3-9
村の柵が見えたとき、日はもう山の端に半分沈んでいた。
「おうい! 開けてくれ!」
ツグリが声を張ると、柵の内側で人影が走った。戸が開いた途端、張り詰めていたものが全員分まとめて緩んだのが分かった。帰ってきた。生きて。
「魔狼は片付けたぜ! 約束のエール、冷やしてあんだろうな!」
「その前に手当てじゃないかなぁ」
「あ? こんなもん唾つけときゃ治らぁ」
「ジブンは唾じゃ無理っすねぇ……」
担架代わりの戸板の上で、マリオスがのんきに手を挙げた。村人たちが慌てて駆け寄ってくる。祝いと騒ぎがごちゃまぜになった村の中を、ボクらはぞろぞろと運ばれていった。
まぁ、何はともあれ生き延びた。厄介な報告やら何やらは、明日でいい。
◇
村の集会所・兼村長の家で治療は行われた。
マリオスは苦い煎じ薬を飲まされ、寝台に転がされていた。骨をくっつけるには、カタクラの治療院まで運ぶほかないらしい。
「……三本っすか。新記録っすね」
なんで得意げなんだろう。
「あれ。薬だけっすか? 包帯とかはまかなくていいんっすか?」
「肋は、巻くとまずいんじゃったか。……いや、巻くんじゃったかのう」
「え?」
「えーっと……どっちじゃったかのう」
「えぇ!?」
マリオスが涙目でこっちを見た。
「……巻かない方で正解じゃなかったっけ。息が浅くなるから」
「おお、そうじゃそうじゃ。巻かんのじゃった」
「思い出した感じで言われても困るっす……」
次はツグリの左腕だった。ばあさんは骨の具合を指先で確かめ、添え木を当て、包帯を巻いていく。手際は悪くないんだが。
その間に、ボクは村長に獣のことを話した。針金みたいな剛毛。刃も矢も通らないこと。倒木で退路を塞ぐこと。罠を仕掛けるだけの知能があること。
「それと、人の声を真似る。昼に聞いた声を、夕方にはもう使ってた」
「……そんな獣、聞いたこともないな」
村長は半信半疑でこちらの話を聞いている。
「ともあれ、魔狼は片付いたんだろう? なら、一先ず家畜は襲われないってわけよね」
……不確かだが、思い当たる節はある。先日のエルフの店で店主が言っていた魔物――特徴が非常によく似ている。三十年前に姿を晦ましたと言っていたから、年かさ三十半ば〜四十程に見える村長じゃあ知らない可能性が高い。望みがあるとしたら――今巻かないと言ったばかりなのに、マリオスの肋をきつく包帯で縛ろうとしている、この薬師のお婆さんくらいだろうか。
「ちょっ……言ってることと違うっす! 巻かないんじゃなかったんすか!?」
「何を言うとるんじゃ……肋の骨折にはさらしを巻いて固定しとくのが一番じゃ。大人しく年寄りの言うことをきけい」
「おばあさんは聞いたことない? 三十年前から姿を消した人の声真似するっていう魔物、心当たりは?」
ばあさんは手を動かしたまま首をひねった。
「そんな獣、聞いたこともないのう……」
だよねぇ、と肩を落としかけた矢先。
「しかし、大した獣ではなかろうよ。今では平和になったもんじゃ。儂が若い頃は別の村におったが、危険な魔物ばかりじゃった」
「年寄りの昔話はなげぇんだ」
ツグリは「勘弁してくれ」と顔をしかめたが、ばあさんは聞いちゃいない。
「そいつはまず、決して人前に姿を晒さんでの。用心深く、姿を見た者はごく僅かじゃ。そいつ一頭のせいで、村が一つ二つ、消えたかのう……」
包帯を巻く手は止めないまま、ばあさんはこんこんと語り出した。ボクは聞き流しながら荷物の整理を始めた。矢の残りを数えて、ワイヤーを巻き直して――
「――はじめは家畜から襲っていってのう、他の魔物の仕業に見せかけるのじゃ。それから、家畜が村からいなくなれば――次は人間よ。夜になると森から人の声で呼ぶんじゃ。『おうい、おうい』とな。婿どのが返事をして出て行ったきり、朝まで帰らなんだ。見つかったのは靴だけでの、それも道にきちんと揃えて――」
手が止まった。
ツグリと目が合う。
……いや、今日のそれじゃない?
