祭りの夜に(前編)
遠い昔、ロウが一人の人間の男だった時の話。
それは真に、炎のように照って美しい女だ。
何も顔の形だけが整っているわけではなく、ころころと変わる表情の一つ一つが魅力的で、男にとっては何より輝いて見える。
だから欲しくて欲しくてたまらないと思ったのだ。その勇気さえ、力さえあったならば、両腕の中にずっと閉じ込めておきたい。
いつも見せてくれる朗らかな笑顔を独り占めにしたい。
その男には昔から、人に見えぬものが見えた。会話をすること、そして邪悪なものは追い払うこともできた。
それゆえに狩りには行かず、成人を迎える前から巫女のように屋内で卜いばかりして過ごしているので、体は華奢で肌も日焼けしていない。
その脆弱そうな体躯と、生まれ持った真っ直ぐな髪、女と見分けが付かぬ顔から、たとえ覡として一人前と評価されても、男としては求められず、十八になっても妻がいない。
そんな男がこうして想いを寄せているのが、同じ集落に住む幼馴染で、二つほど年下の少女なのだが、いかんせん男には自信がない。
集落に住む若い女は皆、力の強い男を好む。それは、ごく当り前のことだ。
男というのは外で狩りをし、田畑を墾く力ある者であるべきなのだ。
男と男は格闘するもので、勝った方が好きな女と結ばれる。
女もその両親も、妻を守るだけの力がある男のものになることこそが幸福と考える。
たとえ住む家と、卜いのみで充分に暮らせる報酬があっても、わざわざ自分の嫁になりたい女など、きっといない。
こんな自分では、と遠慮をしているうちに、とうとうあの少女が初潮を迎え、婿探しをせねばならぬ時が来た。
月の円くなる今宵、豊作と疫の払いを祈る祭りがある。恐らく他所の集落の若者たちも肉や魚を持って集まるので、そこで見初めてくれる男を探すのだろう。
その見目麗しさ、どんな鳥よりも愛らしく優しい声から、神の住まう素晴らしく美しい場所から贈られてきたに違いないと、マホロと呼ばれるようになったその少女のことだから、引く手数多に違いない。
同じ集落の男を婿とするのであれば度々卜いに訪れて会えることもあろうが、他所の集落に嫁いでしまえば今生の別れとなるかもしれない。
つい壺や鉢を落としそうになったりしながら、憂鬱に、男は祭りの準備をする。
覡であるがゆえに、男はこれから櫓の上に鏡やら酒を供えに行かねばならない。それから、今年供える酒の作り手にマホロがいたことを思い出して、さらに大きなため息をつく。神が羨ましい。
酒というのは、神から賜わった黄金の穀物、米を未婚の少女たちが噛んで作るものだ。
神に対して不敬な発言とは十分承知ではあるものの、好いた女の口で噛んだものを直接唇を重ねて吸い取りたいと思うのは当然のことではないか。
これまでにも男は何度か、あの鹿肉などとは比べ物にならぬほど甘そうな薄紅色の唇が欲しいと思ったことがある。
あれを食らう男が自分でないことが辛く、苦く、忌ま忌ましい。
数えきれないため息を聞きつけて、数人の青白いものが下から湧き出すようにして現れた。
皆、昔からこの場所に居続けている霊だが、決して悪さはしない。それどころか、集落に寄ってくる悪いものがあると、男の元に来て知らせてくれるのだ。
悪いものではない。そう、悪いものではないのだが、いかんせん男と気が合わぬ存在だ。
『いい加減、もう、手篭めにしてしまえ』
『そうそう。まずは一人、産ませてしまえば良いだけのこと』
『男ならば襲え、力づくで奪ってしまえ、夜這いだあ』
視界のすみでふよふよと漂う霊たちに一瞥くれるが、相手にせず手早く鏡を決まった場所に設置する。
面白がってからかってくる霊たちも、祭りの前の雰囲気に興奮気味なのかもしれない。
だが、彼らの言うその冗談は男にとっては笑えるものではない。
彼女の嫌がることはしたくない。彼女を傷付ける者は許せないし、男にとってマホロは神のように尊いものだ。本人が好いた男と結ばれてほしい。
『ほれ、あそこにいるぞ』
『木陰に連れ込んで我が物にしてしまえ』
『相手は女の身。お前の力でも簡単に押し倒せよう』
ケタケタ笑う霊たちが、むすっと怒る男の顔を見て、あっと声を上げる。
