4-6-1
招集がいったん解散になると、エリハルは手袋を脱いでボクを手招きして呼び寄せた。ギルド左手の食堂へ連れていかれ、空いた卓に座らされる。
彼女は血の付いた兜と手袋を足元へまとめ、濡らした布で手と頬を拭いた。
「ぼ、冒険者!?」
ここに来た理由を答えただけなのに、エリハルの声が裏返った。
さっきまで首を担いでいた人に驚かれると、こちらが何かとんでもないものを持ち込んだ気になる。
「うん。B級の斥候。こっちのギルドにも登録を移してあるよ」
「B……? ユーニちゃんが?」
「そんなに意外?」
「そら、ユーニちゃん……」
エリハルの目がボクの顔から膝へ下り、また顔へ戻った。
「腕は確かですよ、姉御。アタシらも仕事したことあるんで」
「道中はずいぶん世話になったっす」
ツグリとマリオスが続いて卓につく。そのあとにティリスもボクの隣に腰かけた。
助けてもらったところはお互いにあるし、こういう場で褒められると少しむず痒いな。
「……自分らと?」
「はい。頼りになるんですよ、この人」
エリハルがツグリを見た。そのまま顔を反対へ向け、マリオスを見る。最後にボクの隣で膝を揃えているティリスを見た。
「自分ら、なんで座っとるん?」
「え?」
ツグリは腰を浮かせる代わりに、通りかかった給仕へ手を挙げた。
「煮込み三つ。パンも頼む」
「ジブン、大盛りでお願いするっす」
「うち今、ユーニちゃんと喋っとるんやけど……」
「の、飲み物は頼みました。皆さんの分も」
ティリスが得意げに報告した。仕事を一つ済ませた顔だった。
エリハルは口を閉じた。空いていた卓はもう剣と盾と五人分の肘でいっぱいだ。二人きりで話すには、いささか注文が通りすぎている。
「……まあええわ」
エリハルは濡れ布を脇へ置き、ボクへ向き直った。
「ほな、昼間はこっちの仕事か。夜の方は……」
エリハルが言い淀んだ。卓に肘をつき、ボクの隣から向かいへ目を動かす。
ああ。そっちの商売の話をしていいか、気にしてくれているのか。
「ああ、大丈夫だよ。ここの人たち全員知ってるから」
「……そうなん?」
「うん。隠さなくていいよ」
「……ほな聞くけど、夜はどこの店に出とるん?」
「店には出てないよ」
「休んどるん?」
「ううん。どこにも入ってない。ボク、まぁ…気が向いた時に相手してるだけだから」
卓へ置こうとしていた手が止まった。
「どこにも?」
「店の決まりに合わせるより、自分で決める方が気楽だし」
「……ほな、店に聞いても」
「ボクのことは知らないんじゃないかな」
エリハルは椅子の背にもたれた。天井を見て、鼻から長く息を抜く。
やっぱり店に入れと言われるだろうか。相場も知らなかった頃を知っている人だし、心配されても仕方ない。あのときよりは、だいぶ商売らしくなったと思うんだけど。
「客もちゃんと来てくれてるよ。この二人も」
ツグリが急にパンの籠を引き寄せた。
「お、おう。また頼むな」
「次も楽しみにしてるっす」
「……自分らの言うとったん、ユーニちゃんか」
エリハルの背が椅子から離れた。
二人が同時に彼女を見る。ツグリの指でちぎられかけたパンが、半分だけぶら下がっていた。
「何か話してたの?」
「いや。世話になっとるいう話や」
給仕が果実水を配り始めたので、自分の杯を受け取り、卓の脇の小さな包みから粉をさらっと落とす。底から細かな泡が湧いてきた。
籠を差し出した給仕に返事をしている横で、ツグリが何かに気づいたように身を乗り出した。
「あれ。姉御が探してたのってもしかして――むぐっ」
振り向くと、エリハルの右手がツグリの口を覆っていた。小さな顔の下半分が丸ごと隠れている。
「せや。うちが最初の客やねん」
「あ、じゃあ姉御、あの晩ずっと――んぐ」
左手がマリオスの口へ伸びた。
二人とも背もたれまで押し戻される。エリハルは両腕を広げたまま、ボクに笑いかけた。
「奇遇やなあ。こんなとこで皆繋がっとるなんて」
そこまで黙らせる必要がある話だったんだろうか。
まあ、酒席の話をボクにされたくないのだろう。人の内輪話を掘ってもろくなことにならないので、杯を口へ運んだ。
果実の甘酸っぱさに混じって、細かな泡が舌の上で弾ける。飲み込むと喉の奥までスカっと抜けた。うん。人混みで喉が渇いていたから、こういうのがいい。
