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1-2

 白い息をリズミカルに吐きながら整然と舗装された街道を走る。

朝露で湿り気を帯びた石畳が昇りかけの朝日に照らされ、鈍く光を反射している。旅立ちの日にはピッタリの爽やかな朝だ。


 赤レンガ造りの待合所が街道沿いに佇む。軒下には旅の荷物が並び、看板には出発時刻が無造作に書かれている。そして辺りには藁のほんのり甘い香りが漂っていた。


 もう出発の準備ができているのだろう。馬車に近づくと、御者台にはコボルトが腰掛けている。フードを目深に被った亜人だ。フードの奥の光る目がボクをじとりとした視線で見つめている。どうやら、約束していた出発時間ギリギリの到着だったのが気に障ったらしい。


 「ごめんね」と、ボクは片手を上げて謝意を示すと、持っていた前払いのチップを手渡す。それから、蒸留酒の小瓶も添える。コボルトは一瞬それを見つめると、フードの奥で目を細めた。そして無言で手綱を軽く引き、馬車の準備が整ったことを示した。ボクは馬車に荷物を預け、手荷物だけ持ったまま馬車のステップを上がる。扉を開けて中に入ると、革張りの座席が広がっており、先客の女性が一人いた。素朴な旅人用の衣服をまとい、傍らには布で巻かれた長い棒状の物(恐らく剣だろう)が立てかけられていた。突然の入室に驚いたのか目を丸くしてボクを見ている。


 会釈して中に入り、革張りの座席へと腰を下ろす。お尻を包み込むもったりとした優しい感触。うーん、悪くない。


 乗合馬車はこの国の陸路の移動手段の一つだ。主要道路を走る中型の馬車は大体4人から8人乗りで、徒歩で移動するよりも3倍は早い。魔物の脅威があるこの世界では、金のある旅人はもっぱら馬車で移動している。あるいはキャラバンを組んで大人数で移動するという手もあるかもしれない。

この馬車は4人乗りだ。広々座れて窓ガラスがついて外の景色まで楽しめる。いわゆる富裕層向けの高級馬車だ。一方、安い馬車は同じ広さに8人がギュウギュウ詰めで入り、屋根すら無いので、3日間その狭い中に揺られるのは拷問に近い。折角の旅なのだから、そんな辛い思いをするよりは優雅に旅をしたい。ちょっとくらい贅沢しても罰は当たらないだろう。


 先客の女性とボクの他に乗客はいないようだった。人が少ないのはくつろげて好都合だ。

見送り人が出発のベルを振り、御者が手綱を鳴らす。馬車が小気味よい音を立てながらゆっくりと動き出した。


 朝市で色々買い込んでいたら遅くなってしまった。なんとか出発に間に合って一安心だ。旅馬車の発着は大概早朝にまとまっているので、乗り遅れると翌日まで足止めをくらうことになる。


 あとは気ままな一人旅だ。



 さて、当面の目的地であるカタクラまでの道のりは、旅馬車で4日程度といったところらしい。1日目は宿場町。2日目は野宿、3日目は宿場町で泊まる予定だ。4日かかるかどうかは天候次第とのことだ。


 窓ガラス越しに流れる美しい草原の景色は中々乙なものがある。


 この街道は『アルケラ街道』と呼ばれ、自由都市群を繋いだ主要な交易路だ。何千人もの労働者が何十年もかけて築き造った道だ。かつてはこの道があった場所は平原や森といった魔物達の領域であり、町と町を移動することはまさしく命がけだった。この街道が完成したことで、人々は安心して旅ができるようになり、交易を行うことができるようになった。まさに、この街道は人々の生活と王国の繁栄を支えた命の道といえる。……全部ガイドブックの受け売りだけど。


 街道を造った労働者達はやはり女性だったのだろうか。つい前の世界の癖で筋骨隆々の男達が道を整備していく光景が浮かぶが、頭の中で無理やり女性たちに書き換える。こうやってこっちの常識に頭をなじませていかないと。


