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もうひとつのゲーム業界物語  作者: 平野文鳥
29/34

遊子と老いぼれ企画屋 ~その6~

 ドスン!


 鈍い音の後、廊下には仰向けになって転がっている新井さんの姿がありました。


 あら、やっちまいましたわ。


 どうやらあたしは反射的に新井さんを投げ飛ばしてしまったようです。


 実はあたし、なにを隠そう合気道二段なんです。振られた暴力に関しては相手が誰だろうが体が無意識に反応してしまうのです。


「だいじょうぶですか」


 新井さんの顔は、女子に投げ飛ばされた驚きと屈辱と苦痛のトリプルトッピングでたいそう歪んでいました。


「くそっ! あの老いぼれさえこなければ……」


 新井さんは吐き捨てるように言ったあと、よろよろと立ち上がり、腰をさすりながら去って行きました。




「ひどいと思いませんか? お父様」


 帰宅後、遅い夕食をとっていたあたしは、ニュース番組を見ながら焼酎のロックを楽しんでいる父に今日の新井さんとの一件について愚痴りました。

 父は御手洗(みたらい)慎太郎(しんたろう)という、そこそこ売れている小説家で、現代人間の心の葛藤を描く大衆文学を得意としています。そのせいか、ちょっと風変わりな人間や、その境遇、人生に異常な関心を寄せ、隙あらば小説のネタにしてやろうと目を光らせております。

 蛇足ながら、子どもを対象とした合気道教室の師範でもあります。


「ふ~む。遊子の話を聞いている限りでは、その新井君って奴はかなり自分に自信がないみたいだな。自己肯定感が低いのだろう」

「自己肯定感が低い?」

「うむ。例えば、子どもの頃に、厳格過ぎる父親のもとで、あまり褒めらず叱られてばっかりで育った子どもがなりやすいと言われとる。つまり、子どもの頃から自分はダメな人間なんだという自己否定感を無意識に作ってしまい、いつも自分に対して自信をなくしておる。人によっては、そのコンプレックスを周囲に悟られまいと、やたら相手を馬鹿にしたり攻撃的になったりして相手の評価を下げようとする者もおるようだ」


 父は白い顎鬚をこすりながら一気に語ります。さすが、人間を描いてうん十年の作家。人間分析はお手のものです。


「なるほど……。たしかに新井さんにはその傾向がありそうな気もしますわ。ただ、以前はそれほどでもなかったんですけど」

「ん? ということは最近なんかあったのか」

「実は、先週、ある新人さんがあたしの課に入ってきたんですけど――」


 あたしは古田さんとの一件をお話ししました。すると、父はそれに興味がわいたのか、テレビから目を離してあたしの方へ向き直します。


「う~む。若い職場にある日突然、自分たちの親ほど年の差がある年配者が新人として入社してくる、か。面白い。ただ、あまりにも特殊な例過ぎるから、使えるかなぁ……」

「お父様、まさか小説のネタにするつもりではありませんよね」

「え? いやいや! そ、そんなことはないぞ。で、創造するに、確かにそんな不自然な状況下では新井君のやりづらいという不満も分かる気がするな。それにしても、新井君の古田さんへの嫌悪はちょっと異常だな。普通、そんなに嫌いなら無視して相手にもしないはずなんだが……」


 父はグラスの焼酎を一口喉に流し込み、虚空を凝視してなにやら考え始めました。その顔は父が小説のネタを考えるときによく見せるそれでした。


「何、考えてらっしゃるんです?」

「ん? 新井君が古田さんを異様に嫌悪する理由をね」

「まぁ、聞かせてもらえます?」

「いや、語るほどのもんでもないよ。よくある話だから」

「ますます気になります」

「あくまで、新井くんが父親に対して激しいコンプレックスを持っているという前提だが……、新井くんは古田さんが自分の父親に似てると思ったんじゃないのかな? 顔か雰囲気かはわからんが。そして古田さんに対してアンビバレンツな感情を持ったんじゃないのかなと」

「アンビバレンツ? なんですの、それ」

「両価感情といって、一人の人物に対して、好意と嫌悪を同時に持つことだよ」

「好意? それはないと思いますわ。だって、悪意を感じる言動ならたくさんありましたが、好意を感じさせるそれは一度もなかったんですもの」

「いや、ある。新井くんがいちいち古田さんのことを意識しているところだ」

「は? 言ってる意味がわかりませんが……」

「先ほども言ったが、本当に嫌いだったら普通は完全に無視するはずだ。でも、遊子の話を聞いている限りではそうでもない。無視ではなく意識している。まるで、怖いとわかっているのに、わざわざお化け屋敷に出かける酔狂な連中のように」

「その例えは、正しいのでしょうか?」

「ん? 伝わらんか? じゃあ、こういう例えはどうだ――」


 それからの父の話は新井さんの件から違った方向へ脱線し始めます。

 小説家という職業柄なのか? 父の創造力、いや、妄想力は勢いがつき、もはや誰にも止められない状態になってゆきました。


「遊子、すまん。仕事に戻る」


 突然、父は話を中断すると、興奮しながらさっさと二階の仕事部屋へ帰って行きました。たぶん、話しているうちに小説のネタでも思いついたのでしょう。お気楽な方です――。




 次の日――。

 新井さんは欠勤されてました。連絡もなく無断欠勤とのこと。もしかしたら昨日の件で体調でも悪くされたのでしょうか? 新井さんをぶん投げておいて言うのもなんですが、ちょっと心配です。


