2-etc
etcは番外編ということで
三人称視点です
「『ユーニちゃん』、ですか?」
受付の女が、首をかしげた。
カウンターに肘をつき、エリハルは身を乗り出した。
「せや。黒髪で、紫の瞳の——めっちゃ美人の男の子。知らんか?」
「うーん……聞いたことないですねぇ」
「ほんまに? カタクラの娼館におるはずやねんけど」
「この辺って言われましても、カタクラの男娼のお店だけで数えきれないくらいありますからね」
エリハルは奥歯を噛んだ。ここで五軒目だ。
「うちにもいい子いますよ? ほら、あの窓際の子なんか——」
「あー……いや、ええわ。邪魔したな」
手をひらひらと振って、エリハルは店を出た。
扉が閉まった瞬間、溜息がこぼれた。
「……ここでもおらんのか」
◇
通りに出ると、夕暮れの陽が斜めに差していた。
カタクラの風俗通り。道の両側にずらりと並ぶ店からは色とりどりの照明が漏れ、甘い香と安っぽい香水の匂いが混じり合っている。飾り窓の向こうから男が手を振っている。煙管を咥えた別の男が、気だるげに通りすがりの女に流し目を送る。客引きの女が声を張り上げ、酔った女たちが腕を組んで千鳥足で歩いていく。
「カタクラの娼館なんて限られとる」と高をくくっていた過去の自分を殴りたい。
エリハルは人混みに紛れて歩きながら、こめかみを指で押さえた。
——あのユーニって名前、本名っぽかったな……。
源氏名とは、男娼が商売をする上での偽名だ。だが、商売っ気の無いあの子のことだ。きっと本名だったのだろうとエリハルは推察する。
「店で源氏名やったら、『ユーニ』で聞いても出てこんのは当たり前か。店の名前も場所も聞いてへん。聞いたのは名前と、あと——」
あの夜の記憶が、不意によみがえった。
白い肌。紫の瞳。触れられた指の感触。
「——はぁ」
立ち止まった。
腹の奥がじわりと熱い。
「……なんかムラムラしてきたわ」
このままうろうろ歩いてたって始まらない。もう何軒回ったか数える気力もない。ユーニちゃんは見つからない。見つからないが——腹の中の火種は、歩くほどにくすぶっていく。
一つの店が目に留まった。店先に並ぶ男娼の似顔絵が描かれている。この世界に写真はない。代わりに画家が描いたポートレートで男娼を選び、指名する仕組みだ。
どの絵も美しく描かれている。憂いを帯びた瞳、なめらかな肌、華奢な肩のライン。もちろん「盛り」が入っているのは承知の上だ。
通りの角にある店の前で、足が止まった。一枚の似顔絵が飾られている。
繊細な筆致で描かれた端正な顔。黒髪に、紫がかった瞳。左目の下に黒子。
エリハルの心臓が跳ねた。――この似顔絵、ユーニによく似ている。
――いや、焦るな。自身に言い聞かせる。
髪型が違う。雰囲気も違う。絵画自体にも年季が入っていて、最近描かれたものではなさそうだ。
でも——あの子、カタクラは初めてやって言ってた。化粧をして、髪をちょっといじったら、こうなるかもしれへん。ユーニに見えなくもない。見えなくもないやろ。うん。見える。見えるわ。
エリハルは額縁の絵を眺めながら、腕を組んだ。
——似顔絵で指名、か。
この手管は昔からある、色町で使われるあからさまな罠だった。実際に来るのが絵と同じ顔である保証なんてどこにもない。金を払って、当たり外れを引かされるだけ。謀り放題・騙し放題。詐欺の見本市みたいなものだ。
「……なるほどね……なるほどなるほど」
しかし、エリハルは魔物に挑む時のように、揺るがなかった。
金さえあれば酒と風俗とギャンブルに全て使う。それがエリハルという女だ。外れたら外れたで、また次がある。それだけのこと。
エリハルの歩みに迷いはなかった。
店に入り、受付のカウンターに立つ。受付は若い女で、やけにテンションが高かった。
「いらっしゃいませー! ご予約済みですかぁ?」
「いや、予約はしとらんのやけど、――この一番美人の子——レオちゃん、空いとるかな?」
「はい! 空いてますよ!」
表に飾ってあった似顔絵を指差す。受付の目がぱっと輝いた。……なんか、やけに嬉しそうだ。
「お客さん、お目が高い! この子ね、うちの秘蔵っ子なんですよ。ただちょっと、上級者向けっすけど。腕に覚えがある感じですかぁ?」
「上級者向け? ほーん。……おう、任しとき」
エリハルは腕を組み、胸を張った。そう——彼女はS級冒険者。王国最強の槍使い。大陸最凶の竜を単騎で屠り、怪物の群れを薙ぎ倒し、数えきれない修羅場を潜り抜けてきた女。その自信と経験が、頭のてっぺんから爪先まで全身に溢れている。今夜の相手が男娼一人。負ける道理がなかった。
