2-6
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馬車が止まった。
窓の外に、小さな町が見える。石畳の通りに、木造の建物がぽつぽつ並んでいるだけの、のどかな宿場町だ。
御者が荷台の方から声をかけてきた。道中のゴブリンを退治してくれたことへの感謝だ。今夜はここで一泊して、明朝また出発する、と。
ボクは軽く手を振った。
「お礼ならティリスに言ってよ。じゃ、また明日ね」
荷物を降ろし、鞄を背負う。ティリスも大剣を背負い直して馬車を降りた。さて、宿を探さないと。
ボクがティリスの方を見ると――さっきからずっと顔が赤い。馬車を降りる前からだけど、降りてからさらに酷くなっている。うつむいたまま、ちらちらとこっちを見ては目を逸らす。脚をもじもじとこすり合わせている。
……ボクが馬車の中で言ったこと、まだ引きずってるな。
「ティリス、いこっか」
「は、はいっ」
宿場町は小さかった。通りは一本だけ。商店がいくつかと、酒場と、あとは民家。宿はおそらく一軒しかない。迷いようがないのはありがたい。
二人で通りを歩いていると、向こうから女が二人、こちらに向かってきた。冒険者風の格好をしている。ボクの顔を見た瞬間、二人の目がきらりと光った。
「ねぇ、きみ。見ない顔だけど、旅の人?」
片方がにやにやしながら近づいてくる。もう片方もボクの顔をじろじろ見ている。
「すごい美人。今夜暇? ねぇ、一杯どう?」
「ごめんね、連れがいるから」
ボクは歩調を緩めず、軽く手を振ってあしらった。が、女たちは引き下がらない。並んで歩き始める。
「えー、つれないなぁ。あ、私たちも同じ宿に向かってるんだよね。宿、この町一軒しかないし」
「へぇ」
「ねぇ、後ろの子って妹?」
女がティリスの方をちらっと見た。ティリスはボクの後ろに半歩隠れるようにして、うつむいている。顔が赤いまま、何も言えない。
「……連れだよ」
「ふーん。おとなしい子だね」
ティリスが何か言おうとして口を開きかけたが、結局何も言えずに閉じた。ナンパ女二人とボクとティリスという、なんとも居心地の悪い四人組が宿へと歩いていく。
宿は古い木造の二階建てだった。
玄関を開けると、一階は食堂兼居酒屋になっている。夕方だというのにすでに賑わっていて、客の笑い声と食器の音が入り混じっている。カウンターの向こうで女主人が忙しそうに立ち回っていた。
ボクは一歩下がった。ティリスの後ろに回る。
「ティリス、受付お願い」
「え……わ、私ですか?」
「うん。ボクが行くと絶対またナンパされるし」
理由としては間違ってない。でも本音は別にある。ここは彼女に決めてもらいたい。決めるというのは、例のあの、二人部屋にするか、一人部屋にするか、という馬車のなかでの問いかけだ。ボクが「二人部屋で」なんて言ったら、それはただの強引な営業になっちゃうし。
ティリスがおそるおそるカウンターに向かう。女主人がちらっとこちらを見た。
「泊まりかい?」
「は、はい……」
「一人部屋と二人部屋が空いてる。どっちにする?」
ティリスの背中が強張るのを感じた。視線がちらちらと泳ぐ。周囲の客がこちらをなんとなく見ている。後ろではナンパ女二人がヒソヒソと何か小声で話している。女主人の視線が刺さる。
「早くしてくれるかい? 見ての通り忙しいんだけど」
「あ……、え、えーーっと、えーと……」ティリスが口ごもる。指先が無意味にカウンターの縁をなぞっている。
「まだー?」後ろからナンパ女が威圧的に声を上げた。
「ひゃっ!………………ひ、一人部屋で……」
――へ、ヘタレ……!
