた。マリオスが袖を引くと、何も言わずに閉じた。
ボクも黙っていた。棒に布を巻いただけで安心とはいかないけど、さっきよりはずっといい。
エリハルが棒を左手へ持ち替え、右手を差し出した。ティリスも木剣を持ち替えて、その手を握る。
「仲良うやろな」
「は、はい。お互い、勉強になれば」
にかっ。
二人は握手をしたまま顔をこちらへ向けた。
エリハルは笑い、ティリスもぎこちなく口元を緩める。どちらもボクの顔をじっと見ていた。
構想当初からこのシーンを書きたかったのですが、そのせいでちょっと詰め込み過ぎました話を読んでくれてありがとうございます!
ブックマーク・☆を押すと作者の生存率が上がります。
面白いと思っていただければ下の☆☆☆☆☆からお願いします。<(_ _)>




