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 馬車が止まった。

 窓の外に、小さな町が見える。石畳の通りに、木造の建物がぽつぽつ並んでいるだけの、のどかな宿場町だ。

 御者が荷台の方から声をかけてきた。道中のゴブリンを退治してくれたことへの感謝だ。今夜はここで一泊して、明朝また出発する、と。

 ボクは軽く手を振った。


「お礼ならティリスに言ってよ。じゃ、また明日ね」


 荷物を降ろし、鞄を背負う。ティリスも大剣を背負い直して馬車を降りた。さて、宿を探さないと。

 ボクがティリスの方を見ると――さっきからずっと顔が赤い。馬車を降りる前からだけど、降りてからさらに酷くなっている。うつむいたまま、ちらちらとこっちを見ては目を逸らす。脚をもじもじとこすり合わせている。

 ……ボクが馬車の中で言ったこと、まだ引きずってるな。


「ティリス、いこっか」

「は、はいっ」


 宿場町は小さかった。通りは一本だけ。商店がいくつかと、酒場と、あとは民家。宿はおそらく一軒しかない。迷いようがないのはありがたい。

 二人で通りを歩いていると、向こうから女が二人、こちらに向かってきた。冒険者風の格好をしている。ボクの顔を見た瞬間、二人の目がきらりと光った。


「ねぇ、きみ。見ない顔だけど、旅の人?」


 片方がにやにやしながら近づいてくる。もう片方もボクの顔をじろじろ見ている。


「すごい美人。今夜暇? ねぇ、一杯どう?」

「ごめんね、連れがいるから」


 ボクは歩調を緩めず、軽く手を振ってあしらった。が、女たちは引き下がらない。並んで歩き始める。


「えー、つれないなぁ。あ、私たちも同じ宿に向かってるんだよね。宿、この町一軒しかないし」

「へぇ」

「ねぇ、後ろの子って妹?」


 女がティリスの方をちらっと見た。ティリスはボクの後ろに半歩隠れるようにして、うつむいている。顔が赤いまま、何も言えない。


「……連れだよ」

「ふーん。おとなしい子だね」


 ティリスが何か言おうとして口を開きかけたが、結局何も言えずに閉じた。ナンパ女二人とボクとティリスという、なんとも居心地の悪い四人組が宿へと歩いていく。


 宿は古い木造の二階建てだった。

 玄関を開けると、一階は食堂兼居酒屋になっている。夕方だというのにすでに賑わっていて、客の笑い声と食器の音が入り混じっている。カウンターの向こうで女主人が忙しそうに立ち回っていた。

 ボクは一歩下がった。ティリスの後ろに回る。


「ティリス、受付お願い」

「え……わ、私ですか?」

「うん。ボクが行くと絶対またナンパされるし」


 理由としては間違ってない。でも本音は別にある。ここは彼女に決めてもらいたい。決めるというのは、例のあの、二人部屋にするか、一人部屋にするか、という馬車のなかでの問いかけだ。ボクが「二人部屋で」なんて言ったら、それはただの強引な営業になっちゃうし。

 ティリスがおそるおそるカウンターに向かう。女主人がちらっとこちらを見た。


「泊まりかい?」

「は、はい……」

「一人部屋と二人部屋が空いてる。どっちにする?」


 ティリスの背中が強張るのを感じた。視線がちらちらと泳ぐ。周囲の客がこちらをなんとなく見ている。後ろではナンパ女二人がヒソヒソと何か小声で話している。女主人の視線が刺さる。


「早くしてくれるかい? 見ての通り忙しいんだけど」

「あ……、え、えーーっと、えーと……」ティリスが口ごもる。指先が無意味にカウンターの縁をなぞっている。


「まだー?」後ろからナンパ女が威圧的に声を上げた。

「ひゃっ!………………ひ、一人部屋で……」


 ――へ、ヘタレ……!