 お腹がすいてきたので、朝市で買い込んだ朝食を広げる。バケットサンド。香ばしい焼き目がついたパンに新鮮なレタス、厚切りのハム、溶けかけのチーズが挟まれている。見ているだけで涎がでてきそうだ。

『男の子が食べるんだったら、食べやすく切り分けてあげるよ』と店のおばちゃんが4等分に切り分けてくれた。別にパンにかぶりつくのを気にしたりはしないが、そういった野蛮な食べ方は、お淑やかさが求められる男子の振る舞いとしては落第点のようなのだ。

香ばしい匂いにつられたのか、同乗者の目線がこちらを向いていた。密閉空間で食べ物を広げれば、そりゃ気になるだろう。


「ごめんね、食べ物ひろげちゃって。朝から何も食べてないから、お腹すいちゃってさ」

「あ、あっ、はい」

「馬車の出発朝早いよね。キミは朝食食べてきたの?」

「えっと……、た、食べてないです」


 控えめな声で答える彼女は、気弱そうな表情が印象的だった。気弱というより、極度に緊張している感じか。まぁ見知らぬ人間から馴れ馴れしく話しかけられれば警戒するか。

ぐぅう、と低い音が彼女のお腹から聞こえてきた。


「キミ、よかったら半分食べない? ちょっとボクには全部は多いかもって思ってたんだ」

「えっ、えっと、あ、はい…。大丈夫です」


 大丈夫ってどっちだ……? いるのか? いらないのか?


「はい、どうぞ」


 笑顔でパンを半分渡すと、彼女はおずおずとパンを受け取り「どうも」と小さな声で呟いた。

パンをもくもくと食べている。ボクも食べよう。

口元を隠しながら、パンを口に運ぶ。まず、焼けたパンの固い食感があり、柔らかな弾力とイーストの香りが口の中を通り抜ける。咀嚼の度に歯ごたえと具材の旨みが口いっぱいに広がる。旅の疲れをほっと和らげる味わいだ。パンは半分に減っちゃったけど。まぁ旅は道連れと言うし。長い道中警戒されっぱなしじゃ堪らない。少しは仲良くしとかないと。


「おっ」


 突然向かいから声がしたので見てみれば、女の子は強張った顔で自身の手元を見つめている。ボクも、思わず身構える。


「……おいしいです…」

「あ……そう? それはよかった」


 いきなり声を出すから何かと思った。彼女の伏せがちな目と目が合う。エメラルドグリーンのきれいな瞳だ。一瞬、彼女の瞳孔が開いたように見えたが、また顔が薄茶色の長い髪に隠れてしまう。


 ちょっとした考えがボクの頭をよぎる。

あくまでただの勘なんだけど、この世界にきてから、これについての勘はよく当たる。


『処女だなこの娘』


 性的な未経験のことを、男は童貞。女は処女、というのはこの世界も同じだ。

ただ、男の童貞は純潔とされるが、処女には「あいつ処女なんだって(笑)」と嘲笑のニュアンスが混じる。貞操逆転ならではの文化だ。

まぁ、生まれたときは皆処女・童貞なんだし、いちいち気にすることではない。この子は顔も可愛いんだから、あとは出会いとやる気の問題だ。そんなことは大した問題じゃない。


「あ、あのっ」

「うん」


 と思っていたら、彼女の方から話しかけてきた。


「……お兄さんは、どこに行く予定なんですか?」


 ……?

同じ行き先の馬車に乗っているんだから、同じ場所なんじゃないか? いや、カタクラから乗り継ぎで別の都市に行く可能性もあるか。


「カタクラだよ。魔道具で有名な都市だよね。前から一度行ってみたくてさ」

「……そ、そうなんですね」

「…」

「…」


 続きを待ったが、特になかった。「キミはどこに?」と会話を続けようかと思ったら、彼女は顔を逸らして外の風景を見始めた。……ふむ、ただ行き先を聞いただけか。

まぁいいや。

読みかけの本でも読もうかと、手荷物から本を取り出す。栞のページを開いて、どんな内容だったか記憶をたどっていると、また向かいから声がかかった。


「お、お兄さんは、ご家族はいるんですか?」


 …家族…?