「ばあさん。その獣、針金のような体毛で覆われてねーか?」
「おお、そうじゃ。村の若者が追い詰めて、剣で切りかかったが、火花を散らす程の固い毛皮でのう。もう何人命を落としたか……ん? なんて名前じゃったかのう……」
今ボクらの話を聞いてたよね。
ばあさんはきょとんとして、それからぽんと手を打った。
「――ヤーヴァンじゃ! そうじゃ、ヤーヴァンじゃ。間違いない」
惚けた顔が、名前を口にした途端に険しくなった。
「あれは昔、この辺りを荒らしまわっておった。討伐隊が二度組まれて、二度とも戻らなんだ。三度目は追いつめたが取り逃がした」
「どうやって終わったの」
「さぁ……あれは人に姿を見られると長いこと姿を消す。縄張りを変えるのよ。用心深い、嫌な獣じゃ」
見られると消える、か。なら、ボクらのやることは決まっている。
「明日の朝いちばんでカタクラに戻ろう。ギルドに報告して、正式な討伐隊を出してもらう。できればA級……最低でもB級6人。ボクらの手には余るよ」
「だな。今度のはさすがに依頼の外だ。報告まで済ませりゃ、アタシらの仕事は上出来すぎらぁ」
ツグリが伸びをして、マリオスが寝台で「治療院ってお高いんすよね……」と呻いた。それで話は終わるはずだった。
「ヤーヴァンは用心深いだけでなく、執念深いのじゃ」
はぁ。
「姿を見たら、執拗に追ってくる。自分のことを吹聴されるのを嫌うのよ。もしヤーヴァンじゃったら、おぬしらこんなところでのんびりしているわけにはいかんかったのう……。……ところで、おぬし男か? 男が冒険者なんぞやっておるのか? はぁー、世も末じゃのう……儂らの頃は男といえばもっと奥ゆかしくて……」
「ちょ、ちょっと待って。今何て言ったの? その……ヤーヴァンという獣は、自分の姿を見た者を追ってくるって?」
ばあさんは包帯の端をきゅっと結んだ。
「……おおよ。あれは姿を見た者を執拗に襲う。己の正体が知れ渡る前に、口を塞ぎに来るんじゃ。塞ぎきれば、そこに居座り続ける。塞ぎ損ねて正体が知れれば、縄張りを捨てて消える。あれが姿を消すのは、そういう時じゃ。生きて逃した相手のところへは、毎晩現れる。夜這い猿なんて呼び名もあったのう」
「は!?」
ツグリが跳ね起きた。
「じゃ、じゃあ何だ。報告に戻る夜道で襲われるか、ここで襲われるか、どっちかしかねぇってのか」
「賢いのう、嬢ちゃん」
「賢くねぇよ! どうすんだよ!?」
……準備しないと、まずいじゃん。
ボクは頭の中で、手持ちの道具を数え直し始めた。夜の街道で受けるくらいなら、灯りと壁のあるここで迎え撃つ方がまだいい。
◇
集会所に村の大人が集まった。恰幅のいい村長は、ボクの話を聞き終えると腕を組んで唸った。
「……依頼は魔狼退治だったろう。魔狼は死んだ。あんたたちの仕事は終わりだ。そういうことに、できないのかい」
どうやら厄介払いをしたいらしい。
「できるよ。ボクらが今夜このまま発てばいい。明日の朝この村がどうなってるかは、保証しないけど」
村長は黙った。
「カタクラへ早馬を出すのは」
「往復で丸一日。応援が着く頃には二晩目が終わってる」
「村ごと逃げるのは」
「怪我人と年寄りと家畜を連れて、夜の街道を歩くってこと? あいつの縄張りを列になって」
誰も答えなかった。沈黙を破ったのは薬師だった。
「野犬の群れに生きた鶏を放り投げるようなもんじゃな」
ばあさんは集まった顔をひとわたり見回した。
「言うとくが、三人を追い出しても無駄じゃぞ。あれはもう、この村を餌場と決めとる。家畜の次は人じゃ」
誰かが息を呑んだ。
集会所の空気が変わった。村長は長い息を吐いて、ボクを見た。
「――で、何をすればいい」
家畜は全部屋内へ。村人は集会所と隣り合う三軒に固める。戦える女たちには槍と鍬を持たせて、二人一組で見回り。集められるだけの薪を集めて、広場と辻にかがり火を焚く。夜を明るく保つ。光はこっちの土俵で、闇はあいつの土俵だからだ。