「そうだ。エリハルにはお礼を言いたかったんだ」
「礼? ……ってなんや?」
ボクは杯を十分に遠ざけ、コートの内側から羊皮紙を出した。
折り目に指を添えて開く。角は丸く擦れて、何度も畳んだところが柔らかくなっていた。手の腹でそっと押さえると、見慣れた絵と記号、その横に数字が並ぶ。
「これ。今も持ってるよ」
エリハルの目が見開かれた。
返事が来ると思ったけど、彼女は紙を見たまま黙っていた。
「姉御が書いたんすか?」
「うん。最初に相場を教えてくれたんだ」
ツグリは羊皮紙を覗いてからエリハルへ目を向けた。
教わったときは、とにかく値段を覚えようとしていたが、今は客に金額を伝えるたび、教えてもらえてよかったなと思う。
楽しければいい、で始めた商売だが、代金をきちんと受け取るところまで自分でやらないと、商売にはならない。
「値段の決め方も、ちゃんとお金をもらうことも、あのとき教えてくれたでしょ。助かってるよ」
「こんなんまだ持ってたんか。……もっと、まともなもん書いてもろうたらええのに」
「分かりやすいよ、これ。ボクのために作ってくれたものだし。最初のお客さんがエリハルでよかったよ」
エリハルは口を開きかけたが、言葉が続かなかった。どうかしたのか、片手で顔を隠していた。
でも、指の横から口元が見えていた。にやけるのを堪えようとしているように見えた。
「姉御、なんでにやけてるんっすか?」
卓の下でごつっと音がした。エリハルの膝が戻るのと同時に、マリオスが跳ねた。
「いだっ!」
「料理冷めるで」
マリオスが卓の下へ手を伸ばし、すねをさする。
そこまで照れなくても。喜んでもらえたなら、ボクも嬉しいんだけど。
ボクは羊皮紙を折り目に沿って畳んだ。角が引っかからないように収め、コートの上から軽く押さえる。
エリハルはそれを見届けて、ようやく顔から手を下ろした。
「ほな、ユーニちゃん今夜は空いとるんか? うちも仕事片付いたとこやし」
「――あー、ごめん。今夜は先約があって」
「そうなん? まあ、当日やしな」
「ティリスと約束してて」
隣でティリスが頭を下げた。
「あ、ティ、ティリスです。先日冒険者に登録したばかりです。よ、よろしくお願いします」
「おぉ。こちらこそな」
エリハルはティリスを見た。それからボクへ顔を戻し、頷いた。
「ほな明日は?」
「明日もティリス」
ティリスがもう一度ぺこりとした。
「大きい仕事があるからって、先に二日分、取ってくれてたんだ」
「……なるほど。ほな、その次」
「そこはアタシです」
ツグリが匙を握ったまま答えた。
エリハルの首がそちらへ回る。ツグリは背筋を伸ばして、皿を見下ろした。
「すんません。前に約束してて」
「そら先約はしゃあないわ」
エリハルは笑っていた。ツグリは煮込みをすくったが、口まで運ばなかった。
ボクも申し訳ないとは思う。せっかく会えたのに、近いところは埋まっている。帰るときに次の約束をしてくれる客がいるのは、本当にありがたいんだけど。
「もう一日後なら?」
「……ジブンっす」
マリオスの手が半分だけ上がった。
エリハルはそちらも見た。マリオスは手を下ろし、大盛りの皿を自分の方へ引いた。
「自分もか」
「はいっす。楽しみにしてたんで……」
「ええよ。約束やもんな」
声は優しかった。マリオスはなぜか、もう一度背筋を伸ばした。
エリハルがボクへ向き直る。口の両端を上げたまま、ゆっくり聞いた。
「その次は、空いとる?」
「そこはまたティリスだね」
ティリスが小さく頭を下げかけて止まった。エリハルと目が合ったらしい。
ツグリがパンをちぎった。マリオスは空になった匙を口へ運び、何も入っていないのに気づいて皿へ戻した。
エリハルはしばらく笑っていた。それから一度頷き、ボクを見た。
「……ほな、その次の日の予定は?」
ティリスがパンを食べながら、すっと手を上げた。
悪びれた様子もなく、口をもぐもぐ動かしている。
エリハルはその手を見つめた。やがて卓に置いた両手を握り、三人の顔をゆっくり見渡した。
「えぇかげんにせぇよお前ら……」
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