「ええと、家族か。あー…故郷には両親と兄弟がいるんだけどね。ちょっと遠いところでね。長らく会ってないや」

「そ、そうなんですね」

「うん」

「…」

「…」


 会話が少し途切れると、またそっぽを向く。そしてまた数秒後、声がかかる。


「お、お兄さんは休みの日とか何してるんですか?」


 こ、これは……。

コミュ障童貞特有の会話法、単発質問ラッシュだ。会話能力の低い人間が、人と無理に会話をしようとすると、まったく話が膨らまずに質問の連続になり、まるで取り調べでもしているかのような、個人情報収集マシーンと化す。


「え、えっと…」


 質問に答えず、じっと彼女の顔を見る。額には汗が浮かび、目が忙しなく動いている。テンパってるな。きっと筋金入りのコミュ障だ。コミュ障で童貞か。ううむ。

うーん、彼女を見ていると昔を思い出す。思春期過ぎたあたりから急に異性を意識し始めてしまって、会話ができなくなるというのは、よくある話だ。

かわいい女の子がアワアワしているのを見ているのも面白いが、ここは人生の先輩として、会話の経験を積ませてやるべきだろう。


「…休みは色々だなぁ。町をブラついたり、本読んでたり。でも、一番好きなのは家でグータラしてるときかな。昼近くまでベッドでダラダラしてるのが好きなんだよね」

「へ、へぇー…」

「そういうキミは? 休みの日なにしてるの?」

「…え、わたしですか、えっと」

「…」

「…」

「…」

「…えっ、えっと、同じ……ですかね⋯」

「…そっかー」

「……」


 会話に失敗したと思ったのか、彼女は気まずそうに俯いた。


「じゃあ、同じぐうたら仲間だね!」


 ボクは彼女に向かって『いぇーい』、と手を伸ばす。ハイタッチ。


「わ…!」


 ……!

手に触れ、彼女は驚いた顔を見せたが、驚いたのはボクも同じだった。彼女の手は見た目は柔らかそうな少女の手だったが、触れてみると力強く、長年の鍛錬が積み重なったタコがある。それは生半可ではない剣士の手だ。思わず、確かめるように触ってしまう。剣の修練というのは手に表れる。まだ若く見えるのに、どれほど人生を剣にささげてきたのだろうか。


「あ、あの」

「ごめん、すごい手だったから、つい」

「あ……、ごめんなさい、見苦しいですよね」

「そんなことはないけど……。すごいなぁ、これ剣ダコだよね? 何歳から剣を振ってるの?」

「覚えてないんですけど、二歳くらいからって聞きました」

「二歳!」


 二歳って、おむつが外れるくらいじゃなかったか。まだ言葉もろくに喋れない頃から剣を持たされていたのか。


「家が武門の家系だったんですが、家族は……なんというか、全員剣狂……剣が大好きでして」

「へぇ、すごいね、英才教育うけてたって訳か」

「……あはは、そんなにいいもんじゃなかったんですが、私は剣はあんまり…好きじゃなかったので」

「……道場ではどんな稽古をしてたの?」とボクが尋ねると、彼女は少し笑みを浮かべた。

「き、基本は型稽古と素振りなんです。それはむしろ好きだったんです、嫌いだったのは実戦形式の試合が毎日あって、私は一番年下なのにお姉ちゃん一切手加減してくれなくって」

