表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/18

3-4-1

 近づいてきやがった……。


 カウンターから立ち上がった店主が、音もなく棚の間を抜けて、ボクの目の前に立った。逃げ道を塞ぐような、絶妙な立ち位置で。ボクは図鑑を盾みたいに胸の前で持ったまま、じりっと半歩距離を取った。

……何も見てない。ボクは何も聞いてない。


「それ」


 店主が、図鑑を指した。


「読めるの」

「え? あ……はい、一応」

「ふぅん」


 紫の瞳が、初めてまともにこちらを向いた気がした。品定めするような、というより、標本を裏返して確かめるような目だ。


「字が読めて、それを手に取る客は、この町だと年に一人いない」

「そ、そうなんですか」

「みんな火の出る剣はないか……とか、空飛ぶ箒。あとは惚れ薬があるかって聞いてくる。ない、って言ってるのに」


 抑揚のない声で、淡々と愚痴らしきものを言う。……あれ、なんだ、普通に会話するんだこの人。さっきの、あの、アレは何だったんだ。

ボクの勘違いだったのか?

いやいやいや。


「どこまで読んだ」

「え、っと……この、猫型の魔物のところまで」

「ロズィの群れ。あれは絵が良い」


 あ……はい。


「気に入ったのがあるなら言って。売れないやつもあるけど」

「じゃあ……この図鑑って、おいくらですか」

「*****ギル」

「ですよね」


 城が買える値段だった……。


 

まぁそうだろうなとは思った。手描きの一点物だ。むしろ売り物の棚に差しておくのが不用心すぎる。


「でも、読むのは自由。座って読んでいい。破ったら殺す」

「……こ、殺す」

「…………これはエルフ・ジョーク」


 エ、エルフ・ジョーク……。

冗談を言う顔じゃなかった。声も顔も一切動いてなかった。エルフのジョークは高度すぎる。


 逃げ出すタイミングを失ったボクは勧められるまま、カウンター脇の古い椅子に腰を下ろして、図鑑を膝に開いた。店主は定位置に戻って、また自分の本に目を落とす。


 しばらく、静かな時間が流れた。ページをめくる音がふたつ。香の匂い。……うん。落ち着く。

水音は――もうしない。

さっきのアレは、きっと気のせいだったんだ。そういうことにしよう。人は信じたいものを信じる生き物だ。


「魔物、興味あるの」


 店主がふいに聞いてきた。


「あ、はい。……ボク、冒険者なんです。この町で活動しようと思ってて。だから生態とか弱点とか、知れるだけ知っておきたくて」

「ふぅん」


 彼女は少しのあいだ黙って、それから、独り言みたいに話し始めた。


「このあたりで気をつけるのは、南の森のロズィ。あとは崖下の蟲。どっちも図鑑に載ってる。読めばいい」

「はい」

「あと――」


「図鑑に載ってないけど、昔、厄介なのがいた」

「厄介なの?」

「獣。狼より少し大きい。全身が、細い針金みたいな毛で覆われてる。刃が通らないし、矢も滑る」

「……厄介ですねそれ」

「嫌なのはそこじゃない」


 店主が思い出すように顎に手をやる。


「罠を張る。囮を使う。手負いのふりをして、助けに来た方を先に殺す。……つまり、頭が回る獣だった。あれは、獣の顔をした狩人」

「…………」

「討伐隊が三回組まれて、三回消えた。四回目でようやく数を減らして、それきり見なくなった。もう三十年になる」


 三十年。さらっと言ったが、つまりこの人はそれを直接知ってるということか。エルフの時間感覚こっちの感覚が狂うな。


「……駆逐したんですか?」

「さぁ」


 店主は興味をなくしたみたいに、また自分の本へ視線を戻した。


「見なくなっただけ。いなくなったのと、隠れるのが上手くなったのは、外からは同じに見える」


 ……含蓄がんちくのある言葉だ。まぁ三十年前の魔物だ。出会うこともないだろう。


 それから少しの間、ボクは図鑑を読みふけった。さきほどの現象の牽制けんせいではないが、時々質問すると、店主は的確に答えてくれた。


 

……。役に立つ話が聞けたし、いい店だ。うん。最初のアレは本当に、何かの勘違い、気のせいだったのだろうか……。

……現にこの人、ずっと普通だし。博識だしなぁ。


 日が傾き始めたので、ボクは図鑑を丁寧に棚へ戻した。今日は閉まる前にギルドにも顔を出しておきたい。


「すみません、そろそろ行きます。あ、これください。煙玉三つと、閃光珠ひとつ。あと、その臭い消しをひとつ」


 一番雑に置かれている汎用冒険用道具を手に取ると、カウンターに置く。


 煙玉は昼間の逃走で一個使ったからな。補充しておかないと。あれは本当にもったいなかった。閃光珠の方は、投げると眩しく光るという品だ。逃げ足で生きてる身としては、目潰しの手は多いほどいい。


「煙玉三つ、閃光珠ひとつ、臭い消しひとつ……銀貨二枚と銅貨八枚」


 店主がカウンターの上で品を包んでくれる。ボクは銀貨三枚を渡した。彼女は手元の小箱から釣り銭を数えて、ボクの手のひらに、じゃら、と落とした。


「また来るといい。続き、読みに」

「……はい、ぜひ。ありがとうございました」


 ボクは笑顔のまま、まっすぐ扉を押して、ちりん、という鈴の音とともに店を出た。

いい買い物をした。いい話も聞けた。いい店を見つけた。カタクラ生活、幸先いいじゃないか。ボクは軽い足取りで扉に向かい、受け取った釣り銭を財布にしまおうとして――


 釣銭を受け取った指先に、違和感を感じた。


 ……なんかついてる。


 財布の中を見れば、じっとりとぬるい乾きかけの、膜みたいな湿り気が、貨幣の表面に付着していた。

スライム、というか、ローションのような……


 嫌な予感がした。確かめてしまった。粘液のついた指先を、鼻に近づけると――


 イカ臭い……。


「――」


 振り返らないで歩みを進める。


 ……この町に来て、まだ一日だ。 一日で、不動産屋に口説かれ、路上で二人組に追い回され、魔道具屋でこれだ。


 一日一回どころじゃないぞ、この町。

貞操逆転の異世界。わかってたつもりだったけど、ちょっとアクが強すぎるんじゃないか。


 げんなりしながら、それでも足はギルドの方へ向かう。財布の中の湿った銅貨のことは、いったん記憶の奥底に沈めることにした。

ここまで読んでくれてありがとうございます!


ブックマーク・☆を押すと作者の生存率が上がります。


面白いと思っていただければ下の☆☆☆☆☆からお願いします。<(_ _)>

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