3-1
「お部屋は二階の角ね。居間と寝室のふた部屋。一人なら十分でしょ」
階段を上がりきったところで、不動産屋の女性が鍵を回した。扉が開く。日差しが廊下に溢れて、思わず目を細めた。
「南向きだから、一日じゅう明るいのよ。入って入って」
促されるままに部屋へ入る。板張りの床。壁には作り付けの棚。寝室の方にはベッドの枠だけが置いてある。必要最小限だけど、清潔だ。家具付きってのは悪くないね。
窓のそばに立って、外を覗いた。
――随分高いな。
断崖を削って造られたテラス状の街並みが、段差をつけて下へ下へと広がっている。崖の中腹から麓まで、家々や工房の屋根がひしめいている。どこからか、金属を叩く甲高い音が風に乗って届いてくる。
「いい眺めですね」
「でしょ? ここ中段のギルド街の端だから。冒険者ギルドも近いし、仕事するなら便利よ」
女性はボクの隣に並んで、窓の外を指さした。
「下に見える太い壁が外壁。ずっと昔から、魔物が麓に押し寄せるたびにあれで食い止めてきたの。カタクラって、もっぱら魔物との戦いで大きくなった町なの」
「それで冒険者が多いんですか」
「そうそう。ヴァルクレイン聖鎖騎士団なんか国内でも有名だし、冒険者も多いし、武装した人がその辺歩いてても、この町じゃ普通の光景よ」
なるほど。門をくぐったときから、やたら剣やら弓やらを背負った女が目についてたのはそういうことか。この世界は人間同士の戦争よりも、魔物のほうがよっぽど怖い。だから冒険者みたいな武装集団が社会に必要とされている。
「あ、そうだ――お兄さん、さっき登ってきた坂道、覚えてる?」
「ああ、あのジグザグの急なやつ」
「あれ、わざとああなってるの。魔物が下から押し寄せたとき、上から一方的に迎え撃てるようにさ。昔は『殺し間』って呼ばれてたらしいよ」
殺し間。物騒な名前だ。でも、あの狭くて急な折り返しの坂で上から矢やら石やらを降らされたら、どんな魔物でもたまったもんじゃないだろう。よくできてる。
「壁の石もさ、よく見ると面白いんだよ。下の方は荒い石積みでしょ? あれが最初に造られた時代のやつ。上の方とか継ぎ足した部分は、ずっと後の精密な石切りなの。魔物に壊されるたびに積み直して、そのたびに強くなってきたの。この町の歴史があの壁に全部刻まれてるようなもんだよね」
話しながら、女性の目が少し誇らしげに光った。この町が好きなんだろう。
「お風呂は共同だけど、川から揚水ポンプで水引いてるから、お湯はいつでも使えるわ。大家さんは中段の工房の親方で、夜は静か。治安もいい方」
「眺めもいいですしね。西門の方には何があるんです?」
「あっちは色町だね。旅人の門から入ってすぐのあたり。賑やかだけど、こっち側とはだいぶ雰囲気違うよ。反対の北東の方は……まあ、日当たりがちょっとね」
そこで言葉を濁した。北東――断崖の影になって一日中陽が当たらない低地。あの暗がりは、たぶん貧民街だ。魔物が壁を破ったとき、真っ先に飲まれるのもあの場所。不動産屋がわざわざ触れたくないのはよくわかる。
ボクはもう一度、部屋のなかを見回した。
入口は一つ。廊下に出れば、正面の階段と、奥に勝手口。逃げ道は二つある。窓は――この高さだ。外から侵入してくる奴はまずいない。逆に、ロープさえあれば隣の屋根に飛び移れるし、そのまま道まで降りられる。
高所は不便にも見えるけど、こちらにとっては安全だ。
窓の外に目をやった。工房の屋根が並ぶ向こうで、昼前の陽が白く光っている。金属を打つ音と、どこかの露店から漂う焼き物の匂い。高さのある景色。悪くない。
「ここにします」
「それはよかったわ。じゃ、契約の案内するわね」
◇
書類に記入していると、女性がにっと笑った。案内中とは違う、妙に甘い笑い方。
「お兄さん、何してる人なの? 冒険者さん? それとも、この町で仕事探し?」
