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『ドンドン』


 宿屋の安い合板のドアが、ノックで軋んだ。


「おーい、ユーニ。中にいるの? もう寝た?」


 この声は、ボクが加入している冒険者パーティ『四角錐の刃』のリーダー、フラム。女だ。


「……寝てないよ、横になってたけど。どうしたの?」


 ボクは扉越しに返事をしながら、ベッドの脚に結んだロープを引っぱり、結び目の固さを確かめる。


「なんだ? 体調悪いのか?」

「……ちょっと体がダルくてさ」

「それは心配だな。下に来て皆と食事しないか? 美味い葡萄酒があるんだ。20年物のエンリヒ地方の葡萄酒だ。貴族でも滅多に飲めない代物だぜ」

「それはすごいね。……うん、今起きるよ。すぐ支度するね」


 そう言いながら、ボクは荷造りを終えた鞄を横目で見る。着替えよし、金よし、装備品よし。忘れ物はないな。


「支度か。どのくらいかかる?」

「着替えるだけだから、すぐ終わるよ。……今裸だったから、ちょっと服着るまで待っててね」


『ごくり』


 生唾を飲む音が、扉越しに聞こえた。


 ――言っておくが、裸というのは真っ赤な嘘だ。ボクはレザージャケットとブレーサーを身に着け、今からダンジョンの中すら飛び回れる格好をしている。そして、扉の向こうで唾を飲んだのは女だ。ボクは男だ。


 ……この状況を説明するには、少しばかり不親切な前提を共有しないといけない。


 まず、ボクは異世界にいる。VRゲームのキャラで転生した。まぁ、それはよくある話だからいいだろう。問題はここからだ。この世界は、男と女の価値観が逆転している。


 内股でなよなよ走り、フリルやかわいい物に目がなく、やたらと周囲とつるみたがり、カフェで延々と『友達』と恋バナをするのが――男。自分の筋肉を鏡で眺め、友達とエロ本を回し読みし、趣味の話を始めると止まらず、一日の90%はSEXのことを考えている性犯罪率の高い方が――女。


 そういうことらしい。よくわからんが。


(ちなみに、さっき自分を「ボク」と言ったが、最初は「俺」だった。この世界で男が『俺』と言うと、周りから奇妙な目で見られる。郷に入っては郷に従えだ)


 そしてボクは、キャラメイクで作った、とびきり美人の『男』だった。その意味するところは――


 扉の向こうから、ひそひそ声が聞こえてくる。


 『あいつ、気付いてるんじゃないか?』『もう無理やり開いてしまおうぜ』『焦るなよ、逃げ場所なんかないんだから』『あぁ、もう我慢できない』


 ――つまり、こういうことだ。


 扉の向こうにいるのはフラムだけじゃない。女たちがボクを慰み者にしようと、ボクが扉を開けるのを待ち構えている。この世界に来て、何度か経験した流れだ。『四角錐の刃』の面々も悪い奴等じゃなかった。この町の仕事はいい稼ぎになった。でも、最近のボクを見る目が、もう野獣のそれに近い。


 潮時だ。


 窓をゆっくりと開き、音をたてないよう、ロープの反対側を窓の外へ放り投げる。


 ドン、ドン。


 再び扉が叩かれる。今度は強めだ。


「おーい、着替えはまだ終わらないの? 顔だけ見せてくれない?」


 これ以上引き延ばせば、さすがにもう危ないな。ボクは返答をせずに、体を窓の外へ踊らせた。部屋は3階。下を見ると一瞬気後れする高さだが、冒険を重ねたボクの経験値をもってすれば大したことはない。特殊部隊よろしくロープを伝い、地面に降りる。ボクが物陰に隠れるのと、扉を蹴破る音が聞こえるのは、ほぼ同時だった。


「いない! どこ行った!」

「窓だ! 窓から逃げた!」

「だからさっさとヤッちまおうって言ったのに!」

「まだ遠くに行ってないはずだ。探して捕まえようぜ」


 物騒な声。フラムが窓からこちらを探しているのが見える。後ろでまとめた黒髪に、気の強そうな通った鼻筋、豊満な胸元。うーん、一度くらい寝ておけばよかったかな。惜しいことをした。


 ……いや、それをやったから、こうなったんだった。



 夜道を歩きながら、少し昔のことを思い出す。


 この異様な世界についた当初、ボクは楽しくてしょうがなかった。このキャラは見た目が麗しく、一声誘えば誰でもベッドまでホイホイついてくる。冒険者、平民、貴族、聖職者、仕事中の衛兵。目についた女性と、とっかえひっかえやりまくった。


 後悔したのはその後だ。寝た相手はどいつもこいつも独占欲をむき出しにした。『今何してるの?』『その女誰?』『キミは私の運命の人よ』――唐突に指輪を送られるわ、知らぬところで決闘が始まるわ、帰ったら家の前に行列ができてるわ。頭を抱えるまで、時間はかからなかった。


 最初の町を逃げるように出て、次の町では貞淑に禁欲的に過ごした。少なくとも表面上は。今度は上手くやれている実感があった。


 そんな折だ。冒険者仲間に、森の中で襲われた。異性への警戒心がなさすぎたのか。この世界の女性の性欲を見誤っていたのか。しかも何度か襲われているうち、ボクを監禁して自分の物にしようというヤバい輩まで現れた。そこでやっと気がついた。無警戒に他人の欲望に身をゆだねていると、いずれとんでもない目に遭う。


 ――そして三つ目のこの町でも、結局、同じ流れになった。今夜のあれだ。



 町外れの街道に出る頃には、月が高くなっていた。歩きながら、頭を冷やして考える。ボクの身の振り方についてだ。


 ボクは肌を重ねるのが好きだ。貞操逆転のこの世界で、ボクが彼女達の目に魅力的に映るというのは、正直最高だ。でも、それは自由という土台に乗った上での話だ。誰にも束縛されず気ままに生きたい。欲望を抑圧することなく領域を侵害されることなく。煩わしい人間関係はごめんだ。


 それには、うまく世界とバランスを取る必要がある。必要なのは対等な取引。管理された欲望。供給と需要――ボクは己を差し出し、代わりに自分の領域を守る。


 つまり、男娼(ビッチ)だ。


 金をもらって性行為をするビジネスライクな関係。女も男も、ついでに財布も満足だ。


 俺は――……いや、ボクは。男娼になるぞ。

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