「あはは、わかる、姉妹きょうだいって、容赦ないよね、親よりやたら手厳しいときあるよ」

「そ、そうなんですよ!」


 彼女が笑いながら語る昔話に耳を傾けているうちに、馬車は揺れるリズムを刻みながら進んでいった。窓の外には、広がる草原と時折現れる木立が流れるように過ぎていく。



 出発してから休憩を挟んで八時間。話が弾めばあっという間だった。夕日の橙色が外の木々を穏やかに照らしている。そろそろ今日の宿に着く頃だろうか。


 長い時間話し続ければ緊張もさすがに解けるようで、彼女の表情も次第に柔らかくなっていった。

彼女の名前はティリス。彼女は武門の家の三女で、家から独立してカタクラで冒険者を志望するという娘だった。話してみれば、気さくで素朴な性格が伺えた。


「ごめんなさいお兄さん、私ばっかり喋っちゃって……」

「全然、ティリスの話すごい面白かったよ」


 ティリスははにかんだ笑みを浮かべた。少しずつ打ち解けてくれたのなら何よりだ。何といっても、あと2日も旅を共にすることになるのだから。


「お兄さん呼びはやめてさ。せっかく仲良くなったんだから、名前で呼んでよ。ユーニって」

「あ……じゃあ、ユーニ…さん、ですね」

「うん」


 ティリスは、少し顔を赤らめながら、そわそわと髪を指でいじった。視線は落ち着きなく泳いでいて、あきらかに異性慣れしてない仕草だ。悪く言えば、童貞くさい仕草だ。なんとなくだけど、彼女はボクに好意を持ってる気がする。まぁ、童貞ってのは、ちょっと異性と仲良くなるだけで『運命の出会いかも』なんて勘違いする生き物だ。

彼女はカタクラに着いたら冒険者になるつもりらしいし、そうなれば同じ町に住む同業者だ。ボクにとってティリスは、どっちかといえば妹みたいな印象だった。目鼻立ちは整ってるけど、どこか野暮ったくて、異性というよりは親戚の子って感じ。そんな彼女が見せる初々しい仕草は、たしかに微笑ましい。でもそれ以上の感情は湧いてこなかった。

友達としてはいい子だ。でも、体の関係を持てば、また前みたいに惚れた腫れただの、面倒ごとを引き寄せるのが目に見えてる。


 ……まぁ。当たり障りなく仲良くしとくのがちょうどいいのかな。


 馬車が動きを止め、コボルトが窓を叩く。外を見れば木材を積み上げて造られた壁が見える。

初日の宿場町に着いたようだ。


 宿場町とは、この国の交通の要所に設けられた中継地点のような場所だ。主に旅人や商人が宿泊や休憩のために利用するが、それだけではない。荷物や物資の積み替え、情報の交換、そして冒険者たちが次の仕事を見つける場所でもある。


 町とはいうものの、高さ4メートル程の木の壁で囲まれており、町は単なる休息の場を超えて、地方の治安維持や経済の活性化にも重要な役割を果たしている。旅をする者にとって、宿場町に辿り着くことは一日の安全を確保することと同義だった。


 ティリスが窓の外を眺めながら興味津々の表情を浮かべた。「わ、村の外にでるのって初めてなんです」と、声を弾ませている。緑色の瞳が、町の景色を貪るように見つめている。


「……あの、ユーニさん」

「ん?」


 ティリスは好奇心たっぷりの子犬のような表情を浮かべながら、少し緊張した面持ちで言葉をつづけた。


「あ、姉から聞いたんですけど……宿場町って、どこも料理がおいしいんですって。あ、あの、ユーニさんは……夕ご飯、どちらで食べるんですか?」

「うーん、決まってないなぁ。適当に、どっか入るかなぁ」


 そう答えると、ティリスはちらっとボクの顔を見てから、窓の外へ視線を戻した。

なにか言いかけたように口をもごもご動かしたが、でも声にはならなかった。

ボクは彼女の続きを待たずに扉を開けて、馬車を降りた。御者から荷物を受け取って、ティリスにひと言だけ挨拶した。


「じゃあ、また明日ね。話の続き、聞かせて」

「あ……」


 彼女は少し残念そうな顔を見せた。

夕食でも誘ってくれるつもりだったのだろうか。彼女の顔を見ているとなんだか悪い気がするが、ボクにも少し考えがあった。カタクラに着く前に試したいことがあったのだ。

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