「まあ、その辺りです」
嘘ではない。ギルドに顔を出せば冒険者だし、仕事はこれから探す。曖昧に答えておく。
「男性の一人暮らしって、大変だよねぇ。洗濯とか炊事とか、全部自分でやらなきゃだし」
「……ええ、まあ」
「ご飯とか、外食が多い? 自炊ばっかりだと疲れちゃうでしょ。カタクラには美味しい店、いっぱいあるのよ。案内してあげようか」
食べ物には興味はある。が――この流れで「案内」されると、なんかいつもの流れだな。
「外で食べるより、自分の部屋で済ませたいタイプなんです」
「あら、もったいない。じゃあ、お酒は? お兄さん美人だから――お酌してくれたら、手数料割引してあげるわよ」
冗談交じりに言ってるが、経済的に余裕があるかどうか、さっきから遠まわしに探ってきてるな。一人暮らしの男は金に困ってるはず、みたいな前提で話を広げて、割引を餌に持ちかけてる。
まぁ……下心だろうな。
ボクはさらっと首を振った。
「気持ちだけで。割引は大丈夫です」
「えぇ、つれないなぁ」
手続きを終え、軽く笑って会釈する。女性はあからさまに残念そうな顔をしたけど、追ってはこなかった。ボクは背を向けて店を出た。面倒な人間関係は避けるに限る。「客」ならいいが、「恋人候補」は今のところ必要ではない。
◇
店を出て、坂道に足を踏み出す。見下ろすと、下段の屋根が段になって広がってる。工房の槌の音が絶えず、どこかから焼き物の匂いが漂う。白い陽が崖の石を照らして、町全体がざらりと明るい。
ここは交易都市カタクラ。当初の目的地だ。王都から程よく離れた、辺境への輸送の要所。物流の拠点で、歴史も古い。崖に沿って三段に重なった町。上は貴族、中はギルドと工房、下は市場と門。魔道具の産地だから、旅人も商人も絶えず出入りしてる。
せっかく異世界にきたことだから、この国の歴史も少し知っておきたい。……とは思うんだが、どうにも怪しい。
この世界、識字率が低い。名前が書けるだけで「読み書きできる」って胸張る奴がほとんどだ。
王の名前は知ってる。何をしたかも知ってる。
「魔物を追い払った」「すごい剣を持ってた」「ハーレムに百人の美男を囲って毎日酒池肉林」
だが、そんな話ばかりだ。誰に聞いても似たような答えしか返ってこない。正しい年号も、戦の順番も、国がどう形になったのかも、誰も知らない。歴史が曖昧な国はだいたい今も曖昧だ。ちゃんとした成り立ちを知るには本だ。まともな本を置いてる場所を探す必要がある。……図書館とか……ないだろうなぁ。王宮や貴族の屋敷には書庫なんかあるだろうけど……それは難しいだろうしなぁ。
坂道をぶらぶらと下りながら頭のなかをいったん空にして、最初から並べ直す。
住まいは決めた。手元の金は、これまでの稼ぎを貯めてきたおかげでしばらくは持つ。明日どうこうって状況じゃない。稼ぎは止めたくない。男が一人で暮らしていくなら、なおさらだ。
それに、昔はあちこちで肉体関係を持ちすぎて、悪い意味で有名になってしまった。もといたところとは、大体国の反対側だし追ってくる人もいないだろう。今度はうまくやるつもりだ。表向きは貞淑に振る舞って、必要なときだけビジネスライクにそれが一番いい。
――と。
鼻が先に反応して足が止まった。
坂道の先に、露店が何軒か並んでいた。幕を張った屋台の上に、湯気の立つ鍋が見える。台の上には蒸かした芋を潰してバターを混ぜた、ほくほくの黄色い塊が湯気を立てていた。フォークを刺せばほろりと崩れそうな見た目だ。さらにその先にも、まだ覗いたことのない看板がいくつも続いている。
新しい町だ。新しい食材。知らない店。まだ歩いていない路地。ともかくお腹が減ったな。
――よし。まずはご飯だ。
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