ティリスが自分の口から出た言葉に、自分で驚いている顔をしている。違う、そうじゃない、って顔で。あうあう言っている。でももう遅い。訂正する勇気が出ない。女主人が部屋の鍵を取る。
「あら、一人部屋なの?」
ナンパ女の片方が、するりとボクの隣に立った。
「じゃあ、きみ一人なんだ。よかったら私たちの部屋に遊びに来ない? 広い方の部屋取るからさ」
そう言って、ボクの肩に手を置いた。馴れ馴れしい。もう片方の女もにこにこしながらボクの腕に手を伸ばす。
「いいじゃんいいじゃん。お酒も持ってきてるし、楽しくやろうよ」
ボクはちらっとティリスの方を振り返った。
目が合った。
「……一人部屋にするの?」
ぽつりと呟くと、ティリスの目が見開かれた。ボクの肩に手を置くナンパ女と、ボクの目と、交互に見ている。
「や、や、ややっぱり二人部屋でお願いしますっ!!」
あまりの大声に、食堂が一瞬静まり返った。
客の手が止まり、酒を注いでいた女の手が止まり、女主人が振り返る。全員がティリスを見た。
ティリスはカウンターに両手をついて、肩で息をしている。耳の先まで真っ赤だ。
女主人が呆れたように鼻を鳴らした。
「……はいはい。二人部屋ね」
鍵がカウンターの上に置かれた。
ボクは思わずにっこりと笑ってしまった。そっとティリスの手を取る。剣ダコのある熱い手だ。ぎゅっと握り返された。
「行こ」
ナンパ女二人が何か言っていたけど、もう聞いていなかった。
◇
二人部屋は、狭かった。
木の壁に木のベッド。窓が一つ。それだけ。荷物を下ろして一息つく。ティリスはベッドの端にちょこんと腰を下ろしたまま、微動だにしない。
目が泳いでいる。手が膝の上でぎゅっと握られている。顔は赤い。この子ずっと赤いな……。
「先にお風呂入ってきたら?」
そう声をかけても、返事がない。
「ティリス?」
「…………」
聞こえていない。完全にフリーズしている。目は開いているのに、何も見ていない。
「……ちゃんと洗える?」
「え? な、なんですか?」
やっぱり聞いていなかった。
ゴブリン戦での汚れ、まだちゃんと落とせてないだろうな。前に「臭い消しで一週間もつ」とか言ってたし。……一人で行かせたらまずいかな。
「お風呂、一緒に入ろうか」
ティリスの口が、顎が外れたんじゃないかってくらい開いたまま、ぱくぱくと空気だけを噛んでいる。
◇
湯が使える宿はありがたいな。
ボクはタオル一枚を腰に巻いて、木桶から湯を汲んでいた。湯気が立ち込める狭い浴場。隣には、俯いたまま顔を真っ赤にしたティリスが座っている。
そっとティリスの背中を眺める。肩から背中にかけて、うっすらと筋肉のラインが浮いている。でも、あの大剣を片手で振り回す膂力の割には、体つきはずいぶん華奢だ。腰まわりや太ももには女の子らしい丸みがちゃんとある。あの怪力は筋肉だけで出してるんじゃない。この世界の戦士は生命力を身体強化に回すらしいから、見た目以上の力が出るんだろう。
ティリスの様子はずっとおかしい。無言だ。視線がこっちの胸元から腰に落ちて、慌てて逸らしたかと思えば、また吸い寄せられるように戻ってくる。目が合いそうになるたびにぱっと逸れるのに、次の瞬間にはじっと見ている。落ち着かないな。
「背中、流すよ」
「…………」
もにょもにょと声が聞こえるが、返事はない。
◇
部屋に戻ると、ランプの灯りがひとつだけ揺れていた。
湯上がりの髪がまだ乾ききらないまま、ティリスはベッドの端に腰かけている。膝の上で両手を重ねて、指先が小さく震えていた。
ボクはベッドの縁に腰を下ろした。近い。吐息が届くくらいの距離だ。ティリスの濡れた髪が、ランプの光に琥珀色に透けている。
顔を上げられないでいる。耳の先が赤い。首筋まで赤い。心臓の音が聞こえそうなくらい、肩が上下している。
