第二八七話 アチェーゾの英雄譚-17
高機動防護車から勢いよく飛び降りた。
画面が暗くなったタブレット端末をアスファルトに叩きつけて、ハヤブサは走る。
両脚が重い──鎮静剤の影響がまだ残っていて、頭はすっきりしている代わりに体が言うことを聞かない。
「大尉!!」
サキガケの声が追いかけてくるが、無視して足を蹴り上げた。
すぐ近くに止まったまま動かない獅子舞によじ登り、辺りを見回した。
「…………まずい」
女王アリの足元に展開している数十輌の獅子舞たちも、その場で静止していた。
冷たい雨が木々とアスファルトを叩く音だけが響いている。
街の中心部で、僅かに二輌、主力戦車がエンジンの排煙を噴き出しながら動いているのが見えた。
四三式戦車、おそらく最新ロット。
黒アリ達に囲まれながら、その四三式は機関銃をひたすら乱射している。
全ての状況を理解した。
理解した瞬間、全身の毛穴がぶわっと開いた気がした。汗が雨粒と一緒に顔を流れ落ち、肺と心臓が酸素を求めて暴れ回る。
「アラセ……」
アラセだけじゃない。第一次攻撃隊として投入した何十輌もの戦車の群れ。
あの中で、人がたくさん死ぬ──!
「……っ、武器、銃、なんでもいいから寄越してください早くッ!!」
言いながら、ハヤブサは高機動防護車に駆け戻った。つい数分前に受領したばかりの高機動防護車は、ワイパーを中途半端な位置に止めたまま動かない。
「何が起きた?!」
「電磁パルス!!」
指揮管制用に与えられた高機動防護車に、銃なんて積んでいなかった。ハヤブサは奥歯を噛み締めて、すぐに車を降りる。
「EMP攻撃……そうか、他に考えられねえか……!」
「なんですかソレ?!」
渋い顔で唇を噛むタイヨウに、スマホをポケットにしまいながらサキガケが問うた。
「強力な電磁波攻撃だ。デカい雷が落ちたと思えばいい、それで車も通信機も全部止まっちまった。サキのスマホももう駄目だな」
「えぇー!」
「獅子舞はもう一ミリも動けねえ、飛んでたドローンだって全部落ちる……んで代わりに、止まってたアリ共が動き出すぞ!」
「えええぇーっ!?」
二人の会話を聞き流しながら、ハヤブサは手頃な石やアスファルト片を拾い上げると、再度駆け出した。
「軍用車両もほとんどは対EMP防護なんて考えられてないからな、どうする大尉!」
「第二次攻撃隊を半分に割って片方を温存もう片方で人員救出!」
振り返らずに早口で叫んだ。
市役所までが遠い。人間の足はこんなに遅かったのかと絶望しかける。
女王アリの放った電磁パルス攻撃で落とされた通信阻害ドローンが、道の真ん中に散らばっている。
水溜まりごとアリの脳を踏みつけて走っていると、建物の影から黒アリが姿を現した。
雨に濡れた巨体、黒光りする鎌のような前脚。
ぎょろり、と瞳がこちらを向いた。
「……っ!!」
慌てて石を投げつけたが、当然効果はなくて。
なんでこんな小石を無駄にいっぱい抱えてきたんだろうと、数秒前の自身の選択を後悔した。
「どいてください……!」
ありったけの力を込めて、尖ったアスファルト片を投げつけた瞬間、黒アリは炎を噴き上げて倒れ込んだ。
「う、わ──!?」
衝撃でへたり込みながら振り向いた。
獅子舞と高機動防護車が、勢いよくこちらに向かってくる。
「ハヤブサぁ!!」
停まりきる前に、高機動防護車からミオが飛び降りた。
「トンネルの中にいたから無事だった! ここは一輌だけ残って、あとは生存者防御させるねぇ!」
説明と指示を同時にこなしながら、ミオは真っ青な顔でハヤブサを抱き締めた。
包み込まれる格好になって、雨が止む。
アラセにはない柔らかさに、一瞬身を委ねそうになった。
「まったく、相変わらず無理するねぇ」
ミオはぽんぽんとハヤブサの頭を軽く叩くと、タブレット端末の画面を見せてきた。
「偵察ドローン複数機投入済。電磁パルスの影響を受けなかった部隊、主に輸送トラックをメインに投入済。通信阻害ドローンを二機投入済……あとはみんな、自力で帰ってきてくれるのを待つしかないねぇ」
「…………ありがとうございます」
自分が指揮を執れなかった空白の時間は何分くらいだっただろう。正確な時間すら、電子機器がなければわからない。
震える指先で、ミオの士官服の端を握りしめた。
「なんでも独りで頑張ろうとしないで、頼ってくれていいんだからねぇ」
ハヤブサを優しく抱き締めながら、ミオは悪戯っぽく笑った。
「って、こんなとこアラセちゃんに見られたら、怒られちゃうかな?」
ミオの青白い顔から雨粒が垂れて、頬の裂けた傷に滲みる。
…………裂けた……滲みる……?
そうか。
ある。
女王アリにも、裂けた箇所が。
⬛︎⬛︎⬛︎
「走って!!!」
ダイチに手を引かれながら、アラセは必死に地面を蹴り上げる。
獅子舞の後部ハッチをこじ開けて無理やり這い出た直後、黒アリに襲われた。
死ななかったのは、ただの運だ。小柄な身体で走り回ったおかげで、アリの鎌のような前脚に切り裂かれずに済んだ。
他の獅子舞と二三式戦車が、白アリに一瞬でスライスされるのを、極力見ないように。
中には誰も乗っていないと言い聞かせて、アラセはダイチの手を握りしめる。
「こっちだ!」
「急げッ!」
生存者は他にも何人かいて、周りを見回しながら手招きしていた。
アラセは破裂しそうな心臓を押さえながら、半ば引き摺られるような体勢で濡れた舗装を走る。靴の中まで雨水と泥が侵入して、踏み出す一歩が重かった。
「ダイチっ、なんでオマエ……」
「大尉の代わりに助けに来たんですよッ!」
ダイチは振り向かずに怒鳴った。
「女子高生ひとり、あんなところに置いて行けないでしょ!!」
ガキ扱いすんな──と、言い返す余裕はなかった。
影のように現れた特殊作戦団の隊員が、冷静に黒アリの眉間を撃ち抜いている。そっちへ行けばまだ安全そうだ。
荒い息を吐き出しながら、アラセは他の皆と一緒に、近くの山林へと逃げ込んだ。