 

 ティリスが自分の口から出た言葉に、自分で驚いている顔をしている。違う、そうじゃない、って顔で。あうあう言っている。でももう遅い。訂正する勇気が出ない。女主人が部屋の鍵を取る。


「あら、一人部屋なの?」


 ナンパ女の片方が、するりとボクの隣に立った。


「じゃあ、きみ一人なんだ。よかったら私たちの部屋に遊びに来ない? 広い方の部屋取るからさ」


 そう言って、ボクの肩に手を置いた。馴れ馴れしい。もう片方の女もにこにこしながらボクの腕に手を伸ばす。


「いいじゃんいいじゃん。お酒も持ってきてるし、楽しくやろうよ」


 ボクはちらっとティリスの方を振り返った。

 目が合った。


「……一人部屋にするの?」


 ぽつりと呟くと、ティリスの目が見開かれた。ボクの肩に手を置くナンパ女と、ボクの目と、交互に見ている。


「や、や、ややっぱり二人部屋でお願いしますっ!!」


 あまりの大声に、食堂が一瞬静まり返った。

 客の手が止まり、酒を注いでいた女の手が止まり、女主人が振り返る。全員がティリスを見た。

 ティリスはカウンターに両手をついて、肩で息をしている。耳の先まで真っ赤だ。

 女主人が呆れたように鼻を鳴らした。


「……はいはい。二人部屋ね」


 鍵がカウンターの上に置かれた。

 ボクは思わずにっこりと笑ってしまった。そっとティリスの手を取る。剣ダコのある熱い手だ。ぎゅっと握り返された。


「行こ」


 ナンパ女二人が何か言っていたけど、もう聞いていなかった。


 ◇


 二人部屋は、狭かった。

 木の壁に木のベッド。窓が一つ。それだけ。荷物を下ろして一息つく。ティリスはベッドの端にちょこんと腰を下ろしたまま、微動だにしない。

 目が泳いでいる。手が膝の上でぎゅっと握られている。顔は赤い。この子ずっと赤いな……。


「先にお風呂入ってきたら?」


 そう声をかけても、返事がない。


「ティリス?」

「…………」


 聞こえていない。完全にフリーズしている。目は開いているのに、何も見ていない。


「……ちゃんと洗える?」

「え? な、なんですか?」


 やっぱり聞いていなかった。

 ゴブリン戦での汚れ、まだちゃんと落とせてないだろうな。前に「臭い消しで一週間もつ」とか言ってたし。……一人で行かせたらまずいかな。


「お風呂、一緒に入ろうか」


 ティリスの口が、顎が外れたんじゃないかってくらい開いたまま、ぱくぱくと空気だけを噛んでいる。


 ◇


 湯が使える宿はありがたいな。

 ボクはタオル一枚を腰に巻いて、木桶から湯を汲んでいた。湯気が立ち込める狭い浴場。隣には、俯いたまま顔を真っ赤にしたティリスが座っている。


 そっとティリスの背中を眺める。肩から背中にかけて、うっすらと筋肉のラインが浮いている。でも、あの大剣を片手で振り回す膂力の割には、体つきはずいぶん華奢きゃしゃだ。腰まわりや太ももには女の子らしい丸みがちゃんとある。あの怪力は筋肉だけで出してるんじゃない。この世界の戦士は生命力を身体強化に回すらしいから、見た目以上の力が出るんだろう。


 ティリスの様子はずっとおかしい。無言だ。視線がこっちの胸元から腰に落ちて、慌てて逸らしたかと思えば、また吸い寄せられるように戻ってくる。目が合いそうになるたびにぱっと逸れるのに、次の瞬間にはじっと見ている。落ち着かないな。


「背中、流すよ」

「…………」


 もにょもにょと声が聞こえるが、返事はない。



 ◇


 部屋に戻ると、ランプの灯りがひとつだけ揺れていた。

 湯上がりの髪がまだ乾ききらないまま、ティリスはベッドの端に腰かけている。膝の上で両手を重ねて、指先が小さく震えていた。

 ボクはベッドの縁に腰を下ろした。近い。吐息が届くくらいの距離だ。ティリスの濡れた髪が、ランプの光に琥珀色に透けている。

 顔を上げられないでいる。耳の先が赤い。首筋まで赤い。心臓の音が聞こえそうなくらい、肩が上下している。


「……じゃ、初めてだもんね」


 ボクが声をかけると、ティリスの肩がびくっと跳ねた。


「大丈夫。優しくするから」


 ティリスの顎に、そっと指を添えた。顔を上げさせるように、ゆっくりと。触れた瞬間、ティリスの喉がひくっと鳴った。

 目が合った。緑色の瞳が、ランプの光を受けて揺れている。潤んでいた。唇がかすかに動いたけれど、声にならなかった。頬が赤い。耳が赤い。首まで赤い。全身で緊張しているのが伝わってくる。