「……じゃ、初めてだもんね」
ボクが声をかけると、ティリスの肩がびくっと跳ねた。
「大丈夫。優しくするから」
ティリスの顎に、そっと指を添えた。顔を上げさせるように、ゆっくりと。触れた瞬間、ティリスの喉がひくっと鳴った。
目が合った。緑色の瞳が、ランプの光を受けて揺れている。潤んでいた。唇がかすかに動いたけれど、声にならなかった。頬が赤い。耳が赤い。首まで赤い。全身で緊張しているのが伝わってくる。
ティリスの頬を、両手でそっと包んだ。
ランプの灯りが、ゆっくりと細くなっていく。ふたつの影が重なり、やがてひとつになった。
◇
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
ティリスは目を開けた。天井の木目が視界に入る。しばらく、ぼんやりとそれを見つめていた。
隣を見る。ユーニが眠っている。シーツから覗く白い肩と、天鵞絨のような黒髪。芸術品のような美しい寝顔。
ティリスは身を起こした。シーツがずり落ちて、自分が何も着ていないことに気づく。シーツの一箇所に、赤い染みがあった。
茫然と、それを見つめる。
やがて、ティリスはベッドから降りた。裸のまま、窓へ歩いていき、おもむろに窓を開けた。
朝の空気が肌に触れた。
眩い朝日が部屋の中に流れ込んできた。ティリスの肌を、髪を、黄金色に染めていく。
ティリスは眩しそうに、目を細めた。
「世界……」
呟いた。
「輝いてる……」
窓の外を見下ろす。通りにはすでに人の往来があった。朝市に向かう女たちが、荷車を押す商人が、通り過ぎていく。そのうちの何人かが、ふと見上げた。
窓から上半身を乗り出した裸のティリスと、目が合った。
怪訝な顔。ぎょっとした顔。目を逸らす人。二度見する人。
ティリスは微動だにしなかった。仁王立ちのまま、朝日を浴びていた。
◇
「おはようございます! 素晴らしい朝ですね!」
階段を降りてきたティリスが、食堂を掃除していた女主人に元気よく声をかけた。女主人は箒を止めて、ティリスを見た。昨日、顔を真っ赤にしてカウンターに両手をついていた子と同一人物とは思えない。目がきらきらしている。背筋がぴんと伸びている。
「……あぁおはよう」
女主人が怪訝そうに返した。
ティリスは食堂を横切り、通りすがりにテーブルに座っていたナンパ女二人に朝の挨拶をする。
「おはようございます! 昨夜はよく眠れましたか!?」
満面の笑みだ。清々しいまでの笑顔。
ナンパ女の片方が舌打ちした。
「わーー! このパン、すっごく美味しいですね! ユーニさん!」
◇
「さてと」
馬車が揺れている。次の町へ向かう馬車の中、ボクは向かいの席に座るティリスを見ていた。
ティリスはまだにこにこしている。朝起きてからずっと上機嫌だ。鼻歌まで聞こえてきそうな勢いで、窓の外の景色を眺めている。どうやら昨日の夜は満足してくれたらしい。うんうん。こちらとしても頑張った甲斐がある。
「ティリス」
「はい!」
元気がいいな。
「昨夜のお代の話なんだけど」
「……お代?」
ティリスの手が止まった。
「まず本番3回でしょ」
指を折りながら数える。
「あとオプション諸々で……、〆(シメ)て13万ギルね」
ティリスの顔から、ゆっくりと表情が消えていく。
「初めてだから割引で10万ギルでいいよ」
沈黙。
ティリスが乾いた笑みのまま固まっている。目は開いているのに、何も映していない。口が微かに開いたままだ。
どうしたの。
さっきまでの上機嫌が嘘のように消え去って、朝日に照らされた顔だけが、やけに白く見えた。
そりゃあ……、取るよ。お金。
男娼だもん。
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