祭りの夜に(後編)
広場に大きな火を炊いて、人々は今晩のために狩られた大きな猪を焼く。
近くの集落の若者たちが運び込んだ食料を蒸したりする匂いも混ざって、つい腹が鳴る。
「へえ、こちらの巫女様、姫神様みたいにお綺麗なのね。背も高くて素敵」
「あら、あの方は男性なのよ」
「まあ、本当に? とても素敵。私なんか、横に立ったら霞んじゃいそう」
「そうよね。すごく素敵だけど、やっぱ男は腕っぷしがよくて、ちょっと汚いくらいがいいわね。遠くから眺めていたいわ」
「綺麗すぎると、なんだか人ではないみたいね」
――丸聞こえだ。
ざわつく人々の中をまっすぐに歩いて、もう聞き飽きた自分への評価を聞こえないふりする。
日が暮れてから、珍しく霊たちが静かになった違和感はあれど、そのお陰もあり滞りなく覡の仕事が一段落ついた。
舞と祈りは奉げたし、後は人々が火を囲んで踊って食って楽しむだけだ。
もう広場では若い男女が二人話し込んでいたり、互いの友人を紹介し合っている。
マホロが例の想い人と手を取り合うところなど見たくなくて、男は人気のないところで休憩をとることにした。
今自分の家に帰ると、恐らく師匠とは名ばかりの高齢の巫女と、その知己である老人たちが集まって供物の残りをつついているだろう。
彼らの、とくに男の老人に女人と変わらぬなと髪やら尻やらまでつつかれるのは不快でたまらない。
恋人たちは屋内か、星の見える丘やら、人目につかぬ木陰で情事に耽っているのだろう。
逢瀬の場所を探す彼らに休憩の邪魔をされぬよう、わざと岩の陰に自分がいることを示すための目印として、頭に巻いていた飾りを、あえて目立つように岩の前に置いた。
地面に腰を下ろして岩に背を預けると、やがて虚しさに胸がいっぱいになる。
どうせならいっそ、女に産まれてしまえば立派な巫女になったであろう。男に産まれてしまったのなら、腕力を持って、もっと猛々しく毛深い男前になりたかった。
ため息をつき、目を瞑る。
広場に火を炊いているので、今夜は外で寝ても獣に襲われることはないだろう。
仮眠を取ろうと瞼を閉じたその時、かさりと葉を踏む音がした。それは少し急いでいるようで、素早い。
頭の飾りを置いておいたのに、気付かなかったのだろうか。
だが場所を譲ってやるほど機嫌も良くないので、寝たふりをしたままでいる。
気配はそのまま男に近付いてきて、あろうことかすぐ隣に座り込んだ。
まさか、自分を誰かとわかってこのようなことをしているのだろうか。
目を開いてそちらへ視線を向けると、なぜか、欲しくてたまらないマホロの姿があった。
マホロであると気付いた瞬間、情けない話だが、怒りはふっとんで機嫌も少し良くなってしまう。
口元が緩んでしまうのは、嘘や気遣いなどではなく自然のものだ。
「ん? どうかしたのか?」
自分をじっと見つめる大きな真ん丸の瞳に、岩の向こうの灯りが僅かに届いて、星のように美しい。
少しの間見惚れてしまうが、沈黙の中にある僅かな緊張に、男はふうっと息を吐いた。
「さては、恥ずかしがって、想い人に声 をかけられぬのだな。どの男だ? 俺がここへ連れてきてやろう」
こういうことをしたくないから隠れていた。あたかも女と情事に耽っているため、邪魔立ては無用と示すように持ち物を置いて、二人分隠れられそうな岩陰にいたというのに。
いっそのこと、霊たちが言うようにこの場で無理矢理組み敷いて、彼女を抱いてしまいたい。孕ませたらそれを理由に家に安静にさせて、少なくとも赤子が乳離れするまでは付きっきりで傍にいられる。
彼女と自分の間に産まれる子は可愛いだろう。妻にも子にも、美味いものを何でも食べさせてやりたいし、自分が死んでからも守り続けてやりたいと思うだろう。
しかし、男にはどうしてもそれはできぬ。マホロを幸せにできぬ男にはなりたくない。
本当に欲しい物は女の体でも自分の子でもなく、この者の笑顔と幸せだ。
だから、男はゆっくりと立ち上がろうとする。
「やっ、おやめください」
「照れるな。ほら、意中の者というのはどの男だ?」
「違う、違います」
マホロの指が貫頭衣の裾を摘んで引っ張る。
「どうした? また、具合が悪いのか? ん?」
