3-6-1
依頼元の村は、カタクラから街道を半日ほど戻った林縁にあった。柵に囲われた家畜小屋は、見るも無残だった。囲いの丸太が二本、根元からへし折られている。
「三晩連続でさ。最初は山羊が二頭、次の晩は羊。昨日はとうとう仔牛がやられちまって」
村長だという恰幅のいい女性が、折れた丸太を撫でながら説明してくれた。
「魔狼の群れだろうって話だったね」
「ああ。遠吠えを聞いた者もいる。ただ……妙なんだよ。囲い、見ておくれ。ここ、丸太の結び目のところだけ、狙ったみたいに折れてるんだ。狼がこんな器用な壊し方するかねぇ」
……ふぅん。ボクは折れ口に顔を寄せた。噛み跡じゃない。外側から強い力で押し込まれたような折れ方だ。
「考えすぎだろ。腹減らした群れなら囲いくらい壊すさ」
ツグリが依頼書をひらひらさせながら言った。金髪の釣り目――ツグリ。赤茶の垂れ目の方がマリオス、二人ともC級。B級斥候のボクを入れて三人。魔狼相手なら、火力は十分すぎる編成だ。
「じゃあ、さっそく森に向かうっすかね。足跡辿る感じでいいんすか?」
「うん。キレイに残ってるしね」
……あれ? 群れという割には足跡が少ないな。家畜を引き摺った跡で消えたのだろうか。
「痕跡追うのはあんたの仕事だ、斥候様。ほら、しっかり先導しな」
「はいはい」
◇
森に入って半刻。獣道に沿って、足跡は途切れ途切れながらも、素直に森の奥へ続いていた。
というより、随分派手に獲物を引き摺った痕がついており、こちらを追った方が容易だった。
「85点。……いい尻っすねぇ」
「90点。ムカつくが、確かにいい尻だ」
後ろから、実に仕事と関係ない会話が聞こえてくる。斥候は先頭を歩く役目なので、後続二人の視線がずっとボクの腰に刺さっているのだ。
「ねぇ、聞こえてるんだけど」
「褒めてんだよ。減るもんじゃなし」
「昨日も男の尻を追いかけ回して、今日もボクの尻を視姦か。いい身分だね、キミたち」
「今度メシ奢るから触らせてほしいっす」
「対価が安すぎる」
まったく。この世界の女どもときたら。……いや、待てよ。前の世界の現場の男達も大体こんなだったか……? 世界がどっちに回ろうと、現場の下品さは不変らしい。
――と、軽口を叩きながらも、ボクの意識の半分はずっと地面に向いていた。どうにも違和感がぬぐい切れない。
妙だ。
足跡は魔狼のものは確かにある。家畜を引き摺った跡で消えているが。四足のそれらしい歩様の跡だ。だけど時々、それに混じって別の足跡が現れる。魔狼の前足の形をしているのに――前足だけなのだ。後ろ足がない。歩様として成立しない、前足だけの跡が、ぽつ、ぽつ、と点在している。
次に死骸。引き摺り痕を辿った先、木の根方に仔牛が一頭転がっていた。昨夜さらわれたやつだろう。腹を裂かれ、内臓を引きずり出されており、蠅がたかっている。だが、食い方が汚い。美味い部分のみ喰われ、臭みのある臓物にはほとんど口をつけず、大半をそのまま放り出している。腹を空かせた獣の食い方じゃない。
そして、死骸のすぐ脇に、糞が落ちていた。枝でつついて確認する。大きさが魔狼の倍近い。中身には獣毛と骨片に混じって、木の実の殻と繊維質。……雑食だ。魔狼は肉食。これは別の生き物の糞だ。
「おい斥候、なにチンタラしてんだ」
「……二人とも。ちょっと変だ。魔狼以外の何かの痕跡が混じってる」
「あぁ?」
ツグリが屈んで、ボクの指した右足だけの足跡を一瞥した。
「足跡なんて雨や獣で崩れるだろ。片っぽだけ残ることくらいあるさ」
「足跡は雄弁だ。それに、真実しか語らない。この足跡は――嘘つきだ。深さが魔狼のそれじゃない」
「はいはい、B級斥候様は繊細だねぇ。魔狼の10や20、アタシらで捌けるから安心しな」
「魔狼ならね」
杞憂ならいいが。
マリオスが「怖がりっすねー」と笑った。……まぁいい。警戒はボク一人でもできる。
◇
魔狼の群れは、沢筋の窪地にいた。
風下だったのが幸いした。獣くさい風がこちらへ流れてくる。向こうはまだ、ボクらに気づいていない。窪地の底で、魔狼が身を寄せ合っている。数は六匹ってところか。
ボクは指で二人に段取りを示した。マリオスが右、ツグリが左、ボクは正面の高台から。声は出さない。二人ともこの手の連携は心得たもので、無言で頷くと、それぞれの位置へ散っていった。
合図はマリオスの飛び込みだ。
右手の藪が爆ぜて、赤茶の影が躍り出た。魔狼どもが一斉に顔を上げる。その硬直の一瞬。ボクは番えていた矢を放つと、先頭の一匹の眉間に吸い込まれ、魔狼は足をピンと張り、声もなく崩れた。
「――っしゃあ!」
マリオスの戦鎚が唸る。真横から叩き込まれた一撃で、二匹目が毛玉みたいに吹っ飛んだ。
残りは総崩れだ。狼の判断は早い。勝てないと見るや、群れは左手へ雪崩を打って逃げ出す。
その先で双剣が待っていた。
「逃がすかよ」
ツグリが低い姿勢から擦れ違いざま、二匹の腹を裂く。臓物を引き摺りながらまだ逃げようとする二匹の首元に念のため矢を打ち込んでとどめを刺す。
ツグリの返す刃でもう一匹。鋭い剣先は上顎から頭頂までを両断する。ツグリは青い返り血を浴びて、獰猛に笑っている。
だが、一匹だけ囲みをすり抜けた。小柄な個体が、二人の間を縫って森の奥へ走り込む。
「あっ、逃げたっす!」
「ちっ、追うぞ!」
地を蹴ろうとした二人を、ボクは片手で制した。
「いいよ、追わなくて。多分大丈夫」
「はぁ? 逃がしていいわけ――」
ボクは答えず、目を閉じた。森のざわめきから、逃げる足音だけを拾う。下草を蹴る音、木の根を跨ぐ気配。距離、方角、速度――頭で計算するのではなく、マナが覚えている。
息を止めて、矢を放った。
風を裂いて、矢が木立の向こうへ消える。
少し遅れて、甲高い声が返ってきた。
――キャイン。
「……やったのか?」
「多分ね」
ボクは肩をすくめて、弓を下ろす。
ヒュー、とマリオスが口笛を鳴らした。
二人の腕はC級としては中々の腕前だった。ボクの耳もまだ鈍っちゃいない。
「ほらな? 言った通りだろ」
ツグリが剣の血を振り払いながら、得意げに笑う。
「これで依頼完了。村の家畜ちゃんも安心ってわけだ」
……そうだろうか。ボクは倒れた魔狼を見下ろしていた。どの個体もあばらが浮くほど痩せている。三晩連続で家畜をたらふく食った群れの体じゃない。
『いなくなったのと、隠れるのが上手くなったのは、外からは同じに見える』頭の奥であの静かな声が思い出される。
……いや、まだ何も確かじゃない。ボクは一度、頭を振った。とりあえず、目の前の始末が先だ。
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