「御手洗さん!」


 休憩時間に廊下を歩いていたあたしは、誰かに声をかけられました。それは人事課の山村さんでした。新井さんの仲良しさんです。


「ちょっとお伺いしたいことがあるのですが、今、お時間とれます?」

「ええ、かまいませんが」


 あたしは山村さんに誰もいない会議室へ連れてゆかれました。


「すみません、お時間をとらせて。実は企画課の新井君のことでなにかご存じないかと」

「新井さん? 新井さんの何をですか」

「昨夜、彼から会社を辞めたいっていうメールをもらったんです」

「えっ、本当ですか」

「なんでも古田さんとは一緒に仕事をしたくないという理由で。新井さんと古田さんとの間になにかあったんでしょうか」


 あたしは、昨日の一件を山村さんにお伝えしました。


「そうですかぁ。それじゃあ彼も辞めたくなりますよねぇ……。それで、他のプランナーの方々はどうです? 古田さんを嫌がってる人はいますか」

「特にいないみたいです。逆に、あたしもそうですが、一部のプランナーの中には古田さんのアドバイスは的確で為になるという人もいるようです」

「そうですか……。わかりました。お時間をとらせて申し訳ありませんでした」


 山村さんはあたしに礼を言い、うつむいて会議室を出て行かれました。


 企画室に戻ると、古田さんが思い詰めたような表情であたしに近づいて来ます。


「御手洗さん。新井さんが欠勤されているようですが、いかがされたかご存じですか」

「さあ……」

「そうですか。もしかして昨日私が新井さんに厳しいことを言ったせいでしょうかね」


 あたしは新井さんが退職願いを出したことを知っていたので、古田さんの問いには正直に答えず、「ただの体調不良じゃないですか。あまり気にすることはないと思いますよ」と言って、その場をごまかしました。


「ほんとうにそうなんでしょうか……」


 年の功がなせる勘でしょうか? 古田さんはあたしの答えを真に受けず、どうやら自分が原因だと確信しているような落胆の表情を見せました。


 それから三日後――。

 新井さんの欠勤は続いています。


「古田さん、ちょっと!」


 今野課長がいつになく深刻な表情で、作業中の古田さんを隣の会議室へ連れて行きました。


『知ってた? 新井さん、会社辞めるって』


 作業中のパソコンの画面に、しおりんからのメッセージが届きました。


『知ってた。人事の山村さんから聞いた』

『理由知ってる?』

『知らない』

 

 あたしは嘘をつきました。

 だって理由が古田さんだということをうかつに伝えると、それに尾ひれがついて、ここの現場の雰囲気ががややこしくなってしまうことは想像に難くなかったからです。しおりんを信じてないというわけではありませんが、とりあえず念の為にということで――。

 

 新井さんは欠勤を四日続け、五日目に出社されました――。

 皆の心配する視線を一斉に浴びながらも悪びれる様子もなく、いつも通りに席に着く新井さんを見てあたしは拍子抜けしました。でも、妙に思いつめた暗い顔で来られるより、そちらの方がいつもの新井さんらしくて、ちょっと安心もしましたが。


「あれ? 古田さんは?」


 まるで新井さんとバトンタッチするかのように、今度は古田さんが出社されていません。遅刻かな? まさか無断欠勤はありえないでしょう。でも……ちょっと妙な胸騒ぎがします。


「お? 新井くん、来てくれたか。ちょっといいかな」


 課長が席から立ち上がり新井さんに声をかけました。二人は無言のまま隣の会議室へ移動します。


「あいつ、どういうつもりなんだろ」


 しおりんが不服そうな顔で、あたしのもとへやってきました。


「見た? あいつにやけてたよ。どう見てもあの顔は会社を辞める人間の顔じゃないな」


 ポ~ン!


 その時、パソコンからメールの着信音が鳴りました。


「え? マジ?」


 なんと差出人は古田さんでした。しおりんも目を丸くしてパソコン画面をのぞき込みます。


『御手洗さまへ

 おつかれさまです。古田です。

 突然ですが、私はデータウェスト社を退社することになりました。正式な退社日は少し先になりますが、有休休暇消化のため、昨日が最後の出社となりました。

 とても短い期間でしたが、御手洗さまには私のような場違いな年配者に対して、他の社員の方々と変わらずにお付き合いしていただき心より感謝しております。ありがとうございました。

 これからの御手洗さまのご活躍とご健勝を心からお祈りしております』


 あたしは突然の古田さんの報告に唖然としました。しおりんは腕を組んで首を傾げ、そして新井さんを睨みました。


「なんか、変だな……。古田さんが来なくなったタイミングで新井さんが出社するって。ねえ、ゆっこ。古田さんに訊けないかな? 辞める理由を」

「え? 理由?」


 さすがにそれはプライベートな問題なので、あたしは躊躇(とまど)いました。


「じゃあ、こうしよう。二人で古田さんの送別会をやろう。それなら古田さんも喜んでくれるし、辞める理由も聞きやすいんじゃない?」


 なるほど。さすが、しおりん。そういうところの頭の回転は高スペックです。あたしはそのアイデアに同意し、さっそく古田さんに打診のメールを送ってみました。


 数時間後――。

 古田さんからの返事がありました。

 古田さんはたいそう喜んだ様子で、あたしたちの提案を快諾してくださいました。



 ~つづく~

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