第二九一話 アチェーゾの英雄譚-21
チャンスは一度。
これ以上アリが増えれば進めなくなる。
アラセの脚も心配だ。
だから──迷っている暇はない。
「タイミング合わせて射撃してくれればいい、運転は俺が!」
「ん゙ァァ!!」
アラセが泣きながら頷く。
その姿を見ると、頭の中が真っ白になりそうだった。
もう無理をさせたくない、戦場になんて絶対に二度と出させない。
そのために、今は。
ハヤブサは腕を伸ばして、アラセの手のひらごとハンドルを握りしめた。
アラセの手は小さくて暖かくて、震えている。
震わせたのは、
女王か。
前を睨みつけ、車体を傾けた。タイヤを激しくスピンさせながら、獅子舞が女王アリに向かって一直線に走り出す。
目の前には黒アリと白アリの多重防御──動きは読めている。
ごく僅かな隙間を縫って、黒アリの鎌を回避。通信アンテナをむしり取られながら、白アリの振動板を回避。
アスファルトの段差で車体が跳ねた。
「ッ、だぁぁ……!」
歯を食いしばっていたアラセから声が漏れる。
「あと少し!」
ハヤブサは、女王アリの脚すれすれを通って、市役所の敷地内をぐるりと回るように獅子舞を走らせた。
外部カメラは半分がブラックアウト。通信アンテナがやられたから、大本営との通信もできない。
残っているのは、傷だらけの二人と、620発の30ミリ弾。
撃ち尽くす時間は10秒に満たない。
「行け…………ッ!!」
ハヤブサは短く呟くと、奥歯をギリギリと噛み締めながら、獅子舞をまっすぐ女王アリに向けた。
目が合う。
見上げても視界に収まりきらない巨躯、威容。
息ができない。
肺と心臓の動きを、女王アリに封じられたかのように、頭がぼんやりとしてくる。
それでも、いくら食いしばっても震えの止まらない下顎に、更に力を込めて。
直進するしか能のなくなった獅子舞が、高速で女王アリに向かっていく。
「おらあ゙ぁぁァ!!!」
アラセが30ミリ主砲を真上に上げて、最後の力を振り絞るようにトリガーを絞った。
爆発的な火力で30ミリ弾が放たれ、その衝撃で車体そのものが軋む。
最初で最後の一撃。
レーザー光線のように空を裂きながら、獅子舞は女王アリの脚元へ。無数の弾丸が胴体に吸い込まれ、アリを産み落とした腹の真下に叩き込まれた。
それはまるで、鋭利なナイフのように。
いとも容易く。
力を入れずとも溶かすように切り刻んでいくように、女王アリの腹を、裂いた。
地面が揺れた。
女王アリが垂直に崩れ落ち、大量の土煙を巻き上げて倒れ込む。
その場を高速で走り抜けて、しかしハヤブサに効果判定をする余裕はなかった。
「…………ッ!!」
迫り来るアリが多すぎる。
正確には、アリの群れにこちらから突っ込んでいるのだが。
アリと建物の隙間を走り抜けて、田畑のある開けた場所へ躍り出た。
アラセの手ごと必死にハンドルを回すが、間に合わない。
相手が人間やほかの動物なら、100キロ近い速度で突っ込んでくる鉄の塊から逃げようとするだろうが、アリにそんな危機回避能力もなく。
アリの脚を踏んだ。
車体が浮き上がり、砲身が黒アリの胴体に突き刺さる。
「うあ……ッ!!」
アラセが低く叫んだのと同時に、白アリの振動板が側面装甲を削る。電気回路が切断されたのか、カメラの電源が全て落ちた。
「あ……」
周りがなにも見えない。
データリンクとも接続されていないから、周囲の様子がなにもわからない。
制御不能だった獅子舞は、ゆっくりと減速していくのがわかった。ガタガタと車体が揺れて、その度にアラセが低く呻く。
「くっ……!」
ハヤブサは暴れるハンドルから手を離して、守るようにアラセを抱き締めた。
アラセも縋るように腕を回してきて、狭小の車内で隙間なく密着する。
獅子舞が激しく左右に揺れる。
まだ走り続けているのか、アリの接近で揺れているのか、もうなにもわからなかった。
「こっ、このまま、死ぬんか……」
震える唇で、アラセは呟くように言った。
「…………死にたくないけど、死ぬ、かも」
「死ぬなら一緒に死にてえ」
「俺は一緒に生きたい」
「はは……そりゃ、オレも同じやき」
アラセは小さく笑って、瞳を閉じた。
いつの間にか、獅子舞は完全に停止していた。
無音。
アラセの荒くて小さな呼吸音以外、なにも聞こえない。
「……噛め」
「…………えっ?」
「こんなとこで死にたくねえけど……最悪死ぬんだったらその前に、オマエの跡、つけてくれよ」
もしこの瞬間、白アリの振動板が真上から振り下ろされたら。
悲鳴を上げる間もなく、ふたりは分子レベルで消滅させられてしまう。
だから跡なんて──と、ハヤブサは思わなかった。
ふたりが生きて、共に戦って、愛し合った跡は、誰にも消すことなんてできないから。
ハヤブサは小さく頷くと、アラセの細い首筋に唇を這わせた。
微かに血の匂いがする。
口を開けて、歯を首に突き立てようとした瞬間。
轟音と共に後部ハッチが開いた。
「大丈夫か!」
「生存者二名、生存者二名!!」
「衛生班早くッ!」
「何かシてる最中だったぞ、開けてよかったのか?!」
「えっ、閉める?」
大勢の兵士たち。
こちらに背を向ける獅子舞。
空を覆う無数のドローンが、視界に飛び込んできた。
「「………………」」
二人は無言で見つめ合い、一瞬目を泳がせたあと。
「……い、痛ェェェェ! オレは右脚をやられたんだ!!」
「止血と搬送をお願いします、周囲の安全は取れてますかっ?!」
真っ赤な顔で同時に叫んだ。
⬛︎⬛︎⬛︎
「なあにやってたんすかねえ」
ヒテンが呆れ顔で言った。
「ナニってそりゃ……ね?」
「え、キスくらいじゃないの?」
「あら、よく首噛み合ってたじゃない、二人」
「「なにそれ知らない!!」」
ダイチとミドリが獅子舞から身を乗り出し、リュウセイは頬を赤らめてもじもじしている。
「ガキ共が色気づきやがって」
「タイヨウさんも混ざればいいじゃないですか」
「サキの方がこういうの好きだろ」
高機動防護車の中で、タイヨウとサキガケも半笑い。
通信阻害ドローンの庇護下、バターナイフ中隊を先頭に二人の救出に駆けつけたのは数分前。
ミドリの1-2からだらりと伸びた金属ワイヤーは、二人の乗る獅子舞の後部ハッチをこじ開けるために引っ掛けたものだ。
「……ま、良かったんじゃねえの、ひとまず」
ダイチが山の方を仰ぎ見る。
二つの小高い山に挟まれた市役所の脇に、女王アリの巨躯が横たわっていた。
中心から真っ二つに裂かれた状態で、微動だにしない。
「これが、バターナイフっつうことで」
対異星体ANTと、ハヤブサ・アラセの戦い、終結──
次回、後日譚にて本作は完結となります。
半年以上にわたる応援、本当にありがとうございました!