 ティリスの頬を、両手でそっと包んだ。

 ランプの灯りが、ゆっくりと細くなっていく。ふたつの影が重なり、やがてひとつになった。



 ◇



 朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。

 ティリスは目を開けた。天井の木目が視界に入る。しばらく、ぼんやりとそれを見つめていた。

 隣を見る。ユーニが眠っている。シーツから覗く白い肩と、天鵞絨びろーどのような黒髪。芸術品のような美しい寝顔。

 ティリスは身を起こした。シーツがずり落ちて、自分が何も着ていないことに気づく。シーツの一箇所に、赤い染みがあった。

 茫然ぼうぜんと、それを見つめる。

 やがて、ティリスはベッドから降りた。裸のまま、窓へ歩いていき、おもむろに窓を開けた。


 朝の空気が肌に触れた。


 眩い朝日が部屋の中に流れ込んできた。ティリスの肌を、髪を、黄金色に染めていく。


 ティリスは眩しそうに、目を細めた。


「世界……」


 呟いた。


「輝いてる……」


 窓の外を見下ろす。通りにはすでに人の往来があった。朝市に向かう女たちが、荷車を押す商人が、通り過ぎていく。そのうちの何人かが、ふと見上げた。

 窓から上半身を乗り出した裸のティリスと、目が合った。

 怪訝な顔。ぎょっとした顔。目を逸らす人。二度見する人。

 ティリスは微動だにしなかった。仁王立ちのまま、朝日を浴びていた。



 ◇



「おはようございます! 素晴らしい朝ですね!」


 階段を降りてきたティリスが、食堂を掃除していた女主人に元気よく声をかけた。女主人は箒を止めて、ティリスを見た。昨日、顔を真っ赤にしてカウンターに両手をついていた子と同一人物とは思えない。目がきらきらしている。背筋がぴんと伸びている。


「……あぁおはよう」


 女主人が怪訝けげんそうに返した。

 ティリスは食堂を横切り、通りすがりにテーブルに座っていたナンパ女二人に朝の挨拶をする。


「おはようございます! 昨夜はよく眠れましたか!?」


 満面の笑みだ。清々しいまでの笑顔。

 ナンパ女の片方が舌打ちした。


「わーー! このパン、すっごく美味しいですね! ユーニさん!」



 ◇


「さてと」


 馬車が揺れている。次の町へ向かう馬車の中、ボクは向かいの席に座るティリスを見ていた。

 ティリスはまだにこにこしている。朝起きてからずっと上機嫌だ。鼻歌まで聞こえてきそうな勢いで、窓の外の景色を眺めている。どうやら昨日の夜は満足してくれたらしい。うんうん。こちらとしても頑張った甲斐がある。


「ティリス」

「はい!」


 元気がいいな。


「昨夜のお代の話なんだけど」

「……お代?」


 ティリスの手が止まった。


「まず本番3回でしょ」


 指を折りながら数える。


「あとオプション諸々で……、〆(シメ)て13万ギルね」


 ティリスの顔から、ゆっくりと表情が消えていく。


「初めてだから割引で10万ギルでいいよ」


 沈黙。


 ティリスが乾いた笑みのまま固まっている。目は開いているのに、何も映していない。口が微かに開いたままだ。

 どうしたの。

 さっきまでの上機嫌が嘘のように消え去って、朝日に照らされた顔だけが、やけに白く見えた。

 

 そりゃあ……、取るよ。お金。

 男娼だもん。

こんな品のない作品をここまで読んでくれてありがとうございます!


ブックマーク・☆を押すと作者の生存率が上がります。


面白いと思っていただければ下の☆☆☆☆☆からお願いします。<(_ _)>

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