様子がおかしいので顔をまじまじと見るが、暗くて顔色まではわからない。
ただ、遠い灯りでも、今にも涙が溢れてしまいそうな瞳がこちらを向いていることだけはわかり、心配で頭を撫でる。
「どうかしたのか?」
「……お、女から誘っては、子が流れるって聞きました」
「ん、だから俺が呼んできてやるから」
黙って、じいっと視線を反らさないマホロに、男はみるみると大きくなる劣情を抑えきれない。
祭りの前に、見つめろと言ったのは自分だ。あれをマホロはよく聞いて、試しているのだ。
「上手くいかなかったのか?」
「あなたはいつも私のことを、か、可愛いと言ってくれるのに……女にしてくれないのはなぜですか」
また指先で衣を引かれる。
「待て、これではまるでお前が俺のことを……」
そこまで言っても頑なに目を逸らさずにいるマホロに、男は頭を撫でていた手を滑らせて、離して、それから小さな手を握る。
一瞬目を見開いてから、今度はとろりと溶けそうな眼差しを向けてくるマホロを引き寄せて、己の腰の辺りを跨がらせるように座らせた。
逃げるどころかされるがまま、尚も見つめ続けてくるマホロの頬を撫ぜ、今度は顔をゆっくりと引き寄せる。
このままでは、何をされるかと教えるつもりで、わざとゆっくと後頭部までを撫でる。
「良いのか、俺で」
「私はあなたでないと……あなたは、私ではお嫌かもしれないけれど、でも……」
「嫌なわけがない。だがお前には相応しい男がいると……俺は女みたいな姿だが、良いのか? 嫉妬深くて、執念深く、生涯お前を離さないぞ。それでもいいのか?」
触れてしまったら元には戻れない。
一度額と額をくっつけて、愛らしい眼を至近距離で観察する。互いの息が交わったものが顔にかかると、待ちきれぬと言うようにマホロの指先が男の唇を探し当て、触れた。その感触に抗えない劣情をそのままに、男は抑え込んでいた言葉を発する。
「好きだ、マホロ……愛している、お前をずっと」
「私も好き……ん」
重ねた唇の感触は柔らかく、なんとも言えぬ快感のようなものが、底しれぬ幸福が、悦楽となって血とともに全身を駆け抜ける。
初めは形や感触を確かめるように。やがては夢中で息を奪い取るように女の唇を吸ったり、食うように唇で挟む。
「好きだ、好きだ、マホロ」
獣のような吐息に混じって、己の口から幾度も出てくる同じ言葉に、本当に頭がおかしくなってしまったような気がして、しかしそれすらどうでも良くなり、舌も使って女を求めた。
両腕でしっかりと細い腰と後頭部を捕まえて、可愛らしい声をもっと聞き出そうと口の中を掻き回しているうち、いつの間にかマホロの小さな体に自分の方がのしかかっていた。
「このまま永遠にお前を放したくない。死んでもお前を放したくない。他の誰にも、お前に触れてほしくない……」
一度手にしてしまうと手放せない。
その激情の成れの果てが本物の化け物だとしても、狂ってしまって良かったとさえ思う。
なぜかいなくなって顔を出さぬ霊たちのことも忘れ、山から良からぬものの歩み寄る音にも気付けないほど男は耽溺してしまった。
「私、あなたの気持ちに、気付けませんでした。私だけ好きなのだろうと」
「……俺があまり、顔を動かさないからか。よく、何を考えているのかわからぬと言われる」
「あなたの心が目に見えれば良いのに。そうしたら、もっと、甘えて良い時を見極められるのに」
「心を見せれば、もっと甘えてくれるのか? 俺もお前に求められたい。お前といると、年中春のように胸の中に花が降るようだ。それを見せられたら、お前はこうして一日中すりすりくっついていてくれるのか?」
「一日中、くっついていて良いのですか?」
「ああ。お前とくっついていると、幸せだ」
死が分かち、死によって引き戻されるまでに、男は自分の呼び名も、その男であったことも、そして女のことも忘れてしまった。
離れている間、思い出すと辛くて悲しくて、あまり思い出さぬようにしていたら、そのまま二千年ほどたってしまって、思い出そうとすること自体を忘れてしまった。
彼らのことを覚えている者はもういない。
それでも変わらぬ魂は二つ、降りしきる花の中でぴったりと今日も寄り添いあう。
(おわり)




