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3-7


「――上だッ!!散れ!!」


 ボクは叫ぶと同時に、矢を放つ。

 矢は吸い込まれるように宙へ消える。ボクはそれを見送りもせず、地を蹴って――


 真横へ跳んだ。


 一拍遅れて、ボクが立っていた場所に、黒い塊が落ちてきた。地面が爆ぜる。土と枯葉が噴き上がり、衝撃が足裏から胃まで突き上げる。

 土煙の中で、それは身を起こした。


 でかい。おおよそボクの背丈の倍。二足歩行、顔つきは霊長類のそれだ。長い毛が全身を覆っている。異様に発達した筋肉が毛皮の下からでもわかる。肉弾戦では絶対に勝ち目はない。


「なんだ、こいつっ!」


 ツグリがすぐさま戦闘態勢をとる。双剣を抜き、いつでも飛び掛かれるように一歩引き体を低くする。


 そいつは答えの代わりに、口を開いた。


「おおーい」


 ボクらを森の奥へ誘い続けていた、あの間延びした呼び声。それが、目の前の獣の口から、まったく同じ調子で漏れた。

 全身が粟立った。


「後衛下がれ! マリオス、囲め!」


 ツグリの判断は速かった。素早く声を上げると、マリオスと獣の対角線上に回り込み、鋭い踏み込みとともに、的確に脇腹へ剣を繰り出す。


 ぎゃりっ。


 金属を石で擦ったような音がした。ツグリの双剣は確かに当たった。しかし刃が滑る。剛毛が刃を受け流したため、皮膚まで届いていない。


「かってぇ……!?」


 それでもツグリは退かず、滑った刃を返して喉を狙った。斬撃は不利と見て取ったツグリは刺突に切り替えた。だが、またも剛毛に阻まれる。

 まるで、密集した藁の束に刃物を突きさすようだった。剣では毛皮は相手にできそうにない。

 針金みたいな毛。刃が通らない。あの店で聞いた話とそっくりだ。ただし、聞いてた話より二回りでかいぞ。


「ツグリ、下がれっ!」


 ボクが叫ぶと同時に、獣が腕を薙いだ。ツグリは寸前で、刺突の体勢を解き、剣を盾に跳び下がる。吹っ飛んだ。受けた剣ごと体が浮いて、回転して藪に突っ込む。防御の上から、あの威力か。


「このっ……舐めるなっす!!」


 マリオスの戦鎚が唸りを上げた。膂力の乗った、まともに受ければ岩も砕く一撃。獣の背面に命中する。体が大きく揺れる。有効打。しかし浅い。獣は振り向きざまに戦槌を握る。


「ちっ……! こいつ力強いっすね……!」


 マリオスは負けじと掴まれた戦鎚を軸に、盾の縁を獣の顎へ叩き込む。膝を蹴り込み、腰を落とし、足を踏ん張って全体重で沈む。槌を奪われてたまるかと全身で抗い、束の間、二つの膂力が拮抗した。獣の腕が止まる。


 ボクも手をこまねいていたわけではない。その一拍の隙を狙い、矢を放つ。速射三発。一本目は首筋、剛毛に弾かれる。二本目は目。しかし腕で防がれる。軌道を見て防いだのだ。こいつ、弓を知っているな。だがこちらも、最初の二本は捨て札だ。三本目は警戒されている顔以外の獣の露出部位。足だ。


 矢は足の親指。親指の爪と肉の間に刺さる。


「ギャーーーーッッ」


 獣が初めて声を上げた。「おおーい」でも唸りでもない、短い悲鳴だった。マリオスを掴んだ手が緩む。


「マリオスっ、今だっ!」

「だっしゃああ!!」


 マリオスが再度、戦槌から引き離すと、渾身の重撃を叩きつける。再び大きく揺れる体。

 だが、そこまでだった。痛みに激昂した獣は、太い指でマリオスを掴み直し、放り捨てるように叩きつけた。地面に。それから、木に。


「がっ……あ゛っ……!」


 マリオスが幹をずり落ちて根本に崩れる。


「クソがぁっ」


 ツグリは藪から立ち上がり、片腕を抱えて呻いている。開戦からいくらも経っていないのに、前衛は削られ、盾は潰された。獣がこちらに顔向ける。まずいな。

 次はボクか。


 すかさず矢を放つが、獣は片腕で顔を庇い、木の陰へ身を沈めた。足への攻撃が嫌だったのか、二度は喰らうまいとする動きだ。射線が切られる。ボクの手札はもう割れている。動くたび獣は、木をボクとの射線に挟んでくる。


「ツグリ! 動ける!?」

「……っ、当たり前だ!」


 ツグリの様子は芳しくない。左腕がだらりと下がっているが、剣は握れている。しかし、満足に振るえはしないだろう。


「一旦引くよ!マリオス拾って、来た道を戻る!」

「はぁ!? 逃げ切れんのかよ!?」

「任せて! 逃げるのなら得意なんだ!!」


 ボクは叫びながら、腰の煙玉を一つ、獣とボクらの間に叩きつけた。白煙が視界を裂く。ツグリが「確かになぁ!」と叫びながらマリオスを担ぎ上げる。ボクらは来た道へ走った。


 追ってこない。


 あれだけの脚がある。本気で追えば、煙なんて数秒で抜けられる。なのに背後の気配は一定の距離を保ったまま、つかず離れず。まるで追い立てているようだ。


 前方に倒木が見えた。行きには、なかった倒木だ。太い幹が、獣道を完全に塞いでいる。折れ口は新しい。


 右手は崖。左手は下り。左だけが、開いている。緩やかな下りの、走りやすい斜面が。その先から、水の音がした。


 ――沢だ。


 足場が悪く、視界が開けて、逃げ場のない沢。魔狼を追い込んだあの窪地と同じ地形だ。


 血の気が引いた。ボクらは逃げているんじゃない。運ばれているんだ。あの群れと、同じ場所へ。


なんかピンとこない…話を読んでくれてありがとうございます!


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