最後に、全員にひとつだけ約束させた。
「何が聞こえても外に出ないで。誰の声でもだ」
「あんたの声でも?」
「あいつは、声真似がうまいんだ」
◇
薪の山に丸太を積み上げながら、ツグリがぼそりと言った。
「なんでお前、逃げねぇんだ」
手元の薪を落としそうになった。
「お前一人なら逃げ切れんだろ。逃げ足が取り柄なんだろうが」
「よく覚えてるね」
「茶化すな。一番いいのは、アタシとマリオスを囮にして、一人で逃げだすことだ。考えなかったわけじゃねーだろ」
右腕一本で丸太を担いだまま、ツグリはこっちを見ていた。ボクは薪を積み直して、それから答えた。
「いや、それはさすがに。村人と仕事仲間放り出して逃げるのは、まずいでしょ」
ていうか、そんなの完全に死亡フラグだし。
ツグリはしばらく黙って、丸太を薪の山に放り上げた。
「……借りだとは思わねえからな」
「利子は取らないでおいてあげるよ」
そんなツグリの様子に、思わずニヤニヤ笑いが漏れた。こちらの表情に気づいたのか、ツグリが苛立たしげに眉を上げる。
「なんだよ!」
「最初会った時と比べて随分としおらしくなったなぁと思って。意外と可愛げがあるんだね」
「ざけんな」
おー、耳が赤くなっている。
あと、一つ訂正しておこう。
「確かにボクは逃げ足が取り柄だけどね。やり返さなかったことは一度もないんだ」
◇
夜が来た。
かがり火が六つ、広場と辻で燃えている。虫が鳴かない。犬も吠えない。村の犬は全部、家の中で戸口を睨んだまま唸りっぱなしだ。
最初の声は真夜中より前に来た。
「おおーい」
森の方から。間延びした昼の日なたみたいな声。
「おーい。……こっちだ!」
見回りの女たちが足を止めて、こっちを見る。ボクは首を縦に振った。誰も動かない。誰も答えない。声は何度か繰り返して、やんだ。
効かないと分かったんだ。なら、次は手を変えてくる。
風を切る音がして、広場のかがり火が爆ぜた。火の粉が散り、組んだ薪が崩れる。石だ。子供の頭ほどのやつが、闇の中から投げ込まれている。続けて辻の火がひとつ消えた。
「おいおい……まずいんじゃねぇの……」
ツグリの声が硬い。同感だ。灯りが尽きれば、そこから先は夜目の利くあいつの独壇場になる。
「火から離れて! 的にされる――」
言い終わる前に、悲鳴が聞こえた。
村の北の端。見回りの担当区域だ。
駆けつけて、見た。地面に相方の槍が転がっていて、その先で、見回りの女が黒い巨体の下敷きになっていた。丸太みたいな腕が、女の右腕を掴んで引いている。
「助けてくれーーーー!!」
ごき、と嫌な音がした。
考えるより先に射っていた。狙いは掴んでいる方の掌。毛のない、昨日通った急所。
獣は腕を上げなかった。
顔で受けた。剛毛が矢を弾いて、目がこっちを向く。
もう学習したのか。嫌になるね。
第二射。ならば狙いは素直に目か口か――目だ。しかし放つ寸前、黒い巨体が柵を跨いで闇に溶けた。足音はすぐに聞こえなくなった。
「今のうちだ! 引きずり出せ!」
ツグリの声で、見回りの女たちが駆け寄った。下敷きの女が引き出される。外れた肩、泥だらけの顔。……ひどいな。引き千切られる寸前だったようで、掴まれた方の腕が反対よりも一関節分伸びている。でも、生きてる。
薬師の家に運び込むと、ばあさんは女の腕を取り、すぐに処置に入った。長い悲鳴が響く。
「死にゃせん。……次からは、腕より足を鍛えることじゃな」
ボクは外に出て、燃え残ったかがり火を数えた。四つ。矢の残り、見回りの組み直し――やることを数えているうちは、余計なことを考えなくて済む。
森はまた静かになっている。
追い払ったんじゃない。あいつは一旦引いただけだ。
夜明けまでは、まだ長い。
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