受付はにかっと笑って、人差し指と中指の間から親指をにゅっと突き出した。卑猥なジェスチャーだ。
「そうっすか! じゃあ楽しんできてくださいね!」
エリハルも笑って、同じジェスチャーを返した。ノリのいい店だ。
店に入ってから耳の後ろが妙にチリチリする。
経験。勘。状況。S級冒険者として培ったすべてのセンサーが、警報を鳴らしている。受付の笑顔のどこかに、客に向けるものとは違う色が混じっている気がする。
だが、エリハルの足は止まらなかった。
「――分の悪い賭けは、嫌いじゃないんや――」
エリハルは壁に向かって呟くと、廊下の奥へ歩いていった。
◇
階段を上り、個室に通される。
赤みを帯びた照明が壁を染め、甘い香の煙が天井近くを漂っている。ベッドは広く、シーツは安物だが清潔で、枕元には花が一輪。壁際の棚には小瓶がいくつか並んでいる。中身はたぶん油だ。
悪くない雰囲気。及第点。
エリハルはベッドの端に腰かけ、膝を組んだ。余裕の姿勢だ。
――さて、蛇が出るか龍が出るか。
扉が開いた。
男が入ってきた。
「…………」
エリハルの笑みは変わらなかった。
その男は、ユーニとは似ても似つかなかった。
あの柔和な顔つきとは似てもにつかぬ、ふてぶてしい顔つき。頬のあたりに青々とした剃り跡が残っていて、剃り残しもある。肩幅はエリハルより広い。黒髪でもなければ、紫の瞳でもない。左目の下に黒子なんて影も形もなかった。あの似顔絵と脳内で重ね合わせようとしたが、1ミリも重ならなかった。
「……なるほどね」
——まぁ、ええわ。わかってたわかってた。――想像の範囲内ですわ。現実っちゅうのは大体こんなもん……。それに男と女のってのは外見だけで決まるもんでもない。愛想がよければ外見の悪さもご愛嬌ってなもんで……。
軽く息を吐いて、男に向き直った。笑顔を作る。
「よろしゅう」
男はどかっと椅子に座ると、ちらっとこちらを見た。返事はなかった。代わりに聞こえたのは——
「チッ」
舌打ちだ。ぶつぶつと何かを言っている。聞き取れたのは「くそが」の3文字だけだった。
——ふんふん。なるほどね。なるほどなるほど……。
エリハルは『まいったねこりゃ』と言わんばかりに肩をすくめて天を仰いだ。天井の隅に蜘蛛の巣が張っているのが見えた。
「賭けの結果は……、うちの『負け』ってことかいな……」
エリハルの喉音まで「やっぱナシで」「チェンジ」の言葉が出かかる。だが、S級冒険者のプライドが、いや、自称"遊び人"のプライドがそれを許さなかった。
「……ま」
エリハルは立ち上がった。
「こっから巻き返すのが、うちなんよな」
シュバッッッ
上着の紐に手をかけ、鋭い音と共に衣服を下着と共に一瞬で脱ぎ去り全裸になる。下着が宙に舞い、鍛え上げられた肌が赤い照明に照らされる。あくまで攻めの姿勢を崩そうとはしない。
「見せたろやないかい……うちの生き様ってやつを……!」
◇
扉を開けた。
廊下を歩く足取りが重い。受付のカウンターが見えてくる。
「お疲れ様っすー!」
受付の女が、満面の笑みで声をかけてきた。行きとまったく同じテンション。まったく同じ声量。
「どうでした? 楽しめました?」
エリハルは受付に一瞥をくれると、無言で指の間から親指をにゅっと突き出した。
卑猥なジェスチャー。行きに笑顔でやり取りしたあのサイン。
受付の笑顔が崩れ、真顔になる。
エリハルは何も言わず、そのまま店を出た。
受付の女は、ただその背中を見送っていた。
◇
夕焼けが、通りを赤く染めていた。
エリハルは一人で歩いていた。
重たい足取りで、風俗通りを抜けていく。すれ違う客引きの声が、遠くに聞こえる。店先に並ぶ似顔絵の美男子たちが、額の中から微笑んでいる。
ふと、頬に冷たいものが伝った。
手で拭う。指先が濡れていた。
「……あれ?」
見上げた空は晴れていた。雨ではない。
「なんや、この水……」
もう一度、頬を拭った。また濡れていた。目の奥から、じわじわと滲み出してくる。
「……へっ、なんや、」
足が止まった。
「涙かいな……」
エリハルは袖で乱暴に目を擦り、鼻をすすった。
「……帰ろ」
——カタクラの風俗通りに、夜の帳が下りる。
飾り窓に明かりが灯り、客引きの声が一段と賑やかになり、笑い声と嬌声がどこからともなく聞こえてくる。
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