それからようやく黙ったものの、指をさして彼女の位置を知らせてくるので鬱陶しい。
仕方無く櫓を降りると、少女の方も男の存在に気が付き、にこりと微笑んだ。
干して叩いた植物の茎を編んだ籠には、あけびや木の実をいっぱいに詰め込んでいる。
「あの、これ」
「供物か?」
「はい。お昼に採って来たんです。その、素敵な夫に巡り会えますように、お願いしたくて」
ぽっと色付いた頬に、控えめな微笑。
差し出された籠を受け取り、いつもの調子でぽんと頭を撫でる。
「採って来た? 体調の方は?」
「もう血は止まったので、大丈夫です」
「そうか、良かった。めでたいこととはいえ、痛むのは良いことではない。では、これは預かった。マホロヒメに良き夫が見つかるよう俺も祈っておく」
「や、やです、マホロヒメだなんて、私、そんな尊きものではないです」
「いいや、どこかの彦神に見初められるやもしれぬだろう。マホロは可愛いから」
再び櫓を上って行き、籠の中身を酒の横にある脚付きの皿に盛り付ける。同じように夫を探す女以外にも妊婦やその夫、怪我をした者とその家族などにも供物を渡されるだろう。
だが、こっそりとマホロを贔屓して一番出来の良い、綺麗な皿に乗せてやる。神を前に人は平等に卑しいのだが、この土地にはそれほど強い神はいない。小物の神とあやかし、霊がちらほらいるだけだ。だから贔屓しようがしまいが、多くを叶えることもできぬような神にとっては、あまり関係がない。
籠を返しに櫓を降りると、マホロが何やら顔を真っ赤にしている。
やはりまだ体調が優れないのではないかと心配になり、その背中をさすりながら休んだ方が良いと提案すると、素直にマホロはこくんと頷いた。
幼い頃から少し控えめなところがあり、体調が優れなくても言い出せず、無理をしてしまう彼女が心配でたまらない。
男を含め、よく遊んだ幼馴染は皆そのことを知っていて、マホロの気持ちを察してやることができるが、この男を除いた者には皆、すでに妻や恋仲の者がいる。
マホロは少し綺麗すぎて手を出しづらいというのもあるが、本人が奥手というか、男の誘いになかなか乗らないので取り残されてしまったようだ。
「私、本当に可愛いですか?」
「ふふ、何を今さら。可愛いさ、一番可愛い。だから絶対に良き夫に巡り会える」
「……その、もしもまた余り物になってしまったら」
「余らぬ余らぬ」
「でも、あの」
「自信を持て。大丈夫だ。お前は綺麗なのだから、笑ってるだけで、男がわんさか集まる。今日、お前のために力比べさせると良い」
家すぐ前まで送り届け、籠を手渡そうと差し出す。
すると目を潤ませて不機嫌そうなマホロが、唇を噛んで籠を受け取ろうともしない。
男は少し考えて、自分の言った言葉のどれがマホロを怒らせたのか探すが、よくわからない。
「力比べなんか、いいです。私は力なんて弱くても良いのです」
「ああ、そうか、そういうことか。そうだな。女相手に叩いてくる男かもしれぬし、力比べだけでは何とも言えぬか」
「……それも、そうなのですが……そうじゃなくて、私、お慕いしている方が、いて」
これまでそんな話は聞いたことがない。
マホロはてっきり集落の男に興味が無いものと思っていた。
にわかは信じがたくも、嫉妬に胸がざらざらとして、棘で刺されたようにチクリと痛む。
「それは知らなんだ」
「だから、その方に今日……その……」
「はは、マホロにじいっと見つめられれば、すぐ落とせる。上手くいくといいな」
上手くいってほしいが、実のところそうでもない。
だが、マホロには幸せになってほしい。矛盾した気持ちを笑顔で隠す。
すると、男の助言を受けてまた機嫌を取り戻したような、そうでも無いような、疑っているような顔をしたマホロが、ずいっと男の顔をのぞき込んだ。
「じいっと見つめるだけで良いのですか?」
「ああ」
「本当の、本当に?」
「ああ……こら、俺で試すな。ほら一旦帰れ。ちゃんと着飾って来い」
掴んだ肩をくるりと回して体を家へ向けさせる。
中で小さな弟を寝かしつけるマホロの母親がくすくすと笑い、男に会釈をした。




